茶番
一度生まれた大きなうねりは、たった一日で治まることはまずない。
『どうやら猪頭さんより可愛い女の子がいるらしい』
『こんな時期に東京から転校生でも来たか?』
『いやそれが話によると手越くんらしくてな』
噂が噂を呼び、手越の話題はあっという間にクラスの垣根を超え人を集める。
しかも手越は猪頭と違い傲慢さの欠片もない。故に握手会から帰るファンの如く満足そうな笑みを浮かべ帰っていく生徒の姿に、遠くから猪頭の歯ぎしりが聞こえてきそうだった。
「ちょっと疲れた……皆都合がいいんだもんな、あんなにイケメンだの何だの言ってた癖に」
「悪いな手越、一番大変なことを請け負わせてしまって」
「いや、私は今回の件で何も出来ていなかったから、これくらいは全然」
「そんなことは決してないがな。だがキツいと思ったらいつでも言ってくれ」
「ああ、でもおしみーもフォローしてくれてるから大丈夫だ。それに――」
と手越は時計に目をやる、時刻は15時を回っていた。
「――そうだな。そろそろ猪頭の魔法が解ける頃だ」
○
ショートホームルームという名の配役決めは、滞りなく進んでいった。
まずは学級委員によって我がクラスが行う予定の劇の概要が説明され、進行、照明といった裏方から端役へと役割が振り分けられていく。
とはいえ、普通はまず主役から決めるのではないか思わなくもないが、どうやらこれは押耳が裏で一枚噛んでいるらしい。
『処刑が決まるまでの時間は、長い方が面白いでしょう?』
全く、あの女も相当意地が悪いな。
「――では次にメインヒロイン役を決めます。立候補する方は挙手を――」
そんなことをボンヤリと考えながら俺は後方の席から様子を見守っていると。
いよいよその時がやってくる。
さて猪頭はどう出てくるか――と思っていたが、意外にも手越が挙手したのとほぼ同じタイミングで、猪頭も手を挙げたのだった。
「……ほう」
もしや敵前逃亡でもと思っていたが、腐っても矜持はあるらしい。
まあ見たこともない機敏な動きでロビー活動をしていた姿は知っているからな、藁にもすがる思いで臨んではいるのだろう。
僅差でも勝利すれば面子は保てる。実際その可能性はゼロではないしな。
「――他に候補者はいないようなので、二名で決選投票をします。猪頭さんは1、手越さんは2として、用紙に数字を記入した人はこの投票箱に入れて下さい」
学級委員の原口はそう説明すると、手越と猪頭を除いた生徒に投票用紙を配る。
それに対し生徒は記入を終えると続々と教壇に置かれた投票箱へと入れていった。
「――37、38……全員分ありますね、では集計を始めます」
そして学級委員による票数の確認が終わると、ついに開票が始まる。
一人が票に書かれた数字を口頭で伝え、もう一人が黒板に正の字を書いていく形式。
だがそれは少々酷過ぎたかもしれないと、今更ながら思うのだった。
「2、2、2,2,2,2,2,2,2,2,2,2,2,2,2,2、2,2――」
あまりにも無常過ぎる、2という言葉の羅列。
最初こそ平静を装っていた猪頭だったが、終わることのない2の無限回廊に徐々に肩を震わせ始める。
まあ無理もない。これだけ2という数字が出てくるということは、即ちかなりの猪頭派に造反されているという意味になるのだから。
「これで全部? ――了解。では集計の結果猪頭さん3票、手越さん35票となったので、メインヒロイン役は手越さんで決定となります」
その光景は、かつて栄華を極めた者にしては大敗過ぎる大敗。
与党が野党に負ける時でもこんな酷い有様にはならないだろう。
つまりそれだけのことをしたという話なのだが。
「――――…………こ」
「では次の役は――」
「~~~~~~!!!! こ……こんなもん茶番だろうがよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!」
特に異論もない為、そのまま進行を再開しようとする原口。
だが唯一人納得をしていない者が突如前方から強烈な叫び声をあげるのだった。
いやシンプルに発狂したと言うべきか。
「私が3票であいつが35票!? そんなのあり得る訳がないでしょ!! 仮の仮の仮にあいつが勝ったとしても絶対に拮抗してないとおかしいんだよ!!!!」
「お、おい急にどうした猪頭、少し落ち着け」
「うっさい!! 少し黙ってろハゲ野郎!!!!」
唐突過ぎる事態に担任教師である市毛は慌てて宥めようとするが、怒りが治まらない猪頭は教師にまで暴言を吐き散らし始める。
そこにあのお高く留まった姿はどこにもない。
「どう考えてもやってるだろこんなもん……! ふざけんなよマジで……! 私に入れてない奴は誰!? 溝口!? 山口か!?」
「い、いや私は……」
「それとも樋口!? ということは矢口と谷口も……? おい! まさか田口! お前如きがこの私に入れてないとか無いだろうな!!!!」
「ひっ! ち、違う……お、俺は入れたよ……」
おお……何と無様な光景か、仲間から裏切られ、孤立無援となった彼女は自分を裏切った犯人探しを始めたではないか。
最早そんな段階などとうの昔に終わっているというのに。
何なら、誰一人として猪頭に投票などしていないというのに。
何せ猪頭の3票は俺と押耳と首藤が造反した者達の隠れ蓑として入れた票なのだから。
つまり猪頭は誰からの信任も得ていないのだ。
「こ、こんな茶番……み、認めていい訳が――――――――! 足達いいぃ!!!!」
すると周囲に手当たり次第疑念をぶつけまくっていた猪頭は、今度は思い出したかのよう振り向き俺の名前を咆哮する。
「お前だろ……! お前がこの状況を仕組んだんだろ!!!!」
「? 何を言っているんだ急に、大丈夫か?」
「しらばっくれんじゃねえ!」
猪頭は自分の机を強く拳で叩くとギロリと俺を睨みつける。
だが俺は冷静な姿勢を一切崩さない。いや崩す価値もない。
「全部お前以外に考えられねえんだよ!! この大茶番の犯人はよ!!!!」
「何だかよく分からないが――先生、どうも猪頭さんは自分が思う結果にならずに癇癪を起こしているようです。ここは注意をして頂ければと」
「――え? あ、ああ……おい! 猪頭! いい加減にしろ!!」
市毛教諭も生徒に直接ハゲと言われた経験が無かったのか、暫し呆然としていたが俺の促しにハッと我に返ると声色を強めて猪頭を叱咤する。
「!! ぐ、ぐぐぐ……!」
流石にそれで猪頭も自分が置かれている立場を理解したのか、若干狼狽えた表情に変わったが、それでも尚俺を睨みつけることだけは止めようとしない。
全く、この現実を前に折れるならそれで良かったのだが……仕方あるまい。
故に俺は席から立ち上がると猪頭にこう言った。
「猪頭。俺はお前が何を言っているのか皆目検討もつかないし、別にどう思おうと自由だとも思っているが――一つだけはっきりしていることはある」
「な、何が……」
「お前が落選したという事実だけは不可逆的なものだ」
「!」
「それでも不服があるというなら再投票を要求しても俺は一向に構わないが――また同じ恥をかくくらいならやらない方がいいと思うがな」
「そ、そんなことがある訳な……――! う……!」
猪頭は慌てて仲間の同意を得ようと周囲を何度も見渡す。
しかし。
『どう考えても手越の方が可愛いに決まってるだろ』
『大体手越の方が猪頭と違って優しいからな、人徳の差だ』
『はっきり言って何回やっても猪頭さんの負けだと思うけど』
『みっともないから早く諦めてくれない?』
そんな声が聞こえて来そうな程に、クラスメイト全員から注がれた冷やかな視線に彼女は思わず息を呑む。
それはかつて、自分が気に食わない相手にしてきた数の暴力そのものであっただろう。
無論こちらの場合はある程度の正当性はあるのだが。
「あ……ああ……!! ぐぎ……!」
当然ながら、そんな状況に猪頭がいつまでも耐えられる筈もなく。
「――――……」
やがて彼女はガックリと項垂れると徐々に足元が覚束なくなり始め。
そのままガタンと、椅子に座り込んだのだった。




