焼き合い
ある日の休日、俺は小林高の体育館にいた。
何故そんな所にいるのかと言えば、遥が出場予定の練習試合を見に来ているからである。
『遥がバレーをする姿を見に行きたいのだが、構わないか?』
よくよく考えてみると、俺は遥がバレー部であることは知っていたが、そのバレーに取り組んでいる姿を見たことがなかった。
となれば、愛する彼女が活躍する姿を見ない理由はない。
故に俺は遥から了承を得た上で、遠巻きに見守っていたのだった。
『あっ! す、すいません!』
「ナイスファイ! 気にしないで切り替えて!」
『くっ』
「ドンマイドンマイ! 全然大丈夫だから!」
遥は部活動の時は基本的に過度なお洒落はしない。
当然ウィッグも付けておらず、メイクも最低限に抑えているのだが、ここ数週間は短かった髪を伸ばし始めていることもあり、それがまた色っぽくもある。
全く――俺の彼女はどの場面を切り取っても可愛いのだから困ったものだな。
「……いや、いかんな。全く以て試合に集中出来ん」
『――手越って何か凄い雰囲気変わったね』
『というか滅茶苦茶可愛くなってない?』
『手越くんなんて言われるほど男っぽかったのに』
『さては男か? 男が出来たのか?』
すると。
俺の近くで試合を見守る相手校の補欠組がそんな話をし始める。
「…………」
流石女子というのは察知能力が異常に高い――この様子だとそのお相手が俺であるとバレるのも時間の問題だろう……。
ならばと、俺はそっとこの場を離れようとしたのだが。
『にしてもさっきからずっとウチが優勢だね、何かオバ高弱くなってない?』
『3年生が引退して戦力が落ちたとか?』
『いやーというより手越の調子が悪い気がする、凡ミスが多いし』
『確かに言えてるわ――あれ? もしかして手越の彼氏って下げ○ン?』
「!?」
あまりにも聞き捨てならない台詞に俺は思わず彼女達を二度見する。
お、俺が下げ○ンだと……? そんな馬鹿な話がある訳が――
『ナイスキー!』
しかしそんな感情とは裏腹に、相手チームの威勢のいい掛け声がこだましたかと思うと、小林高が1セット目を先取されてしまう。
しかもその点差は10も離れていた。
「まずいな……」
所詮は練習試合とはいえ、3年が引退したこの時期は遥が主将として一層手腕み見せなければならない時期である。
だというのに『手越は色恋に現を抜かして駄目になった』などと言われようものなら全く以て笑えた話ではない。
「こうなったら……チームが不調の原因を探すしかない」
まず顧問が不在であることが論外ではあるのだが、正直一般的な公立高校の部活動において顧問の存在は殆ど不要だと言える。
つまり問題は指導力ではなくプレー面……だがサーブレシーブも目立ったミスもない、寧ろ得点の3割はサービスエース。
となれば問題は得点差から考えてアタッカー、実際1セットを見た限り容易にブロックされる展開が多い、ただアタッカーの技量が悪いとも思えない。
「ならその前段階……やはり正セッターの遥か」
確かに凡ミスは目立っているが、それ以上に遥が選ぶトスが読まれている可能性が高い。
とはいえ、それならば仲間が指摘してもいいものだが――恐らく彼女が信頼に足る主将であるが故に指摘出来ていないと見える。
だがこのままでは間違いなくストレートで負けるだろう。
「仕方ない……気は進まないが――――集合!!」
俺は腹から声を出してそう言うと、そのままコート付近までつかつか歩いていく。
『へ? だ、誰……? どういうこと?』
『えっ? は!? あ、足達……?』
『何であいつが? ――いや、まさかあの噂って』
「ゆ、裕――足達! 何を――」
当然ながら誰一人として予期していなかった展開に大いにざわめき始める。
遥に至ってはプチパニック状態になっていたが、それでも俺は構わずスタメン組の前に立つと、はっきりとこう口した。
「――お前達、手越に恥をかかせるな」
『!! ……』
「無論手越の立場、実績を考えれば言い辛いのは理解出来る。だが主将なら自分達が言わずとも調子がよくなるという話ではないだろう」
「あ、足達」
「チームとは互いに声を掛け合うことが勝利を収める上で何より重要だ。ならここは心を鬼にしてでも指摘し、主将が望む結果へと導くべきだと思うが」
『あ…………は、はい』
「それと手越」
「え? あっ、はい!」
「お前は皆の期待にだけ応えてやれ、以上だ」
「――! はい! 分かりました! よし、皆ここから逆転するぞ!」
『! はい! よっしゃ頑張ろう!』
それはどう見てもそれは異様でしかない光景でしかなく、一瞬不穏な空気が流れかけたが、主将である手越の一声でスタメン組は素直にコートへと戻っていく。
『ナイスキー!』
「ナイッサー!」
『ナイシャッ!』
そこから先は、取立てて言うことは何もない。
恐らくいつもの小林高バレー部へと戻ったのだろう。序盤の流れが嘘であるかのように簡単にセットを取り返すと、あっという間に逆転。
そして休日出勤をしていた顧問が戻ってきた頃には危なげなく勝利を収め、安堵の笑みを見せた遥の周りに様々な生徒が声を掛けていくのだった。
「……流石は俺の彼女だな ……――?」
だが。
そんな幸せそうな姿に、何故妙なざわつきを覚えた俺はさっと体育館を後にする。
ふむ――これは……。
○
「裕貴」
その日の夕方。
俺は指定されていた集合場所でぼんやり夕暮れを眺めていると、体操着姿の遥が小走りで駆け寄ってくる。
それに気づいた俺は手を差し出すと、手越はその手を握り返す。
手越が握る力は、いつもより僅かに強かった。
「……すまないな、素人が差し出がましい真似をして」
「全くだ。試合が終わった後滅茶苦茶大変だったんだからな」
「当然でしかない話だな、お叱りなら幾らでもお受けしよう」
「いや――それはねえよ。裕貴の言ったことは完全に正論だったからな、実際誰も反発なんてしてなかっただろ、皆何となく分かってたんだよ」
手越はそう言うとすっと一つ深呼吸をする。
夜になると気温は大分下がってきており、鼻を通る空気は涼しく心地よさを覚える。
「正直さ、3年生が引退する前から主将ではあったけど、先輩がいるといないとではやっぱり安心感が全然違うんだ。でもそれがこれからは全て自分が引っ張っていかないといけない――そう思うと空回りしちまったというか」
「加えて俺との関係性を考えれば、余計に言い訳は出来ないと思っただろう」
「――その通りだ。やっぱり足達に隠し事は出来ねーな」
「いや、実はそれに準じた言葉を言われたものでな。事実俺が原因でお前の好きなバレーに支障が出るのはあってはならないことだとは思っている」
「そんなことは絶対ないんだけどな。とはいえ自分はそうじゃないと思っていても、周りがそう見て食くれるとは限らないし、けど――」
と、遥は一呼吸置くと、照れくさそうな表情でこう言うのだった。
「か、彼氏が応援に来てくれてるんだから、自慢の彼女である所を見せたっていうのはある」
「成る程――それはから回る訳だ」
「お陰で自慢の彼氏を見せる羽目になっちまったけどな」
「どうだろうな」
「ん?」
「俺からすれば遥の方がよっぽど自慢ではあるぞ」
やはり、遥の人気というのは想像以上に大きいものがある。
実際遥は他校の生徒からも男女問わずひっきりなしに声を掛けられていた。
それは実力だけの話ではない――それだけ彼女の人間性は人を惹き付けるのだ。
無論そんなことは最初から理解している話ではあるのだが――
「…………難儀なものだな」
人間というのは不思議な生き物であり、関係性が変わるとそれまで当たり前に見ていた景色に違和感を覚えるようになる。
だからこそそんな己に不愉快に感じた俺は、早々に体育館を後にしたのだ。
だがそんなことは決して口にせずにると、急に遥が俺の腕にしがみついてきた。
「む?」
「――ヤキモチ焼いてんのは裕貴だけじゃねえからな」
思いがけない発言に俺は思わず目を丸くしてしまう。
俺だけではない、だと?
「知らねーと思うけど、お前が格好良く指揮をしたせいで試合が終わった後に裕貴を『いい男』って言う女子が結構いたんだからな、思わず『私の彼氏だ』って言いそうになったよ」
「――……それは、思ってもみなかったな」
「裕貴は意外とそういう所は疎いからな、だからおあいこってこと」
「うむ、それは申し訳なかった、しかしそうなると――」
「?」
「どうやら俺達は相当なバカップルということになるな」
「……つまりヤキモチを焼く心配もないってことか」
「そういうことになるな」
「ぷっ……ははは」
「ふっ――」
ああ、全くなんて話だ。
どうやら互いが互いを想うのは、チームでやるようにはうまくいかないらしい。




