『偽物の価値に就て』
【代替品】は死んだ。
キャラクター達の意志を吸った【純白の剣】、それを振るった【境界線上の九十九神】によって。
……【九十九神】がどんな風に【代替品】を殺したのか、アタシらにはわからない。わかるわけがない。
それに、ホントは不本意だったのかもしれない、【九十九神】は【代替品】を殺したくは無かったのかもしれない(もちろんそうなりにくいようにシナリオは書いてきたつもりらしいけれど)。
皮肉なモノね? シナリオを強制してくる【神】を殺した筈なのに、シナリオの強制力が、ココには強力に感じられる。
これじゃまるで傀儡の牢獄、そこで踊るアタシら。
でも、実感はどうだったかしら?
【九十九神】の手から、【純白の剣】が離れる。
切っ先を下に向けて、“部屋”の真ん中、空間の中空に浮いて留まる。
意志を貫くためには剣が必要だ。
目の前の障害を断ち切り、路を斬り拓くための得物が。
――それは、誰かの意志を踏み躙ることに他ならない。
だが、己が意志という正義のもとに振るわれる剣というものは、どこまでも美しく見えるものだ。
だからこの剣は不変なのだ。
だが、己が意志とは醜いことに、その時々で都合よくすがた・かたちを変えてゆく。
だからこの剣は変遷するのだ。
そうしていつか、剣はなぜ振るわれているのか、それを忘れていく。
この剣は象徴と警句、そして体現だ。
初志貫徹、その意志は手放さず貫き通せ、と。
それを努々忘れぬため、この剣は此処で切っ先を突き付け続ける。
「敵性存在【代替品】の消滅を確認」
そう言って、【最終兵器】が兵装を格納していく。
「当機にはいくつか、気付いたことがあります」
人類の抹殺を目的に建造されたロボットが、人類であるキャラクター達に向き直る。
「当機の思考回路に発生した感情に従った結果、当機は博士からの命令に背いたことになります。……ですがそれは、悪くありませんでした。確かに、当機は人類抹殺を目的に博士によって建造された機体です。ですが「話が長い……」それは、当機と博士の目的が一致し続ける理由になりません。当機は感情――“自我”により、命令を「長いって!」破棄しました」
【ウサちゃん】が耐え切れず遮った。
「もっと……簡潔にまとめられない?」
「了解「え、あっ」――“自我”のままに動く、ココロのままに動く……俗に踊るとも称されるこの行動は、とても気持ちが良いということです。当機は命令を破棄し、人類を守りました。ですが当機はこの行為を誇りと思考します」
(きっと私を起動する時、博士に足りなかったのは踊ること……ただすべてを忘れて楽しもうとすることだった。たとえ、手遅れの星であったとしても。仕組まれていたことだったとしても……)
「誇り……か」
【逃亡者】が、なにか噛みしめるように呟く。
「俺たちが、君の誇りになれたってんなら、良かった。【神】も死んだことだしな」
「はい……ですが」
ロボットは、逆接と同時に佇まいを正したようだった。
「【逆説的アカシックレコーダー】が消滅した今、当機や皆さんは、これからの思考と行為やその因果について、もう誰の所為にもできません」
キャラクター達の間に、沈黙が流れた。
彼らが【代替品】を斃すための動機は、「自分が、ロクでもない“物語”の主人公にされて痛めつけられたこと」だった。自分がロクでもない行動を選び、ロクでもない目に遭う。そんな“物語”も、【恣意的な因果律の策定者】の所為に出来た。そこまではよかった。
だが、その“物語”において形作られた自分は覆らない。そんなロクでもない自分がこれから歩む路は、他の誰でもない自分が選び、その責任は自分で背負わなくてはならないのだ。考えるだけで恐ろしかった。
「……それってなにか変わるのかな?」
だが【愚盲の兄】には、違うモノが見えているようだった。
「だって、これまでも操られてた実感なんて無かったでしょ? きっとこれからだって、これまでと体感変わんないよ」
愚直だった彼は、俯瞰する眼を開くことに成功したようだった。
「それに、神殺しまでやった僕らがやり直すんだから。悪いようにはならないよ、きっと。大切なものを見失うなんて、僕らはしないはずだ」
【純粋渇望のアポロ】が、震える拳を握って言う。
「っ……そうだそうだ! 悲劇に殉じさせられていたオレたちだぞ? 今はこの“部屋”に来てしまっているが、二度も同じ轍は踏まん」
声は少し、震えている。それでもその一声が、光差す方へと顔を上げさせるのに必要な言葉だった。
「そうだよね……」
【世界に仇為した世界樹】が、自信無さげに頷いた。
「どんな生長過程も、認めるしかないんだね……真っ直ぐでも、絡みきってても、誤っていても。それでも前に進んできたんだから」
そう言って、彼は“部屋”に散らばる“扉”たちを見遣った。
【虚の逃亡者】は絞り出すように言った。
「しかし、記憶が無くなる……か」
『ココは死後の場所。そして別の“世界”へ生まれていく為の場所。だから“扉”を潜れば、アナタは全部忘れちゃうのよ。続編でもない限り』
「なあ、どうにかなんねぇのか?」
「無理よ~。それがこの“部屋”のルールだもの」
【逃亡者】の懇願も、【調律師】があっさりと払いのけてしまう。
「ですよね~」
旅人は頭を掻いて、“扉”に向き直った。それに倣って、各々が“扉”に向かう。
「全部終わったなら、あとは導きに従わなきゃ、ね?」
【ウサちゃん】が、さびしく笑った。
「……サクラはこの先に居るの?」
「居るとも言えるし、居ないとも言えるわね。“黄色いアゲハ”になったらみんな同じなんだもの」
【調律師】と【九十九神】とで、“扉”へ向かう【世界樹】を見送る。
「そう……でも、関係ないよね。ぼくは今度こそ、サクラと一緒に居たいから」
「次こそ、対話してみせるって?」
「うん。ぼくらは、お互いにお互いをみてなかったんだ」
「上出来。でもそのためには、まずアナタが世界に居ないと話にならないわ」
「持って行きな」と、【調律師】が一輪の花を【世界樹】に投げて寄越す。
「ま、今更アレコレ言うことも無いか。アナタなら、不可能も希望にできる」
「ありがとう」
【世界に仇為した世界樹】は、受け取った一輪――青い薔薇を握りしめて、“扉”を潜った。
「本当に、全部忘れちゃうんだよなぁ」
【愚盲の兄】は“扉”を前に、両手を頭の後ろで組んだ。
「全部失くしちゃうんだよなぁ。妹との関係性も、あのバカみたいな理由の冒険も、実行力も」
「その慧眼じみた客観もね」
【調律師】が背中から付け加える。
「その客観をフルに活用して言えることがあるとするなら、僕はさっさとこの“扉”に入るべきだってことだね」
日に焼けた肌の青年は、悪戯っぽくニヤっと笑ってみせた。
「あなたもそうなんでしょう?」
さざ波が響く彼の瞳が、【九十九神】の目を覗き込む。
「ひとの視点にも立てるように、ちゃんと意思疎通、できたらいいなあ」
【愚盲の兄】は、なんてことない様子で “扉”のなかへ歩いて行った。
「じゃあね」
「オレは、役に立ってたのかな? いや、実際には役を演じていたわけだけど」
【アポロ】は目を閉じて、これまでを反芻していた。
「オレは今すぐに存在を認めてほしかったんだ。――愛されたかったんだ。だから悪魔に飛びついた」
「でも、そんな必要ははじめから無かった」
【調律師】が、事実を突きつける。――だが、和装の少年は怯まなかった。
「うん。父上も兄上たちも、オレを疎んじてなどいなかった」
むしろそれこそが、欲しいものだったから。
「オレは存在しててよかったんだ。だから、次にどうしようとか、まだよくわからないけど……ちゃんと生きようって、そう思う」
「乗り越えたアナタなら、また、誰かの太陽になれる」
見惚れた彼女に背を押されて、【純粋渇望のアポロ】は“扉”を開けた。
「私はこれで……ゆっくりあの子を待てるんだよね」
バニーガールの少女は、【本能達を弄ぶ者】が坐していた、空の白い玉座を見つめていた。
「私の方は約束、守れるよ」
左手で右手首を握り、右手を握りしめて胸に抱く。
「“扉”を潜るなら……」
そこで少女は、言葉を詰まらせた。とても大切な秘密の宝物を取り出すとき、ひとは恥ずかしがる、或いは躊躇うものだから。
「だいすきな、あの人と一緒がいいから」
「あら」
【調律師】は目を丸くした。
「いいの? 対等になって」
「ダメなの?」
「いや。……やっと向き合うのね、アナタたち」
「素直に、信じようって。それだけだよ」
【ウサちゃん】は微笑んで、鉄格子が窓に嵌められた鉄の“扉”を一度、見上げた。そして踵を返すと、ありふれたベッドがあった。
「おやすみ」
バニーガールは履き慣れないパンプスを脱いで、安らぎへと体を沈める。
「今度はもっと、すなおになれると、いいなぁ……」
【待ち焦がれる兎】を起こしていいのは、ひとりだけだ。
「おそらく、博士は難しく考えすぎたのだと思考します」
人型兵器は独り言ちた。
「あの星に居れば、思考はストイックに鋭く縛るほかありません。そうしなければ、長くは生きられなかった」
「けど、その厳しさは自ずと、世界にも、自分にも向けられる」
【調律師】が言葉を継いだ。目を閉じて思い出す。
『他者を攻撃する者よ、お前がその者を攻撃する理由はなんだ?』
『その理由、お前自身に適用してみたことはあるか?』
「その結果、博士は世界へ向けた自らのストイックさで身を滅ぼした。それ自体は、博士がはじめから予定していたものでした。しかしその結果」
「アナタはひとりぼっちになっちゃったわけよね」
「そして、これらすべては逆説的なアカシックレコードに刻まれていたこと。つまりは、シナリオの通りでしかなかったということ」
「でも、今は?」
金髪の美少女は、愚問を投げる。
「“自我”の赴くままに、生きることができる。……無論、博士の思想が間違っていたと、当機が否定することはありません。しかし、これからは、発砲しない寛容さも併せ持つ必要があると、当機は思考します」
「……ここから先は、アナタは兵器じゃない。アナタには何の力もないかもしれない。その覚悟はできてる?」
「儚い、しかし誰かと繋がれる。そんな存在になるだけです。それが普通の人間なのだと、当機は思考します」
それだけを毅然と言い放つと、【最終兵器】は“黄色いアゲハ”の翅を生やし、“扉”の奥へと消えていった。
「仕切り直し、か」
“扉”に向かう旅人は、やれやれと言った調子で、首をコキコキと鳴らす。
「やることは、これまでと何にも変わらないよな。ただ、進むだけだ」
「そういうの、嫌い?」
一束の金髪が、意地悪く問う。
「いいや」
旅人は答えた。
「虚ろでも何でもないよな、この旅路は。確かに俺には何も無いかもしれない。だが、【観測者】へ何かを手渡すことはできる!」
旅人が振り返って【九十九神】を見る。
「俺は、『あたたかさ』を見つけに行く。だから、ここまでの足跡は、あんたにあげよう。無駄にしてくれるなよ?」
灯火が、点く音がした。
「さようなら」
【虚の逃亡者】は笑って、新たな旅路へと立ち向かった。
「終わった? んなら、行こうか」
【露出狂】が、本棚の側面にだらしなく凭れかかって座って居た。
「おいで。最後の話をさせてもらおう」
本棚がスライドする。その奥で、黒い虹色カラスが佇んでいる。
【九十九神】と、【調律師】と。3人で、“隣の部屋”に入る。
ドアを潜って、【九十九神】が振り返る。
閉まりかけたドアの隙間から、ヤルダバオトが見えた。
白金のホーンを携えた蓄音機から、音楽はまだ流れ続けている。
『このシナリオを書いたのは誰だ?』という“物語”が終わったとて。
ヤルダバオトの、“舞台装置”としての役割が終わったとて。
発せられた“物語”は、音楽は、流れ続け、持続し続けて、また誰かの“林檎”になるのだろう。
“レコード”が、ターンテーブルで保持され続ける限り。
『ヒウマノイドズヒウマニズム』
ツミキの楽曲。2019年公開。