二章05話 ヴェネティア帝国01。
ヴェネティア帝国。西部から北部は外洋に接しており、南部から東部にかけては魔の森の樹海が広がり、北部から東部の位置には竜の神が住まうとされる火竜山脈の三種の天然の要塞を要する君主制の大国家である。
中世ほどの文明レベルしかないアヴィスフィアにおいて人口も約二千万人と多く、アインズ皇国のおおよそ四倍ほどのヒト族が生活をしている。
人口分布の九割以上がヒト科ヒト族なのだが、アインズ皇国との同盟を機に亜人の数も増加傾向にある。
これは帝国の国民性を表しているとも言えるのだが、彼らにとって大事なのは結果であり、それさえ発揮できるのならば性別や人種などは基本的に不問なのだ。
「……うーん。やはり現実はギャルゲのようにはいかないものなんだなぁ」
そんな大国家に向けて絶賛長距離移動中のアイヴィスさんは、自前の茨仕様の馬車にある蔓で出来た座席に腰を下ろしてうなりながら腕を組んでいる。
誰に語りかけるわけでもなく独りごちているのだが、その内容はあまりにも現状とかけ離れていると思われる。
ちなみに茨の馬車なのだが御者などはおらず、一本角の生えた純白の馬――ユニコーン一体のみで自走している。
荷台の車輪も茨なのでまるで戦車のキャタピラのような役割を果たしており、多少の悪路など物ともせずに走破出来る優れものだ。
動力は主にアイヴィスの魔力で賄っているが、日差しの強い日中であれば光合成することでその一部を補完出来るため、擬似的なハイブリット機能も備えている。
荷台部分には薔薇の花と葉の装飾が施されているため芸術点も高く、外敵に襲われても茨で迎撃できるので無駄が見た目ほど少ないのである。
総括すると、まるで御伽噺の一枚絵のような実にファンタジーな世界が広がっている訳なのだが、TPOだけを考えるならば間違いなく場違いであろう。
「アイヴィス様。何やら思案されておられるようですが、どうかしたのですか?」
「あ、いや。べ、別に大したことじゃないんだけど……」
「――っ! さてはアイヴィス様、また私に内緒で女の子を口説きましたね?」
「何で分か――っ⁉ ……こほん。い、いやまさかそんな。だ、大体またも何も、いつも一緒に居るのにどうやって口説けばいいと言うのだねラヴィニスくん」
「ふーん、そうですか。じーっ……」
「くぅっ⁉ ……分かった分かった。降参しますよ、ハニー」
「流石はラヴィニス。うちゃいっちょん分からんやったけども……」
長年アイヴィスのみを目で追い心から慕っているためか、少しの挙動でも彼の内心を悟る境地にまで至ったラヴィニスの目は確かだ。
事実、アイヴィスではないシュウとしての彼が自身の副官であるセリアにアプローチをかけていたのは自明の理であり、後日当人に確認を取ればすぐさま首を縦にふるだろう。
そして全近衛騎士の隊長であるラヴィニスであれば信頼も厚く事実確認も容易なので、交友関係の狭い自覚のあるアイヴィスとしては早めに白状した方が実害が少ないと判断したようだ。
彼の僅かな機微を悟れなかったシュアは少しショックを受けているようだが、アイヴィスのことに関してはすべてを見通すラヴィニスと比べるのは、流石に酷と言わざる負えない。
ちなみに口説いているシーンに集中しすぎて忘れているだけで、シュウくんが連携を図ろうとしていたことをアイヴィスは認識している。
アイヴィスであれば魔の森を介しても問答無用で『並列意思』を”統合”出来るのに、当の本人が抜けているので上手く活用出来ていないだけなのである。
「いやね? 折角女の子の好感度が見れるなら攻略してみたくなるのがゲーマーの本質じゃん? 厳密に言えばシュウくんってフリーな訳だしワンチャンいけるんじゃないかと思った次第で御座いましてですね? だからなんだその、ごめんなさいっ!」
「まったくもうっ! アイヴィス様は少々気が多過ぎます! 私は自分でもかなり重い自覚がありますが、アイヴィス様はそれ以上に軽率だと思うのです!」
「ぐぬぬっ。た、確かに言われてみれば俺、とりあえずやってから考えようとする悪癖があるような気がしないでもないと思う」
「私にしろシュアにしろ大切にされているという自負もあるし実際に幸せですが、だからと言って全く全然不安にならないわけじゃないんですからね⁉」
「大丈夫! ラヴィニスは永遠に俺の一番だし、シュアも同じく二番だからねっ!」
「……アイヴィス様。満面の笑みで最低な言葉を言わないで下さい」
「堂々と二番目に大事にしとーて言われたうちゃはらかいたっちゃよか場面やて思うんやが……」
「ふふっ。口ではそう言いながらも好感度が爆上がりしてる二人を、愛してるよ♡」
「「……アイヴィス様の、ばーか」」
アイヴィスの両脇に寄り添い、同時にそっぽを向くラヴィニスとシュア。
首こそ明後日の方向に向いてはいるが、太ももや腰にかけて身体や尻尾などが密着しているので説得力が皆無なのはご愛嬌だ。
そもそも二人は既にアイヴィスを嫌うという自由を失っている。それどころか今もなお好感度とやらが上昇し続けているのだから実に業が深い。
要するにぞっこんラブな二人にとってアイヴィスは、ただ傍で共に生きていてくれているだけで幸福感を得ることに出来る、実にエコな幸せ製造機なのである。
「まぁ二人が本当に嫌ならば俺も改めるよ。俺にとって大事なのは二人とリンネちゃんとごく一部のヒトだけだし、何なら皇国を今直ぐ放棄しても良い」
「……全く、駄目ですよ? 女神アイヴィス様がそんなことを仰ってはなりません」
「そうばい。アイちゃんの人柄や政策に惹かれた信徒達ば守る責任があるけんね」
「ちぇー。まぁ俺としてもここでバイバイは無いなと思ってはいるけどさぁ〜」
「アイヴィス様にかかる負担や重責が、従来よりもさらに並々ならぬものとなっていることは存じています」
「うちもラヴィニスも全面的に協力するけん、一緒に頑張ろうアイちゃん!」
アイヴィスは約束を重んじる性質があり、基本的に出来ないことは口に出さない。
つまりここでラヴィニスとシュアが私達だけを見てくれと言えばその願いは身を削ってでも叶えるし、二人に危険が迫るのならばその回避のために全てを投げ捨てる覚悟があるということだ。
生前に妹であるリンネが病死してから特にその傾向が強まり、実際に個人の力だけで未来を切り開ける存在になったことでその言葉通りの現実の実現が可能になった。
そしてその力の強大さを知っているからこそ、自身の手が届くであろう領域を明確に区切り堅守しようと定めているのである。
「ラヴちゃん、シュア……。あぁ、俺は本当に良いお嫁さんに恵まれたなぁ」
「こんなに尽くしてくれるヒトは他に居ませんよ? 大事にして下さいね」
「うんうん。自分で言うともなんかも知れんっちゃけど、うちもそう思うよアイちゃん」
「二人には感謝しか無いな。……ところでシュウくんにも二人のような素晴らしいお嫁さんが必要だと思うんだけど、実際どうかな? ほら、能力的にアイヴィスさんよりも劣ってるわけだしさ。ね?」
「……ばぁか、ばぁか」
「あ、アイちゃんぇ……」
「あ、あれ? おかしいな。……そうか、この感覚は俺にしか分からんもんな」
イイハナシダナー。で話が終着しようとしていたのも関わらずぶっこんでくるアイヴィスさんに呆れるシュアとむくれるラヴィニス。
当のアイヴィスさんは頭に疑問符を浮かべているので、なぜそんな反応が帰ってきてしまったのか本当に理解していないようだ。
それもそのはずで、二人としての意識があるアイヴィスとシュウはそれぞれ別に思考しており、当人たちの間では同位体のような別の存在なのだ。
基本的な連携こそ取れてはいるが、一方は妻や妹、母に囲まれているのに対して、一方は孤独に苛まれている。
自分が比較対象だからこそよりその空虚感が顕著に浮かび上がり、要するに寂しいのである。
「マスター。談笑されておられるところ申し訳ないのですが、少し宜しいですか?」
「どうしたのユニちゃん? 疲れた? 休む? ずっと荷台引いて貰ってるし、そろそろ休憩にしようか!」
「いえ。お心遣いは有り難いのですが、これくらいなんてことはありません」
「そう? 無理しないでね。ただでさえ『幻獣化』で魔力消費してるだろうからさ」
「マスターの魔力を使わせて頂いているので問題ありません」
「そっか。俺の召喚獣として幻獣化を促した場合はそうなるのか。前と比べて召喚の負担が一切ないから気が付かなかったよ」
「マスターが半神半人へと至ったことで魔力の総量が増大した影響だと思われます。或いは女神としても信仰を集めたことで神力もまた増幅しているのやも知れません」
「何よりユニちゃんのおかげで治癒魔法のバリエーションが増えたし、今なら百人や二百人位なら纏めて治療出来そうな気がするな」
一緒に暮らしていたことが良い影響を及ぼしたのか、アイヴィスとユニの誓約レベルは八まで向上している。
誓約を結んだ直後から完結している小太郎と紅姫のレベルが十なので、もうあと二つほど上がれば二人並みの信頼度となると判断して良いだろう。
そのかいあって今のアイヴィスならば、ユニちゃんから受け取った隷属スキルや魔法と自身の再生能力を駆使することで、たとえ患者の身体の一部が破損や消失していても信徒であれば、その距離に関係なく即座に再生治療が可能である。
大きな声では言えないが、そのレベルの治療が出来るのはアイシュ教国の教皇他数人に限られており、諸外国ではまず不可能だ。
要するに聖教国の秘技中の秘技ほどの付加価値があり、他人に知られるとよろしくない結果を生みかねないほど貴重な能力なのだ。
ユニ。そして神獣ユニコーンの名は伊達じゃない。文献によれば完全なる死者の蘇生すら可能だとされているが、その実は定かではない。
「……恐縮です、マスター」
「それで、どうした……ん? なんか飛んでない?」
「はい。実は先ほどからワイバーンの群れに囲まれておりまして、今か今かと此方を伺っているのですよ」
「――嘘でしょ? や、やばくないそれ」
密かに照れるユニ。話を戻そうとして不意に窓から外を眺めるアイヴィスと、パチリと目があった空を飛ぶ真っ赤なトカゲさん。
ギュアァァァァァァン! ゴォォォォォォッ! アギャァァァァァァッス!
アイヴィスがその存在に気がついたと同時に襲いかかるトカゲ改めワイバーン達。
知性は犬より低く猫より高いという説が濃厚な彼らの襲撃はアイヴィスとしても意図しないものであり、あまりの彼らの勢いに飲まれてしまっている。
彼の索敵スキルである『好感度』は知性のある程度高い存在にしか機能せず、そのせいで知覚出来なかったのだろう。脳の処理を他に当てていたからという噂もある。
「アイちゃん、心配しぇんだっちゃ大丈夫ばい。ここにはうちが直々に鍛えた騎士しかおらんけんね」
「シュアの言うとおりですよ。それにメイドの一人に至るまで訓練は怠ってませんので、この程度と数など敵では無いと思います」
「う、うわぁ。確かワイバーンって群れだとBランクじゃなかった? それを羽虫の如くやっつけちゃうとか凄いな。実は皆、強かったんだねぇ」
「女神アイヴィス様のお力のおかげでもありますよマスター。自信を持って下さい」
アイヴィスの身の回りの世話焼きの直属こそユニなのだが、実際にはその影で支えるメイドも多数存在する。
当然警護のための騎士や経理などの実務などを行う文官、庭園を管理する庭師など他にも相当数がロゼル島――イーグレット城が立つ湖の孤島に住んでいる。
その全てが『好感度』による選別でブルー――つまりは良好関係にあるもののみであり、皆が皆女神アイヴィスの敬虔な信徒なのである。
要するに彼らは皆一様に”女神の加護”を受けており、以前よりも能力が向上しているのだ。
その中でも特に選りすぐりを選出しているこの護衛部隊は単独でBランク以上の実力を持つことが最低条件であり、騎士に至ってはその全てがAランクに匹敵する。
あくまでもこれは夜烏においての冒険者ランク選定条件と同一基準なのだが、騎士の全てがヨタカ並みの実力を持つと言えばその精強さが伝わるだろう。
「ともあれマスター。問題はその後方に控える火竜の若個体です。……せっかく実力主義の帝国へ向かうのですし、マスター自ら相手をして差し上げるのは如何でしょうか?」
「え? ……えぇぇぇ、嘘でしょ? だってアイツ、俺の十倍じゃ下らなくない?」
「此度の婚約は同盟強化と武力支援を目的とした重要な公務なのでしょう? でしたらその成功確率を上げるためにもこの戦いはすべきだと進言致しますよ」
「ぐ、ぐぬぬ。せっかく最近になってシュアが甘々になってきたというのに……」
元々アイヴィスに甘いラヴィニスは論外として、シュアも妻になったことで彼に対してしょうがないなと甘やかすことが多くなり、その全てを受け入れていた。
アイヴィスとしてもその事実を知った上で容認し甘受していたのだが、専属の従者となったユニとしては諌める者の存在が必要だと判断したのだろう。
愛欲に負けてしまったという自覚のあるラヴィニスとシュアは、ユニに諭され少し気まずそうに頬を掻いた。
寸刻の思案の後、未だ腰を重そうにしているアイヴィスを見た二人は目配せをし、両脇を抱えあげてその背を押して戦場へと促すことにしたようだ。
三対一となってしまったことで諦めがついたのか、アイヴィスは前を向き戦場へと向かうのだった。




