メイクの理由
「メイクに自信がない?」
その日の夜、俺は手越の自室に来ていた。
あれだけイケメンと呼ばれるせいで、もしかしたら部屋も男っぽいのかと若干危惧していたが、特に姉と変わりのない普通の女子の部屋であった。
まあそんなことは大した問題ではないのだが。
「その……ayumiさんから教わってずっとメイクの練習をしているんだが、どうにも上手く出来るている気がしなくて」
「確か姉と連絡先は交換していた筈だが、ちゃんと教えて貰ってないのか」
「いやいやそんなことは全く! あんな人にアドバイスして貰えるなんて正直光栄でしかないし……ただ――」
そう言うと手越は何やらモジモジとしながらポケットからスマートフォンを取り出すと俺に幾つかの画像を見せてくる。
それは手越の自撮り動画だった。
「メイクの経過を収めているのか。ふむ……何が悪いのか見当もつかんが」
どころか只でさえ可愛い手越が無双状態へと移行する過程がありありと見て取れ、十分ではないかという感想しか湧き上がってこなかった。
だが当の手越はそれで納得するような雰囲気ではない。
「正直メイクなんて今までちゃんとしたことがなかったからさ、これで可愛くならなかったらどうしようって不安の方が大きかったんだけど……」
「少なくともその心配は皆無だがな」
「でも少し自信がついてくると、急に納得が出来なくなっちまったんだ。ayumiさんが幾ら大丈夫と言ってくれても、腑に落ちなくて……」
「それに対して姉はなんと?」
「『その気持は分かるから存分に悩みなさい』って」
おいおい、我が姉は一体何を言っているんだと思ったが、流石にあの姉が適当なことを言っているとは思えない。
つまり裏を返せば、ここで手を抜くことは最善ではないと姉は言っているということになる。
確かに、こういう抽象的なことは俺の得意分野ではあるが――
「少し、動画を見せて貰ってもいいか」
「え、あ、ああ、うん……」
俺は手越からスマートフォンを拝借すると、撮影しながらメイクを進める彼女の動画をじっくり観察する。
「なんか……ちょっと恥ずかしいな……」
「心配するな、可愛いことに変わりはない」
「いやそういうことじゃなくて……」
ふむ……どうやら初心者特有のこなれてなさはあるようだ。チークにも色ムラがあるし、眉もお世辞にも綺麗に書けているとは言い難い。
だが許容範囲ではないのかと言われればそんなこともない。何なら姉の指導力を考えればすぐに修正できるラインだろう。
(間違いなく役を決める日までには間に合う、が――)
妙にメイクが濃い気がするのである。
それはまだ慣れていないからというよりも、そうしなければいけないからそうしているようにも見えた。
言ってしまえば、彼女はお洒落をしていない。
故に俺はメイクが完成した所で動画を止めると、こう口を開いた。
「手越、お前はお洒落を楽しんでいるか?」
「え?」
「もしかしてだが、お前は使命感に駆られてメイクをしていないだろうか。俺はこの動画を見てそのような意思を感じ取ったのだが」
「それは……もしかしたら、そうかもしれない」
手越何か思う節があったのか、深く頷くとこんなことを言い始めた。
「その、正直に言うと、この作戦は絶対失敗しちゃいけないって気持ちはある――だってもし猪頭さんがヒロイン役になってしまったら、足達はあの時よりもっと酷い目に遭わされるかもしれないだろ」
「ふむ……まあ、可能性としては大いにあるだろうな」
だがいつも言っているように限度を超えるようなら容赦はしない、だがそれは酷く面倒で誰も得しない展開なのだ。
だからこそ逃れようのない事実を突きつける。自分は責任から逃れながらも攻撃の手を緩めないのであればそうする外にない。
「そう思うとやっぱり……さ、無意識に力が入ってるんだ。別に猪頭さんを心底憎んでいる訳じゃないけど、ああいうのはもう見たくないし……」
「……そうか」
やはり彼女のメイクは使命感によるものになっていたのか。
手越は真面目で正義感が強く、そして何より優しい、バレー部の主将であることからもそれは明白ではあったが――
そう思わせ、メイクを楽しめなくさせたのは完全に俺の責任である。
ならば。
「手越」
「な、なんだ?」
「お洒落は、可愛くなりたいからするものだ。恐らくその点においては猪頭だって同じ思考でいると思う」
まあ彼女の場合、皮肉にもそれが歪んで誰かを蹴落としてでも可愛くいたいという思考に変貌してしまっているのだが。
「だから俺達が勝たなければいけないとか、そんなものは二の次でいい。あくまで手越は可愛くなりたいという気持ちを大事にしてくれないだろうか」
「あ――……」
実際手越には可愛くなりたいと思う意思は随所にあった。
だからこそ俺は手越に声を掛けた訳なのだが――いつの間にかそれがすり替わっているのは非常に良くない話である。
あくまで利害関係はそれを尊重した上で一致させなければならない。故に俺はそのこと改めてはっきりと彼女に伝えたのだった。
「で、でもな……そう言われると、今度は何処を目指して頑張るのかっていうのが見えなくなるような気もするんだよな……」
「可愛くなりたいから、では駄目なのか?」
「それだとやっぱり、猪頭さんと直結するから……」
「そういうことか」
となれば、それとは別の理由を作る必要があるな。
ふむ……俺は女の子ではないが、もし可愛くなりたいと思うことに理由があるとすれば――
「誰かを想ってメイクをするというのはどうだろう」
「というと?」
「可愛くなりたい理由は様々だが、一番多いのは誰かを好きになった時の筈だ。つまりその人を想いながらメイクをすれば――」
そこまで言って、俺は無遠慮な台詞だったと気づく。
何故ならそれが成立するということは、手越に好きな相手がいることが前提になってしまうのだから。
無論いち高校生であれば好意を寄せる相手ぐらい一人や二人いるかもしれないが、これは男同士の会話ではないのである。
「すまん手越、今のは忘れて――」
故に俺は慌てて訂正しようとしたのだが、妙に手越の様子がおかしい。
「なんだ、どうした、具合でも悪くなったか」
「べ、べ、べ、別に何でもねーよ!! ああくそっ! でもその方法が確かに一番間違ってないかもな! ばーか! ばーか!」
おかしい、間違っていないと言われているのに何故俺はキレられているのか。
まさか想い人の顔が浮かんで思わず恥ずかしくなってしまったのだろうか。まあしかし、手越がそれでいいというのであれば問題は解決して――
「――――ん」
「わっ」
そんな考えていると。
突如俺と手越のスマートフォンが同時に通知音を鳴らした。
「悪いちょっと待――あ、これって……」
「ああ、そのようだな」
手越の反応から察するに、最早差出人など確認する必要もない。
全く――どうやらウチの諜報部員は優秀でしかないようだな。




