序章05話 夜烏02。
早速クエストを受注しようとギルドのカウンターに向かうと、そこには気怠そうに頬杖を付く一人の女性が居た。
ネコ科の耳と同種の尻尾が二本の尾耳族で、シュアとよく似た純白と夜闇のような漆黒を右に流すように三編みで纏め、全体は燃えるような紅の美しい髪を靡かせている。獣人の中でも長寿で希少な幻獣種にあたる三毛猫の猫又で、その名を”紅姫”という。
皇国に獣人の居場所を作った英雄である”小太郎”の元妻で、現在は未亡人である。
「あら、アイちゃんじゃない。どうしたの? お仕事しに来たの?」
「うん、そうだよ! 魔の森の調査クエを受けようと思ってね!」
「ふふっ、相変わらず元気ねぇ。……貴女達、きちんとお守りするのよ?」
「無論、承知しております」
「母様、馬鹿にしとーと? ウチはもう子供やなかやけん、ゆわんだっちゃ分かるったい!」
既婚者で娘もいることから面倒見がよく、看板娘ならぬ看板ママさんとして夜烏では愛されている。
幻獣種なのが影響しているのか、見た目も二十代前半の若奥様にしか見えず、シュアを産んで育てたとは思えないほどに女性として魅力的である。
両親が皇族であるが故に子育てとは無縁だったため、俺にとっても乳母である彼女はもう一人のお母さんと同義なのだ。
ちなみに両親は王侯貴族の例に漏れず子育てはしないので、むしろ感覚的には彼女の方がより身近に感じている。多分それはラヴィニスも同様だろう。
喋り方で分かると思うが、シュアは故人である父の口調を色濃く受け継いでいるらしい。当人は否定するが、ベニヒメ曰く父様大好きっ娘だったそうだ。
「だって心配なのだもの。魔の森って危険地帯じゃない。お母さん、アイちゃんにはまだ早いと思うのよ」
「ウチのときは丸腰で放り込んだのに何言いよーと? 母様は、アイちゃんを甘やかしすぎばい」
「大丈夫、貴女は強いもの。私と旦那様の娘なのよ? それに尾耳に問わず、獣人族は可愛い子供にこそ試練を与えるものなの」
「紅姫様。その言い方だとアイを愛していないことになるのでは?」
「あらあらラヴちゃん、それは誤解よ? アイちゃんのことは愛してるけど、ヒト族はそこまで強くないってことも知ってるの」
「確かにおっしゃるとおり、私も自力ではシュアに及びません。魔法を駆使して漸くと言ったところでしょうか」
「ふふっ。謙遜しなくても良いのよ。私、ラヴちゃんなら魔法を封じて丸腰で魔の森に放っても問題無いと思ってるから」
「……ご、御冗談を。私など、直ぐに魔物の餌となりましょう」
流石は我らがお母さんだけあるね。何というか、全く勝てる気がしないよ。それこそ物理的にも、魔法的にも、だ。
そう。幻獣種である彼女は獣人としては例外的に魔法を行使することが出来る。かつての英雄達と肩を並べたことだけはあるのである。
その実力は未だ未知数だが、我ら三人が赤子の如く蹴散らされるのは身を以て知っているので、恐らくはAランク以上だろう。
ちなみに俺の魔法の師匠は彼女だ。剣術指南は護衛も兼ねているシュアが適任だったが、魔法を行使することは出来ない。
ならばラヴィニスに師事を仰ごうとも考えたのだが、彼女の剣術及び魔法はこの国由来――というよりは公爵家である彼女の実家のものなので断念したという経緯がある。
魔法には日常生活を送る上で便利な生活魔法や魔法学園で習う基礎魔法の他に、個別魔法と氏族魔法呼ばれる魔法が存在する。
ユニーク魔法とは個人によるオリジナル魔法のことで、クラン魔法とはその一族に代々受け継がれている秘匿魔法か、その血筋しか行使できないためおいそれと他人が行使できるものではない。
そしてラヴィニスの剣術は、そんなクラン魔法で後者でもある『方位魔障壁』を主軸に生み出された独自の流派だ。
早い話、習おうにも俺ではそもそもそのスタート地点にすら立てなかったのだ。残念だが、それ以上に残念そうだった彼女を見て、ならば極めて俺を護ってくれと全面的に応援することにしたのである。
ちなみに『方位魔障壁』とは自身を基準に東西南北と上下の六点を結ぶ結界が源流で、物理乃至魔法攻撃を四方八方に反射することで結界内の対象を守護する防御魔法だ。
現在に至るまでに様々な改良が行われ、先日の模擬戦でラヴィニスが使用した『魔障壁』のように前方の一点のみを護ることで強度を上げたり、逆に広げ半円状にすることでその威力を後方に逃したりすることも出来る。
一般的な防御壁――炎の壁などに比べ、かなり柔軟に対応できる上に盾としての信頼度も高い。
その分魔力の制御も困難なのだが、天性の才能と弛まぬ努力によって捻じ伏せ自分の技へと昇華したラヴィニスに隙は無い。
ともあれ。我ら三人にとって紅姫は受付嬢であり、超えるべき師であり、愛すべき家族であることに他ならないのである。
「お母さん、心配しないで! 少しでも危ないなって感じたら全力で引き返すから!」
「そうはいってもねぇ。アイちゃん、少し抜けてるところあるからお母さん心配なのよ」
「大丈夫、大丈夫。もし仮にピンチになっても、絶対に二人が守ってくれるからね!」
「当然です。私はアイの騎士ですから」
「……はぁ。そうっちゃけど、そうならんごとしぇなつまらんよ?」
むぅ。確かによく言われるけど、そんなに抜けてるかなぁ。まぁでもお母さんが言うならそうなんだろうな。
しかし女の子になってからその違いに苦労して来たけど、こうやって素直に甘えられるのは一番と言ってもいい利点だね。
いい年した成人男性じゃあ流石にこうはいかないよ。ホント、転生というか転性様様とはこのことだよ。
「あらあら、アイちゃんは愛されてるわね。ふふっ、分かったわ。でもクエストに行く前に、ちゃんとギルドカードは更新しておかないと駄目よ?」
「――はっ!? そうだった! 折角Cランクに上がったのに、舞い上がっててすっかり忘れてたよ!」
「……アイちゃんぇ」
「ふふっ。そういうところも、実にアイらしいです」
ぐぬぬ。だ、だってしょうがないじゃん。今日の今日までCランクの依頼を受けられて無かったんだから。
ちなみに更新自体は各ギルド備え付けの魔導通感知石板――通称”魔導板”でいつでも出来る。
まず担当のギルド員に話しかけてその指示に従う。魔導板の定位置にギルドカードを置き、身体の一部――基本的には左の掌を重ねる。次に対面に立つギルド員が魔力を注ぐことにより魔導板が起動し、ギルドカード保持者の能力が明らかになる。そして、明らかとなった情報がギルドカードに記載されるのだ。
その際にどのような原理なのか、両者と石板の中空にまるでパソコンの液晶画面のように情報が羅列される。
大きさは二十四インチのモニター程度で、緑色で半透明だ。当人と担当者のみ触れることが出来、範囲に入りきらない情報を上下にスライドするで確認することも可能だ。
その上でさらに他者による盗み見の防止機能も付いており、両者以外の者には文字化けした記号の羅列が並べられているようにしか見えないのだ。
正直この点においては、現代日本を凌駕するだろう。アヴィスフィアに来て、一番驚いたハイテクノロジーである。
「ということで早速よろしくね、ユニちゃん」
「畏まりました。ではこちらへとお越し下さい」
そしてその管理者がこの小学校高学年の女子にしか見えない尾耳族で、これまた珍しいことにユニコーン――つまり幻獣に属する獣人だ。
その名はユニ。命名は俺だ。とある国の奴隷市場でもっとも高額だった彼女に一目ぼれし、皇女であることを最大限に利用して購入した後に、このギルドで住み込みで働いて貰っているのだ。
幻獣種という枠組みに漏れず、彼女も紅姫同様見た目通りの年齢ではない。一説によれば千年近く生きているそうだが、乙女の秘密だと教えてくれないので実際のところは分からない。
一応俺の奴隷という扱いだが、ヒト族よりも魔力に秀でているので解呪を望むのならおそらくだが可能だろう。
何故か今のところその様子は無いが、俺個人としてもお小遣いでは足りず、両親に頭も下げているので有難い。
ともあれ。夜烏は基本獣人が主体となっているギルドであり、当然の如く魔法を使用できる個体は限られている。
故にユニちゃんの活躍の場は広く、その内の一つがこの魔導板の管理者なのだ。
ちなみに見た目の愛らしさもあって、夜烏皆の娘的な立ち位置を確保している。顔に似合わず、意外と強かなのかも知れない。
「ご主人様。申し訳ありませんが、ギルドカードが上下逆さまとなっております」
「――嘘っ!? げ、ホントだ。ごめんごめん!」
「くすっ。……あ、申し訳御座いません」
「え? いいよいいよ。ていうか、もっと笑ってよ。せっかく可愛いんだからさ。ね?」
「……善処致します」
ん-、黙ってても可愛いんだけど、やっぱり笑った顔が一番なんだよなぁ。たまにはこうやって見せてくれるんだけど、中々ままならないな~。
ギルドで活躍するような強面のお兄さん達も、流石にこんな小さくて一生懸命に働いてる可愛らしい幼子(に見える娘)を怒鳴り散らすなんてことないから問題は無い。
仕事自体も大人顔負けなほど(実際大人なのだが)きっちりと熟しているし、ミスもほとんどない。正直言ってウチの娘は、このアヴィスフィアで一番優秀なのではと思っているくらいだ。
「では開始します。個体情報、開放」
魔導板を囲うように円状に魔方陣が展開される。それはさながら召還の儀式のようで、気のせいだと思うが下からそよ風が吹いてきている気さえする。
能力の情報を開示するという事柄を召還と言えなくもないが、正直少々大げさな演出だ。
魔方陣の発光が収まり、俺とユニちゃんの目線の先に俺の情報が羅列された。その内容は以下のとおりである。
名前:アイヴィス・ロゼル・アインズブルグ
性別:女性
年齢:15
種族:ヒト族
加護:化け猫の慈愛
称号:”茨姫”
属性:木属性、陰属性
所持奴隷:ユニ(ユニコーンの尾耳族)
魔法:『生活魔法』、『風魔法:中級』、『召還魔法:茨』
隷属魔法:『治癒魔法:初級』
技能:コモン『剣術、射撃、料理、調合』、レア『茨操作』、ユニーク『紅烏流剣術』
隷属スキル:『解析・鑑定、解毒』
特性:恐怖耐性
隷属特性:『看破、毒耐性』
『名前』から『種族』まではその言葉の通りで、『加護』とは魂の格が一定水準に達した個体が他者を護るために与えた力のことを指す。被対象者は恩恵として、前者の権能の一部を行使することが出来るようになるのである。
『称号』はその個体の生き様であり、加護同様に力を与えてくれる。複数所持しているものは一つのみが有効化され、魔導板でのみ称号を切り替えられる。
どのような仕組みでそのような付加価値が与えられるのかは不明だが、魔素や魔法の存在する世界だ。おそらくは才能を具現化するような現象を、ギルドカードという魔道具を通して確立しているのだろう。
『魔法』は得意とする属性に大きく作用される。
ヒト族は器用貧乏なので全属性の魔法を少なからず行使できる。それを応用したのが『生活魔法』であり、一般人でもそれなりに使いこなすことが出来る。魔力量の多い貴族であれば、それこそ誰でも習得可能な基本魔法である。
魔力の保有量の多い者は選択肢が広がり、俺の場合ならば木属性の一つである『風魔法』と、陰属性である『召還魔法』を習得している。
『技能』にはそれぞれ基本、希少、個別があり、後者になるほど希少価値は上がる。
同じスキルでもその熟練度によって大きく効果は異なる。つまりコモンであっても、その分野の修練は欠かせない。
特にユニークは個人やその団体における個性を体現しているので、おいそれと他人が習得することなどは出来ないのだ。
俺はお目にかかったことがないが、中には歴史上の偉人や英雄が持っていたとされる伝説スキルや、神威と呼ばれる神やその使いしか持つことを許されない特別なものも存在するらしい。
ちなみに所持奴隷が居る場合、その権能の一部を徴収することが可能だ。徴収方法は交渉次第だが、個人的には暴力ではなく信頼で勝ち取りたいと思っている。
短期的に見れば前者が有効だろうが、長期的には後者を選んだ方が絶対に損はしない。
それに何より、ユニちゃんを殴るなんて俺には絶対に出来ない。迷惑かも知れないが、母性が掻き立てられてしょうがないのだ。
最後の『特性』だが、これは所謂常時発動型のスキルに分類される。意識することでオンオフを切り替えることも可能だが、制御が難しいのでほとんどの場合は永続的に効果が表れている。
経験や修練によりその効果は変動し、コモンスキル同様に同じスキルでも個人によって異なるのも特徴の一つだ。
ともあれ、ギルドカードの更新もこれにて終了だ。少し手間取ってはしまったが、いよいよ魔の森へと出立しようではないか。