一章12話 皇帝崩御03。
「お、お前の兄を謀殺したのは俺なんだぞ? な、何故憎き筈の俺にそんな目を向けられる? お、おお俺こそが俺の最愛を奪った、お、お前の最大の敵でなくてはならないはずだ……」
「あらあら。主様ってば、本当に人誑しですねぇ。素気なくあしらわれて可哀想に。直ぐに私の深い愛で、行き場を無くした貴方の感情を受け止めて差し上げますわ。……ふふっ。狂いクルクル絡みつき、満たされぬ欲に縋り付け――『御薦薔薇』」
「――ま、マリア? な、なな何をする気――ぎゃあぁぁぁっ⁉ い、いだいぃ、あ、足がぁぁ、身体がぁぁぁっ!」
「――あぁん⁉ 純度の高い恐怖が胸に刺さりますうぅ。い、いいい、いけませんわぁ! そんなに滾るほど熱い感情と血潮を滴らせては、私興奮しすぎてうっかり殺してしまうかも知れませんわぁぁぁっ!」
怒りの寄り場を無くし宙ぶらりんな心境のバインに、まるで聖母のように微笑みながら手を広げ、包み込むように茨のドレスから伸びる棘の有刺鉄線を彼の足元から全身に沿わせて絡み付けるマリア。
天然の薔薇の棘に比べより凶悪で鋭利な茨の切れ味は鋭く、バインが着用していた装備がズタズタに裂かれ直接肌に触れ、全身の皮膚の裂け目からダラダラと鮮血が流れ落ちている。
まるで生命が宿っているかのような複雑な動きをするその茨は、ときに鎧の隙間を縫うように這いずり、ときに鞭のように滅多打ちにし、ときに溢れ出た血を浴びて恍惚の身震いをしていたりもする。
流石にアイヴィスの命令を破るつもりはないのか生命を奪うまでには至っていないが、このまま放置されれば忽ち失血死してしまう未来もそう遠くないだろう。
「あらあら。貴方、とても素敵ですわ。先程より随分と男前になりましたわね。……ふふっ。それでも主様には次元が及びませんが」
「ひぎぃぃっ⁉ た、たす、助けて誰かぁ! い、いだいよぉっ! いだいいだいいだいぃぃぃっ‼」
「――んんぅ⁉ い、嫌ですわ私ったら。主様に同じことをして頂くことを妄想して、思わず人前、それも見知らぬ男性の前で果ててしまうところでしたわ! あぁ、はしたない私をお許し下さい主様。……そしてあわよくば私に、愛のある罰をお与え下さいませぇ」
自身の胸を腕を組むようにして抱え、内股でモジモジと身体を揺するマリア。一体どうなったらこのような性癖になってしまうのか想像するのも恐ろしいが、実際にこうなってしまったということはそういうことなのだろう。
基本的に社交的で他者を思いやる心を持ち合わせているアイヴィスさんだが、自身と最愛の者に危害を加える敵対者に対しては一切の情け容赦をしない。
元々前世からそういった気質を持ち合わせていたが、一度死に転生し転性したことでタガが外れ、時には非人道的な手段すら用いることを辞さなくなってしまったのだ。
彼の尊厳を守るためにこれだけは言っておくが、ヒトの生命が軽いアヴィスフィアという異世界ではそうならざる負えない事態がどうしても存在したのである。
ラヴィニスの姉であるマリアージュは、嘗てラヴィニスを罠に嵌めて拉致しようと企て、あわよくばその過程で謀殺しようとした過去がある。
その事件こそが彼に自重という言葉の存在を放棄させ、現在のマリアのような本物の怪物と呼べる存在を生み出してしまう結果となったのだ。
「ら、ららら、ラヴちゃんが、こ、こここここ、婚約することになっただってぇぇぇぇぇぇっ⁉」
齢十三才。現代日本で言えば、まさに”厨二”という不治の病気を患いかけていた俺に衝撃が走った。
アヴィスフィアに転生し、転性していたことを自覚してから早三年。こんなにも大きなショックを受けたことはない。
「……実はそういう話が出ているのよアイちゃん。しかも相手はアイちゃんのお兄さんでもある、あのエルクド皇子だって話なのっ!」
「な、ななな、何でそんな話になったの? え、エル兄様にはラヴちゃんは勿体ないって! だ、駄目だよ駄目! 絶対に反対だから!」
「全くもう。アイちゃんは本当にラヴちゃんのことが好きなのねぇ。でも融合派にとって皇家と公爵家の関係性の強化にはどうしても必要な婚約話だから、残念だけど、今回ばかりは流石のアイちゃんでも諦めるしかないかも知れないわねぇ」
よ、よりにもよってエル兄様だって⁉ あんなダメンズの筆頭候補みたいな皇子にうちのラヴィニスは勿体ないよ! 私、絶対に反対です!
うぅっ。独占欲を出すのもみっともないけど、嫌なものは嫌だ! ら、ラヴちゃんは俺の嫁だもん! 誰にもあげないもん!
――はっ⁉ し、しまった。二十七才プラス十三才イコール四十才という中年に差し掛かる元男子が言っていい台詞ではなかったっ!
「で、でもそれだったら私だって皇女だよ! 継承権は第三位と劣るけど、実績だけならエル兄様にもフルマン兄様にも負けないんだから!」
「うーん、困ったわねぇ。私もアイちゃんのことを応援したのは山々なんだけど、女の子同士だとどうしても世継ぎが産まれないから難しいと思うの」
「よ、世継ぎなんて養子でも何でも良いじゃんか! やぁだ! やだやだやだ! 私はラヴちゃんと結婚するのっ! 変な約束しないでよ父様の馬鹿ぁぁぁっ!」
「あらあら。全くこの娘ったらしょうがないんだから、もう。……ふふっ。ほら、アイちゃん見て? あっちにもその決定に全く納得のいっていない娘が不満そうに頬を膨らましているわよ?」
く、くっそー! お母さんってば誰の味方なんだよぉ! 言ってることは正論だし、この世界の常識的にも正しいのかも知れないけど嫌なんだよぉぉぉっ!
グスン。お、俺だって男なんだぞ? 中身だけだけどさ? 天使と見紛う美少女になれて正直めっちゃ嬉しいのは本当なんだけど、ここに来てそれが一番の障害になってしまうなんてあんまりだよ神様ぁぁぁっ!
――って、あ! あぁ。お母さんの言う通り、あまりの事態に足腰が立たなくなってしまったラヴちゃんにシュアに寄り添い、ラヴシュアてぇてぇ空間が領域展開しているではないか。
う、うぅ。そうだよな。一番つらいのはラヴちゃんだよな。好きでもない男性と婚約させられて、それを両親も親族も歓待しているのだから。
百合百合している素晴らしい状況下で一石を投じることに胸が痛むが、ここで声の一つも掛けないなんて今の俺には出来んのだよぉぉぉっ!
「……あ。あ、あああ、アイヴィス様ぁぁぁっ!」
「――ラヴちゃん! ラヴちゃぁぁぁんっ!」
「わ、私嫌です! 絶対に嫌ですぅ! 結婚するなら絶対に、アイヴィス様が良いですぅぅぅっ!」
「わ、私もだよラヴちゃん! ラヴちゃんは俺の嫁! これ即ち、絶対不偏の真理なんだからぁぁぁっ!」
声を掛けようと思って近づいたら、何やらシュアがラヴちゃんに耳打ちして俺の襲来を教えてくれたらしい。よし、これなら問題はないな。
だ、大丈夫だよ! 一体どうすればこの問題を解決出来るか分からないけど、絶対に阻止して見せるから! 安心して任せてよラヴちゃんっ!
――ん? 何か視線を感じる。……あれは、マリアージュ姉様か? 遠目だから定かではないけど、明らかに敵意を感じる視線だったな。
……もしや、嫉妬か? ただでさえ優秀な妹と常に比較されて来ただろうし、皇妃となることが内定したラヴィニスが気に入らないのかも知れないね。
嫉妬とは醜いな。なんて、俺は言える立場ではないだろう。絶賛エル兄様に嫉妬しているし、何なら彼女より凶悪な悪感情すら芽生えている自信がある。
こういうのをなんと言うんだっけか? し、シンパシーってやつ? それともシナジー? ま、まぁ要するに、気持ちは痛いほど分かるということだ。
「はぁ。アイヴィス様もラヴィニスもしゃんとして下さい! 皇女と公爵令嬢がその体たらくでは、貴族の規範としての立場が泣きますよ!」
「うぅっ。シュアが冷たい。私もラヴちゃんも失意の淵に立たされているというのにひどいよぉ」
「いいですか? 国を支える立場の貴女達がそんな態度では皆に不安が伝染してしまうのですよ? 貴族として生を受けた以上政略結婚は当たり前であり、むしろ両家にとっての架け橋となる名誉ではないですか!」
「そんな建前なんて聞きたくありませんー! 私が聞きたいのはどうやったらこの危機を回避してラヴちゃんと結婚することが出来るかだけですぅぅぅっ!」
ちぇー。シュアもお母さんと同じこと言うのかよー。俺だって見た目と違って子供じゃないし、社会常識としては理解してますもん。
でも知ってるよ? シュアだってラヴィニスのことを助けたいって思ってるでしょ? 俺ってばそういう細かな感情の機微には過敏だからね!
それにこうして俺が甘えれば、素晴らしい案の一つや二つ繰り出してくれるって知ってるから。なんと言ってもシュアはママみに溢れてるからな!
「全くもう。アイちゃんな甘え上手なんやけん。――『敵ん敵は味方』ちゅう言葉があるよね? それば利用すりゃよかて思うばい」
「……なるほど、確かに一理あるな」
「え、敵? つまりはどういうことなんですか、アイヴィス様」
「大丈夫。絶対に俺がなんとかしてみせるから、ラヴちゃんは大船に乗ったつもりで待っててよ!」
「アイヴィス様がそうおっしゃるなら信じてお待ちしますが、危ないことはなさらないで下さいね?」
「任せてよ! これでも私、”養殖ジゴロ”って呼ばれるほどにはヒトを操るのが上手いからね!」
「提案しといてあれっちゃけど、正直ちょっと不安になってきたばい。……ラヴィニス。うちが無茶しぇんか見張っとくけん安心しんしゃい」
ふふふっ。流石はシュア、完璧な助言だね。確かにあの娘を使えば事は簡単に進みそうだし、本人も満更じゃないだろう。
利害の一致とは正にこのことで、あとはどうセッティングするかで今後の流れが変わってくるね。
エル兄様は自身を肯定してくれる存在を常に求めている所謂チョロイン属性系の皇子様だし、彼女の協力さえ得られれば話は早いはずだ。
「こーんにちは! 今日はお日柄も悪く、どんよりと分厚い雲に覆われて最高に気分が陰鬱になりますよね、マリ姉様?」
「…………」
「いやん。マリ姉様ったらそんなゴミクズを見るような目で見るなんて、一体私に何を期待しているのですかぁ?」
「ぐっ! あ、相変わらずヒトを小馬鹿にするのが上手な娘だこと! ……はぁ。それで、一体何のようですの?」
あらやだ。マリ姉様ったら辛辣ぅ〜。……さて、冗談はさておき。彼女こそが我が計画の共犯者となるべき人物の、マリアージュ様である。
貴族の女性の典型と言って差し支えないほどの絵に書いたような高飛車な公爵令嬢であり、学生時代は数多くの取り巻きを連れ歩いた半ば伝説と化している存在の女性だ。
言わずもがなラヴィニスの実姉に当たるのだが、その関係性は完全に冷え切ってしまっている。
冷え切ってるとはいったが、ラヴィニス自身はそういった感情はないらしく、一方的に彼女のほうが嫌煙しているというのが正しいと言える。
幼少期から上昇志向の彼女は婚約者選びにも妥協することなく、今もなお皇子のうちのどちらかを虎視眈々と狙っている女豹だ。
完全なる被害妄想なのだが、彼女からしてみればラヴィニスは立派な泥棒猫に見えるだろう。故にこそ俺の共犯者となり得るのだ。
「では本題に入りますが、マリアージュ様は今回の婚約についてどうお考えですか?」
「……ただ婚約と言われても、私位になると星の数ほどありますの」
「正式な発表はまだされていないようですが、私の兄であるエルクドとマリアージュ様の妹御であるラヴィニス様との婚約の話です。正直な感想を申させて頂くならば、私はその役目こそ貴女様にこそ相応しいと考えているのです」
「……貴女は自分が何を言っているのか理解していますの? もし貴女の父上にでも聞かれたら、反感を買うだけでは済まされませんわよ」
「お心遣い、感謝致します。ですが、例えそのリスクを負ってでも、私はマリアージュ様のお考えをお聞きしたいのですよ」
貴族というのはどうしてこうも回りくどい言い回しが好きなのだろうか。誰の目から見ても気に入らないのは明らかなのに、言質を取り優位に立つためならば自身の感情とは全く別の自らの意思で発声をするのだ。
正直言って、未だにその生態があまり理解出来ていない。商談などの重要な場での駆け引きならいざ知らず、普段の日常会話にまで持ち込むなど不毛すぎる。そんなに肩肘張って、よく疲れないなと感心してしまうほどにはね。
俺は個人的に、言葉というものはそれそのものに力が宿っているのではないかと考えている。
「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせている内に本当に大丈夫だと思えるようになっていたという実体験もあるし、「ただいま」という言葉に「おかえり」と返して貰えるだけでも何処か満たされたような気持ちになるからだ。
当然個人差もあるだろうが、心理学的にも言葉を口にすることでその言葉の影響を受けるということを聞いたことがある。
これは偏見でしかないが、だからこそ貴族というのは皆が皆偏屈なのではなかろうか、というのが最近の俺の研究結果である。
「……はぁ。貴女にこんな事を言うのも癪ですが、正直にいって気に入りませんわね」
「そうでしょうとも! そうおっしゃると思って私、妙案をお持ちしたのですよ!」
「……嫌な予感しかしませんわ。それに私、貴女をあまり信用しておりませんの」
「大丈夫ですよマリアージュ様。『敵の敵は味方』って良く言うじゃないですか! 私と共通の目的を達するために、打算まみれの悪巧みをしましょうよ? ね?」
「見事に開き直りましたわね。……まぁ良いですわ、貴女の考える”妙案”というのを教えなさい?」
だからこそ異質である俺が他者の関心を得やすいという利点があるので悪くはない。後は社会で学んだプレゼンテーション力で堕として差し上げましょう。……ふふっ。覚悟して下さいね、マリ姉様。




