外伝 「だから好きなんだよ?」
本編制作中。
まだ志島紗黄が七歳だったころ、彼女は”怪異”に遭遇したことがあった。
部屋のドアから何度も何かを引っ掻いたような音がする。ここ数日、少女はこの音に悩まされていた。
来ないで、来ないで、と心のなかで紗黄は願う。だが無常にも音は鳴り止まない。最初は一つだった音がいくつにも増えていく。
体は動かない。声も出せない。少女ができるのは祈ることだけだった。
深夜までその音は鳴り止まなかった。この日も少女は親に訴えた。私の部屋におばけが出ると。だが、聞き入れてもらえなかった。紗黄の両親はともに働いているため、時間がない。娘のお遊びに付き合っている暇がなかったのだ。帰ってきた後でまた聞くからと言って、両親ともにテキパキと朝の支度を済ます。もしもこの時、少しでも自分の娘をよく見ていたら、気づけたかもしれない。娘の訴えかける目や、表情が、雰囲気が、それが真実であるということを。
***
「さきちゃん、だいじょうぶ?またげんきがないかおしてるよ?」
男の子が少女の顔を眺めてそう言った。
「……え?なんでもないよ……たくまくん。」
紗黄はすぐさま反応したが、声色に覇気はない。
男の名前は片桐拓真。数年後、紗黄と同じタイミングで陰陽師になり、コンビとして名を馳せた男である。
「うそつき!つらいかおしてる」
紗黄と幼馴染の拓真はここ数日紗黄の様子がおかしいことに気づいていた。紗黄とずっと一緒にいた拓真にとって、小さな変化でも拾い上げるのは簡単だった。
「……たくまくんにいいたくない。」
「ならぼく、さきちゃんとともだちやめる」
「え!?」
少女は驚いた声を上げる。この時に少女は自分は彼のことを特別だと思っていた事に気づいた。今まで当たり前に隣にいてくれた拓真が、友だちという繋がりを切ると言い出したのだ。それだけで、まだ幼かった紗黄には十分な衝撃だった。
紗黄は親から愛されているのか不安だった。だからこそ、いつも隣にいて、頼っていい拓真の存在にどこか依存していた部分もあったのかもしれない。幼いころから、いや、生まれる前から家族同士のつながりがあった二人は家族同然の存在で、紗黄からだけではなく拓真もどこか依存していたのだろう。
まだ休み時間だったので紗黄はすぐにトイレに行き、個室に鍵をかけて一人涙を流した。失うということへの恐怖が彼女を襲った。休み時間の終わりを告げるチャイムがなったのを聞いて少女はすぐに教室へ戻ったが、先生はまだ来ていなかったので何事もなく席に座れた。
***
昼休みになり、少女と男の子は図書室に向かった。司書の先生が一人カウンターに座っているだけで、この部屋には他に人はいない。
「じつはね、うちのいえにおばけがでるの」
紗黄は拓真に真実を告げた。今朝親に言われたことが少女の頭の中を一瞬よぎる。また相手にされないのではないか、と。
少し震えて泣きそうな少女を見て、男の子は少女の頭をなでた。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。ぼくはさきちゃんのみかただよ」
堪えていた涙が少女の目から流れ落ちた。声が聞こえてはいけないと思った男の子は、少女を胸に抱き寄せる。だから、また少女は泣いた。
***
「ほんとにとまってよかったの?」
少女は男の子に聞いた。なぜならば、拓真がいるのは紗黄の家だったからだ。
もちろん許可を得ずに拓真を泊めたわけではない。まだ仕事中だった親に電話をしたら一言だけ、「分かった」と言われた。少女の心は少し沈んだ。そして後ろから拓真が、「どうだった?」と笑顔で聞いてきて、少女の心は満たされた。自分に必要なのは拓真なのかもしれないと、心のどこかで少女は思っていた。へいきだって、と紗黄が拓真に言うと、ますます男の子は笑顔になった。そして紗黄も嬉しくなった。
「うん!きをつけてねっていわれた!」
拓真も許可を得て泊まりに来ている。学生の頃から互いの両親は知り合いで、どちらも高校から付き合い始め、結婚まで至った。仲の良かった両親たちが自分たちの子供同士で結ばれることを望んでいたのは関係のない話である。
紗黄の部屋で二人は音が鳴るのを今か今かと待ち構えていた。部屋の明かりを点けて布団に包まり、怯えながら待っている。
「まだこないね」
いつも鳴る時刻は過ぎているのにこないのを見かねて紗黄がそう言ったかと思うと、急にドアのほうから音がなった。そして部屋の明かりも消える。ドアを強く引っ掻いているのか、ドアの揺れが激しい。
「……きた」
拓真はそう言った。音はいつもよりも大きく、そして多い。紗黄の頭の中は恐怖でいっぱいだった。
「ねぇ、どうしようたくまくん」
慌てた様子で紗黄は言う。毛布にくるまり、紗黄は早く音が消えることを祈る。
「ごめん。さきちゃんがひとりでこわがらないようにしたいからきたの」
拓真が紗黄に告げると、少女は驚いた顔をした。子どもの頭ではなぜ拓真が泊まりに来たのかなどを考えることはできなかったが、その言葉を聞いて初めて拓真が自分のために家に来てくれたんだと気づいた。
拓真から紗黄の家に泊まりたいと言った。その理由は、仲の良い友だちが困っていたから。助けようと思っていたが、自分では何もできないとも分かっていた。だから、一緒にいることだけが紗黄にできることだと思い、紗黄の家に来た。
「たくまくんまでこわいおもいしないでよ」
紗黄は少し怒った声で言った。少女の目から涙がこぼれる。
音はどんどんと増える。引っ掻き回す音だけでなく、扉を叩く音まで聞こえてくる。
二人は言葉を失って、拓真は自分の胸でまた紗黄を抱きしめた。拓真は怖くなかった。でも、自分が、自分たちが危ない状況なのはしっかりと理解していた。だから────
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。さきちゃんはみみをとじてて?ぜんぶだいじょうぶ。ぼくがいるからね」
────拓真は優しく頭をなでながら、紗黄を安心させる。紗黄も音が止んでいないこと、そして止まないことに心の何処かで気づいていた。でも、拓真のぬくもりで不思議と恐怖は薄れていった。そして、ある感情が芽生えた。
一緒にいてくれて、自分に温もりをくれる彼のことが好きなのだと。依存とも言える感情だったが、それが今後の紗黄にとっての生きる理由になったのは紛れもない事実だった。
紗黄に恋の感情が芽生えたその時、ドアを叩く音が何度もなり、そしてドアが勢いよく開いた。音を鳴らしていた怪異が部屋に入ってきたのだった。幸運にも、その時の拓真と紗黄は横になりながら毛布に全身を隠しており、怪異を見ることも、怪異に見つかることもなかった。だが、異様な気配は広がっており、部屋から床を軋む音が聞こえる。二人は息を潜めた。
そんな時間も長くは続かない。足音と言うべきそれは、二人が隠れている毛布に迫ってきた。紗黄は耳を閉じていたが、それでも聞こえてきていた。拓真はより一層紗黄を強く抱きしめる。
毛布を誰かに掴まれたことに気付いた拓真は自らの目を閉じる。
「好きだよ、拓真」
そして自分の気持ちを悟った紗黄は、せめて最後に自分の気持ちを伝えた。残念ながら拓真の胸に顔を埋めていて、その言葉は拓真に届いていなかった。だが、紗黄は自分の死期を迎える前に気持ちを伝えられて満足していた。
毛布は剥がされて二人の姿は怪異に────見つからなかった。
掴まれていたはずの毛布はまた下に落ち、異様な気配もなくなった。二人は毛布から顔を覗かせて確認してみると、部屋には何かが佇んでいるのが見えた。後ろ姿だったが、赤い長髪に、長い刀を持っているのが見えた。二人共それに不思議と恐怖は抱かなかった。
「仲良くやれよ?」
男の声でそう聞こえたかと思うと、部屋の明かりが唐突についた。目が明るさに慣れた頃には、佇んでいた何かの姿は消えていた。
部屋には男の子と少女だけが残っていた。
「さき、さっきなにかいった?」
「なにもいってないよ、たくま」
二人の物語はこうして始まった。
この時の記憶は陰陽師になるまでは薄く覚えていた。怪異の記憶は妖力を持っていないものは薄れてしまう。数日もすれば、夢のような気がしてきて、やがて気にもとめなくなる。だが、紗黄の恋心はそれからも残っていた。
***
これはグリードの戦いが終わり、紗黄が記憶を取り戻した後のことである。
「ってことがあったよね?」
陰陽師となってから、ふとその時の記憶が蘇った紗黄は拓真とその話をしていたのだった。
「あったね。なつかしいな〜」
拓真は思い出を懐かしむように言った。あの頃の拓真はまだ自分の恋心に気づいていなかったが、それからも何回か同じような事件に巻き込まれ、やがて恋に落ち、告白をしたのだった。
「だから好きなんだよ?」
紗黄は拓真にそう告げた。
約2ヶ月ぶりの投稿です。ここ数ヶ月で私自身いろんなことや色んな体験をできて、創作意欲がぐんぐんと湧いています。本編の方も着々と進んでおり、プロットは書き終わりました。全一五章の予定で、中だるみしないようにしっかりと構想を練りながら書いていこうと思います。投稿は二〜三章の書き溜めができたときか、全て書き終わった後に投稿する予定です。
さて、完結した後の話の外伝を書くのは野暮だと思っています……でも、過去の話はセーフかなって……キャラの内面を少しでも解像度をあげられたらなって思いでスタートしてます。一度完結させましたが、また書きたくなる気がするので連載中に変更しました。
なお、完結後の話を書きたくなったらごめんなさい。なお、本編じゃない外伝の外伝についても謝罪します……Sorry.
(赤い長髪……誰だろうなぁ?)




