『All I worship and adore』
Title:選択の余地
Theme:フラクタルな路
Type1:標識
Type2:詩
(青い円のなかに、ひとつから無数に分岐し、前へ後ろへ左右へ、果ては手前へ奥へ、木のように伸びてゆく矢印の標識が立っている)
いくらでも立ち止まるがいい。
そのたびにこの部屋が顕れて、
良さげな扉をくぐるのだ。
どこにでも行くがいい。
己が意志で決めたのならば、
その選択には価値が宿る。
いくらでもアゲハとなるがいい。
そのたびにこの部屋が顕れる。
記憶も戻る道も無いが。
ジャズの音色と歌声が、白い“部屋”を満たす。それに似合わぬ和装の少年は、それでもただ待っていた。
「うん、いい子にして待ってたみたいね」
【純粋渇望のアポロ】のもとへ、【調律師】たちがやってくる。
「うん、“扉”の先が気になるけれど、言われた通りに待っていた」
「……何を吹き込んだ?」
キーボードの打鍵音だけが鳴るパソコンが、怪訝な声で問う。
「あら。待ってるように、って言い聞かせただけよ?」
「なぁ、“扉”の向こうはどうなっているんだ?」
「それは……まず“この部屋”がどういう場所か? ってところから話を始める必要があるわね」
「知る必要は無い。じき消し去ってしまうのだから」
【脚本家】は威圧的に言い放つ。
「“世界”が始まり、終わる場所。“物語”が産まれ、死んだ後にやってくる場所」
あったのか分からない白い椅子に座って、【調律師】はお構いなしに話し始める。
「勝手な真似をするな」
「消し去るんだったら、知らない必要も無いはずよね~」
脚を組み、スリットスカートがこぼれ落ちて露わになった膝の上で、彼女は頬杖をついた。
「“扉”を潜れば、アナタは“黄色いアゲハ”になる。すべてをココに置いていくことになる」
「さっきから言ってることが釈然としないんだが……」
【アポロ】は説明の理解に苦しんで呻いた。
「いんあざ~わ~ず」
頬杖をついたままのマヌケな声で、【調律師】は口ずさんだ。
「ココは死後の場所。そして別の“世界”へ生まれていく為の場所。だから“扉”を潜れば、アナタは全部忘れちゃうのよ。続編でもない限り」
「全く……静止の利かない“舞台装置”ほど扱えないものは無いな」
「よく言うわ。この言動もアンタが書いてアタシにやらせてるってのにね」
造物主と被造物の軽口の叩き合いを他所に、【アポロ】は考え込んでいた。
(“扉”と潜れば、すべてを忘れてしまうという)
『――アナタは、何が欲しい?』
『アナタは、またここから始める必要がある』
静かに、【アポロ】は気付いた。
「……オレは、まだ“ここ”を出るわけにはいかない」
視界の端で、固められた決意を捉えた【調律師】が、微笑んで問いかける。
「それはどうして?」
「まだ、欲しいものがあるから」
「ステキね」
黒と金のピンヒールが、【アポロ】へ歩み寄る。
「じゃあ特大のヒントをあげちゃうわ」
【調律師】の指が鳴る。
瞬間、【純粋渇望のアポロ】に齎される真実――
『そんな莫迦なことがあるか!!』
『やめろ! 私の事が分からないのか!?』
『――だからあの子には筆を握らせた』
『いずれ来たる世界を、照らす光として』
「そうか。そうだったんだな」
ゆっくりと開かれた瞳に、月光は宿らない。
(そしてオレを、オレの“物語”を、書いたのは、目の前にいる、この――)
代わりに、決意を宿した眼で、【神】を見据える。
――両の目を爛々と光らせる、己と同じ姿の悪魔を。
「アナタは選んだ、自分の意志でね」
『Fly Me to the Moon』
ジャズのスタンダードナンバー。
バート・ハワードにより1954年制作。