一章20話 公爵令嬢誘拐事件08。
「おい、ルータスはどうした? ブラット様を連れてこの場所で、定刻通りに合流する手筈だったじゃあないか!」
「おかしいですね。あの時間に小煩い爺さんが我らよりも遅く、何よりも遅刻するなんて。……もしや、何かあったのでは?」
今もなお燃え盛る防衛拠点を眺められる位置にある小高い丘の上で、リリティア家の家紋の描かれた部隊が小休止していた。
先程まで戦闘していたのか皆同様に薄汚れており、中には未だ血を垂れ流しているものも居る始末である。
魔法を利用した照明と松明では夜間の戦闘には便が悪く、夜目の効くスキルを持つものは数が居ない。そのため夜を通して戦闘をし続けるという戦略を取るものは皆無に近い。
特に純血派は夜目の効く獣人を毛嫌いしている傾向が強いため、こうやって一時的に戦闘を中断して俯瞰できる場所に陣を建てているのである。
「あの厄介な妖怪爺がそこらの若い連中に遅れを取るなんてことはそうはあるまい。どうせ部下が何かやらかしてその説教にでも明け暮れてるのだろうよ」
「あぁ……確かにあの爺さん、一度説教を始めたら長いですもんね。俺も新兵のときに一晩中ガミガミと怒鳴られていたなぁ」
「俺も騎士長になったときに礼儀がなっていないと何度も口煩く指摘されたな。見た目は爺なのにその圧力はまるで戦鬼のようだったよ」
明らかに攻勢が有利なのも理解しているためか会話に緊張感はなく、懐かしい昔話などを華を添えている部隊長とその部下。
その二人の様子からも妖怪爺と呼ばれた人物が非凡な才覚の持ち主であることが察せられる。
実際に彼らの指導に付いた経験もあるらしく、また身を震わせている様子からも、彼に対する畏敬と畏怖の念が伺えるだろう。
「――失礼いたします! ルータス執事長がお着きになりました! ですがその、ちょっとご様子がおかしいようでして……」
「――ハッ! あの爺は元々おかしかっただろう? 今更何を言っているんだ貴様は」
「……それが、部下が一人も見当たらないのです。それどころか執事長自体もあれではまるで――」
噂をすれば何とやら。件のルータスがこの陣に今しがた到着したらしい。
しかしながら報告を上げた兵によると気になる点が多々あるらしく、口をモゴモゴとさせて言いづらそうにしているのが伺える。
「――魔族のよう、ですか? 言い得て妙ですが、実際は死んだときの保険のひとつに過ぎませんので」
「げぇっ⁉ で、出やがったな妖怪爺! そ、そそその姿、ま、まさか本当に化けて出てきたんじゃねーだろうなぁ⁉」
「ガイアス殿。私としても非常に不本意なのですが、どうやら我々は皇女様を甘く見過ぎていたようですよ」
「だにぃっ⁉ まさかルータス、老練なお前が成人前の小娘に良いようにやられたってのか?」
「機会を伺うために大人しく捕縛されていたというのに何処からともなく現れ、一切の容赦なく全員を処断するように子飼いの者に命じたのですよ。先代から少なくない手間を掛けて育てた精鋭だというのに、私も焼きが回ったものですねぇ」
「……ぜ、全滅したのか? あ、ありえん。まさか、腹心があることを悟られていたとでも言うのか?」
「それは分かりません。ですが、ブラット様とマリアージュ様を奪われてしまったのは事実です。彼らの供述次第では皇帝が動くことになるでしょうね」
騎士長が驚いていることからも分かる通り、ルータスはまるで死人のように血色が悪く、そのおでこからは大小異なる二本の角が生えていた。
それを騎士長であるガイアスに指摘された彼は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべつつも素直に敗北を認めている。
隠しきれない喪失感も漂わせているところを見る限り、今回の結果は完全なる予想外の出来事だったのだろう。
その事実に口をあんぐりと開けて閉ざせ無くなるガイアス。ルータスがここまで凹んでいる姿は先代通しても一度も無かったことなのだ。
「それは不味いな。今から正規兵相手に正面から攻勢を仕掛けるのに、私兵だけじゃ流石に練度も数も足りていないぞ」
「……いや、正規兵だけならまだマシでしょう。これは憶測でしか無いですが、獣人共も動き出すやも知れません」
「ば、馬鹿なことを言うなルータス! 獣どもを統率できる奴など先代の狂犬王以外には居ないだろうがっ!」
「確かにカラサギの王ほどの求心力は無いでしょうが、皇女様の育て親はかの国の元王妃です。如何程の戦力になるかは予想が付きませんが、あまり猶予は無いと思ったほうが良いと思います」
「ちぃ! まんまと誘い出されたか! あのクソ野郎は皇帝より、詐欺師にでも転職したほうがお似合いかも知れねぇな!」
「……ブラット様は、この展開を予想されていたのでしょうね。彼の息が掛かる皇女様相手に自身の生命や家の存続ではなく、義息の助命を懇願しておられた故」
「あの方に先見の明が有るのは我らとて百も承知の事実だ。だがしかし、それでも獣人などという魔物同然の存在を許すなど出来るはずもない」
執事長であるルータスは当然としても、脳筋だと馬鹿にされがちなガイアスも主であるブラットに何かしらの策略があるのは察していた。
それこそ先代の頃から可愛がってきた次代の伯爵様だ。子供の時分から見てきているが故に、彼が多彩で博識なのは百も承知の事実である。
しかし、ある意味では彼は優秀過ぎたのだ。なまじ頭が働くからこそ純血派の立場に限界を感じ、将来像を見据えているからこそ融合派のリリティア公爵家に働きかけていたのだ。
実際に彼の思惑通りに事が進めば、カラム家は見事融合派へと転身し、女帝アイヴィスの名のもとに陞爵すら約束されていただろう。
そしてそれ以降も皇国に貢献した名家として重宝され、純血派が成し得なかった内地への栄転すらも叶う可能性すら存在していた。
しかしその輝かしい未来は、既に音を立てて崩れ落ちていた。
ヒトは自身にとって受け入れ難いことには耳を貸さない生き物である。それも長きに渡り誇りに感じていた感情を蔑ろにする決断はそう下せるものではない。
早い話、ブラットの革新的な考えは先代から仕える古参の二人には到底受け入れ難く、彼らの視点から見れば先に裏切ったのは伯爵の方だと感じていても不思議ではないのだ。
「獣人をヒトとは認めない。私としてはそういった極論を言うつもりはないですが、端的に言って彼らは非常に驚異です。子供ひとりとってもヒトの何倍もの膂力を持っているのですからね」
「仲間意識が高いのも厄介極まりない。特にカラサギは国の全てが氏族のようなものだからな」
「是非も有りませんね。この先二百年も立たぬうちにカラサギの氏族にヒトが淘汰され、気がつけば国を乗っ取られている。なんてことも十分にあり得るでしょう」
「ゾッとしない未来だな。……まぁ何せよ、俺らは先代の遺志を遂げるだけだ。その過程で果てるのならば、そこまでの存在だったのだろうよ」
「ふふっ。相も変わらず潔い御仁ですな。しかしこうなってしまっては手段を選ぶ余裕も無いのも確かですね。……ふむ。では私は不足している戦力を少々テコ入れさせて頂きましょうかね」
彼らにも彼らの正義があり、アインズ皇国を憂う気持ちは融合派に負けてはいない。
アルマス率いる融合派は未来の敵国の最有力である神国――アイシュ教国を警戒してカラサギを取り込み自国の強兵化を促し、最終的には亜人を含めた大陸最大の他種族国家としての地盤を築き上げようとしていた。
それに対し純血派は、アイシュ教というヒト族以外をヒトと認めない教義を国教とする教国と同盟関係を結び、ヒト族の地位を他とは隔絶したものとすることでヒト族の未来を確立することを望んでいたのだ。
当然相反する思想故にぶつかり合い、その度に自力で劣る純血派は規模を縮小していった。
ジリ貧のままに世代交代を迎えることになったブラット伯爵はその未来を憂い、せめて自身の家の存続出来るように裏で画策していたのだが、そこに今回のマリアージュ嬢を餌としたアルマスの作戦がぶち刺さったのである。
「――た、たた大変ですガイアス様っ! 明朝拠点に最終攻勢を仕掛けるために配置していた部隊の一角が奇襲され、壊滅致しました! 命からがら逃げ果せたの情報では、どうやら猫人族が率いる集団であったとのことであります!」
「ば、馬鹿なっ⁉ いくら何でも対処が早すぎる! 我らと違い、事前に準備して置くなど不可能なはずだ!」
「攻勢に纏まりがなく、部隊というよりは個による能力に頼っていたそうで、中にはまるで狩りを楽しむかのように一人を必要に追いかけた個体も存在したとのことです!」
「……あの化け猫め、夜目の効くものだけを先行させたのか。常識に囚われない攻撃方法と言い、敢えて部隊を統率しない手段と言い、流石は最前線で戦い続けただけあるようだな」
「……ガイアス殿。付かぬことをお聞きしますが、もしや未だに拠点を落とせていないのですか?」
悪知らせは続くものだとは言うが、齎された凶報は現在の優位を覆しかねないほど致命的な一手だった。
突然の奇襲な上に人数も有利な状況下のため、本来であれば既に防衛拠点を奪取していてもおかしくはない。
しかし現実はそう上手く事が進むわけもなく、あれだけ大火を浴びながらも未だにNULLは籠城して耐え続けていたのだ。
それはひとえに堅牢な城門とその保全を管理する魔力媒体のおかげであり、塔屋にどれほどの被害が出ようが侵入者だけは頑なに拒み続けているのである。
ちなみにこの城門はアイヴィスさんの秘密兵器の一つでもある。そのコンセプトは「城門さえ突破されなければ実質勝ち」である。
実際は城門以外に回すお金と魔力媒体が不足していたからなのだが、効果はあったのでそこは些末な問題だろう。
「俺としても実に不甲斐ないとは感じている。だが、攻城兵器で破損した部位を自動補修する強固な城壁など、未だ嘗て見たことがない」
「……何ということでしょう。ブラット様があれ程までに皇女様を警戒していた意味を、今際の際に悟ることとなろうとは……」
「――はっ! まさか十倍の戦力を持ってしても攻略出来ない拠点があるとは夢にも思わなんだわ! 愉快愉快! だーっはっはぁ!」
自動修復。白鷺城として有名なイーグレット城の保全にも使われている、その名の通り自動で修繕を行う魔法である。
そしてその魔法を魔力と親和性の高い魔石などに付与することで、魔力媒体とその機構である魔法陣が破壊されない限り、地脈や自然界に存在する魔素を取り入れることで半永久的に機能するのだ。
特に地脈の中でも魔素濃度が高いとされる”龍脈”を用いた場合、その効果はより高められると言われている。
ちなみに今回のケースはその龍脈を用いたものであるために、攻城兵器による攻勢よりも修繕するスピードの方が勝ったのである。
余談だが、白鷺城はその”龍脈が合流する稀有な土地”であり、故に二百年もの間その荘厳華麗な姿を保ち続けていられるのだ。
「が、ガイアス殿! これでは話が違うではないか! 私達は絶対に勝てると言っていたからこの話に乗ったのだぞっ⁉」
「――枢機卿殿。私は勝負になると言っただけで、勝てると断言はしておりませぬ。そもそも戦に絶対など有りえませんからな」
「と、ととと、兎に角だ! か、勝てぬ戦に我らアイシュ教国の神兵は貸せぬ! 教徒でもない汝らを救う慈悲は持ち合わせておらぬ故にな」
「……はぁ。どうかお好きになさって下さい。俺としてはそちらの方が色々と都合が良いのでね」
「ご、ご理解頂けて何よりだ。では我らはこれにて退散させて頂こう。御免」
「……生臭坊主めが。甘い汁だけを吸いに来た腐れ虫のくせに何が神兵だ。アイシュ教とやらは実に立派な宗教だと言えようよ」
ガイアスにとっては頭の痛いことに、純血派に属する殆どのものがヒトを至上とするアイシュ教の熱心な教徒である。
獣人を始めとした亜人を廃する思想故にその終着点がアイシュ教となったわけだが、彼個人としてはあまり心を置いていなかった。
何せアイシュ教が盛んな彼の国と比べアインズ皇国は敬虔な信徒も少なく、彼らの得られる利は多くない。
利が無いところにヒトは魅力を感じ得ない。魅力がなければ執着もしない。ならば状況が不利になれば直ぐにでもその手のひらを返すだろう。
戦場を幾度となく経験してきたガイアスはそういった裏切りも想定していた。言動から脳筋というイメージが定着してはいるものの、実際に考えなしの人間が今日まで生きながらえるほど戦場というものは甘くないのである。
「元々彼らに戦力として期待はしていませんでしたが、これは少々荒れるかも知れませんね」
「……はぁ。全く以て頭の痛いことだ。少なくともこの件が広まれば、撤退する諸侯が続出するだろうよ」
「いよいよ時間が有りませんね。明日にでも拠点を攻め落とさねば指揮も地に落ち、我らは間違いなく敗走するでしょうな」
「まさに背水の陣と言ったところか。……だははっ! ならば最後は武人らしく、戦場にて大輪の死花を咲かせて魅せようぞ!」
「貴方のそういうところ、嫌いでは有りませんでしたよ。ともあれ、一番槍は私が引き受けましょう。……あまり長くは持たないのでね」
「……死霊魔術か。聞いたことでしかなかったが、まさかルータス殿が使い手だったとはね」
「ふふっ。この力のせいで随分と苦労させられましたよ。……先代に拾って頂けなければ、既にこの世には居なかったやも知れませんね」
刻一刻と悪くなる情勢に首を振るルータス。気持ちは分かるとばかりに頷くガイアスも、中々に深いため息を付いている。
既に戦場において老兵と呼ばれる年となる二人は、今日このときこの戦場が死地であると定めたようだ。
そして戦場はより混沌を迎えることになる。果たしてその結末が何処に行き着くのか、より注視して観察せねばならないだろう。




