『なんてひどいストーリーだろう』
Title:諦観? いいえ。モノは言いよう
Theme:フラクタルな路
Type1:標識
Type2:詩
(青い円のなかに、真っ直ぐ直進する一本の白い矢印の標識が立っている)
目の前に広がるいくつもの世界
後ろに残っているただひとつの路
……おかしいな、やっぱりひとつだけ
すべてがもし、誰かが描いたシナリオの通りなら
ぼくらの意志には何の意味があるのでしょう
答え合わせはかなうはずもない
この意志がニセモノだとしても
ぼくは肯定するために言い放つよ
「それでもぼくらはすばらしい」って
“扉”が無数に散らばる白い空間――“部屋”。
その場所を、詩を載せた調べが駆け巡る。
歌に乗って、“黄色いアゲハ蝶”が搏いて、瞬いて、消えてゆく。
こんな景色のなか、【虚の逃亡者】は、歩みを止めていた。
「なにか起きるのか? と思ってたけど、意外と早かったな……」
奇妙な空間で久々に会った【調律師】(とその一団)に、【逃亡者】はあっさりとした反応を見せたが、その表情は安堵のようだった。
「体感10分ってとこかしら? でも実のところ、2年くらい経ってたりして」
腰に手を当てて、【調律師】は旅人の顔を覗き込む。
「はあ? そんなバカな」
「【逃亡者】と【調律師】とじゃあ時間のスケールが違う、なんてのは~……この“部屋”じゃあ常識なんだよ! ってね」
そうでしょう? と、彼女は【九十九神】にウインクしてみせた。
「それで」
【逃亡者】は、空の黒い額縁の集合体を苦々しく見上げる。
「俺のことを創った【神】ってのが、コレなのか?」
「そうだ」
黒い額縁のなかに、誰でもない人影達がうつる。
「お前は空虚。我々にとっても、最も創造が容易であったよ」
誰でもない者達は、口を揃えて貶める。
「……だろうな」
旅人は瞳を閉じる。
(旅の軌跡を振り返ってみても、ただ逃げていた事しか思い出せない)
「でも、俺には帰る場所があるって解ったんだ」
(だが、逃亡を始める始点には、家族や友人達が居た)
旅人は己が目を見開き、額縁を睨む。
――写る人影達は、やはり誰でもなかった。
「お前の認識に合わせて言うならば」
誰でもない者達が、異口同音に唱える。
「【虚の逃亡者】の自我は、最後の旅の時に初めて発生したもの」
「どういう意味だ?」
【逃亡者】は怪訝な顔で訊く。
「お前は、家族や友を思い出せるのか?」
――旅人には、時が止まったように感じられた。
誰でもない者達が、一斉に口元を歪めて嘲る。金色のホーンからの澱み無い旋律が、鼓膜に届かなくなる。軽くなっていく鞄を背負った背中を、冷たい汗が伝う。掌に食い込んだ爪が、熱と色を失う。口の中の水分が、一目散に逃げ去ってゆく。からだの中の動かない心臓が、重く凍てつく。記憶の中を探ってみても、愛しいはずの人々が何処にも居ない!
【虚の逃亡者】が挫けるには、それだけで充分だった。
「今有るその自我も、言うまでもなく我々が付与したもの」
石筆を持った手が、浮かぶ黒板に書きつける。
『
お前は虚ろ
』
「俺は、……に、逃げても、居なかっ、た?」
旅人の眼球が、冷静になることを拒否するかのように揺らぐ。
「一体なに、なにから逃げてたんだ?」
旅人の脚が、支え立つことを拒否するかのように頽れる。
「始めから全部、俺は」
旅人の頭が、前を見ることを拒否するかのように下を向く。
「なにも、なかった?」
空であることを拒否するように自分の指が何かを握ろうとするのを、旅人は確かに見た。
「言っとくけど」
【調律師】が溜息を吐き出しながら、茫然自失の【逃亡者】の前にしゃがみ込む。
「それはアナタに限らない。ココに居る全員、虚ろなの」
「でも、俺ほどじゃあないだろう」
「そりゃそうね。程度の差こそあれ、だわ」
少し痛いところを突かれたように、金髪の奥の瞳がわずかに伏せられる。
「それでも、前に進むことは出来てたんじゃないかしら」
【調律師】の指で、1本の矢がペン回しの要領で踊る。
「偽物の記憶でも、それを原動力にアナタは歩いていた」
ぱしっ、と矢が握られる。
「その軌跡を、無駄とは呼ばせないわ。証人もココに居るのだから」
矢羽根の白いその矢は、【九十九神】を向いていた。
「ほら、立つのよ。まだ旅を終わりにするわけにはいかないんでしょうから」
「……何のために?」
悄然とした旅人の声に、金髪は「決まってるでしょ?」と置いて、答えた。
「帰る場所を見つける為よ」
『アゲハ蝶』
ポルノグラフィティの楽曲。2002年リリース。