敵の敵は味方
非常に今更な話ではあるが、我が県立小林高等学校は県内ではそれなりに名の知れた進学校である。
ただそれはここ4,5年の話であり、何故そうなのかと言えば受験方式が変更されたことに関係している。
つまり変更以前は小林高近辺に住む中学生なら大体8割程度は進学することが出来たのだが、今はそうではなくなったということ。
ではそれが何を意味するのか。
OBが出しゃばっても、現場は誰も得しないという話である。
『名前は指宿、小林高のOBよ』
「全く存じ上げない名前だな」
『別に有名人という訳じゃないから。ただ当時は鼻山如きよりずっとヤンチャな性格だったという話はあるようね』
「で。その指宿という男が猪頭と繋がっていたと」
『正確に言えば鼻山と面識があったみたい、兼ねてから猪頭を紹介しろという話を鼻山にしていたとか』
「自分が狙っている女を差し出す真似は死んでもせんだろうな」
『でも事情が大きく変わってしまった』
押耳は淡々とした口調を崩さぬまま解説を続けていく。
『実は指宿の存在を知っていた猪頭は鼻山に彼を紹介してくれと言ったみたい、当然彼は渋ったけれど、敗者に拒否権などない』
「指宿はさぞ喜んだことだろう、下劣な妄想を掻き立てたに違いない」
『当然彼女にその気はないけどね、ただ問題となるのは猪頭がその指宿って男に伝えた内容よね』
流れから察するに大凡の想像はつく。
『私……同じクラスの足達くんって子に虐められてるの! 助けて指宿先輩! ――なんてことは言っていないわね』
「なんだ言っていないのか」
やけに芝居がかった声でふざける押耳に苦笑しかけながら返答する。
『それに準じた台詞を言ったって感じかしら、ご存知の通り彼女は責任を取らなければならない状況に陥るのを極端に嫌うから』
「そうだったな。しかしそれだけで指宿という男が動く保証もない、恐らく目的を果たせば付き合ってもいいぐらいは匂わせただろう」
『ご明察。だから今頃鼻息を荒くして貴方を探しているでしょうね』
そう。
だからこそ俺は今とある廃墟と化したマンションの中庭にいた。
小林高から歩いて10分程度の距離にある場所であり、この近辺に住む学生なら知らない者はいない程、肝試しによく使われる場所である。
そしてこのマンションは北側は雑木林で、南側も民家は殆ど存在しない立地と来ている。
つまり拳を交えるのであれば絶好の場所という訳だ。
「流石に鼻山の時とは訳が違うからな、これなら面倒事にならず済むだろう。いい場所を選んでくれて感謝する押耳」
『既に情報は猪頭サイドに流してあるから、じきに彼は来る筈よ』
「? それだと野次馬が来たりしないか」
『猪頭に気に入られたい奴に極秘で流してるから、そう簡単に漏れることはないわ』
「そうか、なら後は手越だが」
『私が見張ってるから心配ない、首藤には鼻山と猪頭を見させてるから』
「了解した――――おっと、どうやらご到着したようだ」
『ではご武運を』
「心配するな、市内で俺が勝てないのは先生だけだ」
そう伝えた所で通話は途切れる。
さて――後は俺の役目だ。
「――ふうん、君が噂に聞く足達か」
「貴方のことも噂に聞いていますよ、指宿さん」
「いや、僕は君みたいに有名ではないよ。何せ有名になる程の相手がいなかったからね」
「…………」
てっきりあの鼻山が付き従う男ならば、筋肉自慢の半グレでも出てくるのかと思っていたが、意外にもその想像は裏切られる形となる。
例えるならそうだな……ヤンキー漫画に出てくる弱そうに見えて実は無茶苦茶強い不良学校のトップのような見た目とでも言うべきか。
今時な爽やかな風貌に落ち着いた立ち振る舞い、そして無駄のない筋肉。
これは……少し本気を出す必要があるな。
そんなことを考えている内に、気づけば俺と指宿の距離はかなり縮まる。
それは想定する限り、確実に射程圏内であった。
「成程、君も見掛け倒しいうことではなさそうだね、これは楽しみだ――」
「楽しみ――……? !?」
指宿はそう口にした瞬間、一瞬だけ視線が俺の足元へと動く。
俺はそれが攻撃の合図なのだと瞬時に判断すると、指宿が繰り出してきたカーフキックを踵で受け止めたのだった。
「なっ!?」
その結果、平静な顔をしていた指宿の顔が一瞬にして歪む。明らかに足を痛めた彼は咄嗟に数歩程度距離を取った。
「俺を試そうとしたのでしょうけど、不意打ちは感心しませんね」
「マジか……お前もしかしてそれ、ジークンドーか」
「流石にキックボクシングを嗜んでいる指宿さんならご存知ですか。まあ小学生の頃から趣味程度ですがやっていまして」
「それは趣味ってレベルとは言わないんだけどね……」
結果的に始まる前から決着のつきかている展開となってしまい、俺は少し申し訳ない気持ちになるが、指宿の目はまだ死んでいるようには思えない。
それを見て、俺は『やはり』と思ってしまっていた。
「……どうしますか指宿さん、とことんまでやるつもりでしたら俺も最後まで手を抜かずにお相手させて頂きますが」
「当たり前に決まってるだろ!!」
すると指宿は後ろに重心を置いた構えのポーズを取りながら俺へと向かってくる。
キックが駄目ならパンチで。動きを見る限り間違いなく実力があるのは分かるが、如何せん先の負傷で踏ん張りが効いていない。
だが真正面から打ち合うとなった途端、思いの外攻撃を躱されてしまう。
(やはりそこまで甘くはないか)
指宿からはそう簡単に負けてなるものかというプライドが全面に押し出されており、お互いに攻撃が当たらない展開が続いていく。
「成程……猪頭が最終兵器として用意しただけはある」
「ああ!? まだ決着はついていないぞ! 足達!!」
思わず口に出てしまったのは事実だが、当然気を抜いたつもりはない。
だが勝負は殆ど決し始めているのも事実だった。
「はぁ……はぁ……!」
苦痛に顔が歪み、冷や汗が垂れている。負傷した足が限界に来ているのだ。
これ以上無理をすれば指宿にとって得がない――しかし、決して降参するつもりのない彼を尊重する意味でも、俺は甘く入って来たストレートを受け流すと。
「がっ!!!!」
全身の力を抜き、蹴り上げた足の力を指先に流し込むイメージで指宿の胸を突くと、そのまま後方へと吹っ飛ばし、地面に倒したのであった。
「ぐっあ……!」
抉られるかのように入ったダメージに、指宿はその場でのたうち回る。
まさに一瞬の出来事。だが俺は彼に対して敵意どころか、複雑な気持ちが湧くのだった。
「……申し訳ありません指宿さん、フェアではないのにここまでしてまって」
故に俺は頭を下げ、素直に彼に謝罪したのだったが、徐々に痛みが落ち着いてきたのか指宿はゆっくりと身体を起こすと、こう言うのだった。
「……いいや、先に君を試そうとした僕が悪いさ」
「ですが、カーフは寸前で止めるつもりだったのでしょう」
「……! 何故そう思ったんだい」
指宿は少し驚いたような顔を見せたが、ある種納得したかのような表情へと変わる。
「貴方の態度も行動も、最初から怒りに身を任せたものではありませんでしたから。例えるならそう、試合をしているような感覚ですか」
「ああ全くその通りだよ。僕は別に君に対して怒りなど微塵もない」
「では」
「仮にあるとすれば、それは猪頭に対してだろうね」
「やはり――あの女は貴方から見ても不愉快な存在でしたか」
「会う前までは気に入っていたけどね。でも実際会って話を聞いて何となく察しはつく、この女は僕を出汁に使おうとしているだけだと」
「凄い洞察力ですね」
「顔を見れば大体分かるさ、薄汚い奴は顔に出るもんだからね」
そういう感覚は大事にしていているんだよと指宿は言う。
「ただ君に対してはそれを感じなかった。だから彼女の言う事は嘘だろうなと思った」
「……噂と違い冷静に物事を判断出来る人だ」
「ん? ああ、昔はヤンチャな側面もあったのは事実だけどね。ただヤンチャであることと理不尽であることは話が違うだろう?」
「確かに」
「そもそも本当に君に怒りを感じていたら単騎でノコノコこんな怪しい所に来たりはしないよ、それでも来たのは確信を得たいと思ったからに過ぎない」
「それは――ぐうの音も出ませんね」
「いずれにせよ、20を超えれば人はある程度落ち着くもんだよ、まあ男である以上女の子が好きな所だけは変わらないけどね」
「その割には、随分と本気で殴られかけましたが」
「不愉快ではあるけど、極端な話猪頭と付き合えるならそれはそれでいいから。まあ勿論上手く使われるような気は毛頭ないけど」
「……成る程」
「ただ君の実力を見て火がついてしまったというのはあるよ。見事に返り討ちに遭ったけどさ」
「いや、最初の負傷が無ければ五分だったと思いますがね。それより――」
と、俺はふと思いついたことを伝える為に指宿に手を差し出す。
「――? ああすまないね、手を貸してくれて」
「指宿さん、こんな後に言うのもなんですが、実は折り入ってご相談がありまして」
「ん、なんだい」
「実はですね――俺は今猪頭にイジメられているんですよ」




