一章22話 公爵令嬢誘拐事件10。
「――マリ姉様! やっとの思いで受理された助命嘆願を、どうして拒否なさったりしたのですかっ!」
「…………」
純血派に調略され、愚かにも寝返ってしまった一部の融合派の貴族達と今回の下手人の主犯格であるブラット伯爵が一様に並ばされる処刑台の眼前にて、一際大きな声を上げて叫ぶ成人前の女性がいた。
彼の名はアイヴィス。女性の身ではあるが、中身は現代日本から転生してきた元アラサー男性である。
一目見るだけで狼狽していると分かるくらいに前のめりで会話していることからも、心の底から理解できないという意思表示が伺える。
事実として、今回の誘拐事件の発端はアイヴィスの正気とは言い難い思いつきにあるのだ。
更に言うならば、彼にそのような強硬な手段を取らせるに至らせた実父であるアインズ皇国第六代皇帝アルマスによる、実の娘を利用して純血派を掃討せしめんとする奸計がそもそもの原因なのである。
「そうですよお姉様! どうして何も悪くないどころか私を助けようとして下さったお姉様が処刑されなければならないのですか! ……こんなの、こんなの絶対に間違っていますっ!」
「……………………」
そして彼以上に狼狽え、滂沱の涙を称えながら訴え続けるの女性騎士――ラヴィニスの姿もある。
彼女もアイヴィス同様に転生者であり、生前は花の女子高生かつアイヴィスこと朱羽のストーカー――もとい義妹となる予定の女の子であった。
成人を迎えたばかりとは思えないほどの美貌と抜群なプロポーションも、透き通るような金色の髪と碧眼も、顔をくしゃくしゃに歪ませている今はとても見れたものではない。
ふらつき倒れそうになっている身体を、返り血を浴びて凄惨なままの姿のシュアに支えられているのもその狂気を助長してしまっている。
そんな二人の必死の懇願も虚しく、当の本人であるマリアージュは一言も発さないどころか見向きすらしない。
ちらっと見えた横顔はまるで能面で、感情の一切を表に出さぬように微笑が張り付いてしまっていた。
「……アイヴィス様、落ち着いて下さい。ほらラヴィニスも、ひどい顔をしていますよ?」
先程まで悪鬼羅刹の如く奮戦していた様子はどこへやら、呆れたようにため息をつき、普段の倍は優しい声色で二人を諭すシュア。
彼女は真っ白な体毛が麗しい狐科の獣人で、ラヴィニスと比べても負けず劣らずの容姿と抜群のスタイルを誇るこちらも成人済みの女性だ。
アイヴィス専属のメイドとしておおよそ三年ほど前から従事しており、公私共に彼を影から支える可愛らしくも頼りになる存在なのだ。
しかし先程まで屠殺に近い戦闘を繰り広げていたためか瞳孔は未だに開いており、二人よりも更に普段とのギャップが激しいのが印象的である。
「これが落ち着いていられるかよっ! ――あっ。……ご、ごめん。少し、冷静じゃないみたいだ」
「お姉様、どうして……。どうしてなのですかお姉様……」
「……はぁ。全く二人して、本当に世話が焼けますね」
「ごめん。労って上げなきゃいけないのはシュアの方なのにホント、ごめんな」
思わず激高してシュアに詰め寄るアイヴィス。睨みを利かせるものの、シュアの真っ直ぐな瞳を直視したことで正気を取り戻したのか俯いてしまう。
ラヴィニスはラヴィニスで俯いたまま譫言のようにブツブツと独り言を呟き続けている。
その様子をみたシュアは更に深いため息をつき、二人の両肩にそっと触れるようにして自身の手を添えた。そうすることで二人を少しでも慰めようと試みているのだろう。
普段の博多弁に近しい可愛らしくも姦しい口調は鳴りを潜め、優しく諭すようにゆっくりとした丁寧語を使用している。
その健気な姿勢に更に沈むのはアイヴィスさんだ。こんな事を言っては申し訳ないが、こうなってしまった彼はとても面倒くさいのだ。
「……アイヴィス様。このままでは本当にマリアージュ様はお亡くなりになられてしまいますよ?」
「このままも何も、当の本人に拒絶されてしまった俺にはもう出来ることなんて……」
「――えぇい! いつまでも女々しかことばっかり言うとらんで、無理矢理にでも連れ去って来りゃあよかやなか!」
「――痛いっ⁉ ちょ、シュアってばそんなに髪をわしゃわしゃしたら私、ハゲになっちゃうよっ⁉」
「……シュウ先生…………はげ……」
「生前もハゲてないから! なんていうかその、猫っ毛で線が細いだけだったから! それに無理やりって言ってもどうすれ、ば……。――っ! そうか、そうだよ。その手があったっ!」
シュアに耳元で囁かれ、身を震わせながらもしょんぼりと俯くアイヴィスさん。
そしてそんな彼の様子にいい加減うんざりしたのか、左の手の平で大胆にその髪を掻きむしるようにして撫で回し始めるシュア。
尾耳族は同じ獣人である獣頭族に比べ膂力は劣るが、それでもヒトのそれよりも遥かに強い。
事実として、アイヴィスのチャームポイントの一つである可愛らしいピンクベージュの髪が数本ひらりと宙に舞っているではないか。
その様子をラヴィニスは生前の朱羽と重ねたのだろう。ほぼ脊髄反射と言わんばかりの煽り文句が譫言に追加反映されて口からポロリと零れ出てしまう。
それがスイッチになったのだろう。自覚があるのか思わず過剰な反応を示してしまったアイヴィスさんの頭に、感電したと錯覚するほどの衝撃が走った。
ちなみにこの衝撃というのは、物理的に髪が毟り取られたとかいう類の話ではないことをここに明記しよう。
「――マリアージュ様。本当に宜しかったのですか? 皇女様も妹御も、貴女の生存を心から望んでおられているご様子でしたが……」
「ふふっ。そうおっしゃられる伯爵様こそ、御子息が不安そうに貴方のことを望んでらしたわよ」
「私には家長として、配下の失態の責任を取る必要がある。ですが貴女は――」
「私とてそうですわ。何せ由緒ある我がリリティア家の系譜が、あろうことか守るべき祖国へと攻撃を仕掛けてしまったのですもの」
「――ですがっ! ですがマリアージュ様は公爵ではなく、守られるべきその系譜である大事な、大事な御息女であられるではないですか!」
「……正直に申しまして、入婿であるお父様では首としての価値が足りませんの。そうなれば次期公爵候補の筆頭であるこの私が、|全〈・〉|て〈・〉|の〈・〉責任を取るのが筋というものですわ」
「もしや貴女はお二人を守ろうとして……いえ。これ以上は野暮というもの。せめて貴女の気高き精神は、私が責任を持って見届けて差し上げましょう」
「……ふふっ。では私は、そんな真の紳士である伯爵様の最後を看取って差し上げますわ」
こうして談笑する間にも二人以外の処刑が執行され、残すこと数人まで差し迫っている。
本来であれば会話など許されるはずもないのだが、皇帝の粋な計らいなのか事情に精通するものを警備に当たらせたらしい。
何より二人は生粋の貴族である。貴族とは栄華と破滅が共存する魔の領域。産まれ育った環境が彼らに覚悟という残酷で慈悲深い精神構造を形成させたのだ。
そしてその感情は現代日本で育んだ価値観とは似ても似つかないものであり、その色を強く残しているアイヴィスとラヴィニスには到底理解できない境地である。
一概にどちらが正しいとは言えないが、少なくとも死を良しとしないのならば覚悟など出来なくても良いだろう。
生物である以上、ヒトは死んだら終わりなのだ。……名誉も何も、後には塵の一つも残りなどしないのだから。
「リリティア公爵家令嬢マリアージュ、並びにカラム家当主ブラット伯爵。両名速やかに一歩前へと進みなさい」
「――はっ!」
「かしこまりましたわ」
皇帝であるアルマスが簡易的な処刑場となった元NULLの本拠点跡地にて、この場にいる全ての将校や兵士に届くように声を轟かせる。
先程までは作業として処刑を淡々と執行していたのだが、大トリである二人に対しては敬意を払って対処せんと望んだのだろう。
同時に純血派行く先を憂いた者やその死を悼む者、当然だという罵声を浴びせる者なども騒がしくしていたのだが、皇帝の鶴の一声で即座に荘厳な雰囲気へと変容している。
「まずはマリアージュ。貴殿はあろうことか自身の妹である騎士ラヴィニスを拐かし、あまつさえはその生命までをも奪おうとした。その事実に間違いはないか?」
「間違いありません。私がラヴィニスを誘拐し、暗殺を企てた下手人ですわ」
「……で、あるか。その言葉に嘘偽りが無いのならば、貴様には相応の罰を与えねばならぬ。……覚悟は良いか?」
「私は貴族ですの。自身の言葉に嘘偽りなど御座いません。死を持って罪を贖う覚悟も当の昔に出来ておりますわ」
飛んでいる鳥を射落とすほどの威圧を放つ皇帝の瞳に晒されてなお、気丈にそのヴァイオレットの双眸で見つめ返すマリアージュ。
その意志の硬さを汲んだのか軽く息をつくアルマス。先程までの威圧はどこへやら、穏やかな表情で自身の娘とさほど変わらぬ彼女に語りかけている。
マリアージュはそんな彼の最後の気遣いに気がついたのか、やんわりと微笑を浮かべ、しかしながら覚悟は変わらないのだという鋼の意思を伝えている。
「で、あるか。ならば、余の役割はここまでだろう。……アイヴィスよ、後は貴様に任せるぞ」
「はい。その役目、確かにこのアイヴィスが引き継ぎました」
「――っ⁉ あ、アイヴィスさん? ど、どうして……」
「……マリ姉様。私は貴女のそんな一途で頑なで気高い精神を、嫌いではありませんでしたよ」
「……貴女、まさか――」
「――えぇ。マリ姉様そうですよ。アインズ皇国第一皇女であるこの私が、全責任を以て貴女の罪を裁いて差し上げます。お覚悟のほど、宜しくお願いしますね?」
事も無げに告げる皇帝の一言に、キョトンとした表情を浮かべるマリアージュ。
それほどまでに出てきた人物が意外だったのだろう。何せアイヴィスはこういった見世物のような茶番を嫌うことで有名であり、それがヒトの命を奪うものであればなおさら嫌悪しているということをラヴィニスを監視している過程で知っていたのだ。
そして何よりそんな彼が、あろうことか自身の介錯人を務めるというのである。
マリアージュは公爵家の長女として長く社交界に君臨しているが故に、ヒトがその腹に何を抱えているのか内容は兎も角としても予想は出来る。
彼が冒険者になるための条件として、独房に収監されている大罪人に刃を突き立てることを強制され、熟した後にうなされてラヴィニスに気遣われていたことも知っている。
第三皇女アイヴィスは破天荒に見えて実利を取る原理主義者であり、根が優しくヒトの生命や精神を慮る博愛主義者でもある。それがマリアージュの見解だった。
なまじ父を見て育ったからか、現実として優しいだけでは貴族社会は生きれないと知っていた彼女の目から見ても、彼ならば大切な妹を託しても良いとも思っていた。
だからこそ自分が誘拐騒動の罪を全て被ることでをアイヴィスの立場を白紙に戻し、その事件のおかげで晴れて自由の身となったラヴィニスを援助したのだろう。
当然マリアージュとしては、理解が出来ることではない。何故清廉潔白という代え難い実利を放棄し、忌諱しているであろうヒトの殺害――それも自身の愛するラヴィニスの実姉をわざわざ手にかけてまでその手を汚すのか。
大事なことなので二度言うが、マリアージュは貴族社会の中でも強者に分類される。分かりやすいアイヴィスの気持ちを読むことなど朝飯前で、自身が嫌われるどころか好かれていることも知っている。……だからこそ、今このタイミングで行動を起こす彼の考えが理解できないのである。
「ひ、ひぃぃ。そ、そのお手にある何物にも形容しがたいおぞましい物体はな、なんですのっ⁉」
「え。こんなに可愛いのに何を仰っておられるのですか、マリ姉様は本当にもう。それに物体じゃなくてれっきとした生体ですから。ほらほら、近くでよく見て下さい」
「ひぁぁっ⁉ お近づけにならないで下さいまし! い、いやぁ。顔にしっとりとしたヌルヌルが付いてしまいましたわぁぁぁっ⁉」
「そんな過剰に反応されると少しばかり興奮してしまうので、空気を読んで下さいよマリ姉様。……こ、こほん。それにどうやらこの子、マリ姉様を気に入ったみたいです。やっぱり私達、相性抜群だったんですね♡」
「な、ななな、何を仰っているのですかっ⁉ ほ、頬を染めてモジモジなさらないで下さいっ! い、いやぁぁぁっ。ら、ラヴィニスぅ。た、助けてぇ」
「ふふっ。私、怒っているのですよマリ姉様。私とラヴィニスを残して勝手に死ぬなんて許しません。罰として私のことがだぁい好きな可愛らしい我が子の触媒にして、私専用の召喚獣として永遠に愛でて差し上げますからね? ふふふっ」
「――ひぐぅぅぅっ⁉ え、えっ? わ、私これ、どうなってますのっ⁉ お、おおお、お臍からヌルヌルが……しょ、触手が私のた、たた体内に入って来ているということですのっ⁉ い、いやぁ。いやぁぁぁぁぁぁっ!」
「はぁぁ、マリ姉様はしょうがないですね。戦場跡地のど真ん中で衆人環視に晒されているというのに、そのような嬌声を上げてしまわれるなんて。……ふふっ、はしたないですよ?」
「あぁぁっ⁉ あぐぅ! んんっ! ひ、ひぁぁっ……。あ、ああアイヴィスさん! だ、駄目ですわ! 止めてくださいまし! あ、あ、あっ……私、私っ! こ、このままでは本当に、本当に駄目になってしまいますわぁぁぁっ♡」
「あぁ、そうそう。言い忘れていましたがその子にも心がありますので、見事融合された暁にはマリ姉様も私のことを好きで好きでたまらなくなると思いますよ? それが嫌でしたらしっかり我慢なさって、可能な限り抗ってみて下さいね?」
「か、身体だけでなく心までも滅茶苦茶にすると仰るのですかっ⁉ 最低ですわアイヴィスさん! み、見損ないましてよ! 本当にもう、大嫌いですわぁぁぁっ♡」
「良いですか? これに懲りたら二度と自己犠牲なんてくだらない真似なさらないで下さいね?」
「………………」
「あれま、果てちゃいましたか。しょうがない。私が責任を以て預かるとしますか」
早々にマリアージュを抱き上げて処刑台から姿を消すアイヴィスさん。要はもうすんだのだとばかりに一切振り返らず、その場を後にしてしまう。
そしてそんな彼の行く先を、あのお姉様を凋落するなんてと驚くラヴィニスとしらーっとした視線を向けるシュアが眺めている。
ポカンと開いた口が塞がらないブラット伯爵に、あまりの惨状に静まり返る群衆。
こうなることを予想していた父であるアルマスが唯一表情を消して望んでいたが、皆同様にこう思ったのは間違いないだろう。
第三皇女アイヴィス。――いや、次期皇帝となるであろう女帝アイヴィスには何があっても絶対に逆らってはならぬ、と。
……そう。それこそがアインズ皇国で生き残るために必要な、絶対無二のルールなのだということを。




