『さあ、疑え!』
『リコレクションエンドロウル』
ツミキの楽曲。2018年公開。
「さてっと」
そう言って【調律師】はドアを後ろ手に閉めた。
今居るこの場所は、“隣の部屋”だ。
「あ、どうぞどうぞ。適当にお掛けになって」
そう言われたら、【観測者】は椅子に座ることを想像するはハズだ。
だが、俺の部屋には来客が座れるような椅子は無い。
それでも、【九十九神】は椅子に座ることができる。
できないとは言わせない。
俺の部屋の様子を知っていようがいまいが、【観測者】は勝手に椅子を持ってきて座ることができるのだ。
何故なら、ココは虚構だから。
俺が『【九十九神】は椅子に座ることができる。』と書けば座れるし、なんなら俺が何も言わなかったとしても、【観測者】がそれを想像するだけで(俺が言及しない限りは)椅子に座れる。
俺に限らず、誰もがそうだ。
“そうなるようになる”と言えば、そうなるのだ。
あなたの想像は、あっさりと俺の現実を凌駕するのだ。
だから、俺も【調律師】もキミも、椅子に座れるのだ。
……この呼び方もだいぶいかつくて面倒だな。もういいよね? クレイジアで。
「いや、そんなことより」
クレイジアが、呆れたように嘆息する。
「自己紹介したら?」
それもそうだね。って、こういうくだりすらも「アンタが書いてるから茶番だってのは重々承知だっつの」はいはいわかったから……
「俺が、【露出狂】であり、【誰かさん】であり、作者のあかつき(01)です」
「ま、ココに来るまでに気付いてない人は居ないって思いたいけど」
「居るかもしれないから。だから念の為の解説をば」
『「情」の哲学』は私小説。私小説とは、作者の実体験を基にした小説。そんで、それの作者は「あかつき(01)」になってる。
で、その作品の最終章は、同じ作者の『露出狂の部屋』に片足突っ込んでる。そこが俺の“林檎”だから。
そういうワケだから、「【露出狂】=あかつき(01)」なのはわかってもらえると思う。
「もういいでしょ? これだけでもアレコレ合点行くだろうし」
「あ、あと【観測者】のことは? まだ明言してなくない?」
クレイジアが、【境界線上の九十九神】を指差す。
「は? もう解ってるでしょうよ?」
【観測者】=【境界線上の九十九神】=読者のあなた。
いや、流石に野暮じゃないだろうか。
「んで。【調律師】ことアタシ、クレイジアが……【代替品】に従属するふりをした、“物語”をあかつき(01)の思い通りに動かす“舞台装置”」
「つまり二重スパイだったワケだ。……怪しげなキャラクターの説明はこんなもんでいいかな」
「……って、こういう無粋な解説をするんだったら、もっと先に言うべきことがあるんじゃないかしら? 『このシナリオを書いたのは誰だ?』の作品群を書いたのはアンタだってこと」
「それ、説明が必要なのかな?」
でも、これだけは言わせてほしい。
「このシナリオを書いたのは俺だ」
「だから、キャラクターの皆はもちろん、【神】の動向も作者の思い通り。作者という神の【代替品】だった」
「そして、クレイジアも」
「そう、今のセリフもコイツが打ち込んでるってことになるのよねー。やっぱズルくないアンタ? なんでも自由に喋れんじゃん」
「なんでもってことは無いんじゃない? リアルタイムではないから」
「それでも、キャラクターとの差は歴然じゃない」
「そろそろ、本題に移ろうか」
「ゴメンね? ネタバラしに手間取っちゃって」
「先に言っとくけど、これはすべて俺の妄言に等しい。実際どーなってんのかは俺も知らん」
「すべてに言えることだけどね」
まず、いろんな“シナリオ”……即ち“物語”が、神サマによって書き下ろされてゆく。そうして紡がれた幾つもの“世界”が、それぞれの“扉”の先に広がってゆく。できあがった“扉”は、“部屋”に作品として収まっていく。
つまり、“世界”=“物語”≒“扉”なのさ。
「“物語”が沢山集まる」という意味では、“部屋”は“本棚”みたいなもんだ。或いは、神サマにとっての書斎、みたいな。
だけど、それとは別に、“部屋”には意味がある。
“黄色いアゲハ”――キャラクターが死んで、また生まれる時、“部屋”を訪れることになる。ココからすべてが始まっているからね。
“部屋”を訪れる者は、次はどこの“世界”に行こうか? どうしようか? と考えて、“扉”を選んで行く。
あとは、知っての通り。
と、言いたいが……所詮、これも創作物の域を出てないからな。
問題は、これを現実に導入してみたときだ。
もしかしたら。そう、もしかしたら、だ。
キミも俺も、神サマが書いたシナリオに動かされているだけの存在なのかもしれない。
俺やキミが生きていると思い込んでいる現実すらも、誰かが描いた“物語”なのかもしれない。
だとしたら、これは恐ろしいことだろう?
すべては予定調和。強力な運命に縛られて選択に意味などない、ということになる。
キミの思考もすべてプログラムされたもので、自我や意志なんてもんは、自分で勝手に在ると思っているだけになる。
想像してみてほしい。
キミが直面する、苦汁と辛酸のミックスジュースを飲むようなその悲劇は、神サマが戯れにそうなるようシナリオを書いたから。
なんと理不尽なことか!
想像してみてほしい。
キミが何かに篤く心を燃やし進む、かけがえのないその道のりは、神サマが戯れにそうなるようシナリオを書いたから。
なんと空虚なことか!
と、嘆いてはみたけど。
実態を考えてみてほしい。
俺らに操られている自覚なんて無い。
ならば、これまで通りなんだ。
これまで通り、自分の認識こそ真実の世界でしかないのだ。
どんな辛い出来事が起ころうが、それは神サマのシナリオの所為。嫌な事は全部ぜ~んぶ、神サマが書いたシナリオの所為にできるんだ。
そう考えれば、ね? 悪かないっしょ?
……あ? 「それは諦観だろう」?
そりゃそうなんだけど……モノは言い様なんだよ。開き直りってのは、どーにもならん時の常套手段でしょ。
どーせ俺たちは認識……いや、“観測”できる範囲のことしか、解らないんだから。
そんなわけで。
キミがどこにプライオリティを置いてるかは知らんけど……その大切なモノは、大切に抱えて生きてゆくと善い。俺が、ココでキャラクター達をそう書いたみたいに。
現実にシナリオを描く神が居たとして。
自分の想いは、自分でそう思うなら、どこまでも自分のモノなんだよ!
現実で意に反する事があったとて気にすることは無い。
どうせ神サマがふざけて書いたクソ食らえなシナリオなんだから!
どんなにハチャメチャな状況でも、自分の意志を貫いて、選択し続けるんだ。そうすりゃ、神サマが書いたシナリオで動いてようが関係ない。
「それでもぼくらはすばらしい」って、俺らは誇れるんだから!
それに、梯子をいきなり外すようだけどさ。はじめに『妄言です』ってことわったっしょ?
そもそも、すべてを定める神が居るのか居ないのか、わかんないんだからさ。
所詮俺らは人間様だ、解ることしか判らない。居るのかどうかわかんない奴のことなんて、気にしてもしょうがないっしょ?
同じ阿保なら踊らにゃ損々!
困った時だけ神頼み!
意志を持ってりゃNO問題!
てきとー? いやいや、真理だよ。
多分なんだかんだそうやって、俺らは生きて、死ぬ。
生きて、死ぬ。たぶんそれが繰り返されてく。
意識を「生」と「死」のふたつで区別するとき。
「生まれている状態」と「死んでいる状態」に区別するとき。
命は、生きてないなら死んでいる。
「生まれる前は死んでいる」ということになる。
では、死んでいるときにはどこに居るのか? 当然、はじまりの場所に居るはずだ。
きっと、無数の扉が――無限の選択肢が待つ、白い部屋に居る。
そうやって回帰してきた意識は、「来世はマシかのう……」とか考えて、また良さげな扉を選んで潜る。
……何かに似てると思わないかい。
生きても死んでも、俺らは選択して、前に進んでゆく。大局的俯瞰でも、眼前の些事でも、俺らは常に路を選んでいる。家を買うか否かの決断も、コーヒーかココアを飲むかの気まぐれも、選択するという意味では全く同じ。
この路はどこまでもフラクタル。
意志ある俺らはすばらしい。
次に拓くドアはどれにする?
邪魔な障害はその意志で貫いてよ。
それか視点を変えて回り込むのもいいよね。
そんな感じで、思い切って進んでみてよ。
「これらが、俺の言いたい事すべて」
「当たり前のことすぎてあくびが出そう」
「別にいいよ、こんなん忘れても。気にするだけムダなんだから。知ってりゃ面白いかも? ってだけだ」
「とりま、最後にさ」
「最後まで読んでくれたキミに、最大級の感謝を。」
俺の“林檎”が忘れられることなく遺り、あなたの“林檎”の一部になることを願います。
そのシナリオを書くのはキミです。
Thank You For Reading!