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強すぎ令嬢、無一文からの成り上がり ~ 婚約破棄から始まる楽しい生活 ~

作者: 絢乃

【001】


「シャロン、お前のような女の顔など見たくもないわ! 俺の顔に泥を塗った罪、婚約破棄だけでは済まされない! 慣例に則り国外追放だ!」


 結婚式を数日後に控えたこの日、私は婚約相手の男爵令息ブルーノから婚約破棄を宣告された。

 目の前でキャンキャン吠えている黒髪の男がブルーノだ。


 彼は私のことを浮気者のように言っているが、その実は正反対である。


 遡ること約12時間前、私はブルーノが伯爵令嬢のメアリーとキスしている現場を目撃してしまった。

 メアリーは公爵令息と政略結婚して久しいが、魔が差したのかそういう性分なのか羽目を外したくなったようだ。


 別にかまわない。

 私とブルーノの婚約も親が決めたいわば政略結婚。

 そこに愛はなく、結婚後も公式の場以外は別々に過ごす予定だった。


 だが、爵位のある貴族からすると不味かったのだろう。

 特にメアリーからすると何が何でも隠したかったことに違いない。

 ならバレないように遊んでくれたらいいのだが。


 ともかく、私は口封じによって国外追放が決定した。

 ブルーノの主張によると、私は不貞行為を働いていたそうだ。

 目撃者はメアリーや彼女に仕える執事などなど。

 リアリティに満ちた供述書も添えられて私はジ・エンドだ。


「シャロン、何か弁明は?」


 ブルーノの父であり、領主の男爵が尋ねてくる。


「ありません! 国外追放、謹んでお受けいたします!」


「国外追放は謹んで受けるものではない」


「はい」


 こうして、私は追放されることが決まった。

 しかし、後悔や恨みは全くなく、むしろ清々しい気持ちだ。


 政略結婚が決まるまで、ずっと好き放題に生きてきた。

 政治とは無縁の外の世界で、馬に乗ったり、魚を釣ったり、イノシシを追い回したり、クマを狩ったり、ジャングルの中にこしらえたハンモックで寝たりして楽しく生きてきたのだ。


 そうした日々に戻れるのが今から楽しみだった。


 ◇


 問題なのは私よりも父だ。

 私のことが心配で心配でたまらないだろう。


 国外追放とは、ただ国外にポイッと捨てて終わりではない。

 たとえ血縁関係にあろうと、貴族は追放者に対して支援してはならない。

 もし私に1ゴールドの小銭でもあげようものなら父は罪に問われる。

 ただ貴族でなければ問題ない。


 つまり、父は苦渋の選択を強いられているのだ。

 必死に掴んだ貴族の地位を捨てて娘が野垂れ死なないよう応援するか。

 もしくは、自らの野望のために娘を見捨てるか。


「ま、お前なら一人でも問題ないだろう。前々から一人で生きたいと言っていたし、実際に一人で過ごしてきた経験もある。父さんな、貴族社会で生きてきたいんだ。ということでシャロン、すまん!」


 父はわりとあっさり私を捨てた。


「OK! またどこかで!」


 私もわりとあっさり受け入れた。


 ◇


 国外追放が決まった数時間後――。

 おやつの時間と名高い15時頃、私は隣国にいた。

 生まれ育ったレミントン王国をなんとも不名誉な形で追い出され、お隣の友好国ことルーベンス王国の大草原を馬車で走っている。


 馬車といっても貴族御用達の客車があるものではない。

 行商人御用達のガコガコ揺れる木の荷台が搭載されたものだ。

 私は両手首を紐で繋がれ、荷台の端で固定されている。


 当然のように同乗者が数人いて、私以外はみんな男だ。

 もっと言えば彼らは人殺しや放火、強姦などを犯した囚人である。

 私は扱いは彼らと同じということ。


 だから私たちの乗っている馬車は、厳重な警備の騎士に囲まれていた。


「お嬢ちゃん、あんた、えらくいいドレスを着ているな。それにその長い白銀の髪。昨日までしっかり手入れされていたことが窺える。それがどうしてこんな極悪人ツアーにぶち込まれちまったんだ?」


 目の前に座っている隻眼のおじさんが話しかけてきた。

 この男のことは新聞で何度も見たので知っている。

 名前はバロン

 318件の殺人と14件のテロに関わったとされる世界的な犯罪者だ。

 他の囚人は明らかにビビッていた。


「お嬢ちゃんじゃない。私はシャロン。18歳で立派な大人よ」


「おっとこりゃ失礼。で、シャロンはどうして?」


「それが酷い冤罪でねー! ねぇバロン、ちょっと聞いてくれる?」


 暇だったので、私はバロンにこれまでの経緯を話した。

 念願の自由を取り戻したとしても、愚痴の一つは言いたくなるものだ。

 と思ったら、一つどころか二つ三つ、四つ五つと言いまくっていた。


「――とまぁそんなわけよ! ありえないでしょバロン!」


「ありえないのはお前だシャロン。なんで一回り以上も年上の俺にそこまで馴れ馴れしく話せるんだ。しかも俺が何者かも分かっている。どうなってんだお前」


「同じような名前なんだし細かいことは気にしないでよー!」


「ふ、世の中には面白い女がいるものだな。もう少し早く会いたかったぜ」


「あなたもルーベンス王国で過ごすんでしょ? なら機会があれば会えるわよ」


「残念ながら俺を含むこの馬車の人間は今日処刑される。レミントンは死刑廃止国だからな、俺らみたいな殺したくて仕方ないやつはルーベンスに押しつけて殺させるんだよ」


「へぇ! 勉強になった!」


「そんなわけでお前だけだよ、今日以降に機会があるのは」


「そりゃ残念ね。じゃあ運よくあなたが処刑から免れることを祈っているわ。もし今日を無事で乗り切れても、今後は人を殺したりテロを起こしたりしたらだめだからね」


「お前と一緒で俺も冤罪だ」


「昔なら信じなかっただろうけど、私も冤罪の身だからね。少しは信じるわ」


 話していると馬車が止まった。

 前方には小さな町がある。


「女を下ろせ!」


「私はここまでのようね。またねー、バロン」


「だから『また』はないつってんだろ」


「祈ればある!」


「囚人同士で喋ってないで下りろ!」


 騎士によって強引に引きずり下ろされた。

 バロンや他の囚人を乗せた馬車がテクテク去っていく。


「全く知らない場所、お金も後ろ盾もなく、完全に一人……!」


 目の前には小さな町。

 周囲は大草原で、その先には深々とした森。

 ここが私の新天地。


「燃えてきた! よーし、頑張って生き抜くぞー!」


 煌びやかなドレスに付着した土を払い落とし、私は町に入った。



【002】


 目の前に小さな町があるなら入るしかない!

 ということで、私は〈ポンポコタウン〉に入った。

 町の名前でポンポコって、なんとまぁ可愛いことだろうか。


 ポンポコは推定人口1000人ほどの小さな町だ。

 ゆったりした間隔で家々が建っていて、町民は大人が多い。

 10代20代が殆どいないのは、この町が田舎であることを物語っていた。


「まずはお金を調達せねば!」


 幸運にもレミントン王国とルーベンス王国の通貨は同じだ。

 不運にも私は1ゴールドのお金すら持っていなかった。


「すみませーん! 生活保護の申請に来ましたー!」


 まずは町役場で弱者救済サービス、通称「生活保護」の受給申請。


「え、国籍はレミントン王国? しかも元貴族令嬢で国外追放された? 無理無理、そんな人間を救うためのものじゃないからね、生活保護は!」


 素直に話したところ、全力で拒否された。

 そんなことだろうと思っていたので気にしない。


「仕方ない……脱ぐか!」


 私は服屋に向かった。


「私の着ているこのドレス、買い取るならいくら!?」


 ドレスを売れば10万ゴールドにはなるはずだ。

 なんたってこのドレスは王国随一の職人が手作業で作り上げた特注品。

 手つかずの素材だけで50万はするし、そこに職人の手が加わったとなれば――。


「1万2500ってところだな」


「え? いちまん?」


「おう」


「×10とか?」


「いや、1万2500だ。あんた訳ありだろ? そういう奴からは安く買い叩く。これ商売の基本」


 どうやら店主のおじさんはびた一文負ける気はないようだ。


「じゃあ1万2500に替えの服もつけてよ! 服がないなら裸で過ごすことになってしまうのよ!」


「俺としては裸のほうがいいけどな、ヘヘヘ」


「そんな冗談はいいから! いいでしょ?」


「仕方ねぇなぁ。あそこのセール用ワゴンにあるワンピースの山からから適当に見繕いな」


「了解! 私、寒がりだから10枚くらい着込むけど許してね」


 ここでたくさん着込めばあとで着替えられる。

 賢い私、なんと賢い。


「いや、1枚しか認めん。男にスケベな目で見られたくなけりゃ丈の長いやつを選ぶこったな」


 この店主は悪魔だ。

 なんともケチな男である。

 しかし、この店に女性用の服を買い取る店は他にない。


「分かったやい!」


 私は煌びやかなドレスを捨て、1万2500ゴールドと地味なワンピースを手に入れた。


 ◇


 金貨1枚に銀貨2枚、そして銅貨5枚。

 これで1万2500ゴールド、私の全財産。

 なんだいこの少ないお金は。


「文句を言っても始まらない、がんばれ私! うおおおー!」


 このお金は大事に使わねばならない。

 まずは寝泊まりする場所を確保するためお安い宿屋へ。

 ポンポコ一番の安宿にやってきた。


「あんた、本当にウチに泊まるのかい?」


 宿屋のおばさん店主は私の顔を見て目をギョッとさせた。


「はい! ダメですか?」


「ダメじゃないけど、看板は見たんだろうね?」


「見ました! 盗難・強姦・自己責任! ですよね? 大丈夫です!」


「あの看板は『女は来るな』って意味だよ。そんなことを書いたら男女差別でアウトだから言い方を変えているだけでね。たしかに盗難も強姦もこの町じゃ起きないけどさ、知らないよ?」


「安いのでヨシ!」


「今時の子は恐れ知らずだねぇ全く」


「うへへ! 料金は食事なしで1泊2500ゴールドですよね?」


「あんたは訳ありみたいだから2000でいいよ。部屋も一番いいところにしてやるさね」


「ありがとー! おばさん!」


「はいよ」


 一泊2500でも相場の半値近い。

 それがさらに2000まで値下げされるとは恐れ入った。


「おい聞いているか服屋の主人! これが人情ってものだ!」


「ここには私とあんたしかいないのに何言ってんだい。ま、私も若い頃は唐突に精霊と話している振りをしたさね」


「ぬわっはっは」


 そんなこんなで宿は確保した。

 ひとまず道ばたでくたばることはなさそうだ。



【003】


 次はどうやって生計を立てるかだ。

 清く正しく労働に精を出すのは私の美学に反する。

 というのもあるが、今の私にどこかで働くのは無理なのだ。


 まずこのポンポコでは仕事の募集が非常に少ない。

 基本的に顔馴染みの町民によって経済が回っているからだ。

 人手が必要な時は求人広告を出さずに仲間内で解決する。


 例えば今、私は八百屋の前を歩いているわけだが――。


「今日のキャベツは安いよー! らっしゃいらっしゃい!」


 このように声を張り上げているのは店主ではない。

 店主のゲートボール仲間か何かと思しき別の爺さんだ。


 店主は自分より一回り若い40歳くらいの女性を必死に口説いている。

 トマトを無料にするから旦那に内緒でデートしよう、と。

 女性の隣にいる旦那は「トマトが無料ならアリだな」などと笑っている。


 ポンポコはそういう町なのだ。

 和気藹々としていて、雰囲気がよろしく、部外者の入る余地がない。


 こういうところで働くのであれば、町に馴染む必要がある。

 何日も町で過ごして顔を知ってもらわなくてはならない。

 もちろん国外追放などという訳あり状態は論外だ。


 したがって、私は別の金策手段を考えることにした。

 小さな町を行ったり来たりして、同じような顔の老人たちに奇々怪々な目を向けられながら考える。


「これだ! これしかない!」


 辿り着いた答えは販売だ。

 といっても、店を構えて売るわけではない。

 服屋でドレスを売ったように、店で買い取ってもらうのだ。


 何を売るかはこれから考える。

 そのためには何を売れるかを考える必要があった。

 つまり、今の私に必要なのは地図だ。


「地図ゲーット!」


 雑貨屋で地図を購入した。

 ここはケチれないため、2000ゴールドで最高級の代物を調達。


 私の買った地図はポンポコを中心として周辺の情報が細かく書かれている。

 生息する動物や植物、森の中にある川で釣れる魚まで何でもござれだ。


「思ったより色々とあるわね」


 ポンポコの周辺は資源が豊富だった。

 その分、野生の動物もたくさん生息しているようだ。


「とりあえず野生動物で稼がせてもらおうかしら」


 地図によって、この町が獣害に悩んでいると分かった。

 具体的にはイノシシやシカ、クマといった畑を食い荒らす動物だ。


 そのため、害獣駆除の報奨金が設定されている。

 獲物を倒して役所に報告すれば数千ゴールドは手に入るだろう。


 害獣を狩り、その皮や肉を売る。

 さらに役所に報告して報奨金も受け取る。

 この一挙両得の大作戦によって当面は生きていこう。


 ◇


 経験上、先行投資はケチらないほうがいい。

 先ほどの地図にしてもそうだ。

 そんなわけで、サバイバルナイフを買った。


 価格はなんと7000ゴールド。

 宿代の2000と地図代の2000も合わせると1万1000の出費だ。

 もはや1500ゴールドしか残っていない。


「ほい、1500ゴールドちょうどねー! 毎度あり!」


 なんとなんと、残っていたお金も使い切った。

 最後に買ったのはフェロセリウムを加工して作った棒だ。

 フェロセリウムとは鉄とセリウムの合金である。

 ナイフで擦ると大量の火花が飛び散る――要するに着火道具だ。


「準備は整った! ではしゅっぱーつ!」


 もはや後には引けない。

 無一文に戻った私は地図を片手に森へ向かった。


 ◇


 森に入ると一目散に竹林を目指す。

 竹には色々な種類があるけれど、今回の竹は女竹だ。

 細身の竹で、竹細工でよく使われている。


「えいやっ!」


 ポキッとへし折って加工する。

 害獣駆除の必需品である弓矢を作るためだ。

 イノシシ相手にナイフ片手で挑むのは荷が重い。


「えっさ、ほいさ、えっさ、ほいさ」


 ナイフがあれば竹を加工するのも簡単だ。

 あっという間に弓と矢の本体を作ることができた。

 弓に弦を張り、矢に矢羽根を装着すれば完成だ。


 これらも女竹で行おう。

 弦――つまり、糸は竹をはじめとする植物から作れる。

 ナイフを使って無数の繊維を剥ぎ取り、それを手で()り合わせる。

 竹製の糸は硬い代わりに頑丈だ。


「できた!」


 まずは糸を作って弓につけた。


 次は矢羽根だ。

 矢羽根は矢の命中精度を高める効果がある。

 決して見栄え目的のオマケではない。


 矢羽根に使うのは竹の葉だ。

 ナイフでそれっぽい形に加工し、粘着性の樹脂でくっつける。

 余った竹の糸で結んでおけば問題ないだろう。


「まずは試し撃ちをしないとなぁ!」


 できたてホヤホヤの弓矢を構えて獲物を探す。

 すると――。


「可愛い女がこんなところで一人とは不用心だなぁ! とりあえず服を脱いでもらおうかぁ! ヒヒヒ」


 害獣ではなく男と遭遇した。

 赤髪で無精髭、目つきは悪く、手に曲刀を握っている。

 セリフからして悪党だ。


「あなたは山賊?」


 男は「おう!」と余裕の笑みで頷いた。

 よし、獲物だ。


「俺の名はイアン! この辺じゃ有名な山賊兄弟の弟と言えば俺の――あんぎゃああああああああ!」


 イアンの悲鳴が響く。

 左肩に私の放った矢が刺さっていた。


「よしよし、我ながらいい出来ね。狙い通りのところに飛んだわ」


「あがぁ! 肩、肩ガァ! 女ァ! 覚えてろォ! 肩ガァ……!」


 イアンは去っていった。



【004】


 山賊兄弟の弟イアンは、左肩に矢を刺したまま逃げてしまった。

 あえて急所は外したというのに矢を返してくれないとは酷い男だ。


 仕方ないので矢を作り直し、改めてイノシシを探した。

 今は竹林から少し逸れた森の中を歩いている。


「ちょっと大きすぎたかなぁ」


 背負っている竹籠が気になる。

 弓矢のついでに作った物だ。

 買う余裕がないので自作で済ませた。


「この辺りにいるはずなんだけどなぁ、イノシシ」


 地図を確認する。

 イノシシの絵と危険を示すマークが描いてあった。


「ブォ!」


「いたいた! イノシシだー! って、デカッ!」


 見つけたイノシシは想像以上に大きかった。

 イノシシの平均的な体長は150cm前後と言われている。

 私が母国で狩っていた個体もそのくらいだ。


 ところが目の前のイノシシはその倍ある。

 つまり体長300cm。

 巨大も巨大、びっくり仰天の特大サイズだ。


「うひゃー! これは上物!」


 狩ればきっと大金が手に入る。

 私は意気揚々と戦うことにした。


「やっ!」


 まずは矢を射かける。


「ブオッホイ!」


 イノシシは軽く弾いた。

 巨体に相応しい頑強な皮膚をしているようだ。

 先端を削って尖らせただけの矢ではとても刺さらない。


「どうしたものかなぁ」


「ブォオオオオオオオ!」


 悩んでいると突っ込んできた。

 立ち会いは強く当たってあとは流れでというところか。


「そいや!」


 攻撃を回避するため横にローリング。

 転がりつつ矢を放ち、イノシシの目を射抜いた。

 大物を狩る時の定石は目を潰して死角を突くことだ。


「ブォオオオオオオオオオオオオオ!」


 イノシシは暴れ狂い、付近の木に突っ込んだ。

 それなりに太い幹の木があっさり折れてしまう。

 直撃すると即死は免れないだろう。


「当たらなければダイジョーーーーブ!」


 弓を地面に捨て、ナイフでトドメを刺すことにした。

 ドレスを着ていた頃のくせで裾を持ち上げながら走る。

 そうして距離を詰めると、腰のホルダーからナイフを抜いた。


「うりゃー!」


 ブスッと一刺し。

 的確に首の付け根にある急所を捉えた。


「ブオッホォ……」


 イノシシはぐでーんと倒れて死亡した。


「倒したどー!」


 血塗られたナイフを掲げて勝ち(どき)を上げる。

 付近の木から眺めていたお猿さんたちが手を叩いてくれた。


「さーて、解体解体っと!」


 本当なら解体作業は川で行いたいところ。

 血抜きなどを行うため、川の水で綺麗に洗い流したい。

 しかし、この巨体を引きずって川に行くのは不可能だ。


 私の握力は100kgしかない。

 できることといえば、せいぜいリンゴを握りつぶす程度だ。


 仕方ないのでこの場で作業を進める。

 動物によって細部は異なるが、基本的な解体方法は同じだ。


 まずは血抜きだ。

 頸動脈を切って血を出していく。


 普段なら同時進行で内臓の摘出などを行う。

 可食部と不可食部の選別作業も進めたいところだ。


 ただ、これほどの個体だとそうもいかない。

 寝かせて作業していることもあって時間がかかる。


 そこで今の内に腹ごしらえをしておくことにした。

 イノシシをその場に残して近くの川へ行き、手を綺麗に洗う。


 それからバナナの自生地に移って自然のバナナをいただく。

 控え目に10本ほど頬張ったら、バナナの葉を持ってイノシシのもとへ。


「血抜きも終わっていい感じね」


 いよいよ内臓の摘出だ。

 大きな個体は内臓も大きく、手を突っ込むと温かくてブヨブヨしていた。

 初めて解体作業を経験した4歳の頃は「うげぇ」と泣いたものだ。


「勿体ないけどこんなところね」


 持ち帰る肉をバナナの葉で包んで竹籠に詰めていく。

 大きすぎて可食部の肉を全て持ち帰ることすらできない。

 なので人気の高いロースと肩ロースを中心にいただいた。


 持てない分は隙を窺っているハイエナたちにプレゼントしよう。

 適当に取り除いて付近の地面にポイっと捨てておいた。


「あとは毛皮ね」


 最も価値があるのは毛皮だ。

 剥いだだけでも売れるが、それだと安く買い叩かれてしまう。

 だから、売るなら加工して『革』にしたいところだ。

 貴族の好きな高級革製品に生まれ変わる。


「この作業はなかなか大変なのよ、分かる?」


 すぐ傍で食事中のハイエナに話しかける。


「クィー! クィー!」


 どうやら私の気持ちが分かるようだ。

 余った肉を与えたからか、私に対する敵意は感じられない。


「皮を剥ぐ時はギリギリを攻めるのが大切なのよ。皮にちょっとでも脂肪がくっついていると劣化しちゃうから。でも攻めすぎると皮が切れてしまう。皮を傷つけない際の際まで攻められるのが一流なわけ」


「クィー! クィー!」


「よし、完了!」


 どうにか巨大イノシシの毛皮を剥ぐことができた。

 川で綺麗に洗ったら、加工して革にしていくとしよう。



【005】


 皮や毛皮を加工して革にする作業を『(なめ)す』という。

 馴染みのない人間に説明する時は「防腐加工」と言えば伝わる。

 皮のままだと腐るので、革にして腐らないようにするわけだ。


 鞣す方法は色々ある。

 一般的なのは専用の薬品に浸ける方法だ。

 薬品にもこれまた色々あるが、有名なのはミョウバンだろう。

 水とミョウバン、それに塩などを足した液体に浸けるだけでいい。


 しかし、私の手元にミョウバンはない。

 ついでに塩もないので、残念ながらこの方法は使えない。

 だから別の方法で鞣すとしよう。


「これでよし!」


 川にやってきた私は、川辺で木製の燻製箱を作った。

 その名の通り燻製に使用するための細長い箱のこと。

 箱の下部で燻煙を起こし、上にセットした食材などを(いぶ)す仕組み。

 わざわざ箱にするのは煙を充満させるためだ。


「ではやっていきましょー!」


 まずは燻製箱が使えるか試そう。

 先ほど調達したイノシシの肉をスライスして箱に入れる。

 適当なスモークチップに煙をモクモクさせたら待つだけだ。


 その間に毛皮の処理をしておくことにした。

 近くに焚き火をこしらえ、その炎で慎重に毛皮を炙る。

 イノシシの毛はチクチクしていて邪魔なので燃やして除外だ。

 皮に付着している大量のマダニも一緒に焼き尽くす。


 言葉にすると簡単だが、実際に行うのは大変だ。

 毛皮をつるっぱげにした頃には肉の燻製も終わっていた。


「燻製箱のほうは問題ないね」


 燻製肉を食べたらいよいよ皮を鞣す。

 やることは先ほどの肉と同じで燻製箱に突っ込むだけ。

「とりあえず燻煙」とはよく言ったものだ。


 ちなみに、燻煙による鞣し法を〈燻煙鞣し〉と呼ぶ。

 そのままだ。


 ◇


 燻煙鞣しも終わり、肉と革を持ってポンポコに戻ってきた。

 その頃には日も暮れていて、私の体力も地の底を張っていた。

 早くせねばならない。


 まずは肉を売ることにした。

 害獣の肉を高値で買い取ると謳う肉屋へ行く。


「おお、これは良質な猪肉じゃないか!」


 店主は私の肉を見て大喜び。

 イノシシの肉は個体が大きいほど柔らかくて美味いそうだ。

 つまり私の肉は上の上、言うなれば特上である。

 ならばきっと20万ゴールドくらいにはなるだろう。


「5万だな」


「なんだってぃ!?」


「この肉、お嬢ちゃんの顔の良さでボーナスして5万だ」


 謎の顔面補正を含めても5万が限界だという。

 いくら私が隣国の元貴族令嬢でも足下を見られているのは分かる。

 ここはガツンと言ってやるしかない。


「それは流石に横暴……! 安すぎるのではございませんか! この鮮度にこの大きさ! さらには人気部位! 自分で言うのもなんだけど完璧な処理をしていますよ! これが5万? いやいや、50万でもおかしくない!」


 貴族仕込みの大演説。

 その結果――。


「言ってることはごもっともなんだが、お嬢ちゃんには信用がない。人の口に入る物は品質以上に信用が大事だ。信用がない人間が、しかもバナナの葉で包んで持ってきた肉にお金を出せというのはなかなか難しい。ただ、俺はこの道のプロだし、この肉が極上であることは分かっている。とはいえ、お嬢ちゃんに敬意を表し、あと可愛いことを考慮しても、やはり5万が限界だ」


「なるほど、たしかに、仰る通り」


 さすがは商人だ。

 よくもまぁペラペラと舌が回る。

 全くもって付け入る隙がないので5万で手を打った。


「ありがとーおじさん!」


「はいよ! またいい肉があったらよろしく頼むよ!」


 社会の厳しさと引き換えに金貨5枚を獲得した。

 死ぬ気で狩って5万とは、なかなかどうして割に合わない。


「この調子だと革も買い叩かれてしまうわね」


 肉はともかく革は妥協したくない。

 すぐに腐るものでもないし、自分で加工して販売しよう。

 そうすれば、少なくとも希望の半値にはなるはずだ。


 私は銭湯で汗を流すと、宿屋に戻って革細工を始めた。



【006】


 イノシシの革で手袋を作った。

 色は全て同じだが、代わりに種類を幅広く揃えてある。

 一般的な物からフィンガーレスやガントレットまで。

 貴婦人のためにロングサイズも用意した。


 手袋は作るのが難しい上級者向けの代物だ。

 特にイノシシの革は癖があるため難易度が高い。


 だが、私は問題なかった。

 これまでに何度も作ったことがあるからだ。

 しかも目の肥えた貴族の中でも評判がいい。


 翌日、さっそく手袋を売ることにした。

 在庫は全部で20組。

 販売を始める前に、これをいくらで売るのか考える。


 有名ブランドなら1組当たり50万はするだろう。

 無名の職人が作った物でも20万は下らない。

 すると、店に買い取りを依頼した場合は15万が相場だ。

 私としては1組10万が最低ライン。


 まずは店で買い取りを依頼してみた。

 ここで10万以上の値が付けば全て処分してもいい。


「1組5万だな」


 思ったよりはいい数字だが、それでも全く足りない。

 7万なら悩んでいただろう。


 私は「売りません!」と断り、店を後にした。

 当初の目論み通り自分で売るとしよう。


 ということで、役所に行って屋台をレンタルした。

 この国では露店を開くのに専用の屋台を使わなければならない。

 シートを広げて「寄ってらっしゃい」などと叫べば衛兵が寄ってきてしまう。


 屋台のレンタル費は1日5000ゴールド。

 安いと捉えるかは人によるが、私にとっては痛い出費だ。


「えーっと、私のショップは……ここね」


 店を出す場所も決められている。

 そうしなければ交通量の多い一等地が店で溢れかえるからだ。


 私に与えられたエリアは町で3店舗しかない服屋の近くだった。

 売り物が手袋ということで配慮してくれたようだ。


「おー嬢ちゃん、露店を開くたぁ本格的なお店屋さんごっこだなぁ」


 話しかけてきたのは露天商のおじさんだ。

 隣で私と同じく借り物の屋台を構えていた。

 店の後ろで荷台付きのお馬さんが待機している。

 行商人のようだ。


「お嬢ちゃんお嬢ちゃんって……どいつもこいつも口を開けば私のことを小娘扱いしおってからに! これでも18歳! 大人! 成年! お酒だって飲める歳!」


「おーおー威勢がいいねぇ! それで嬢ちゃんは何を売るつもりだい?」


「ふふーん、驚きなさんなよ!」


 私は自慢の手袋を並べた。


「どうでい! これが私の商品! イノシシの革グローブよ!」


「おお! こいつぁすげーな! どれも一級品じゃねぇか!」


 おじさんは私の手袋を眺めて鼻息をふがふがさせている。

 私も「でしょー」とドヤ顔だ。


「なんだなんだ」


「イノシシの革で作った手袋を売っているだって?」


「こらまたとんでもないお店がポンポコにやってきたものねぇ」


 私らのやり取りを見て町民が寄ってきた。

 そうして集まった町民を見て他の町民も見にくる。

 なんてこった、あっという間に私らのお店に人だかりができた。


 私は大急ぎで値札を作成する。

 鉄は熱い内に打て、値札は早い内に書け。


 ここは欲張って15万といきたいところ。

 それでも安いが、今は目先のお金が欲しい。

 ということで最低ラインの10万に設定。


「なっ、10万だと!?」


 露天商のおじさんが驚く。

 商人ならこの価格がいかに安いか分かるだろう。


「これでもまだ私をお嬢ちゃんと呼ぶつもりかしら?」


「いやぁ、お見それしました!」


「よろしい」


 私は腕を組み、右斜め37度くらいに顔を上げる。

 我が人生でかつてない程に誇らしげな表情をしているはずだ。


 そんな時、ふと思った。

 そういえばこのおじさんは何を売っているのだろう。

 チラリと確認してみる。


「おっとぉ! おじさんも同業者じゃないですかい!」


「手袋バンザイ!」


 おじさんも手袋を売っていた。

 とはいえ、同じなのはそこだけで競合することはない。

 おじさんの手袋は綿で作られており、私の物よりカジュアルだ。

 色のバリエーションが豊かで、価格帯は露店なだけあって安い。


「お互いにたくさん売れるといいね、おじさん!」


「おうよ! 寄ってらっしゃい見てらっしゃい!」


「イノシシの革で作った最高級の手袋はいかがですかー!」


「こっちは一般使用に最適なお安い綿の手袋ですよー!」


 おじさんと一緒に声を張り上げる。

 他にも露店はあるけれど、間違いなく私たちが注目度ナンバーワンだ。


「この革の手袋すごく安いわね」


「質感もいいしこれが10万なんてお値打ちすぎる」


「価格破壊ってこういうことを言うんだなぁ」


 そして時間は流れていき――。


「屋台は速やかに撤収するように!」


 衛兵が営業終了を知らせる。

 そんな本日の売上だが――。


「うっそぉおおおおおん!?」


 ――私の手袋は一組も売れなかった。

 一方、おじさんの手袋は物の見事に完売していた。

 手袋以外の商品も売り切れていて、台の上はすからかんだ。


「なんでなんでぇぇぇぇ!? 安いって大好評だったのに!」


 理解できずに発狂する私。

 そんな私を見て、おじさんは笑顔で言った。



【007】


「どうして売れないか分からないのかい? 物はよくても商売のことは何も分かっちゃいないんだなぁ」


 おじさんの口調は優しいものだった。

 喩えるなら孫の相手をする祖父母のようなトーンだ。


「ふぇぇ? なんで売れなかったの?」


 情けない声を出して涙目で尋ねる。


「答えは簡単さ。必要ないんだよ、この町の人間には。イノシシの革で作った上等なグローブなんて」


「そうなの?」


「お店に群がっていた町民はもれなく高齢者だったろ? 今年38歳の俺ですらこの町では若造扱いだ。君に『おじさん』と呼ばれているけどね」


「たしかに……」


「で、君の商品はと言うと、高級な手袋ときた。それはどんな時に着ける? オシャレして高いディナーでも食べようか、なんて特別な時じゃないか?」


「うん」


 食い入るようにおじさんを見つめる。


「だがな、この町の人間は特別な時をそんな風には過ごさないんだ。そういう年頃じゃないからな。大切な時間は家でゆっくり過ごそうとするのさ。出かけたとしても顔馴染みの店主が営む料理屋くらいなものだ」


 仰る通りである。


「すると、君の手袋を買ったところで着ける機会がない。いわば宝の持ち腐れってやつだ。だから『安い』や『価格破壊』と分かっていても、『買おう』とはならない」


「そういうこと……!」


 おじさんは話し終わると、ニヤリと笑った。


「てなわけで、この手袋は全部俺が買おう!」


「え?」


「だって1組10万なんだろ? 王都で売りゃ20万はくだらねぇよ。出店費用はここの20倍近く掛かるが余裕でペイできる。買わない手はないってなもんよ」


「転売する気!?」


 おじさんは迷うことなく「おう!」と頷いた。


「君は希望通りの価格で全て売れてニッコリ、俺は君から買った物を転売して差額で儲けてニッコリ、まさにウィンウィンの関係だ!」


「そうだけど、なんだか負けた気分……!」


「そりゃ商才の対決で俺が勝ったわけだしな!」


 おじさんは懐をまさぐると、手の平サイズの四角い機械を取り出した。


「支払うから〈スマホ〉を出してくれ」


「スマホ?」


 初めて聞く単語だ。


「なんだいスマホを知らないのか」


「うん、なにそれ?」


 ここルーベンス王国は、妙な技術をたくさん持つ国家として知られている。

 ただ、それらは他国どころか自国民にすらあまり活用されていない。

 スマホもそういった謎技術の一つなのだろう。


「スマホってのはこの国の商人だけが使える便利な道具さ。貴族じゃなくても預金口座が開設できるし、スマホを持っている者同士で電話やメールができるんだぜ」


「ええええ!」


「驚くのはまだ早いぞ。キャッシュレス決済つってな、お金を持ち歩かずにお金のやり取りができるんだ。しかも他の奴には悪用できない仕組みになっている。これがあれば盗賊に襲われてもお金を奪われずに済むってわけだ」


「おおー! 電話やメールが何か分からないけど、キャッシュレス決済はすごく便利そう!」


「便利だぜ。一度スマホを使うともう手放せないよ。だからこの国には俺たちみたいな商人が集まってくるわけだ」


「ほっへぇ」


「スマホは市民権のある商人なら誰でも無料で貰える。商人かどうかは直近1ヶ月以内に商取引をしたかどうかで判断されるから、ここで俺に手袋を売れば君も商人ということになる」


「おー! じゃああとは市民権があれば!」


「そう、役所でスマホを貰えるってわけだ。この国の商人は誰もがスマホを持っている。逆に言うとスマホの持っていない人間は商人として扱ってもらえないってことだ」


「勉強になりますおじさん!」


「がっはっは。ま、スマホを持っていないってことだから、今日は現金で支払うよ。役所からお金を下ろしてくるからちょっと待っていてくれ」


「うん!」


 おじさんは駆け足で役所に行き、金貨200枚の入った袋を持って戻ってきた。


「ほい、ちょうど200万だ。手袋は貰っていくよ」


「ありがとー! おじさん!」


「こういう取引はいくらでも歓迎だから、スマホを手に入れたら是非とも連絡してくれ。これが俺の連絡先だ」


 おじさんが名刺を渡してきた。

 名刺はレミントン王国の商人も使うので知っている。

 ただ、記載内容はおじさんのほうが多かった。

 名前だけでなく電話番号やメールアドレスが書いている。

 おじさんの名前はトムというようだ。


「トムさんだね! 覚えた! 次に会う時は名刺とスマホを用意しておくね!」


「はいよ! じゃ、またな“お嬢ちゃん”、イイ取引だったぜ!」


「だからお嬢ちゃんじゃ……いや、今日はお嬢ちゃんでいいよ! 許したげる! でも次は私のほうが上手に商売するから!」


「はっはっは! 未来の大商人トム様を追い抜いてみろってんだ!」


 トムさんは屋台を畳むと、「じゃあなー」と馬車で去っていった。


「よーし、私もスマホを貰って一人前の商人を目指すぞー!」


 トムさんより少し遅れて、私も役所に向かった。

 屋台を返し、それから市民権の申請を行う。

 市民権は国籍と違い、申請すれば他国の人間でも簡単に得られる。

 はずだったのに――。


「シャロンさん、あなたはレミントン王国から国外追放された身ですよね? 申し訳ございませんが、重罪の前科があるあなたに市民権をお与えすることはできません、規則ですので……」


 終わった。



【008】


 私は市民権を取得できない。

 市民権がなければスマホが持てず、スマホがなければいっぱしの商人として扱ってもらうこともできない。

 つまり大商人への道が潰えた。


「じゃあスマホだけでもどうにか……」


「無理です」


「ですよねー」


 しばらく受付の前に立って考えた。

 無愛想なお役人をジーッと見つめながら。

 市民権はどうでもいいが、スマホは欲しくて仕方ない。


 ……が、何も浮かばなかった。

 国外追放されている以上、どうやっても不可能だ。


「あのー、国外追放されたといっても別に人を殺したわけじゃないんですよ。貴族同士のくだらないゴタゴタに巻き込まれただけで。だからどうにかなりませんか?」


「どうにもなりません」


「ですよねー」


 よし、諦めよう。

 悲しいけれど仕方ない。


「まさかこんなところで国外追放が響いてくるとはなぁ」


 無実の罪で苦労する羽目になるとは踏んだり蹴ったりである。

 火遊びに私を巻き込んだ男爵令息と伯爵令嬢の顔が浮かぶ。

 今度見かけることがあったらデコピンの一つでもしてやる。


 ◇


 宿に戻った私は切り替えて明日以降のことを考える。

 イノシシの革がウケなかったので、次は別の商品にしよう。


 スマホがなくても活動予定は変わらない。

 市民権がなくても露店を出してお金を稼げるのだから。

 今の私が生きていくにはそれしかないのだ。


 では何を売るのがいいか。

 トムさんの助言を思い出して商品を検討する。


 この町でウケるのは日常的に使える物だ。

 トムさんは綿の手袋などを売っていた。


 しかし、私は綿製品を売ろうとは思わない。

 個人が手作業で作るにはあまりにも効率が悪いからだ。

 トムさんはどこかから大量に仕入れたのだろう。

 私の手袋と同じように。


 大事なのは手間が掛からず、それなりに需要が見込める物。

 安価な手芸品が論外となれば、必然的に選択肢は絞られてくる。


「よし、決めた!」


 明日は食べ物を売ることにしよう。

 売れ残ったら自分で消費できるし、手始めにちょうどいい。


 ひとえに食べ物と言っても色々ある。

 私は魚の串焼きを売ることにした。


 理由は二つある。

 一つは上手くいけば今後も楽に稼げるからだ。

 もう一つは今の私が食べたいから。


 だってね、お店で魚の串焼きを食べようとしたら高いのよ。

 川魚が1匹刺さった串焼きが1本あたり500ゴールドもするの。

 港町なら100や200なのに。


 しかも、この町の串焼きは大して美味しくない。

 これは全国共通だけど、魚は高い地域ほど味が落ちる。

 お魚が運ばれてくるまでに時間がかかるからだと思う。


 だから、私が鮮度のいい美味しい串焼きを売る。

 そうすれば町民は大喜びで、私の財布も潤うはずだ。


 ◇


 翌日、朝食を済ませると川に向かった。

 お店で買ったちょっとお高い塩を持って上機嫌。

 ――ウソ、本当は死にそうな顔をしている。


「あー重い! お手伝いが欲しいーっ!」


 今、私は大量の女竹を背負っている。

 川魚を乱獲するために必要なトラップの材料だ。

 これが重くて重くてたまらない。


「ふぅ! もうしんどーい!」


 どうにか川に到着した。

 さっそくトラップを作っていくとしよう。


 川魚用のトラップといえば〈もんどり〉が定番だ。

 円錐形の罠で、壁に沿って進む魚の習性を利用して捕獲する。

 中の二重構造がポイントで、一度入った魚は自力で出られない。


「完成!」


 サクッともんどりを製作。

 固定用の竹紐も装着して準備万端だ。


 あとは設置するだけ。

 魚の動きを見極めて入りたくなる場所に置くのが大事だ。


 だが、この川なら適当でも問題ないだろう。

 澄んだ水を大量の川魚が勝手気ままに泳いでいる。


「とりあえずこの辺でいいかな?」


 試しに仕掛けてみる。

 あとは竹紐を適当な岩に結びつけて――。


「わお! もう掛かった!」


 岩を用意する前にヒットした。

 ふっくらしたヤマメがもんどりに飛び込んだのだ。


「記念すべき最初の獲物は……」


 誰もいないため、自分で「デケデケデケェ、デン!」と擬音を口ずさむ。


「ヤマメだー!」


 渓流の女王とも言われる川魚である。

 女王の名に相応しく、塩を振って串焼きにすると美味しい。


「この調子ならたくさん獲れそう!」


 もんどりを大量に設置して乱獲するとしよう。

 しかし、その前にヤマメの試食だ。


「ふんふふーん♪」


 ウキウキで下処理を始める。

 まずは川の水で綺麗に洗ってぬめりをとっていく。

 次に腹を開き、内臓やエラ、血合いを除去。

 再び水で洗って綺麗にしたら、竹で作った串に刺す。

 最後に塩を振り振りしたら完成だ。


「慌てるなーシャロン、じっくり焼けよー、じっくりだぞー!」


 自分に言い聞かせながら火入れに入る。

 焚き火をこしらえ、炎が当たらないよう遠目に置く。

 串焼きは1時間近くかけて丁寧に焼くのが大事だ。

 待てない私はしばしば強火でドカッといってしまう。


「待っている間に追加のもんどりを作ろーっと」


 ルンルン気分で作業を進める。

 頭の中はヤマメの串焼きを頬張った時のことでいっぱいだ。

 そんな時だった。


「見つけたぜぇ! 兄者、例の女だ! 俺の肩に矢を刺した!」


「ついに見つけたか弟よ!」


 傍の森からいつぞやの山賊イアンが現れた。

 私に射られた右肩はまだ痛いらしく、左手で曲刀を持っている。

 真っ赤な髪は私への怒りを表すかのように逆立っていた。


 イアンの後ろから青髪の男も登場。

 やり取りから察するに山賊兄弟の兄だろう。

 弟と似た顔だが、こちらは身長が180cmはありそうな高さ。

 イアンも175ほどと低くないが、兄と比べたら見劣りする。

 弟と同じく無精髭を生やし、曲刀を持っていた。


「おいおい弟よ、どう見てもただの小娘じゃないか」


「気をつけるんだ兄者、コイツは頭がイカれてやがる!」


 私は「ちょいちょい」と話に混ざった。


「小娘って酷い言い草ね。あんたらだって若いじゃないの。無精髭のせいで老けて見えるけど、実際のところは25かそこらでしょ」


「23だい!」


「俺は24だ」


「若いじゃないの。私と6歳ほどしか変わらない。ほら、まずは自己紹介!」


「これは失礼した。俺はクリスト、イアンの兄です」


「どうもどうも、私はシャロン」


「兄者! なに謝ってるんだ! 違うだろ! 俺たちはコイツに仕返しに来たんだろ!」


 ハッとするクリスト。


「そうだ。シャロン、お前には二つの選択肢を用意してやろう! 一つはイアンに頭を下げ、お詫びに俺たちの性奴隷になること。もう一つは強情な態度を貫いて俺たちに殺されることだぁ!」


「どっちもお断りよ。私は第三の選択――あなたたちを返り討ちにすることを選ぶわ!」


 私は後ろに跳んで弓矢を構えた。


「かかってらっしゃい!」



【009】


「ちょっと待て」


 いざ戦うぞ、と思いきやクリストが言った。

 左の手の平をこちらに向けてぶんぶん振っている。


「弓は卑怯だ」


「え?」


「遠くから弓で射られたら俺たちは為す術がない。それは卑怯だ」


 山賊とは思えない発言だ。


「今まさに2対1で年下の女を襲おうとしていた人間が言うセリフ?」


「ルールを決めよう。弓は当然ながらナシだ」


「兄者の言う通りだ! 弓はナシだ!」


 勝手に話が進み出す。


「じゃあ弓は使わないけど、代わりに1対1でどう? 正々堂々としているでしょ?」


「それだと俺たちが負けるかもしれない」


「……」


「2対1で弓はナシ、これでどうだ?」


 私は情けなさ過ぎてため息をついた。

 この調子だと2対1でも私が圧勝してしまうだろう。


 彼らは悪党に向いていないと思った。

 思えば初めてイアンが襲ってきた時もそうだ。

 不意を突けばいいのにわざわざ名乗っていた。


「もうじゃんけんで決めない?」


「なるほど平和的だな。だがそれは山賊の名が廃る」


「そーだそーだ、じゃんけんなんてあり得ない! 運が悪けりゃ俺たちが負けちまうだろ!」


「はぁ、もういっそ素手でどう? それなら怪我もしなくて安心でしょ?」


「なるほど、素手による2対1か。いいだろう」


 山賊兄弟は迷わず武器を捨てた。

 しかも、ご丁寧に私の足下に投げた。

 これで私が翻意したらどうするつもりなのだろう。

 そう思ったが、可哀想なのでルールに従って素手で戦うことにした。


「いつでもかかってらっしゃい」


「後悔しても遅いぞ!」


「やっちまおうぜ兄者!」


 ボコ、ボコボコ、ボコッ。


「はい、私の勝ちね」


 わずか数秒で決着した。

 私が強いのもあるが、彼らが弱すぎた。

 山賊らしさがあるのは武器と風貌だけのようだ。


「なんだこの女……」


「強すぎる……」


「力の差は歴然だけど、どうする?」


「負けてしまったものは仕方ない。煮るなり焼くなり好きにしろ」


「好きにしろ!」


 兄弟は私の前で正座した。

 あまりにも潔すぎて軽く引いてしまう。


「好きにしろって言われてもねぇ……」


 23歳と24歳のむさ苦しい男をどうすればいいのか。

 今は自分のことすらままならないというのに。


「あ、そうだ!」


 いいことを閃いた。


「煮るなり焼くなり好きにしてもいいのよね?」


「もちろんだ。だが、俺たちは魚じゃないからダシは取れないぞ」


「ダシなんか取らないから! そんなことよりあんたたち、私の下で働きなさい!」


「「えっ」」


「あなたたちを使って商売を拡大するわ! 今この瞬間から私があなたたちの頭領(ボス)よ!」


「シャロンが俺とイアンのボスに……?」


「そうよ。荷物の運搬をはじめ、色々な作業を手伝ってもらうわ。安心しなさい、給料はしっかり払うから。もちろん最低賃金だけどね」


「こ、こんな俺たちを雇ってくれるのか?」


 クリストの目に涙が浮かぶ。


「問題ないでしょ? あなたたちの命綱は私が握っているのだから」


「もちろんだとも!」


「やったな兄者! やっぱりシャロンは只者じゃねぇよ!」


「ああ、そうだな! お前は見る目があるな、弟よ!」


 大興奮の二人。

 とにかく私の部下になることを了承したようだ。


「そうと決まれば今後は運命共同体よ。私と一緒にこの国でのし上がってやろうじゃないの!」


「すごいなシャロン、そんなに大きな目標を抱いていたのか!?」


 驚くクリスト。


「いいえ、のし上がるというのはたった今考えたわ。でも、せっかくだから夢は大きくいきたいじゃないの!」


「ああ、そうだな!」


「ついていくぜシャロン!」


 私たちは肩を組み合い、「うおおおお」と叫んだ。


「そうと決まればあなたたちにももんどりを作ってもらうわよ」


「それが何か分からないけど承知した!」


「兄者に同じく!」


「安心しなさい、作り方から何まで教えてあげるから」


 女竹はまだまだ余っている。

 それを使ってもんどりの作り方を詳しく説明した。

 説明後は実際に作ってもらい、二人の能力を確認する。


「できたぞシャロン!」


「もうできたのか!? 流石は兄者、すっげーな!」


「ふははは、なんたって俺は24歳だからな!」


「24歳は関係ないと思うけど……ま、いいわ、ナイスよクリスト」


 クリストはなかなか器用だ。

 今はぎこちないが、数をこなせば改善されるだろう。

 見込みがある。


 一方、弟のイアンは非常に不器用だ。

 まるで見込みがなく、この手の作業は任せられない。

 数をこなしても改善する気がしなかった。


 だからといって、イアンを切り捨てる気はない。

 何事も適材適所だ。

 細かい作業ができないなら売り子をしてもらえばいい。


「クリストはそのままもんどりの量産を続けてちょうだい」


「承知!」


「イアンはここに正座してもらえる?」


「ま、待ってくれシャロン! 俺だけ斬首刑なんて酷いよ!」


「弟は不器用なだけなんだ、許してやってくれ」


 土下座を始める二人。


「斬首なんてしないから。見た目を整えるのよ」


「「え……?」」


「あなたたちは今後、私と一緒にポンポコで商売するのよ? それなのに髪はボサボサ、口の周りには生え散らかした無精髭って……そんなのダメでしょ? だから今から簡単に整えてあげるの」


「雇ってくれるだけでなくそこまでしてくれるなんて……」


「シャロン、お前は女神だ! 女神の生き写しだ!」


「都合のいい人らね。そんなわけだからイアン、正座しなさい。クリストはイアンのあとで切ってあげるから」


「「了解!」」


 川辺に落ちていた岩でナイフを研いだあと、イアンの髪と髭を整えた。

 ナイフ1本で理容する技術は持っているので問題ない。


 なお、シェービングクリームを持ち合わせていなかったため、兄弟はこのあと顎がヒリヒリして死にそうだと訴えるのだった。



【010】


 川辺で焼いていたヤマメを食べた感想は「完璧」の一言に尽きた。

 これは成功するに違いない。

 そんな確かな手応えを抱きながら町に戻った。


「さーて、今日こそ商売を成功させるわよー!」


「「おー!」」


 役所で借りた料理用の屋台を展開する。

 昨日使った屋台との違いは商品棚の部分だ。

 棚の代わりに大型の七輪が置いてある。


「これでよし!」


 七輪の炭に火を着け、七輪の周囲に串を並べた。

 串の数は50本。

 イアンと二人でブスブスと刺したものだ。


「炭が温まるまで時間がかかるし、魚が焼けるまではもっとかかる。その間にもっともっと魚の準備をするわよ」


「俺はシャロンと川に戻る。イアン、店番を頼むぞ」


「任せろ兄者! 店番と串打ちなら俺でもできる!」


「流石は我が弟! お前は串打ちのプロだもんな!」


 実際、イアンは串打ちが上手だった。

 プロは言い過ぎだが及第点を出せるレベル。


「イアン、1時間は売らずに待機だからね」


「分かってるってシャロン!」


 イアンが真っ赤な髪を掻き上げる。

 この男、髪と髭を整えたことで結構なイケメンになっていた。

 青髪の兄も同様だ。


「じゃ、あとはよろしく!」


 私はクリストとともにポンポコタウンをあとにした。


 ◇


 この国の最低賃金は2パターンある。

 時給1000ゴールドか、日給1万ゴールドだ。

 どちらが適用されるかは条件によって異なる。


 クリストたちの場合は後者だ。

 したがって、彼らの人件費は1日2万ゴールドになる。

 違法労働を是としない私としては、何が何でも払わねばならない。

 加えて私自身も最低でも日に5000、できれば1万は欲しいところだ。


 一方、串焼きは1本当たり500ゴールド。

 ヤマメからイワナまで、どの魚でもこの価格で売る。

 二人の人件費を考えると最低でも40本は売れないといけない。

 私の取り分や塩や屋台の代金を考えるともっと必要だ。

 最低でも80本、できれば120本以上は売れてほしい。


「――ということで、まだまだ魚が必要よ!」


「魚自体は問題なさそうだが、売れるかどうかは不安だな」


「味は間違いなく問題ないんだけど、この町にそこまで川魚の串焼きを食べたがる人がいるかどうかなんだよね」


 こればかりは分からない。

 賢い商人は事前に市場規模を調査するのだろう。

 だが、今の私は行き当たりばったりの手探り状態だった。


「あぁクリスト、どんどん魚をちょうだい!」


「おうよ!」


 もんどりの回収と設置はクリストが行う。

 川魚の下処理から串打ちまでは私の仕事だ。


「それにしても、他の人はどうしてここの川魚を売らないのかしら? 地図にも載っているし、罠を仕掛けたそばからガンガン獲れるし、かなり熱いポイントだと思うんだけどなぁ」


「そんなの決まっている。たくさんの猛獣がいるからさ。俺だってシャロンがいるから落ち着いているが、内心では不安で仕方ないんだ」


「なるほど」


 たしかにこの場所は猛獣がいっぱいだ。

 例えば私たちから10メートルほど離れたところにはクマがいる。

 それも人を食らう大きなヒグマだ。

 他にもハイエナやら何やらといった肉食獣が跋扈していた。


「でも、この場所って紳士協定でもあるんじゃない? クマも大人しいし、他の動物だって私たちには近づいてこないよ」


「それはシャロンが森の王を倒したからだ。俺だけしかいなかったら今頃は襲われているよ」


 森の王とは巨大イノシシのことだ。

 手当たり次第に襲いかかる暴君として有名らしい。

 そんなイノシシを倒した私に対し、他の動物は一目を置いていた。


「あのイノシシには何かと感謝ね」


「だが気をつけたほうがいいぞシャロン。この森は野心に満ちた動物が多い。君を倒して名を挙げようという猛獣が挑んでくるかもしれない」


「それならそれで刺激になって面白そうだけどね」


 などと話していると、さっそく挑戦者が現れた。

 オスのトラだ。

 森からやってきて、私の数メートル手前で止まった。


「ガルルァ!」


「やる気十分のようね」


 地図によると、トラの生息地はここから少し離れている。

 つまり、わざわざ私と戦う為だけにやってきたのだ。


「シャロン、ここは俺に任せろ!」


「馬鹿を言わないで。あんたじゃ足手まといになるだけよ」


「分かっている! もちろん口だけだ! 頼むぞ!」


 なんて男だ。

 私は苦笑いで「はいはい」と答えた。


「ガルァ!」


 トラが真っ正面から突っ込んでくる。


「イノシシと違って皮膚が柔らかいから素手で十分ね」


 ボコッ。

 飛び込んできたトラの顔面をパンチする。


 トラの体は地面に叩きつけられた。


「ガルァ!」


「ダメダメ、今ので勝負あったでしょ」


 起き上がろうとするトラの首根っこを掴んでポイッと投げる。


「ガゥ……」


 トラは勝負を放棄して逃げていった。


「ふぅ、可愛らしいものねー」


「いや、強すぎだろ! なんでそんなに強いんだシャロン!」


「昔から自然の中で過ごすことが多かったからね」


 政略結婚の話が浮上するまで、私は殆ど町にいなかった。

 基本的にはここよりも危険な猛獣のひしめく森で過ごしていたのだ。

 10歳になるまでは猟師や世捨て人に守ってもらいながら活動していたが、それ以降は殆ど一人だった。

 ここのような森は、私にとっては町にある公園と大差ない。


「それより、そろそろ戻ろっか! 追加の川魚も十分に確保したしね」


「了解!」


 追加の串は70本。

 少し調子に乗って用意し過ぎた気がする。


 だが問題ない。

 余ったら自分たちで食べるだけだ。


「少しは売れたかなぁ」


 ひょいっと露店を覗きに行く。

 すると――。


「シャロン! 遅いじゃないか! 待っていたんだぞ!」


 イアンが血相を変えて駆け寄ってきた。

 何かとんでもないことがあったようだ。


「どうしたの? 全く売れなくて動じているのかしら?」


「逆だ! 逆! とっくの前に全部売れたよ!」


「なんだってー!」


「本当か? イアン。俺たちは2時間ほど離れていたが、串焼きが売れるのは1時間待ってからだろう。つまりまだ販売可能になってから1時間しか経っていないはずだ」


「1時間どころか数分で完売しちまったよ兄者!」


 イアンが叫ぶように言った。


「おーおー、戻ったかいお嬢ちゃんたち」


「早くワシらの串焼きを作ってくれー」


「魚の串焼きを食わせろー!」


「あんなに美味しい串焼きは久しぶりじゃわい」


「私たちにも売ってー!」


 ぞろぞろと町民が寄ってくる。

 昨日と違い、今度は買う気満々だ。


「やったなシャロン!」


「うん! なんだかよく分からないけど大成功よ!」


 想像以上の人気ぶりだ。

 その理由を知りたいところだが、まずは魚を焼くとしよう。

 私たちは上機嫌で七輪に追加の串を並べた。



【011】


 魚が焼き上がるまで1時間近く掛かる。

 そのことを伝えても、店に群がった町民は離れなかった。

 店の前で長蛇の列を作って待機しているのだ。

 せっかくなので気になっていることを尋ねてみた。


「皆さんはどうしてウチの串焼きにそこまでこだわるのですか?」


 川魚の串焼き自体は他にもある。

 屋台はウチだけだが、酒場にいけばいつでも食べられるのだ。

 ところが、酒場の店主ですらウチの串焼きを食べようと並んでいた。


「そんなの決まっているじゃろー。ここの串焼きがめちゃくちゃ美味いんじゃ。こんなに美味い串焼きをこの町で食える日が来るとはおもわなんだよ」


「俺の店より遙かに美味いぜ! なのに同じ値段! これは食わないと損だぜ損!」


「若い頃はなぁ、新鮮な魚を食べるために港町まで行ったもんだ。でもこの歳になるとねぇ、馬車に乗るのも億劫さ。この町でこの味の魚が食えるなら500ゴールドなんて安いもんだ」


 どうやら味が評価されている。

 この町の魚が美味しくないというのは共通の認識みたいだ。

 魚の輸送に時間が掛かる町はどこも同じようなものだろう。


「この様子だと追加の串70本だけじゃ全く足りないから、もっともっと準備しますねー! 遅くなっちゃうけどよかったら買って下さーい!」


「「「買うともー!」」」


 町民が嬉しそうに叫んだ。


 ◇


 可能な限り魚を持って帰ろう。

 ということで頑張りに頑張った結果、300匹を調達した。


 これ以上はどうやっても無理だ。

 そもそも300匹ですら常人には不可能なほど頑張った。


 例えば下処理。

 1匹当たり5秒しか掛けていない。

 300匹で1500秒、つまり25分だ。


 次に魚の運搬。

 人手は私とクリストの二人。

 だから、竹籠を何段も積み上げて運んだ。


「お待たせ……しましたぁ……」


「ぜぇ……ぜぇ……俺はもうダメだ……」


 露店の傍でバタンと倒れる私たち。


「あとは俺に任せてくれ!」


 残りの作業はイアンが担当する。

 また、酒場の店主が串焼き1本と引き換えに手伝ってくれた。


「1人2本までで頼むよー! 数がないんだから!」


「俺は2本だ!」


「ワシも2本!」


「もちろん私も2本よ!」


 焼き上がった魚は待ったなしで売れていく。

 それでも列は解消されず、常に長蛇の状態を維持している。

 食べ終わった町民が再び列に並ぶからだ。

 彼らの新鮮な魚に対する欲求を侮っていた。


「こりゃ今日だけで500匹は固いな!」


「明日以降も数百匹ペースで売れそうね」


 私とクリストの顔に笑みが浮かぶ。


(とはいえ、500匹売れても25万ぽっちなのよね)


 圧倒的な黒字だが、革製品に比べると物足りない。

 革の手袋は20組で200万ゴールドだった。

 しかも、王都ならこの倍は手堅いと言われたくらいだ。


 私しか川を安全に使えない以上、規模の拡大は難しい。

 もっと稼ぎたいのであれば商品を変える必要がある。

 町民の欲求不満が解消されたら検討しよう。


 ま、今は深く考えなくても問題ない。

 町民の幸せそうな顔を見る限り、串焼きブームはしばらく続きそうだ。

 彼らが飽きるまではヘトヘトになりながら新鮮な魚を提供していきたい。


 ◇


 あっという間に夕方が訪れる。

 最終的に、この日の売上は800本だった。

 金額にすると40万ゴールド。

 町民に借りた複数の七輪もフル稼働しての結果だ。


「明日も頼むよ串焼き!」


「楽しみにしてるからねー!」


 営業可能時間が過ぎ、店から人だかりが消える。

 私たちものそのそと屋台を畳もうとしていた。

 そんな時だ。


「少しお時間よろしいですか?」


 お役人がやってきた。

 甲冑を纏った二人の衛兵を連れている。


「えっと、何か悪いことでもしちゃいましたかね……?」


 お役人の用件を想像して不安になる。

 もしかして川魚の乱獲は禁止されていたのだろうか?

 それともクリストとイアンの悪名が轟いているとか?


 皆目見当が付かない。

 しかし衛兵が一緒だし、きっと悪いことに違いないと思った。



【012】


 目をきゅっと閉じて宣告を待つ私たち。

 そんな世間知らずの三人に、役人は笑顔で言った。


「シャロン様の露店がご盛況であること、確認させていただきました。明日も同じ物を売られるおつもりであれば、追加の屋台を無料でお貸しいたしますよ」


「え……? 怒られるんじゃない……?」


「怒るだなんてとんでもございません。我がルーベンス王国は商人の方々を心から応援しています。勢いのあるお店は積極的に支援するというのが国の方針となっています」


 なんとポジティブな内容だった。


「売り場面積はどうなりますか? 屋台を借りても展開するスペースがなければ殆ど意味がないのですが……」


 露店の展開場所は役所から指定されている。

 指定の範囲は非常に狭く、二台の屋台を並べるスペースはない。


「ご安心ください。屋台の賃料には場所代も含まれています」


「二台を横並びで展開してもいいんですか!」


「さようでございます」


 私たちは「おー!」と歓声を上げた。


「すごいなシャロン、もう商人として認められているぞ!」


「兄者、やっぱり俺たちのボスは違うな!」


「そうだな弟よ! 仕える主を見る目があるな我々は!」


「「がはははははははは!」」


 なぜか彼らが私を選んだことになっている。

 私が彼らを選んであげたのだが、面倒なので黙っていよう。

 それよりも役人だ。


「屋台はいくつまで無料で借りられますか?」


「二台までとなります」


 合計で三台か。

 そのくらいならイアンだけで回せそうだ。


「もう一つお尋ねしたいのですが……」


「喜んでお答えいたします」


「私は今後もこの国で商売に励みたいので、スマホをお借りすることはできないでしょうか? 先日お役所で申請した際は、国外追放の身ということで却下されたのですが……」


「それは難しいですね、規則ですので」


「ですよねー」


 今なら大丈夫かも、と思ったが甘くなかった。

 どの国のお役人も規則にうるさいものだ。


「シャロン、スマホって何だ?」


 クリストが尋ねてきた。


「え、スマホをご存じない? 商売人の必須道具よ!」


 私はドヤ顔で解説してあげた。

 とても昨日まで知らなかった者とは思えない態度だ。

 クリストとイアンは目をキラキラさせながら拝聴していた。


「とまぁこんな感じよ!」


 ふふん、と胸を張った後で、「合ってますよね?」と役人に確認。

 間違っていたら赤っ恥もいいところだが、そうはならなかった。


「シャロン様の仰る通りです」


「すげーなスマホ! 兄者、すげーな! スマホって!」


「そうだなイアン! すげーよスマホ!」


「でもね、私は持てないわけよ、そのすげースマホを」


「だったら俺たちが持てばいいんじゃないか?」


 クリストがすまし顔で言い放つ。

 私は「ふぇ?」と固まった。


「俺とイアンは市民権を持っている。シャロンと一緒に商売をしているのだから、俺たちだって商人として扱われるだろう。スマホを借りる資格はあるんじゃないか?」


「はい、ございます」と役人。


「だよな! なら俺たちでスマホを借りて、その内の一つをシャロンにあげるよ。これでシャロンもスマホを持てるぞ」


「賢いな兄者!」


「これでも24歳なんでな、ふふ」


「そんなことしていいの?」


 この疑問には役人が答えた。


「褒められた行為ではございませんが、規則的には問題ございません」


「でも、スマホって他の人は操作できないんじゃ?」


「初期設定だとそうですが、利用者登録を行っていただければ、他の方もスマホを操作することが可能になります」


「わお! なら私もスマホを持てちゃう!」


 まさかの展開になった。


「スマホに関する申請は役所のほうで受け付けておりますので、必要であればいつでも」


 役人は「それではこれで」と去っていった。

 警護の衛兵二人もペコリと頭を下げてから離れていく。


「よーし、屋台を返却してスマホを作るわよ!」


「「おー!」」


 こうして、私たちはスマホを手に入れた。

 クリスト名義のスマホを私が持ち、イアン名義の物は二人が共有する。

 簡単な説明を受けたあと、私たちは役所をあとにした。


「晩ご飯の前にスマホを試してみましょ!」


 まずはメールからだ。

 二人から数メートル離れたところでメールアプリを開く。

 アプリとはソフトのことらしいが、ソフトが何かも分からなかった。

 私の知っているソフトは柔らかいを意味するソフトだけだ。


「シャロン、まだか!」


「待って! 文字を入力するのに手間取ってるのよ!」


 左手でスマホを持ち、右の人差し指でタッチしていく。

 平面のガラスに文字が浮かぶ様は見ていて不思議だった。

 恐ろしやルーベンス王国の技術。


「いくよー!」


 頑張って打ち込んだ「やっほー」の文字を送る。

 送信ボタンを押すと――。


「あれ? 何も起きない?」


 てっきり手紙が召喚されて飛んでいくのかと思った。

 賢者の国ハーメルンの魔法技術みたいに。


「届いているぞシャロン!」


「え?」


「メール! 届いているぞ!」


 クリストがスマホを振る。

 隣でイアンが「やっほー!」と叫んだ。


「わお!? 何も起きていないのに届いた!?」


「メールってすげーな!」


「次は電話を試してみましょ!」


「承知!」


 電話はメールよりも扱いやすかった。

 電話帳というアプリを開いて相手を指定するだけだ。

 そうすると――。


「シャロンの声がスマホから聞こえる!」


「クリスト、あんたの声もね!」


 電話とメールは、この国ならどこからでも使える。

 国土の端から端までを瞬時で繋いでくれるのだ。

 なんとも便利な代物である。


「電話とメールの使い方は分かったし、少し遅くなっちゃったけど、商売の大成功を祝ってご馳走を食べにいきましょ!」


「「おー!」」


 三人で肩を組みながら町を歩く。

 今日はとても幸せな一日になった。


 明日はどんな一日になるのだろうか。

 先のことは分からないけれど、なんとかなるだろう。

 お馬鹿な兄弟も一緒だしね。


 婚約破棄から始まった楽しい生活は、これからも続くのだった――。


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