足達強すぎ問題
「てめえこらあああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアァァァァァァ!!!!!!!!」
そして時間は今に至る。
鼻山は廊下中に響き渡る怒号と共にミドルキックを繰り出してきた為、俺は半身に構えると腕で肋骨と顎を守り、蹴りの軌道に合わせてダメージを軽減させる。
おいおい、サッカー部ともあろう者が本気のキックをしてどうする。骨でも折れたら本当に洒落にならんぞ。
まあそれだけ怒り心頭という訳ではあるのだが。
「絶対に許さねえからなァ!!!! ぶっ殺してやる!!!!」
「そんなことしたら停学じゃ済まないですよ先輩」
「うるせえカスが!!!」
最早暴れ馬と化した鼻山に俺の声など届く筈もなく、怒りに身を任せた先輩は掴もうとしたり蹴ろうとしたりとちぐはぐな攻撃を繰り返す。
俺はそれを全て紙一重で躱し続けていた。
「この……! ちょこまかと……! 逃げんじゃねえ!!!!」
まあ本来躱すだけというのはあまり意味がないのだが、これは道場の先生に『無用な暴力をしない為』に教わったものである。
実際それは大いに役立っていた。
『なあ……流石にまずいんじゃないか』
『ちょっと先生呼んでくる』
しかしこんな騒ぎとなれば、いつまでも全員が全員観衆となる訳ではない。
真っ当な神経を持つ人間なら当然仲裁しようとするのだ。
ただそれはこの状況においてあまり好ましい話ではなかった。
何故なら小林高においてそこそこの名を持つ鼻山が、無名の後輩に煽り散らかされてそれで収まる筈がないからである。
つまり今ここで彼の自尊心を折らない限り、面倒は加速するということ。
「時間は1分もないか」
「あぁ!? 何ゴチャゴチャ言って……!」
フルスロットルで動き続けたせいか、鼻山の動きは徐々に鈍り始める。
それに合わせて周囲からも『鼻山先輩……何か……』という失望にも似た雰囲気が流れ始めていた。何一つ攻撃が当たらず、何だか駄々をこねているようにしか見えないのだから無理もない。
まあそろそろいいだろう。
「くそっ! くそっ! クソがぁ!!!」
みっともなく腕と足を振り回す鼻山の動きをつぶさに観察しながら、俺は一番都合の良い攻撃を待っていると、数十秒程した所で最初に浴びせてきたのと同じミドルキックが飛んでくる。
しかしその威力はまるで弱い。
最早まともに防御する必要もなかったが、それでも一応蹴りの軌道に合わせてステップしながら手で受けると、鼻山の顔が僅かに綻ぶ。
「! 当たった!」
「ああ先輩、これは当たった訳じゃないんですよ」
「は? ――!?」
そして次の瞬間、俺は鼻山の足を受けた手で勢いよく地面に落とした。
「がっ!」
その結果バランスを崩した鼻山は視線が床に落ちる。それを確認した俺はさっと彼の足を引っ掛けると、無惨にも転んでしまうのだった。
「ぐ……こ、この野――うっ……!」
「――鼻山先輩、まずは度重なる失礼、深く謝罪します」
俺は鼻山のアキレス腱を軽く踏みながらそう小さく口を開く。
「ただこれだけははっきり申し上げておきたい。俺は猪頭萌香を中傷などしていません、あくまで個人的意見を述べただけです」
「何だと……?」
「なので一方の意見を鵜呑みにし、横暴を働くのは止めて下さい。それに対話なら幾らでも応じます、それを本人に伝えて貰えませんかね」
「何をふざけた――――!」
「別に応じなくてもいいのですが、ここは穏便に済ませた方が賢いやり方だと思いますが、それに――」
俺はワザと踏んでいる足を強めると、最後にこう言った。
「先輩も、まだサッカーがしたいでしょう」
「!?」
『おい! お前ら何をしている!』
すると、そこで石爪教諭が声を荒らげて現場に近づく姿が見える。
故に俺はすっと踏んでいた足を離すと居住まいを正したのだった。
◯
「この――ばかちんが!!!」
その日の放課後。
俺は石爪教諭にしこたまお灸を据えられ、日も傾きかけた頃になってようやく生徒指導室から解放されると、何故かまたお急を据えられていた。
まさかハシゴで怒られる日が来ようとはな。
まあ相手は手越なので何も問題はないのだが。
「随分と昭和感漂う怒り方だな」
「は? 何いってんだ! 私は怒ってるんだぞ!」
「いやそれは分かっているんだが」
「あんなことしたら足達が得しないだろ! これじゃあ鼻山先輩よりお前が悪いみたいに見えるじゃないか!」
どの道最初から悪いのだからこれ以上悪くなりようがないとは思うのだが、確かにあの光景は傍から見ると一方的な展開に見えただろう。
ただそれはある意味正解でもある。
「しかし、そのお陰で手越に危害が加わる可能性は大いに減った」
「え……?」
俺はあの場で劣勢となった結果、調子づいた連中が手越に嫌がらせをするかもしれない可能性を一番面倒に思っていた。
そうなれば流石の俺でも手加減は出来ない。ならばその先にあるのは誰も得しない展開のみ。
だが鼻山を玩具にしてしまえば誰も不用意なことは出来ない。大人でも子供でも、弱者を虐げるのを好む人間はこの手に滅法弱いからな。
「とはいえ、猪頭相手にはこんな小細工は効かんだろう。これ受けて奴がどう出てくるか、それによっては――」
「……だとしても、お前が傷ついてまでやることじゃないだろ!」
「む?」
別に鼻山みたいな弱者を虐げることしか出来ない奴にダメージなど一つも受けていないのだが、恐らくそういう意味ではない。
要するに自己犠牲を払い過ぎだと言いたいのだ。
前の会話からも分かる通り彼女は正義感が人よりも強い、バレー部の主将であることが関係しているかは知らないが看過出来ないタイプなのだろう。
まあ自己犠牲など払うに至った記憶がないのだが。
しかし、本当に優しい奴だ、全てにおいて猪頭に負けている要素がない。
「全く……足達は良い奴だけどちょっと危なっかしいぞ」
「そうか? 所詮相手は小林高の同級生か先輩だろう」
「そういう問題なのか……?」
「井の中の蛙に慄いても仕方あるまい。かえるの合唱は煩いがな」
「……なんか、私がいてもあんまり意味なさそうだな」
「いやそんなことは全くないが」
手越は少し諦めにも似た表情で困ったように笑うが、俺は即座に否定する。
だが何かを悟ったのか、感情が忙しない彼女はムッとした表情を浮かべた。
「ここで正直に言ったらデートが出来なくなると思ってそう言ってるんだろ」
「……それは否定しない」
「お前って奴は――!」
「だが待ってくれ」
俺はずいっと身を乗り出した手越を制するように両手のひらを見せる。
「前にも言ったが俺は手越が学校一可愛い女の子だと確信している。そんな子とデートが出来る権利があるというのにみすみす捨てる馬鹿はおらんだろう」
「なっ――! お、お前また――!」
「キワモノの言う事など信用出来んかもしれないが、これは紛うことなき事実だ。何ならそれを証明してやりたいとすら思っている」
「しょ、証明……?」
「お前も可愛くなりたい気持ちはあるのだろう。ならば騙されたとでも思って一回だけでいいからデートをしてくれないだろうか?」
随分と強引な提案であることは百も承知であったが、しかしこれはお互いにとって得のある提案ではないかと思っていた。
ただし重要なのは彼女の意思を尊重すること、無理強いをしても意味はないと思い、俺は正直に話したのだったが――
顔を歪めていた手越はややあって諦めたような表情になると、こう言うのだった。
「――分かった。一回だけだぞ?」