一章01話 アインズ皇国。
アインズ皇国の象徴たるは白鷺城。ノイシュバンシュタイン城を彷彿とさせるその白亜城は見た目麗しく、周囲を覆う湖がそれをまた強調させている実にファンタジーな様相をしている。
何より重要なのが、湖に浮かぶ小島の丘陵部分に城が立っていることと、島と陸を結ぶ通用路が跳ね橋となっていることだ。
要するに、害意が外から迫った際は断崖絶壁がその侵入を阻み、さらに跳ね橋を上げることで瞬間的に外界から断絶出来るのだ。
勿論船などの連絡手段も残されてはいるが、同国内には商用利用の船しか一般開放されていないので迎撃は容易だ。
唯一不安なのは食料などの補給が上げられるが、冬場に備えての備蓄食料庫が約半年分と、小島の内での菜園で賄えるので継戦能力は高い。
また、魔法的な保持機能があるのか細かな塵すら付いておらず、建築当初から二百年余り経った今でもなお新築同様の輝きを放っている。
とある学術者が調べた結果、地層は古いもので約一億年前のものと考えられており、地盤からしても相当に安定している良質な土地で有ることが判明した。
小国であるアインズ皇国が二百年もの間存続し続けたのは、ひとえにこの難攻不落の城と地形、並びに首都を囲む城壁のおかげだろう。
首都であるアインズブルグはその周囲を高さ十二メートル、幅三メートルの城壁が覆っており、内外からの侵入出を頑なに拒んでいる。
北を除く四方にそれぞれ大きな門が設置されており、各所の侵入出の記録と監視をする魔道具が設置されている。
ちなみにこの魔道具による監視は数年前から実施されている新たな試みでも有る。ただでさえ貴重な魔道具の中でも高価な『解析・鑑定』の魔法が付与されているのは、アヴィスフィア広しといえどもこのアインズ皇国だけだろう。
「師匠! ベニヒメ師匠! 我が娘は未だ戻らないのですかっ⁉ 姿が見えなくなってからもう三週間になるのですよ!」
「お気持ちは分かりますが、落ち着いて下さいアル君。一国の王たるものが、そんなに狼狽してはなりません」
そんな風光明媚な白鷺城の一角のメイド長室にて、悲壮な顔をした壮年の男性が二十代前半に見える三毛猫(紅白黒)の尾耳族女性――ベニヒメに食って掛かっている。
彼女はアルマスと呼ばれた男性のそのすさまじい剣幕も何のその、忠言を繰り出す程度には冷静な対応を取っている。
しかしよく見れば二つ有る尻尾の一つがしょんぼりと項垂れており、彼女としても心配で仕方がないということが伺える。
ラヴィニスやシュアというアインズ随一の猛者が傍に控えていることは重々承知の上だが、それでも不安になってしまうのは乳母であるが故なのだろう。
「……失礼したベニヒメ殿。私としたことが、どうやら冷静ではなかったようだ」
「全くもう。そういった態度の片鱗でもあの子の前で見せてあげれば、今よりもう少し懐いていたでしょうに……」
「そうは言うが、私は皇帝なのだ。子とは言え、弱みを見せるなど出来ようもないであろう」
「……はぁ。我が弟子ながら、不器用なものですね。そこはあの人ではなく、私を見本にすれば良いものを」
「私はもう一人の師匠――コタロウ殿の生き様に惚れたのだ。故に不器用でも、私が信じた王道を違えたくはない!」
「……意地を張ることだけが王ではないでしょうに。そんなことだからあの人は、帰って来れなかったのですよ?」
皇帝アルマス。某国となってしまった獣王国カラサギの民を自国の民として受け入れ、尊重している第一人者。
歴史家の多くはその功績を後世に残すだろう。賛否両論あった獣人族の難民受け入れを、”皇帝の強権”を使ってでも実行した歴代初の皇帝だからである。
”皇帝の強権”とはその名の通り強引に権利を主張することであり、反対する勢力が何を言おうと考えようとその一切を無視して国の大事を決定する一種の暴力だ。皇帝であれどおいそれと行使出来るものではなく、最悪不審からその座を降ろされる事態に発展する可能性すらあるのだ。
しかし王を失ったカラサギは当初、殺人や強盗、人攫いなどが横行する危険性を大いに孕んでいた。
獣頭族や尾耳族などの獣人は魔法こそ使えないが、その身体能力は他のどの種族よりも高い。そんな彼らが手綱無しで暴走したら、ヒト族の社会などまたたく間に蹂躙されうる。それを主たる理由として、アルマスは”皇帝の強権”を行使したのである。
「確かにそれはそうかも知れませんが、それでもコタロウ殿は民を最後まで守り抜いた。……生命だけではなく、その心も」
「あの人は素晴らしい人格者です。一族を守るために獣人の王となり、唯一の王として獣人を守った英雄と言えるでしょう。……でも私は、そんな名声よりも自身の生命を大事にして欲しかった。娘は、あの人にべったりだったのですよ? ……全く。家族を悲しませることの、何が王道ですか」
「ベニヒメ殿……」
「止められなかった私も同罪ではありますけどね。……それはそれとして。貴方にも感謝しているのですよ、アル君」
「……私は師であり友でもある英雄との約束を、ただ愚直に守っただけに過ぎませぬ」
ベニヒメとアルマス。妻とその弟子という差はあるが、コタロウを思う気持ちは二人共に本物である。
アルマスは彼の気高い生き方に感銘を受けて育ち、ベニヒメはその懐の深さに惚れ込み愛し子を成した。王の最後としては確かに立派ではある。だが、子を持つ親としてはその責務を放棄したとしか言えない最低の仕打ちをしてしまっているのだ。
二人の間に何とも言えないしんみりとした空気が漂う。思いの差など無いに等しいのに、感じている心の内は相反してしまっているのだ。
「――失礼致します。アルマス様。エルクド様がお探しとのことですが、如何致しましょうか?」
「相分かった、すぐ向かおう。……ベニヒメ殿、娘が見つかり次第連絡を下さりますよう」
「分かりました。……アル君、大丈夫ですよ。アイちゃんは、必ず戻ってきますから」
「……ええ。あの破天荒な娘のことです。何処かで寄り道して夢中になってしまっているのだろうと、重々承知しておりますとも」
エルクドとはアルマスの嫡男であり、アインズ皇国の皇位継承権第一位である第一皇子だ。彼は眉目秀麗だが凡才で、おおよそ皇帝となれるような器ではなかった。
しかし皇子に取り入りたい貴族の派閥が何かとつけて褒め称えるので増長し、今では立派なダメンズの筆頭となってしまった。
なまじ優秀な上に妹――つまり女性の身であるアイヴィスとの相性は最悪で、事あるごとに絡んでは口先ばかりの讃辞で一蹴されるというとても残念な側面も持っている。
当の本人はそれすらも分かっていないのか持ち上げられて有頂天となっているが、周囲の目が冷ややかなのは言うまでもない。
継承権第二位である第二皇子のフルマンは幼少期より武芸に長け、当人もその才を存分に発揮し、今では軍閥の代表格と言えるまでの成長をした。
しかしその反面政治には疎く、決して学力が低いわけではないが、貴族間における立ち回りがお世辞にも上手とは言えなかった。
要するにフルマンの求心力は軍閥に特化しているので、皇家としては軍国主義を語る彼とその後ろ盾を指示するわけにはいかないのが現状なのだ。
ちなみにアインズ皇国に国教はない。友好国であったカラサギが宗教戦争に巻き込まれ滅びたこともそうだが、初代皇帝が徹底的に宗教団体を排除したという歴史的背景が大きい。
国内においても個人での信仰は認めているが、団体となることは許されず、公になった場合は最悪極刑となる可能性がある。
当然教会と呼ばれる建物も存在していないが、代わりに国選ギルドである『夜烏』がその代わりを努めている。
一例として挙げるならアイヴィス達が補修した孤児院などがその一貫だ。魔物や野党に親を殺されたものや捨てられ或いは売られたもの、親が犯罪者となったものまで幅広くその門戸を開き、未来ある子どもたちを救済しているのだ。
とは言うものの、完全に無償ではない。そこで保護されることをになった子どもたちは必然的に『夜烏』所属のギルドメンバーとなり、性別や年齢に見合った”お仕事”をすることになるのである。
そして、皇位継承権第三位こそが我らのアイヴィスさんである。
アルマスの長女として産まれ、十の年までは”才色兼備”で”慎ましく”、”お淑やか”な”理想の皇女”だった彼女。……しかし、彼女は”彼”だった。
自我が芽生えたその瞬間。アイヴィスは自身が”烏丸朱羽”だったことを思い出したのである。
そしてその日から、アイヴィスさんの破天荒っぷりが存分に発揮されることになる。
彼の最初にして、最大の事件がある。……”公爵令嬢誘拐事件”。その名の通り、ある日突然公爵家の御令嬢がその姿を消した前代未聞の大事件だ。
彼がそのような暴挙を行った理由は実に単純だ。簡潔に述べるなら、ラヴィニスが政略結婚の道具にされて、その未来に影を落としたからである。
国の重鎮である公爵家はその高貴な家柄だけでなく、当然様々な使命や重責を背負っている。
その最たるものが子孫の繁栄であり、早い者で生まれる以前から婚約者やその候補が決まっていることもある。
この世界でも次女として産まれたラヴィニスには当初、婚約者候補に侯爵家の嫡男の名が上がっていた。
公爵家としては申し分のない家格の相手であったのだが、敵対派閥との癒着が公となり事実上の破滅を迎えて白紙に戻り、以降の候補者選びは慎重にならざる負えなくなってしまった。
敵対派閥と無縁な年頃の男子。その上で家格の釣り合う者などそうは居ない。ただでさえ美しい容姿なのに公爵家切っての神童と呼ばれるほどに武芸に長け、十を迎える年には皇国で開催された闘技大会で見事優勝を果たし、成人を機に正式に皇国から『騎士』の称号を叙勲するほど高みに至っていた。
皇国の歴史上類を見ない快挙であり、大変名誉なことなのだが、それも相成り婚約者の選定が困難を極める結果へと繋がってしまったのだ。
現代日本風に言えば”花の高校生”と呼ばれる十五才を迎えたラヴィニスは、文字通り何人も近寄りがたい”至高の花”へと至っていた。
そこで満を持して名乗りを上げたのが皇帝その人であり、自身の第一子をその候補をすると電撃的に宣言したのである。
あまりに唐突な婚約発表に各派閥の貴族は混乱し、中でも激しく抗議して抵抗を見せたのが我らがアイヴィスさんだった。
辞令が出た瞬間から文字通り手段を選ばない抵抗を繰り返し、最終的に”誘拐”という強硬手段を遂行したのだ。
その結果、ラヴィニスと第一皇子との婚約は成立する前に破綻して白紙となった。……決め手となったのは言わずもがな、”誘拐事件”である。
貴族というものは、何よりも名誉を尊重する生き物だ。そして一度攫われたことがあるという事実は、その尊厳を傷つける”凶器”となったのだ。
アイヴィスが何故そのような暴挙を行ったのか、詳細はいずれ、語ることもあるだろう。大事なのはその時にラヴィニスが彼に惚れ直し、更に深い愛と忠誠を心に刻んだという、その一点だけなのである。
ちなみにシュアがアイヴィスのお目付け役として正式に任命されたのはその事件があったからでもある。生物学的に同性で彼の暴走を止められるもの、その候補は驚くほどに少なかったのだ。
「……ふふっ。確かにアイちゃんは皇帝には向いてないかも知れないわ。……身内を、大事にしすぎるもの」
ベニヒメの言う身内とは血の繋がりではなく、大切に思う相手のことを指す。……要するにアイヴィスは、国や民よりも個人を優先するということだ。
なるほど支配者には向かないと言えるだろう。彼としても、それを自覚しているからこそ皇位継承権を放棄しようと考えているのだ。
冒険者登録をし、一人前と呼ばれるCランクまでギルドランクを上げたのも、追い出された場合の生きる手段を考慮してのことだったのである。
「父上! 何処に行って居られたのですか! ……まさか、またあの獣風情に会ってきたのでは無いでしょうね?」
「……はぁ。エルクドよ。お前が何を勘違いしているのかは分からぬが、彼女は我が師。それ以上でも以下でもないわ」
「この際それはどちらでも良いのです! ただ皇帝である貴方が獣風情相手に足を運ぶというのが問題なのですよ!」
「エルクド。何度も言うようだが、獣人達を獣風情などと称するのはやめよ。彼らとて、皇国の大事な民なのだぞ?」
此奴の名はエルクド。我が娘であるアイヴィスとは、また違った意味で厄介な馬鹿息子である。
強権を発動した弊害か、未だにそのことに反感を持つ派閥が居るのだが、どうやらこの馬鹿に目をつけて扇動しているらしい。
手の掛かる子ほど可愛いなどと巷では言うらしいが、次期皇帝とならんとする者がこの体たらくでは話にならんな。
もしこのまま主体性が無く流され続けるようなら、皇帝の座は別の候補者を起用する他あるまい。
とはいっても次男のフルマンは政よりも軍務に精を出しているし、三男はまだ十歳になったばかりと来たではないか。
私ももう五十を超えた、寄る年波には勝てぬ。ここは予てより決めていたアイヴィスを女帝に据えて、悠々自適に摂政として余生を満喫しようではないか。
親の贔屓目なしで見てもあの子は優秀だ。物怖じしないし、ヒトに流されない。一本のしっかりとした軸を元に己を律して行動している故に、失敗したとしてもへこたれない。
近年の皇国における食生活の改善と国防の強化は、あの子の尽力あってのものに相違ない。
そして何より重要なのが、目的のためには手段を選ばずに行動して成し遂げ、その選択を後悔しないことにある。
皇帝に必要な能力の一つは、その”冷徹なまでの決断力”だ。自分がこの世界で一番正しいのだと胸を張れ。慢心せずして何が皇帝なのか。
そういった意味では我が馬鹿息子にも適正はあると言えるか。破滅するのもまた、皇帝の努めでもあるのやも知れぬからな。
とはいえ目に見えている地雷を踏み抜くなど、現役の皇帝としては愚かが過ぎる。少々波紋を呼ぶだろうが、致し方あるまいよ。
ふふっ。我が娘の狼狽する姿が目に浮かぶようだ。あの子は自分が女だから皇国の歴史からもまず選ばれないと思っているだろうが、女帝が駄目という法律は我が国にはないのだよ。……はは、ははは、わはははははっ!




