92・ベーブ・ルーシャ
元ネタはベーブ・ルースさんです。野球回。
翌日の野球はサッカー観戦と同じようにフィールドに近い席をとって並んで見た。野球部はあるがグラウンドの広さの都合上他の部に譲ることがあるため毎日は特訓できない。本気でプロになりたい人は違う高校に行くことが多く、この学校の野球部はそれなりという評価しか与えられない。そのため野球部がいても格段に強くなるわけではなく、野球部のいないルシャのクラスでも健闘できそうだという予想がある。ならば接戦を見せてもらおうということでやる気のない応援をしている。
「プレイボール!」
《1回》
先行はこちらだ。先制すれば相手を萎縮させられるという考えから1番には練習で強打を連発していた子を抜擢している。
「やったれぇぇ」
気の抜けた応援でもルシャのものなら元気が出るもので、1番はボールになるであろう球を無理矢理に打って3塁をぶち抜いた。速いゴロを止められなかった守備は2塁への進行を許してしまい、いきなり失点のピンチを迎えた。
「いいぞぉ~」
ダテトリオからのゆるい応援が全員に効いてダテ打線と化したチームが初回での猛攻で4点を得た。ではダテ守備はどうなのかと言うと、なかなかに苦戦していた。
「そうじゃなければ面白くない…」
休憩時間のリリアが来てリオンの上に座った。空いている席がなかったのだ。
「それもそうだが負けそうな雰囲気あるよ?」
ダテ守備はザルで、言い換えれば下手だ。ゴロを捕れない、フライをエラーする、送球が遅い…改善点を述べれば数分かかるくらいの酷い守備にはダテトリオも文句を言っている。リオンは敗退していれば監督を代われたと思いながら現監督のこれからの采配に任せることにした。初回5失点は褒められるものではないが、次に2点獲れば逆転する。
「しかしなかなかアウトにならんから時間かかるなぁ」
「お昼までには終わるかな?」
「どうだろうねぇ…飽きたら帰ればいいし、まあのんびり見ようよ」
《2回》
2回の攻撃はこちらの能力を相手に知られたために厳しい結果となった。素人でも知っているストレートは突出した能力のない高校生のものならば同じ高校生には対応できるもので、時速100キロ以下は大した脅威ではなかった。1回の表でそれを知った相手ピッチャーが変化球を試してから、ダテ軍の空振りが格段に増した。ボールの行き先を見切ることが難しくなったため、思うようにバットに当てることができないのだ。
「ボール!」
フォアボールでなんとか進塁するも次の打者が打ち取られたため3アウトでチェンジとなり、得点できずに守備を強いられた。
ならばこちらも変化球を投げてやろうということで、守備力向上のためにセンターに立っていた経験者がピッチャーになった。彼が少年野球時代に鍛えたカーブでバッターのショートゴロを誘うと、続く打者もピッチャーフライで仕留めた。2回は短い時間で終わったので、ダテトリオの眠気が少しだけ弱まった。
「飲み物欲しいねぇ」
「水筒あるよ」
「やったぁ」
子供のようなルシャがミーナの水筒に口をつけてグビグビ飲む。ミーナの手に戻った頃には残りが1割以下になっていた。
「お前…」
「いい水使ってんなぁ」
「お前………」
その様子を見たリリアがリオンの膝から下りてどこかへ行った。
《3回》
シンプルな考えでは勝てないと見たダテ軍は経験者頼りの打順に変更した。このゲームでは9番が打ち終えたタイミングでポジションの交代や打順の変更ができる。そこで経験者を連続させて確実に点を獲れる順番に変えて打たせた。これが奏功してダテ軍は4点を加えた。さすがは経験者、ここぞという場面で意地を見せてくれる。全員がヒットを打ったことは未経験者の励みにもなった。
経験者のピッチングには同じ経験者でも怯むもので、人の変わった外野の奮闘もあってこの回の失点を3で抑えた。経験効果の出やすいダテ軍のメンバーは連携の質も上がっていたため、相手にとって非常に厄介だった。速いゴロを滑り込みで拾ったライトが巧みな送球で2塁へと送ってアウトにし、次の打者にヒットを許すも1塁で留めることができた。続く打者はピッチャー渾身のストレート112キロでストライク。気合の入った咆哮には観客も大いに沸いて盛り上げた。
「いいねプロっぽい」
「いまのはシビれたなぁ!いいの持ってんじゃん」
「あれ来たら土手っ腹に喰らって死にそう」
「それ喰らいに行ってねぇ?」
ダテトリオはいつも通りどこかズレている話をしながらチェンジで走ってゆく選手に声援を送った。
《4回》
この回は経験者が少ないため破壊力に欠けるが、着実にヒットで進塁することを重視したバッティングで3点を加えることができた。経験者によるアドバイスを受けた初心者は何がコツかを理解したようだ。
守備は相手がストレートの脅威に惑ったため僅か1失点で終えた。相手を脅かすにはまずピッチャーが怖い球を投げねばならないと知った。
「究極言えばピッチャーが全員3アウトにすれば他は何もしなくても勝つ」
「やったことある人いるの?」
「分かんない…けどプロだとメチャメチャ難しいだろうね」
勝つことが嬉しくても動かずして終わるのはつまらないのではないかとルシャとミーナは思った。ここでリリアが帰ってきたのでミーナはスポーツドリンクを得た。
試合は5回裏で終わる。4回を終えてスコアは11-9。スロースターターたちの活躍によって4回を4得点1失点という差のつく回にして見せた。
《5回・最終回》
「いいぞぉ」
「眠くなってない?」
「うーん…なんか外野からヴァァン!っていうすげぇ送球しねぇかな」
所謂レーザービームをルシャは期待している。彼女の額はまだ少し腫れていて、ガーゼが貼られている。そんな危険なゲームを乗り越えたルシャと同じくらいの活躍を見せてほしいものである。
「なんか…こう…ジャンプしながらキャッチで1アウト、着地する前にリリースして2アウトみたいなスーパープレーもさ…」
プロ野球で稀にあるナイスプレーはプロにしかできないことではないはずだ。ただ、やろうとするとグローブがすっぽ抜けたりボールが離れなかったりすることが多い。
「リスク上等プレーは面白いよね」
是非とも躊躇いを捨てた思い切りの良いプレーをしてほしいものだ、というダテトリオの希望を誰かが聞いていたのか、最終回の表で3点を加えたダテクラスはいきなりファーストゴロに打ち取ると、次の打者を三振で拒んだ。2アウト進塁なしで5点差を埋めることは極めて難しいが、ここで”ジュタのホームラン王”が登場した。彼にはこれまで何度も苦しめられてきたため、今回はここが山場となる。
「しっかりなぁ~」
ダテな応援に慣れすぎた守備陣は気合を入れ直すことができず、2ストライクまで詰めたところでホームランを食らってしまった。これで4点差、まだドキドキしなくてよい…と思っていたのに、次、その次の打者に進塁を許してしまった。2アウト1、2塁。ここでホームランなら一気に3点が、満塁になれば次の打者に同点打のチャンスが巡ってくる。それを何としても防ぎたいピッチャーの集中は既に切れていて、ストレートがストライクゾーンを外すことが増えていた。あと1人という状況で苦戦するのはなかなかに楽しいものだが、それは観客の話である。ピッチャーはストライク重視で丁寧に投げた。
「あ!」
快音が響き渡ったらボールが空を移動して外野席を示す白線の枠へと入った。これで1点差、俄然ドキドキしてきた。
「ヤバいよ…!」
ダテトリオもリリアも焦る。野球は負けたらそれ以上試合ができないため、ここで散ると物足りない。ルシャたちは観戦の楽しみを残すためにユルくない応援をした。それには慣れていない守備陣がはっとした。
「お前らァ!気合入ってんのか!」
「オッス!」
主将の号令で気合を入れ直した守備陣の気迫がフィールドを満たしたとき、バッターに得も言われぬ恐怖を植え付けた。それは圧倒的な勝利への渇望だった。勝ちたいという気持ちのこもった投球はこれまでの緩やかなストレートではなく、キャッチャーが少し驚くほどの鋭い線を描いた。
「ストライク!」
これで勢いづいたピッチャーの熱投によってついに3ストライクとなり、ゲームが終了した。猛追虚しく相手チームは僅差で敗北し、涙を呑んだ。
「アァー」
試合終了のサイレンの真似をしたリオンに続いて席を離れたダテ2人とリリアは両チームの選手に拍手を贈ってから昨日と同じようにレストランに行った。
店員の誰かが球技祭が開催されていると知っていたのか、あるいはそれに関わらずルシャたちの来ることを予想していたのか、座敷の部屋は空いていた。そこで昨日のようにたらふく肉を食べたルシャは、今日初めて観戦した野球の感想を述べた。
「私がやるのは難しいと思うけど見てるのは楽しいね」
「私は見てたらやりたくなってきたよ」
「運動好きだなぁ…サッカーに集中しないといけないんでしょ?」
「そうだけど、やっぱり他のスポーツにも魅力があるよね」
「それは分かる。バスケも楽しかったもん」
「明日だぞ。優勝したらミーニャン宅でパーティーな」
いきなりの予約も問題なしのミーナが許可を出したので全員で祝勝会をするために優勝しようと団結した。
その日、ルシャは公園でアイと一緒にキャッチボールをした。アイのことは相変わらず手がかりを得られずにピエールも悩んでいるというが、ルシャは情報がごく僅かでも楽しいのなら進まないことに不満はないとして喋れないままのアイの投げるボールをキャッチしては投げ返した。
「よし、腕が疲れてきたから帰ろう。なんか買うものあったっけ?」
「…?」
アイは自分に不足しているものを把握しているため、何かあれば肯定する。そうしないということは持ち物に満足しているということで、寄り道をせずに家に戻りたいと訴えているような気がした。
「お昼寝する?」
「うん」
「じゃあお布団敷くね」
ルートの買った布団は折り畳まれて壁際に置かれている。アイはルシャと同じ布団がいいらしく、ルシャも暑苦しくなるまではそれで構わないとしている。ルシャがアイを抱くように眠ると手が背中の欠片に当たってその正体への探究心を煽るが、それよりも布団の中の程よい暖かさにやられて眠くなる。
夕方に起きたルシャは布団からそっと抜け出して野球について調べ始めた。父は野球が好きだったらしく、いくつか本がある。彼女がこれまで読んだことのなかった本を開くと、知らないことがたくさん書いてあった。知れば知るほどプレーしたくなるのかと思って読み進めると、布団が動いてアイが起きた。
「…?」
顔を近づけて本を覗き込んだアイを隣に座らせて一緒に読むと、野球のことが少し分かってきた。ルールが分かればまともなゲームができるため、友達を誘って草野球をやれば楽しい趣味がまた1つ増える。アイもどうにか参加させたい。
ところで、バレーボールはどうなった?
体育館を2分割した片方でバスケと同時進行していたバレーボールはというと、本職が3人もいるため圧勝してトーナメント進出を決めていた。観客が見たのは好ゲームではなく虐殺で、自分のクラスではなく相手を応援したくなるほどに圧倒的だった。ルシャはバスケのインターバルに少し見た程度だが、あれは酷かったと語っている。
というわけで4競技すべてに次の試合があるダテクラスは明日も大忙しだ。ルシャはバスケのトーナメントを戦うため、他の試合を見に行く余力があるか分からない。元から好きだったサッカーに加えてバレーボールと野球にも興味が湧いてきたので観戦のために手を抜く…というのはリオンが許さないだろう。ルシャがこれほどまでに2人に分身したいと思うことはなかった。




