序章07話 魔の森に住まうもの01。
木漏れ日の日が差す午後。俺達は魔の森の第一層である最初の森を、奥へ奥へと向かい進んでいた。
目的地である魔の森の第二層、暗黒の森では何が待ち受けているかは分からない。故に慎重に歩みを進め、魔物との戦闘は出来うる限り回避してきた。
しかし何事も順調に行くわけでは無い。脅威となりそうな魔物を避け迂回した先で、軍隊蜂と呼ばれる巨大蜂の巣に出くわしてしまったのだ。
「アイちゃん、そっちに行ったたい!」
「分かった! 茨よ、這い出て穿て! 『蠢く鞭』! ごめんラヴちゃん、一匹打ち漏らした!」
「任せて下さい。――『雷切』」
その名の通りヒトの握りこぶし程度もある蜂は凶悪で、意外にも図体の割にすばしっこい。羽根を高速で羽ばたかせることで空中に留まることも可能なため、緩急のある複雑な攻撃を仕掛けてくるのだ。
二十匹位で分隊を編成して迫るその姿はまるで軍隊のようであり、身体の半分程ある自慢の針を一斉にこちらに向けてくる。
その威容は正しく軍人ならぬ軍蜂であり、敵である俺達を一切の容赦無しに打ち取らんとする気概が見受けられる。
何よりも怖ろしいのが、自身の安全を顧みずに死兵の如く突貫する姿勢だ。女王蜂を守らんとするその姿は一国の皇女として、複雑な気持ちを抱かずには居られないのである。
ちなみに『雷切』とは剣戟を飛ばす遠距離の剣技であり、被弾した相手は斬撃と感電の二重苦を味わうことになる。
「流石ラヴちゃん! って、あぁ。また出てきたよ。ぐぬぬぅ、これじゃキリがないよ~!」
「一体一体はそこまで強くはありませんが、集団による連携と女王蜂への忠誠は侮れません。……彼らもまた、騎士なのですね」
「そうかも知れないけど、死に急ぐような真似は納得がいかないよ! 敵わないなら逃げるべき。巣だってまた作ればいいんだし、そもそもこちらは攻撃の意志が無かったのにさ! ……死んだらそこで、終わりなんだよ?」
「あの中には守るべき民――蜂の子が居るのでしょう。対話出来る知能は無いようですし、縄張りに侵入したものは本能的に敵だと認識する性質を持つのやも知れません」
「あー、そうなると無作法はこちら側だったか。だとしても死んであげる訳にはいかないけどね! 紅烏流四ノ剣――『紅時雨』!」
俺はこれでも一国の皇女だ。守るべき民も居るし、そもそも死にたくない。魔物とはいえ侵略者である俺達が憐れむなど、それこそ悪と何ら大差のない偽善だろう。
この世は弱肉強食。生きとし生けるものは他の生き物を糧とすることでのみ生きられる。
弱きものは群れを成すことで強者に対抗し、集団を形成するために領地を求める。そして、その安寧を揺るがすものは決して許さないのである。
「あぁ~、もう! ばり鬱陶しいっちゃけど!! ラヴィニス! ウチの剣で一塊にするけん、纏めて始末して欲しか!」
「了解した」
「くらうがよか! 紅烏流三ノ秘剣――『紅烏回旋』!」
「流石はシュア、完璧だ。――『纏雷白夜』」
苦手な虫系統の魔物との戦いに痺れを切らしたのか、シュアはうがーっと叫び声をあげてラヴィニスに殲滅を要求した。
短く返事をするラヴィニス。同い年なだけあるのか二人の関係は気安く、互いの信頼も厚い。
『紅烏回旋』。それ即ち紅烏流の”秘剣”だ。基本的な型を突き詰めた先にある剣の極致の一つで、自身の正面に斬撃の竜巻を発生させる、もはや超常現象と言っても過言ではない秘技である。
同時に旋回する烏に襲撃されて血をまき散らすその様子を見て名付けられた物騒な技でもある。
ちなみに俺はまだこの境地には達していない。というか、達することはまず不可能だろう。一体何がどうなってるのかさっぱり分からないしね。
そして、流石はラヴィニスというべきか、シュアの秘技により目に見える軍隊蜂が一か所に固まったの見計らい、白い雷の一撃を以て全滅に追い込んだのだ。
「……二人とも、強すぎない? 私、役に立ってるか心配になって来たんだけど」
「アイ。私は貴方が居るからこそ強くあれるのですよ」
「ラヴィニス。あんたはまたそうやって……はぁ、大丈夫。アイちゃんはまだまだこれからたい!」
「――はぅぁっ!?」
不安になる俺の右後方に控えるようにして愛を囁くラヴィニス。そんな彼女に呆れながらも反対側にそっと移動するシュア。
そんな彼女に軽く肩に手を掛けられたので振り向くと、花が咲くような満面の笑みで微笑んでくるではないか。
心臓を撃ち抜かれたのかと錯覚する程の衝撃を受ける俺。従者のときには決して見せることのないその屈託のない笑顔を見れただけでも、無理を言って冒険者になったかいがあるってものだ。
「――ぶっすぅ。私だって、頑張ったのに。シュアだけ、ずるい」
「あ、うん! ラヴちゃんも護ってくれてありがとう。格好、良かったよ?」
「あ、ありがとうございます! これからも私、精進致しますねっ!」
「ラヴィニスぇ……本当、チョロ甘過ぎるばい」
シュアに嫉妬したのかぶすくれるラヴィニス。そんな彼女も可愛いと思ってしまっている俺は、正直もう駄目になっているのかも知れない。
だってしょうがなくない? 俺のちょっとした一言でこんなに喜んでくれるんだよ? 可愛いしかないだろうが。
それを見て呆れるシュア。そしてそうあることで、どこか安心感を覚える俺。
鈴音さんには申し訳ないが、どうやら俺はこの異世界を心地良いと感じ始めてしまっているらしい。
ま、戻ることなんて出来ないだろうし、たらればで悩んでも仕方ないとは思うんだけどね。
仮に戻れたとして、最低でも十数年の月日が立っている計算だ。流石にもう、待ってはいないだろう。憶測でしかないが、おろらく死亡扱いにされているはずだしな。
両親の事を想うと心が痛むが、鈴音さん同様にどうにもならないことであり、今はただ懐かしむことしか出来ないのである。
「アイ、どうかしましたか?」
「あ、あぁ。ごめんね? 不意に昔を思い出しちゃってさ」
「アイちゃん……」
「大丈夫大丈夫! 今の私にはラヴちゃんとシュアが居るからね!」
やばっ! 何かしんみりさせちゃった! やー、年は取りたくないね。感傷的になっちゃったよ。やだやだ。
うぅ。何か二人にハグされてるし。気を使わせてしまったな。俺、最年長なのに……。
不味い不味い。クエスト中だと言うのに何だか家に帰りたくなってきちゃったよ。ここで一旦気を引き締めないと。
「よぉーし復活した! ガシガシ先に進んじゃうよー!」
「あ、アイ! 待って下さい!」
「……照れ隠し。待ってアイちゃん、ばりあいらしかばってん」
――ブゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン。
巣を護るかのように、新たに這い出る軍隊蜂。一際大きな一匹は、おそらく女王だろう。
アイヴィス達はあくまで襲ってきた蜂のみを排除したため、巣に居た蜂と女王、そしてその子らは無事だったのだ。
ちなみに軍隊蜂は一匹でE、集団でD、一匹しかいない女王がCランクの魔物である。
魔の森の一層におけるカーストでは上位であり、今回のような一方的な敗北は初めてだったのだろう。
軍隊蜂は極めて社会性の強い蜂で、特に軍事面を重要視されると言われている。
群れの長である女王蜂は、リーダーであり、最強であり、軍師であることが求められる。
だがそこで今回の大敗だ。要するにこの女王蜂は、継承権第一位の姫蜂によって、今まさに追い出されたのである。
本来ならば引継ぎの際に群れの半数を連れることが決まりとしてあるのだが、例外的に一分隊程度の戦力と数匹の雄蜂しか与えられなかったらしい。
何とも世知辛い人生――いや、蜂生である。この数では繁殖するにも家を作るにも全く足りない。おそらくは一ヶ月後には女王を残した全ての蜂が死滅し、女王は間も無く餓死してしまうことになるだろう。
そしてそのことは女王が一番良く理解している。知能ではなく、本能に刻み込まれているのだ。
故に女王は後を追う。この事態を齎せた者を誅するべく。そしてその戦果を持って生きた証を示さんがために。
夜の帳が下りる頃、アイヴィス一行は最初の森の奥地にて野営をする準備をしていた。
とは言っても既に天幕の準備は終えており、後は食事が出来るまでの数刻を待つ段階である。
ちなみに今料理をしているのはアイヴィスだ。前世でも元々一人暮らしだったため家事全判は熟せる上、料理は自身の趣味でもあったのでそれなりに質の良い食事を作ることが出来るからである。
最初こそシュアが身の回りの事は従者の仕事だとやっていたのだが、せっかく上下関係のない冒険者の身分となったのにもったいない。そう考えたアイヴィスが、皆の役割を持ち回りでしようと定めたのだ。
とある事情があって、ラヴィニスだけは食事を作ることは無い。他の雑務はともあれ、料理はとても任せられなかったのだ。
「そろそろ良いかなぁ? ……ん~、美味しい! 我ながら天才だね、コレは」
「アイ。完成したのですか? アイの料理はいつも美味しいので、今から凄く楽しみです」
ここ五年間の間で皇国、特に皇族であるアイヴィスの実家の食糧事情はより良き方向へと一変した。
食事というのはヒトをヒトたらしめる大事な要素である。そして彼は、唯一その一点だけこの異世界に納得がいかなかった。
故に皇女という立場と異世界人の知識を最大限活かし、あらゆる調味料の作成に挑んだのである。
そして現在。彼の手元には塩や砂糖はもちろん、醬油に味噌にマヨネーズ。ソースにケチャップ、マスタード他などが揃っていた。
そう。考え得る全てに挑戦し、時に挫折し、懸命に足掻いて足掻き続けた。その結果、現代日本に限りなく近い調味料を完成するに至ったのだ。
余談だが、『調理』と『調合』はこの過程で身に付いたスキルである。
「こりゃまた、ちかっぱ刺激的な香りやなあ」
「ふふっ。いい匂いでしょシュア? 味も期待していいからね」
「懐かしい。まさかこの世界でカレーが食べられるなんて」
「ちょっと感動するでしょ? 遠慮しないでいっぱい食べてね、ラヴちゃん」
ちなみに今日のメニューはカレーだ。異世界で再現しようと古今東西の香辛料を集め、今日日ようやっと形になった一品なのだ。
正直に言えば、このような匂いの強い料理は要らぬトラブルを生み兼ねないために避けるべきだ。
だがアイヴィスにとって、野営――要するにキャンプと言えばこの料理こそが至高。所謂、鉄板って奴だったのだ。
「――ッ!? シュア!」
「分かっとーったい! アイちゃん。残念っちゃけど、食事は少しお預けばい」
一刻前まではさわさわと心地良い風が森の木々を揺らしていたのに、いつの間にか周囲はブンブンという羽音で埋め尽くされていた。
不思議なことに一切の前兆が無く、驚くほどに自然に状況が一変したのである。
何十、いや何百という蜂の羽音。夜陰に紛れているせいか、見える姿は十匹程しか存在しない。
そして実際の数は、見えてる以外で女王と数匹の護衛しかいない。
要するにこれは軍隊蜂の持つスキルの一つ、『増幅』だ。自身の羽音を増幅させ、無数の仲間が居るのだと錯覚させるのだ。
主に自身より強大な敵に対する威嚇行動の一つであり、また自分たちを鼓舞させるという意味合いも持つ。
「意外だな。まさか追ってくるとは思わなかったぞ」
「そうやとしたっちゃ羽音が聞こえんのはありえんばい。もしかしたら固有個体がおるとかも知れんね」
「だとすると女王か。どうやら先の敗北で追い出されたらしい」
「え、ええ!? 知能は低いんじゃなかったの? もしかして、恨まれてるの!?」
ユニーク個体とはその名の通り、他の個体とは毛色が違う特殊体のことを指す。
一部の強力な魔物が確率で変異することで生物としての格が上がり、時に知能を持つことがあるのである。
今回の場合は女王蜂が自身の死を予感したことにより、理不尽に対する怒りを覚えたのだろう。あくまでも推測に過ぎないが。
「ふむ。しかし甘い。羽音を胡麻化したとて、総数に変わりはないのだから。――『魔障壁』、『拡大』、『発破』」
「女王はあそこね。紅烏流一ノ型――『紅一閃』。……ありゃま、大した献身やなか」
「ボロボロのその身で捨てられた女王を護るか。誠見事な騎士道だな」
「本当やねえ。そん姿勢は立派っちゃけど、ウチ達にも守るべき人がおるけん。ごめんね」
しかし今回は相手が悪すぎた。ラヴィニスは目に見えずとも、己の魔障壁に対象が触れれば位置は分かる。即座に発破することで反撃を防ぎ、その身動きをも制限する。そして最後にシュアの剣技で仕留めればよいだけなのだ。
その脅威を察知したのだろう。一匹の雄蜂が女王を護る為かシュアとの間に割り込み、その剣戟をまともに受けたのだ。
しかし彼女はためらわない。魔物であり、毛嫌いしている虫だからではなく、護るべきものを間違えないためだ。
相手は恐らくユニーク個体。もしかしたらその実力はCを超え、Bに達している可能性もある。そんな相手に油断などしたら、殺されるのは自分か、その近しきものとなり得ることを身を以て知っているのである。
散る一つの命。ラヴィニスの発破による被害も甚大だ。苦しそうに羽根を揺らすものも居るが、女王以外致命傷だと言わざる負えないだろう。
そしてその女王も満身創痍だ。護ってくれるものは既に存在せず、自身も羽根が破け、脚も数本失われている。
それでもまだ心が折れていないのか、それすらも分かっていないのか。残された羽根で威嚇をする女王。
「た、助けてあげることって出来ないかな? 流石に無理? や、悪いのはこっちだから……ごめん、何でもない」
「アイ。本当に貴方はお優しいですね」
「アイちゃん。ゆわんだっちゃ分かっとーて思うっちゃけど、魔物は敵、甘えば見しぇたらやらるーばい」
絆され掛けているアイヴィス。彼は前世同様に非常に温和な性質を持つ。故に魔物が危険と分かっていても、死にかけている姿を見ると心が痛むのだ。
そんな彼を見て微笑むラヴィニスに呆れるシュア。ほんの一瞬だったが、彼らの空気が緩んだ瞬間が生まれる。
そしてその隙を、女王は逃さなかった。
――トス。
静かな音が静寂に響く。そして、その音が聞こえた方向に三対の瞳が誘導される。
「う、あ……?」
うめき声をあげるのはアイヴィスその人だ。一番隙の有る彼に目標を定め、女王は遂に一矢報いたのである。