一章09話 迫りくる悪意03。
時は戻り、アイヴィスが現皇帝に次代として即位せよと宣告された日から二週間ほど経ったある日。エルクドは、弟であるフルマンの執務室を訪れていた。
「――フルマンよ。つべこべ言わずに余に従うが良い。さすれば悪いようにはしないのでな」
「……はぁ。兄上、また何か悪いものでも食したのですか?」
「悪いもの、か。確かに体内に取り入れるという意味では間違ってはいないかも知れぬな」
「……? 何をおっしゃているかは存じませんが、お断り致します。申し訳ありませんが私は素より、アイヴィスが後継となるべきだと考えておりましたので」
全体的に飾り気の少ない、それでいてシックな基調の家具を配置した部屋の机を前にして、皇国の重要人物である皇子が二人対峙していた。
魔法やスキルなどの効果を妨害する防御壁が展開されたその部屋からも、フルマンがどれだけ思慮深く、また外部の人間を信用していないことが伺える。
正確には全てを遮るものではなく、既に物に付与され壁内で活用しているものや、内側で展開されるものに関しては例外となる。
フルマンが意図したわけではないのだが、その効果が間接的にアイヴィスの『要人監視』を妨害する形となっていた。
彼の執務上――つまり国防を担う上ではそれも致し方のないことであり、むしろ半神であるアイヴィスのスキルすら防げるのだから、その効果は神にも通づる可能性がある素晴らしき技術とも言えるのだろう。
とはいえ『要人監視』は個別――ユニークスキルなので、同様の効果の神威スキルがあるのなら防ぐのは難しいと言わざる負えない。
以前にも語った通り、神威には同格以上の神格を待つ者の神威でしか対抗することは出来ないのである。
ちなみにその防御壁はフルマンのオリジナルであり、アイヴィス(リンネ)が張る結界とはまた別種のものであると明記しておこう。
「で、あるか。……時にフルマンよ。お前は随分半人に入れ込んでいるようだな」
「――ッ! な、なんのことでしょうか?」
「とぼけるでない。お前の部下――名をなんと言ったかは忘れたが、その妹御は実に愛らしい見た目をしていたな」
「……兄上――いや、エルクド貴様! まさか、ヒルデに手を出したんじゃあねぇだろうなぁ?」
「ほう、ヒルデというのか。フルマンよ。貴様もアイヴィス同様に、中々に良い趣味をしている」
「――チッ、何が言いたいっ!」
「はっはっは! 安心するが良い、まだ何もしておらぬよ。それに半人とてヒトに違いあるまい。むしろ魔族の血が混ざっているのならば、より大きな戦力になるではないか」
思わず立ち上がり、戦慄するフルマン。常に腰に帯刀している東洋の刀剣に手を翳し、如何様にも対処できるように警戒を強めている。
まさか自分があの臆病な兄であるエルクドに見透かされ、更には人質を示唆する脅しを掛けられている。その事実を”異常事態”と言わずになんというのだろうか。
正直に言えば、幼い頃から優秀だった彼にとっての兄は、今の今までまるで意識する価値すらない凡愚だった。
そう。ただただ平凡な人物だと認識していた相手がこの瞬間、即座に得体のしれない悪意の塊へと変異したのだ。
何より驚くのが抱えている私兵の殆どが魔族とのハーフであること、そしてその中に気を寄せるただ一人の女性が居るという情報までもを掴まれていたことだ。
フルマンは軍属で、更にはその長官にならんとする者だ。当然情報の重要さとその守秘性に尽力しており、まさか身内に、それもあの愚かだと言われていた兄に看破されるとは夢にも思わなかったのである。
「よ、要求はなんだ? 俺にも出来ることと、出来ないことがある!」
「素直なのは美徳よな。何処かの誰かにも見習って頂きたいものだ」
「問答などいらん! さっさと本題に入りやがれ!」
「ふむ。その殺気は悪くはないが、兄への敬意というものがなっていないな。――穿て焔よ、『紅蓮一閃』!」
「――なっ、何ぃっ⁉ ぐ、ぐあぁぁぁっ⁉」
フルマンは貴族、それも皇家に連なる最高峰の系譜だ。いくら兄とは言え、ずっと愚かだと見くびった相手に臆することなど出来るはずが無く、また自分を害することが出来ようなどとは露にも思っていなかった。
何より軍部を預かる身の上故に、脅しに屈するなどということはあってはならない。一度その要求を飲んだら最後、骨の髄までしゃぶり尽くされることになるという事実を、その特殊な立ち位置上理解しているのだ。
フルマンは常に正しい。――だが、今この場での選択としては間違いであったと言えよう。何故ならばその問答の代償に、彼の右腕の肘から肩口にかけて真一文字に溶断されてしまったからだ。
流石に加減をしていたのか、傷そのものは深くはない。しかし傷口というよりは焼失に近いので、自然治癒を高める一般的な『治癒魔法』では癒えず、失った部位を取り戻す奇跡の魔法である『再生魔法』が必要になると思われる。
傷を治す治癒魔法は決して万能ではなく、失った部位は元には戻らないし、ウイルスや感染症から来る病気の治療も出来ない。故に世の中の治癒師は医療も同時に学んでいるのである。
ちなみに再生魔法は教国が独占する魔法なので、一般的には広まっていない。一節によると、彼の国が信仰する女神アイシュタルから下知された特別な魔法なのではないかと言われている。
「フルマンよ。この程度の剣撃を避けられぬとは、執務仕事ばかりで腕が鈍っているのではないか?」
「……う、ぐぅぅ。――はっ! 兄上こそ、まるで悪魔の誘いに乗ったかのような変貌ぶりじゃねぇか!」
「くははっ! 言い得て妙だわな! 事実、正にその通りなのかも知れぬ」
「――チッ。俺がこのざまじゃ、抵抗しても無駄みてえだな。……兄上。俺の仲間を受け入れてくれるのなら、手を貸すことに躊躇いはない」
「で、あるか。流石は我が弟よ。実に合理的で、物分かりが良い。……あのじゃじゃ馬と違ってな」
明らかに不審であったエルクドに、フルマンは最大限の警戒をしていた。だが実際に全く反応も出来ず、瞬く間に利き手の自由を一時的にでも失ってしまった。
フルマンは武人故に、自分と相手の戦闘力を客観的に図る能力に長けている。以前のエルクドであればヒトを傷つけることを恐れるばかりに剣撃の冴えはゼロに等しく、全属性に適正が合ったにも関わらずそのいずれの長所も延ばすことは出来なかった。
しかし蓋を開けてみれば見事に呼吸の合間を付かれ、一切の反応を示すことが出来ないままに勝負に負けていた。
その事実と彼の経験から、目の前にいる兄の皮を被った悪魔に抵抗することは、即ち”死”に直結すると警鐘を鳴らしていたのだ。
相手が他国であるならば、ここで引くことなど絶対に許されない。しかし今回に限り、相手は同じ皇国民かつ皇位継承権の正当保持者だ。
仮にここで雌雄を決することになれば内乱となり、抱えている両戦力をすり減らすことによって国防が不安定に成りかねない。
皇国の皇帝を望むならば、この程度の意思と行動力で皇帝の座を奪うくらいの度量はあって然るべきだ。父は立派だが、甘さが抜けていない。そう感じていたフルマンにとって、むしろ兄の変化は望ましいとも感じていた。
人質を取られ、その動揺と怒りの隙をつかれて勝負に破れ、利き腕の自由すらも失った。だがそれでもあの凡愚が、それを補って余りある実力と成果を見せたのである。
「――フルマン殿! その腕は一体――まさかっ⁉」
「チッ。全く、飛んだ恥を見られたもんだ。……あぁ、この通り惨敗だ。我らはこれより、エルクド兄上を支持することになった」
「……それは構いませんが、宜しいので?」
「ふん。良いも悪いも仕方がなかろう。ここで戦力を消耗しては、神国に付け入る隙を与えることに成りかねん」
与えられていた任務を終え、偶然このタイミングで報告に上がったジグルドの目に、敬愛する上司の惨状が飛び込んだ。
腕っぷしだけで言えば自身が勝るものの、仲間内では五本の指に入る猛者。何よりもその懐の深さから、大多数が魔族とのハーフである半端者を迎い入れてくれた義心熱き武人。
その恩人の状態に感情が沸騰しかけたのだが、当人であるフルマンが潔く負けを認めたのならば従うまで。それこそが彼にとっての忠義なのである。
「それに今の兄上なら妹――アイヴィスに勝ることも可能かも知れないからな」
「ははぁ。かの御仁はなんと言いますか、”御し難い”存在のようですからな」
「フルマンよ。彼奴とて、自身が不利だと察すれば直ぐにでも恭順を示すだろうて。何せあの様な事件まで起こすほどにラヴィニスとやらに入れ込んでいるのだからな」
「――エルクド兄上。臣下としての初の忠言を言わせて頂けるのならば、アイヴィスの弱みと成りうる彼女を”人質”にするのは辞めたほうが良いでしょう」
「……ほう。こう言ってはなんだが、お前に通じた方法故に、あの愛妻家気取りにはより効果的だと思うのだが」
「――利きすぎてしまう可能性が拭えません。おそらくですが、アイヴィスは国より血縁よりそのラヴィニスを優先するでしょうから」
フルマンとしては確かにヒルダを出汁にされたことで、怒りという隙を産んでしまった事実を無かったことには出来ない。
しかしあくまでも一過性のもので、もし仮に彼女と国家を天秤にかけたのならば、やむを得なく切り捨てることになるだろうと自覚している。
国の運営、そして軍閥は綺麗事だけでは成立し得ない。国家あっての国民であり、皇国あってこその皇帝なのだ。
象徴であり、指導者でもある皇帝が無能であることなど許されず、仮に有能だとしても政治に私情を持ち込むなどは言語道断なのである。
「フルマン。つまりお前は、彼奴が国家を滅亡させる可能性を秘めていると言っているのか?」
「……分かりません。ですが、少なくとも我らの系譜は消滅するでしょう」
「ふははははっ! ”軍閥の鬼公子”と呼ばれたお前をそこまで警戒させるとは、我が妹ながらその才に嫉妬する心を禁じ得んな」
何が面白いのか、爆発したかのような笑い声を上げるエルクド。かつての様な自嘲する笑みを浮かべる姿など、最初から無かったかのような変貌具合である。
フルマンとしても洗脳の可能性を考慮していたのだが、仮定した際に何故か以前より実力が上がっている点と、明快な言動で挑発するという二点から、その可能性がゼロに等しいと判断した。
洗脳とは言葉だけで聞くと簡潔だが、実際にヒトを操るとなると困難を極める。故に実力を隠していたという路線の方が、信憑性が高いのだ。
例えば”自失”の効果がある薬剤を用いることで自我を奪い、一時的に傀儡にすることは可能だ。
しかしその副作用による倦怠感や自我の消失によって起こる喜怒哀楽の欠如により、身近なものに勘付かれてそのまま破綻する可能性が高い。
逆に正確に操ろうものなら補助要員を配置し、対象の日常生活を常日頃から近くで監視しつつその精度を高める必要がある。
早い話、リスク対効果の効率が極端に悪いのだ。仮に広範囲、それこそ国家全体を洗脳による常識改変が出来るのならば効果は絶大だろうが、その規模の魔法乃至スキルとなると、それこそ神と呼ばれる存在でなければ不可能なほどの出力が必要なのである。
「で、あるならば、先に皇帝である父をその座から引きずり下ろす算段を練ることにしよう。――フルマンよ、お前の防御壁が必要だ。付いてまいれ!」
「――ハッ! 了解致しました!」
まるで最初期からの臣下のような最敬礼をするフルマン。その様子に満足したのか、エルクドと思しき人物は部屋を出て、ずんずんと歩みを進めいった。
その堂々たる様は正に皇帝と言えるだろう。後ろを振り返ることをしないというその言葉を体現するかの如く、足早に次の凋落目標へと向かっていった。
要するにエルクドに扮したジョーカーはこの二週間の間に皇国の正確な情報を精査し、その過程で何者かによる監視が付いていることを察したのだ。
故により隠密性の高い能力を持つ者を強引にでも引き込み、その上で現皇帝に対する効果的なアプローチを試みようという算段なのだろう。
「……ジグルド。これより二週間以内に、アイヴィスに登城するように働きかけろ。拘束とまではいかずとも、断れぬ状況を作るのだ」
「分かりました。……なるべく穏便に、ですね」
「あぁ、頼んだぞ。何やら嫌な予感がするのだ」
敵わないと悟り表面上は恭順を示しては居たが、フルマンとしても自身の利き腕に二度と消えない焼痕を残し、さらには愛する者までを脅威に晒した兄をただで許すつもりなど毛頭なかった。
故に自身が出来る最大限の嫌がらせをしてやろうと目論見、その手段を部下に命令を下したのだ。実際に意趣返しが出来るチャンスは今、この瞬間を除いて巡り会えないかも知れないのである。
何より臆病であったはずのあの愚兄が、先のような無謀な強硬策を躊躇いもなく実行するということにも違和感を禁じ得なかった。
そう。実際に口に出したことでその疑惑が膨らみ、一刻も早く何かしらの対処をしなければならないという衝動に駆られたのである。
そしてそれは皮肉なことに、最悪の形で結実することになる。エルクドと思しき何かを抑制するには、後にも先にも今のこの瞬間だけだったのだ。




