手越遥の決意
「「「…………」」」
店内には異様な空気感が流れていた。
まさかはっきりとそう言うとは思ってもいなかったのだろう、3人は想像とはまるで違う反応をされたと言わんばかりの顔をしていた。
だが俺は逃げも隠れる気もない、さあ正々堂々話をしようじゃな――
「ふうん、まあ人には色んな感性があるからいいんじゃない?」
「……む?」
しかし猪頭の見せた反応は更にその上を行っていた。
てっきり今にも食って掛かって来そうな愉快な仲間たち宜しく、怒りに身を任せた態度を取るのではと思っていたのだが――
まさか本当は周囲が勝手に怒っているだけであり、当人は多角的に物事を見れる人間なのかと一瞬考えを改めそうになった。
のだが。
「…………」
「……そうか、猪頭は大人だな」
長年ジークンドーをしてきたお陰とも言うべきだろうか。
実に冷え切った瞳の奥に見えた強烈な殺意に、その発言は嘘以外の何物でもないということをはっきりと感じ取っていた。
いやはや全く、女王様は伊達じゃないな。
「てめーが言えた台詞か!!」
「調子に乗るのも大概にしとけよ!」
だが当然お仲間たちが愚民の不敬を許す筈もなく、俺は山口と溝口に両肩を掴まれると強く揺さぶられてしまう。
「おいおい、ついに俺にもモテ期が来たのか」
「キモ過ぎんだよテメェ!」
「お前如きが舐めた口効くな! さっさと謝れボケ!」
『お、お客様ちょっと!』
いや、そこは流石に冗談という奴なのであるが、店員が止めに入ってきても俺を強制土下座させようとする彼女達にそんなものが通用などする筈もない。
「モエを可愛くないと言ってる時点で悪口以外の何物でもねーだろ!」
「どんなキワモノでもそんな考えには普通なんねーんだよ!」
それにしても友人にここまでさせる猪頭萌香の求心力というのは尋常ではない。
しかし、ここまでくるとこの騒乱に紛れて手越を逃がせる可能性が出てきた。
後はその事に手越が気づくかどうかだが――
そう思いながら俺は無駄な抵抗せずにいると、突如ピシャンという音が鳴り響く。
それは猪頭が手を叩いた音だった。
「流石にウザいから止めてくんない、迷惑なんだけど」
「あ、ご、ごめん萌香……」
「そのこいつがふざけ過ぎだからつい――」
その言葉によって二人の横暴は一瞬にして鳴りを潜める。その姿は最早女王様というよりは極道の妻的な雰囲気さえ感じられた。
悪いが文化祭はヒロイン役より悪役令嬢的な奴の方が向いてるのではなかろうか。そんなものがあるのかは知らんが。
とはいえ、そんなことは口が裂けても言わずにいると、視線を俺に戻した猪頭がこう口を開いた。
「いやなんかごめんね、皆血の気が多くて」
「……まあ、慕われているのは結構なことじゃないか、俺にはそんな仲間は一人もいないからな、実に羨ましい限りだ」
「――まあ何にせよ、お互いこんなことは得しないからさ。悪意は無くてもあんまり批評家気取りな真似はしない方がいいんじゃない、別に無理強いをする気はないけどさ」
「それはどうも。ただ俺もまさかたった一回の発言でこんな騒ぎになるとは思っていなくてな」
「でもネットなんて一回の発言が致命傷みたいなもんじゃん、別に珍しいことでもなくない?」
「確かに、口は災いの元とはよく言ったものだ」
「そうそう。それで他人に迷惑がかかったら笑えないし」
「! それは――……」
成る程、そういうことか……。
何故猪頭が俺を目の前にして、怒りを抑えつつ対応が出来ているのかと思っていたが――
降伏する気がないなら手越は知らないぞと、そう言いたいのか。
つまり最初から猪頭の耳には俺の手越評も入っていということ、だが彼女は敢えてそれを知らないフリをしていた。
切り札として取っておく為に。
「あれ? 足達どうしたの、何か私変なこと言った?」
「……いや」
……まずいな、決してこいつは脅しで言っているつもりはないだろう。
何なら即日執行する程の腹積もりでいてもおかしくはない……そうなれば手越の可愛さを証明するなどと言っている場合ではなくなってしまう。
これが首藤なら『どうぞご自由に、ただし分かってはいるだろうな?』ぐらいは容易に言えたのだが……。
「――ま、何かよく分かんないけど。アレだったらさ、ここは一つ形式的にでも謝っとく? そしたらさ、何か全部が丸く収まりそうじゃん」
「…………」
猪頭は取り敢えず謝っとけばいいじゃん的なノリ言っているが、どんな形も言質を取った時点で俺が極悪人となるのは決定的となるだろう。
要するに、俺は矜持を捨て、本当にただのキワモノとして終わるということ。
――だが、それで手越が平穏無事となるなら。
「――――わ」
「ん? なんて? よく聞こえないけど」
「……………………俺が、悪――」
そうやって。
俺はついに土下座をし、頭を踏まれることを覚悟したのだったが。
「わっ!」
突如、愉快な仲間たちの驚きの声と共に背後のカーテンが開いたかと思うと、中から1000年に1度の逸材というべき美少女が姿を現したのだった。
「お、お前――――むっ?」
それは無論変装した手越なのだが、彼女はつかつかと俺の横まで歩いてきたかと思うと、そのままぐっと俺の右腕に自分の腕を絡める。
「あの、私の彼に何か用ですか」
そして本来よりやや低めの声でそう口にすると、ジロリと猪頭達を睨みつけたのであった。
「え……?」
「あ、い、いや、その……」
考えうる中で一番あり得ないと思っていた事態にあわあわし始める愉快な仲間たち。
だがそれは俺にとっても言える話であり、俺も暫く言葉が出てこなかった。
「――――……」
ただ手越の機転によって生まれた『手越ではない彼女のフリ』は効果覿面であったことは間違いない、実際瞳孔が開いた猪頭が口を噤んでいることからもそれは明らか。
その態度が一体何を意味するのか。
無論猪頭は、実は彼女がいた如きでそんな態度にはならないだろう。
だからこそ、俺は手越に演技に合わせることにした。
「ああ悪いな、もしかして待たせてしまったか?」
「いや――それよりこの人達は誰?」
「彼女達は俺と同じ学校のクラスメイトだ、偶然居合わせたものでな」
「ふうん……その割には、全然穏やかには見えなかったけど」
「え、えっと……こ、これはその……」
「……マジでウザ過ぎ」
「え? 萌香?」
「あー皆もう行こっか、彼女さんに迷惑かけたら悪いでしょ」
「え? あ、ちょ、ちょっとモエ待ってよ!」
すると猪頭は俺達の会話に対し一瞬苦虫を噛み潰したような表情を見せたが、即座に平静な表情に戻ると、さっと背を向けあっという間に店内から去っていくのだった。
『……ふう』
そして訪れる束の間の静寂。
店員がホッと胸を撫で下ろす姿を見て、ようやく脅威が去ったのだと理解した俺はそこで手越に対し口を開いた。
「……すまない手越、猪頭にお前を人質にされたのは俺の責任だ。だがお陰で助か――」
「足達」
自分が冒した失態に対し、まずは謝罪しなければと思い俺はそう言ったのだったが、手越はそれを遮るようにして俺の名を呼ぶと真っ直ぐに視線を合わせてくる。
その美しい瞳の奥には、決意の炎のようなものが見えた気がした。
「私のことは、何も気にしなくていい」
「しかし」
「勿論気持ちは有り難いけどさ――でもお陰で私も決心がついたから」
「決心?」
その決心が一体どういうものなのかは大凡察しがついていたが、彼女の決意を前に俺は何も言わずにいると、彼女はこう続ける。
「ああ。足達、私を学校一可愛い美少女にしてくれ」
「それは、お前が望むのなら愚問だが」
「その上で」
と、手越は一つ間を置くと、サングラスとカツラを取り外す。
そして、俺が本来言うつもりだった台詞を彼女が言ったのだった。
「文化祭の演劇には私が主人公役じゃなく――ヒロイン役に立候補するよ」




