因果応報
今回のみ3人称視点です。
「あ、あり得ない……こ、こんな、こんなことが……」
猪頭萌香は目の前で起きている現実を直視出来ずにいた。
何故なら今までどんな相手でも自分がタクトを振れば、必ず誰かが首を持ってきてくれていたからである。
それだというのに、今は取るに足らないと思っていた筈の足達裕貴に自分の首を刈り取られかけている。
経験したことのない事態に、猪頭はただ困惑するしかなかった。
「しかもこの私が……村人M……? どういうこと……? 何でそんな村人がいるのよ……そんな端役に価値なんてある訳――」
猪頭は譫言のようにそう呟きながら、覚束ない足取りで校舎から外へ出る。
「溝口は……山口は何をしてるの……あの使えないゴミ共……アンタ達なんて私の弾除け以外に使い道なんてないでしょうが……」
そんな言葉を口にしても、今までなら下校するだけであらゆる生徒が付き従っていた姿が今は見る影もない。
寧ろあるのは、遠巻きに憐れみの視線を送る生徒ばかり。
心なしか猪頭のメイクは落ちてすらいた。
「鼻山……アンタみたいな無価値なクズが私に色目使うなら、刺し違えてでも足達を倒しなさいよ……何でそんなことも出来ない訳……」
だがそれでも尚、絶望と憤怒の狭間にいる彼女は独り言をこぼし続ける。
自分は何も間違っていない。何故なら私は小林高の頂点なのだから。
だから私に楯突くのなら然るべき措置が下されるのは当然のこと、王に逆らう愚民がどうなるのか、それと同じ話でしかない。
第一、自分は一度として手を下したことなどないというのに。あくまでしたのは付き従う無能によるものでしかなく、本来自分に責任などある筈がない。
今までも、これからも同じ話である。
だのに、どうして自分はこんなことになっているのか、何故誰も彼もが私を欺き、遠くから嘲笑しているのか。
何がどうなれば、自分は惨めな小林高生と同じ立ち位置になるのか。
考えれば考えるほど、猪頭は答えのない迷路へと入り込んでいく。
「そういえば……指宿は……? あの男は一体何をしていたの……あいつが足達よりも強いって聞いたからわざわざリスクを負ったのに……何でずっと連絡がつかな――――!?」
最早壁を伝わなければまともに歩くことも出来ない猪頭は、それでも何とか校門前まで辿り着く。
のだが、目の前には驚愕の光景が広がっていた。
「いやーホントやってくれたよ足達くんは」
「本当に申し訳ないです、まさか折れていたなんて」
「いやヒビだけどね、腫れが凄いから病院に行ったらこのザマさ」
「まあ振り抜いていたら粉砕していたと思うので、寸止めで良かったです」
「よくいうよ全く」
『あれ――? あの人もしかして指宿さんじゃない?』
『キャー! 格好いい……! でも松葉杖ついてるけど?』
『というか話してる相手って足達か……?』
『指宿さんと知り合いだったのかよ……マジで足達って何者なんだ……』
自分が差し金として送った筈の指宿が、あろうことか足達と談笑しているのである。
実は、指宿という男は小林高ではかなりの有名人であった。
かつてキックボクシングでプロ入りが期待されていた程の才能の持ち主であり、それだけ有名たる要素は持ち合わせているのだが、それ以上に彼は美形なのである。
言ってしまえば猪頭の男版とでも言うべきか。
強く格好いい男はいつの時代も女性の心を打ち影響力を得る。猪頭ですら彼が足達を始末さえしてくれれば付き合っていいとすら思っていたが――
「い、指宿……さ……何――」
「いやそれにしても、怪我をさせてしまったにも関わらず、この度は色々とお助け頂きありがとうございました」
「なに、敗者に断る理由なんてないからね。それに僕は何も大層なことはしちゃいない、少し釘を刺すくらいならお安い御用さ」
「く、釘……? ――――!!」
その一言に、猪頭の中で点と点が繋がったような感覚が走る。
「ま、ま、まさか……」
そう。本来であれば猪頭の言う通り、決選投票の結果勝っても負けても接戦になっていた可能性が十分にあったのだ。
屈辱であることに違いはないが、それならまだ総力戦に持ち込めば勝機はある。つまり足達や手越を潰せる余地はあった筈なのである。
だが、その芽を完全に潰したのは、彼女と同等以上の影響力を持つ指宿以外にほかならない。
彼が鼻山らを通じて猪頭ではなく手越に投票するように圧力をかけた結果、全てを天秤にかけた猪頭は須らく造反したのだった。
人は大衆に迎合するが、長い物にも巻かれる生き物なのである。
足達はそのことを理解した上で、指宿にお願いしていたのだ。
つまり、彼女には一縷の望みも残されてなどいない。
「あ、ああ…………」
その事実に猪頭の顔は歪み、意識が遠退き始める。
ああ……きっかけは実に取るに足らないものだった筈なのに。
何故私は今、全てを失おうとしているのか。
こんなことになるなら、ただの噂だと言って唾棄すれば良かった。
無論、そんなことを思った所で彼女は何度繰り返しても足達に怒りを覚えただろうが――ひたすらに過る後悔の中で彼女の視線は徐々に青空へと移動する。
「…………?」
だがそのまま地面に倒れるかと思った身体が、何者かに掴まれたことによって引き止まる。
一体どうしたことかと思っていると、一人の男の声が飛んでくるのだった。
「――自分がしてきたことをされて失神するくらいなら、もう二度とそんな真似はするな」
その声は、自分に散々煮え湯を飲ませてきた男の声。
しかし猪頭には抵抗する気力も、暴言をぶつける気力も最早残ってなどいなかった。
故に彼女は天を見上げながら最後の力で声帯を絞り上げると。
「……はい、すいませ……んでした……」
消え入るような声で降伏し、そのまま意識を失ったのだった。




