序章10話 魔の森に住まうもの04。
「それじゃあお兄ちゃん、覚悟はいいかな? 出来てなくても、しちゃうけど」
「えーっと、ごめん。ちょっと意味が分からないんだけど……」
「大丈夫だよ、リンネに身を任せて。天上のシミを数えてれば、すぐ終わるからね」
「ちょっ!? え? いやいやいや、何言っちゃってるの? リンネちゃん!」
魔の森の最初の森と暗黒の森の狭間。リンネの住処はそこに存在した。
まるで木々が避けるように円状に開けたその場所に、ポツンと平屋が一軒だけ建っていたのだ。
気持ちばかりの家庭菜園に、可愛らしい案山子。他の空きスペースには季節を彩る野花が一面を彩り、ここが危険な区域だと忘れてしまうほどに美しい光景が広がっていた。
リンネ曰く、家を中心点とした半径五十メートル内が円状の防御結界に覆われているらしい。認識阻害と侵入不可の効果があり、一層はおろか、二層の魔物も近づくことが出来ないそうだ。
「――えいっ! うわぁ。お兄ちゃんの中ってこんな感じになってるんだ~」
「――んぅぅっ! あ、あぁん。ちょ、リ、リンネちゃん? え、何? ホント何してるの怖いんだけど!」
そして今俺は、その家の一部屋であるリンネの私室にて当人に襲われている。より正確に表現するならば、臍に腕を突っ込まれて何やらこね回されているのである。
何を言っているか分からないかも知れないが、俺もよく分かってないので大丈夫だ。
痛みなどは一切なく、何ならちょっとくすぐったい程度なのだが、絵面的にも中々に衝撃であると言わざる負えないだろう。
ちなみにラヴィニスは湯沸かし、シュアは夕食の準備に取り掛かっているので幸い? にも妹と二人っきりである。
「うんうん、これなら住むのに問題なさそうだね。……はぁ。お兄ちゃんと一緒になれる日が来るなんて、私は幸せ者だなぁ」
「あ、あのぅ。話が全く見えないのですが。それに痛みとか一切ないんだけど、俺のお腹大丈夫なのかな?」
「――あっ! ご、ごめんねお兄ちゃん! その、興奮しちゃって居ても立っても居られなくなっちゃったの!」
陶然とした表情を浮かべるリンネちゃん。兄ちゃんそんな顔、前世通して初めて見たんだけど。
あれ? この顔って、兄である俺が見てもいい種類の笑顔なの? 何て言うかその、気持ちよくなっちゃってない?
指摘されたリンネは恥ずかしそうに居住まいを整え、キュポンと俺のお腹から自身の右腕を引き抜いた。
いや、実際はそんな音などはしていないのだが、見るままに伝えるならそう表現するのが一番適切であると感じたのだ。
「えっとね! お兄ちゃんが一緒に住もうって言ってくれたから、お兄ちゃんに住むことにしたんだ!」
「――ッ!? 要するに、何だ。リンネちゃんは今、兄ちゃんの中に入ろうとしたってことなのかな?」
「うん! リンネね、お兄ちゃんと一緒になりたいの!」
「……なるほど、分からん。兄としては分かってあげたいんだけど、どうやら俺は勉強不足だったらしい」
ふむ。どうやらリンネは俺と共に暮らそうという意味を、俺と共存しようと受け取ったようだ。
そんなことが出来るのかという疑問は、どうやら実際に出来そうなので先送りにするとして、これはどう答えるのが正解なんだろう?
今まで考えにも浮かばなかった事案故に、仮に共存するとしても、そのメリットやデメリットが一切合切分からないのだ。
このままでは埒が明かない。ならばと考えた俺は、当人であるリンネにその真意を聞きただしてみることにした。
「私、女神アイシュタル様が信者のために自身を切り分けて創った、人類救済装置なんだ! でも、それが嫌になって逃げて来ちゃったの!」
リンネの話を纏めると、どうやら彼女は女神アイシュタルの分体であり、彼女の故郷である聖アイシュ教国で神威のための”人柱”としての生を繰り返してきたそうだ。
女神には未来を見通す力があり、”約十年後の脅威に対して現界して対処するから、信徒は皆交配して私を産みなさい”という神託を下すらしい。
リンネの役目はそうした神託の元に産まれた新たな生命の内、女神の器として最も適した個体に宿ってその支配権を得ることだ。
そしてその個体として十年研鑽した後に、女神の神威の媒体としてその役割を全うするのが最終目的となるのだそうだ。
リンネといい、生まれたばかり――いや、生まれなかった生命といい、何とも可哀想な役回りである。
正直未だに現実味が無いが、魔法のあるこのアヴィスフィアにおいては、その悪夢ような役割が”現実”として存在することになる。
ちなみに赤ちゃん未満の生体以外に宿り支配することも出来るが、年齢を重ねるごとにその成功率は下がり、成人となる十五の年の個体は支配どころかその土俵にすら立てなくなるらしい。
最後にその役割を果たしたのが七年前に起こった獣王国カラサギと聖アイシュ教国の宗教戦争であり、結果としてカラサギが歴史から姿を消した。
アインズ皇国に住んでいる獣人のほとんどはその難民であり、どうやら俺のお父様が同盟国であったカラサギの獣王との約束を守り受け入れたという経緯なのだそうだ。
や、やだ。私のお父様、イケメン過ぎませんか? お母様、実にグッジョブです。
余談だが、シュアのお父様がその戦争で亡くなっている。そして、そのお父様こそが獣王国のカラサギ王だったのである。
「あれ? でも逃げてきたって、どうやったの? リンネちゃん、女神の神威とやらの媒体をさせられてたんでしょ?」
「うん! 私もう、死んでるよ! 今はね、精神生命体――幽霊だと思ってくれれば、まず間違いないよ!」
「なるほど、ね? えぇぇっ!? リンネちゃん、死んじゃってるの? でも触れるし、ご飯も食べてたような……」
「あ、あん! もうお兄ちゃんのエッチ!! まぁお兄ちゃんが触りたいって言うなら、リンネとしても吝かじゃないけど……」
頬に手を当てて、恥ずかしそうにクネクネと体を揺するリンネちゃん。正直俺は、それに反応してあげる余裕はない。
え、えぇぇ……。要するに俺の愛する妹は、異世界でももう死んじゃっているってことなのか……。
首の左右に通る頸動脈にも反応は無いし、心臓も動いてない。素肌に直接触れる限りでは確かに体温を感じるのに、生きていたら必ず動いていなければならない器官が機能していない。
理解が出来ない。現代日本ではありえない超常現象だ。いや、もしかしたら俺が知らないだけであったのかも知れないけども。
「ん。お、お兄ちゃんがリンネを認識出来てるのはね、はぅ。リンネのアストラル体を魔力で認知してるからだ、よ?」
「アストラル体? 精神活動における感情を司る身体であるとされる、あの? ……そうか。現代日本では魔力を持った個体が居なかったから認知できなかっただけで、本当は生物に備わっていたということなのか。それとも……ん? なんだ、このシャリって感触は」
「――あぁぁっ! ちょ、うん。解釈は大体あってるんだけど。な、ナチュラルに妹のお股を触ろうとしないでぇぇっ!」
「……リンネちゃん。いつの間にか、大人になってたんだね。兄ちゃん、嬉しいやら悲しいやらでなんか涙が出て……」
「さ、最低だよお兄ちゃん! リンネの境遇に涙してくれてるんなら兎も角、身体的な成長を触って実感して泣かないでよ!」
【悲報】妹が知らぬ間に大人になっていた件。あぁ、でも真っ赤な顔で怒る涙目なキミも可愛いよリンネちゃん。
でもそうか。アヴィスフィアでは死んでもこうやって相手と触れ合い、話すことも不可能ではないのか。
リンネが女神の一部だっていう理由で特別なだけなのかも知れないけど、こういった可能性があるだけでも前世よりは救いがあると思う。
前世でのリンネは、十才のときに病気で死んだ。原因は未知のウィルスによる、悪性の肺炎だった。
当時中学生だった俺はそれを聞き愕然とした。ただの風邪だと思った病気が肺炎で、子供故に病状の進行が早かったのだ。
期間で言えば、たったの一ヶ月。入院してから、それほどまでに短い期間で命を落としてしまったのである。
絶望という意味を初めて知った。感情が整理出来ず、自分はなんて無力なんだろうと号泣する両親を無感情に眺めていた。
漸く涙が出たのは全てが終わり、妹の遺影の前に骨壺が置かれた時だった。
その後俺は遺影の前で三日三晩泣き叫び、敷かれた畳は俺の指の痕が食い込んで戻らなくなるほどに変形してしまっていた。
二度とあの可愛いらしい笑顔も、怒ったときのぶすくれた顔も、涙でクシャクシャになった顔も、頭を撫でたときのホッとした顔も見れなくなってしまったのだ。
それを絶望と呼ばずしてなんて呼べばいい。俺はあの時の悔しさを、無力さを、そして理不尽に対する怒りを忘れたことは無い。
そして、もう二度と見られないと思っていたそれらが、今まさに俺の眼前で繰り広げられている。
ただただひたすらに愛おしい。俺の大切な妹は異世界に転生し、さらにまた死んでしまっているけど、それでも俺の目の前に現れてくれたのだ。何とも筆舌に尽くしがたい感情が俺の中に溢れ、今にも零れてしまいそうだ。
「……リンネ」
「あ……っ! お、お兄ちゃん?」
気が付けば、目の前にいる華奢な少女を抱きしめていた。
「リンネ、おいで? 兄ちゃんと一緒になろう?」
これ以上の言葉は要らないだろう。リンネが俺の中に住みたいというのだ。ならばそれを叶えてあげるのが、兄である俺の役目ではなかろうか。
本来の支配という形で、成人を迎えた俺に宿るのは難しいだろう。十五にもなれば自我はハッキリとしているし、何より誰かから指図などを受けるのが嫌な思春期の真っ只中である。
だが共存という形であればどうだろうか。俺としては最初から全面的に受け入れるつもりなので、恐らくは問題無いだろう。
実際リンネもこれならいけそうだって言っていたしね。理屈はともかく、彼女がそういうのならきっと大丈夫だ。
「ホントに、いいの? もしかしたら、二度と離れることが出来なくなっちゃうかも知れないんだよ?」
「最高じゃないか。俺は昔から、リンネが嫁に行く日が怖くて仕方なかったんだよ」
「……アストラル体だけじゃなく、魂まで同化しちゃうかも知れないんだよ? そしたらお兄ちゃんまで、私の役割に巻き込んじゃうかも知れないよ?」
「大丈夫。二人一緒なら、きっとどんな運命でも乗り越えられるさ」
「寂しくて、苦しくて、産んでくれた女神様すら恨んでしまうほどの悪感情が芽生えるかも――」
「――リンネ。もう一度言うが、大丈夫だ。全て兄ちゃんに任せなさい。……仮に駄目でも、俺達には騎士も従者もついている。あの二人の力も合わされば、女神様だって簡単に手出しは出来ないさ」
前世では無力に苛まれ何もできず、今世も周りに頼りながら生きている俺に出来ること。
それは、寄り添うことだ。悲しみは半分に、喜びは二倍に。苦しいときは互いを慰め、息抜くときはひたすら共にだらけよう。
兄として、何より愛する大切な妹のために。傍にいて上げよう。例えどんな運命が、俺達を待っていたとしても。
「お、おおお、お兄ちゃん好きぃ、だいだい、大好きだよぉ~! うわぁぁぁぁぁぁん!!」
「……ありがとう。俺も大好きだよ、リンネ」
少しはリンネの気持ちを軽くしてあげることは出来ただろうか。あの日以降どんなに願っても叶わなかった、ただ共に居るという当たり前。
俺とリンネの物語はこれからだ。沢山楽しいことをして、沢山思い出を作っていこう。それこそ叶うなら、永遠に。
……ふふっ、やはり大丈夫だよリンネ。俺達には心強い家族がいる。上手くいくことばかりじゃないだろうけど、きっとなんとかなってしまうよ。
「だばぁぁ。リンネちゃんが、そんな悲しい運命を辿って来たなんてぇぇ。ぐすっ、ぐすっ。大丈夫、大丈夫ですよ。お義姉ちゃんが何人からも護ってあげますからね」
「あぁほら、これば使いんしゃいラヴィニス。全く、ご飯出来たとになかなか来んて思うたらうち達抜きで大事な話なんかして」
涙腺が崩壊して顔面が凄いことになっているラヴちゃんに、冷静に対処しつつも柔らかい笑みを浮かべるシュア。
どうやら二人してこっそりと様子を伺っていたらしい。まぁ部屋にいたと居ても一軒家の平屋だし、様子を見ようと思わなくても聞こえてしまってはいただろうけども。
「お義姉ちゃんに、シロちゃん? ……あぅ」
自分の世界にどっぷりと入っていたリンネちゃんが、今更ながらに赤面して小さくなってしまった。
フォローしてもいいのだが、可愛いからやっぱりこのまま放置することにしよう。
くぅ。ここに前世の一眼レフがあったなら、それこそ高速連射撮影でこの瞬間をバッチリと切り取ってみせるのに!
「リンちゃん、大丈夫ばい。うち達に任しぇんしゃい。アイちゃんもリンちゃんもまるっと全部、護っちゃるけんね」
「し、シロちゃん……」
「ずるいですよシュア! 私だって二人纏めてお護りします! そしてリンネちゃんにお兄さんとの交際を認めて貰って、正式なお義姉さんになるのですから!」
「――本音が駄々洩れだよラヴちゃんっ!? や、俺個人としてはばっちこいなんだけども」
ラヴちゃんとシュアに両側から抱きつかれ、困惑しながらも幸せそうに笑うリンネちゃん。なにこれ、尊いが過ぎるんだが。
くっそぉぉぉっ! 前世の俺、なんで一眼レフを持って転生しなかったんだ! 馬鹿野郎ぉぉぉっ!
魔の森の狭間で響き渡る喧噪。それは幸せな一家の団欒であり、新たな運命が芽吹いた産声でもあったのである。




