プロローグ
「おい、お前が足達か」
きっかけは、実に取るに足らないものだった筈。
我が県立小林高等学校においてNo.1に可愛いとされる女、猪頭萌香の話題は常にトップニュースで扱われる。
最近では彼女が夏休みにプールに行ったらしいのだが、彼女のプロポーションに現場にいた男子生徒諸君はやや前傾姿勢になったとか。
そんな彼女の水着写真をどうにかお目にかかろうと奔走するクラスメイトの姿は記憶に新しい程であり、それが彼女の知名度の裏返しでもあった。
「……? どなたですか」
「は? お前俺のことを知らないとか終わってんな」
「はぁ。ですが知らないものは知らないですからね。申し訳ないですが名前ぐらいは名乗って貰えませんか」
「コイツ……無名の癖に生意気なんだよ」
その男子生徒は明らかに苛立った様子を見せると一歩にじり寄ってくる。
だが知らないものは知らない。だというのに名乗らないどころか無名呼ばわりとは随分な物言いである、もしや彼は校長並の役職なのだろうか。
そんな冗談はさておき、校章の色を見る限り3年であることには違いない。
スラっとした体格に女にモテそうな塩顔、日に焼けた肌を見る限り体育会系の部活動で汗を流していそうではあるが。
『あ、鼻山先輩、なんで2年生のフロアにいるんだろ?』
『ほんとだ、でも何か凄く怒って……ていうかあの男誰?』
『あいつでしょ6組の、猪頭さんのことを――』
『ああ……【キワモノ】の足達ね……』
すると何処からともなくそんな声が聞こえてくる。
色々物申したい台詞ではあったが、成程そうか、この男が首藤の言っていた鼻山だったのか。
確かに噂通りの傲慢さを兼ね備えた男である。奴が言うにはサッカー部ではスタメンでサイドバックを務めているとか言っていたか。
後は――小学生の頃に柔道を嗜んでいたらしく、その辺が彼の高圧的な性格を助長していると言っていた気がするが、まあそれはいいだろう。
いずれにせよ、事前に聞いてはいたので特段驚きはない。
「おい、調子にこいてんじゃねえぞ無名」
「急に名前を忘れないで下さい、足達ですよ先輩」
「な、お、お前……!」
今のは完全におちょくった発言である。実際鼻山は明確に怒りに満ちた声を上げると俺の胸ぐらを掴もうとしてきた。
だが俺はすっと身を引いてそれを躱す。
「あぁ!? 逃げてんじゃねえぞ雑魚!」
人目も気にせず声を荒らげた鼻山に、にわかに生徒がざわめき始める。
だが。
『まあ鼻山先輩を怒らせた足達が悪い』
『そもそも猪頭さんにあんな陰口言ってるんだから当然』
『自分の非を認めず調子に乗るからそうなる、自業自得』
その声は鼻山に対する恐怖というよりも『是非この機会に足達に天誅を』と言わんばかりのものだった。
……全く。俺は別に猪頭を否定したつもりはないというのに、一体何がどうなれば大罪を犯したかのような扱いを受けることになるのか。
人は自分の都合の良いように事実を歪曲させる生き物とは思うが、実害を受けてしまうと全く以て笑えた話ではない。
だが例えどれだけ正論であっても、この男の言う通り無名の言葉など誰の耳にも入りはしない、ましてやキワモノの俺となれば尚の事。
つまり、残された道は証明する以外にない訳だが――
「大体よ、お前如きが萌香の悪口を言う権利なんてねえんだよ、無名は無名らしくネットで有名人でも叩いてろ」
おお、なんと素晴らしき矛盾か、人というのは感情的になるとこうも冷静な会話が出来なくなるものなのか。
まあ別に叩いたつもりなど毛頭ないのだが。
しかし……当然ながらこのまま和解となることはない。恐らく俺がへりくだって平謝りでもしない限り事態は悪化するばかりだろう。
さて、俺はどちらを選ぼうか――
「……ん」
そう思っていると、俺と鼻山の周りに増え始める野次馬の中に一人、唯一心配そうな表情を浮かべて俺を見ている人間がいることに気づく。
彼女の名は手越遥、俺がこの小林高の中で誰よりも可愛いと信じて疑わないクラスメイトである。
少し目尻の上がった、他の女子生徒より大きな目に、スラリと通った鼻筋、顎のラインも申し分なく、極めつけは小顔と来ている。
ただ、彼女は部活の関係上髪の毛が男並に短い、そのせいでで周囲から『学校一のイケメン』と呼ばれているのだが――
「あん? なんだお前、あれだけ偉そうにしてた癖に、いざとなったらビビって目も合わせられなくなったか?」
「は?」
すると手越に向けていた視線を、鼻山は何を勘違いしたのか、急に訳の分からないことを口にし始める。
こいつも随分と都合の良い解釈をする男だな……まあこんな人目につく場所で喧嘩などしたくはない気持ちは分かるが。
腐っても受験生が停学など、笑えた話ではないからな。
だがそういう隙を見せるのはあまり感心しない。一度啖呵を切ったなら全てをかなぐり捨てて臨むべきである。
それが出来ないのならそもそも舞台に上がるべきではない。
故に。
「ま、そういうことなら今謝れば許してやらんこともねえ、だが言っておくが謝り方にもちゃんと作法ってもんが――」
「何腑抜けたことを言ってるんですか、鼻山先輩」
「……は?」
「付き合ってもない女に良い所見せたいなら最後までやり切って下さいよ。それが出来ないなら球蹴りでもしてる方がいいんじゃないですか」
「っ……!」
俺は先に舞台へと上がったのだが。
その台詞が一瞬にして周囲を氷点下まで下げ。
猛り狂った先輩を爆誕させたのは言うまでもなかった。
読んで頂きありがとうございます。
厚かましいお願いですが、少しでも面白い、続きが気になると思いましたら、ブックマークと評価をして頂けると嬉しいです。
基本それが書き手の栄養分なので……(栄養失調)