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えっ、私が勇者になるんですか!?  作者: 立川好哉
第1部
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6・闇の顕現と魔法使い

 開始の合図とともにルートは魔法を放ってキャピシュを落とそうとした。やはり執念が集中を阻害しているようで、なかなか当たらないし狙って当てられない。この調子ならばジェイクの勝利となるのだが、突然にミーナとリオンが寒気に襲われた。

「なに、いまの…」

「見て!」

 リオンの指が示しているのは禍々しいオーラを纏うルート。ルシャは微動だにせず睨むように見ていた。彼女にもあれが異常だというのは分かる。同じような顔をノーランがしているから、この感覚は正しいのだろう。

「フーッ…ハァ!」

 ルートが四肢を伸ばして跳躍すると、彼の身に集められていたオーラが弾け飛んでキャピシュに突き刺さった。これまで彼が見せなかった上位魔法によってキャピシュが一斉に墜落し、ノーランは数えた。

「…71体。この時点でルートの勝ちだ」

「フハハ…この力だ、この力とともに俺は強くなる!」

 ルートは拳を握り、高く掲げて去って行った。先程の冷たく突き刺さるような雰囲気はなく、意気盛んな生徒にしか見えないルートが見えなくなると、ルシャはノーランを見上げた。

「あれって…」

「本来であればルートには使えない上位魔法だ。だが何か条件を満たすと作動する仕組みによって潜在能力が引き出されるようになっているが……あれは、魔族の好む魔法だ」

「魔族?」

 ルシャはルートが魔族の力を借りているのかと問うた。ノーランは目を瞑り、不確かであるがその可能性が高いと言った。

「我々は魔族の使う魔法には疎い。それを使えるのなら抜きん出た能力を持っていることになる」

「もう1回私が萎えさせたほうがいい?」

「いや、あれは闇の力のほんの一部に過ぎないのだろう。不用意に挑めばお前が傷つくことになるかもしれないから、奴にはもっと使ってもらって正体を見極めたい」

「ルシャは特定強化対象者なんだから、危険なことは避けないとダメだよ」

 彼女は特定強化対象者であることを意識していないため、興味のままに事を為そうとしている。今回もルートの闇魔法の正体を確かめるという危険なことを始めようとした。友人や先生にはそれを止める権利がある。

「突然奴が闇魔法を習得することはあり得ないと言っていい。教師の介入するべき件だから、俺に任せてお前らは奴に警戒しろ。あまり簡単に踏み込むな」

「はーい」

 先生が大事の一部だと言うから恐怖もあるが、ルシャはまだ自分の危険を感じるほどではないと思っていた。




 先生は魔族の研究に本腰を入れるべきと判断し、昨日研究室に持ち運んだ魔族の死骸を解剖し始めた。3人は優雅なティータイムといきたかったが、グチャグチャとグロテスクな音がしているので紅茶を注ぐ気すら起きなかった。制服を白衣で隠して作業台を囲むと、取り出された内臓や血管を金属の板に並べた。運動のために栄養を送る必要があるため、翼部へ続く血管は太めだ。激しく動くために心臓には強靱な筋肉がついていて、心室を見るためには深くにまでナイフを入れなければならなかった。

「こいつでもけっこう強力な魔法を使うんだよな…」

 マスクで口を覆っているので声が籠もっているが、だからこそ色っぽくて興奮してくる。そんなノーランの声に気を向けていると、天然パーマの色黒な先生が研究室に入ってきた。

「お邪魔するぜ…うぉ、なんだこの女の子の部屋!?」

 仕切りの隙間から見える長身の男性は一歩退いてノーランの部屋に驚いた。彼はルシャたちが入っていることを聞いていなかったらしい。

「おいノーラン…ってルシャ・ルヴァンジュじゃねぇか。ノーランの弟子になってたのか」「モハン先生、こんにちは!」

「おう、こんにちは…お前女子にこんなグロテスクなことさせてるのか。悪趣味だなぁ」

「お前もそれに付き合ってるんだよ。その手に持ってるのをよこせ」

 モハン=アレクセイ・ジャバリヤン、32歳。ノーランの1つ上の先輩で、生徒時代はイカしたライバルとして多くの人に知られていた。2人も殊に優秀だったので戦士になるだろうと思われたが、ノーランが志を改めたのを機にモハンが先に教職について導となった。気の置けない仲で、職員室では一緒に弁当を食べている。そんな彼が後輩のために持って来たのは中型の魔族で、よりよい資料になりそうだ。

「魔族の肉体の構造は人間とほぼ同じで、特別な臓器はないとされている。しかし上位魔法を容易く扱うのには何かの秘密があるのではないだろうか」

「そうですね…小型だろうと大型だろうと闇魔法ばっかり使いますよね。合成が楽になるとかですかね?」

 合成は魔法において最も難しい行程で、人間はこれに苦労している。しかし魔族はもはや合成していないのではないかとすら思うくらい簡単に闇魔法を使っている。決定的な違いは肉体によるものなのか、外的要因によるものなのか。すべてを解剖すれば分かるのだが、重要な部位を正しく取り出せなかった場合は解析が難しくなる。そのためノーランは細かな作業を最小限にするべく密度の低い中型の魔族を回収させたのだ。

「魔法と人体とのかかわりは古くより解剖学的見地から調べられてきたが、魔法に関する部位を人体の中に見つけることはなかった。もちろん死体は魔法を使わないし、生体は魔法を使う。生きてるか死んでるかが魔法を使えるか使えないかを決める。それは魔族についても言えるんだが、問題はそこじゃない」

「魔族は闇属性の魔法だけやたらと合成を速くする臓器を持ってるのではないかってことだ。今からそれを確かめる…」

 ゴチャゴチャとした説明のせいで頭が痛くなったルシャはノーランの椅子に体育座りをして俯いた。すると頭の良いミーナが分かりやすく解説した。

「魔族の中に人にはない臓器があるかを見るんだよ。それが魔法に関係あるんだとしたら、その臓器を研究することで対策ができるでしょ?」

「うわ、スッキリ理解した」

「ルシャはミーナと一緒に勉強するべきだね。そうすりゃ期末はバッチシだ」

「勉強方法は何でもいいしこれについて直感的に理解してもいい。お前がやればきっと全部理解する。手先が器用なんだろ?聞いたぞ。手芸をやってるんだってな」

 ノーランは器具をルシャに渡して解剖を任せた。ルシャは丁寧に正確に邪魔な肉を取り除いたり皮膚を切開したりして臓器を露出させた。

「これは…胃だな。続く腸ににクソが詰まってやがる」

「うえぇ」

「腹側は俺らのよく知った臓器しかないかもしれねぇな。このままポイポイと要らねぇのを取り去って背中側を見てやろうじゃないか」

 先生2人はノリノリでルシャの解剖を急かしている。集中を続けて汗が出てきたので、すかさずミーナがハンカチで拭う。道具の入れ替えはリオンが担当しているから、先生は見ているだけだ。


 すべての臓器を取り出して解剖を完了させたが、手がかりになる臓器は見つからなかった。闇魔法の合成を促進するのは臓器ではないことが判明したため、生体に手を出す必要が生じた。

「生け捕りにして実験するわけだ。極めて難しいのは明らかだから、もっと偉い人に立ち会ってもらおう。次回はスペシャルゲストを連れてくるから楽しみにしていてくれよな!」

 そう言ってモハンが飛び出していった。器具を洗浄して白衣を脱いだルシャは血の臭いを嫌ってノーランの香水を首回りに垂らし、その香りが消えるまでに家に戻ろうと急いだ。




 戻ってきたルシャからいつもと違う匂いを感じた母が表情を緩めて言う。

「ルシャ、好きな子はできた?」

「いや?できてないよ…ああ、この匂いはノーラン先生の香水。魔族を解剖して血の臭いが付いちゃったから、それを紛らすために借りたんだ」

 すると母は大袈裟にがくっと肩を落とした。娘の恋バナをいろいろと聞きたかったのに、聞けたのは魔族を解剖とか血の臭いとか、恋とは関係のなさそうなことだった。

「可愛い服を買ったのは好きな男の子と街でばったり会ったときに恥ずかしくないようにするためだとばかり思ってたし、勉強を頑張っていたのも順位とともに好感度も上げようっていう意図があるのかと…」

「お母さんは私を恋する乙女にしたいの?」

「この歳になっても心が揺れるものなのよ。勇者を目指して奮闘するパパに負けじと頑張った日々を思い出すわ…」

「私は同じ道を歩まないかもしれない。他の生徒と違うことばかりやってるからね。ああ、男なら真っ先に先生が出てくるよ。生徒じゃない」

「あら、先生に恋するのもいいと思うわよ?私のときもいたもの。みんなで夢中になって追いかけた先生。すっごくダンディーで、声が渋くて…」

「私はお母さんほど乙女じゃないみたいだ。今のところ恋するつもりはないし、燃え上がるような出会いをしたこともない」

「でもきっとそういう日が訪れるわ。その時が楽しみね」

 ルシャ首を傾げた。彼女は今の生活に満足しているし、恋を期待していない。母は残念に思うだろうが、このまま続けばいいと思っている。


 風呂に入りながら今日のことを思い出してみた。

「ノーラン先生、モハン先生が来てすごく楽しそうだったなぁ…」

 彼とはかなり打ち解けたと思っているが、モハンほど心を開いてはいないし、ノーランはまだ多くの秘密を残している。楽しいことは多いほうがいいから、もっと仲良くなりたいと思った。

「ミーナとリオンも加えてバカ騒ぎするってのもいいな。豪華な料理とジュースをいただきながら朝まで語り明かすなんてことができたら、一生の思い出になること間違いなしだ」

 クソガキのように下品に笑えれば、心を少し凹ませている心配事が消えてくれるだろう。バカ騒ぎをするために研究室のみんなともっと触れ合いたいという欲求が強くなってきた。そこで彼女はそのための企画を考えた。

「まずはありがちな食事会かな…家庭科室を借りて料理を作るのもいいか。明日先生に相談してみよう!」

 自ら学校生活を楽しくするように心が動き出したので、絶対に行かないと決めていた学校に行きたくて仕方がなくなった。明日が待ち遠しいから早めに寝た。




 ルシャは手先が器用なのに加えて経験があるから料理が得意だ。母が仕事でいないときの食事は彼女が作るし、幼い頃からレシピを叩き込まれていた。1時間目と2時間目を使う家庭科の授業では注目を集めるに違いない。

「今日は基本とも言える簡単な炒め物を作ってみましょう。焼け具合を見誤らなければ、美味しいのができるはずでーす」

 プリムラ先生が前面のボードにレシピを掲示して要点を説明した。生徒たちは用具を並べて下ごしらえを始めたのだが、ルシャの班の男子の様子がおかしい。包丁の握り方が正しくないし、具材を押さえる手も合っていない。どうやら素人のようだ。

「おいロディ、それは危ないってさっき先生が言ってただろ」

「え、あ、うん…」

 ロディ・バーガーは臆病な少年で、それを改善するために勇者学校に入学したらしいのだが、まったく改善していない。彼はギャルに教えてもらってなんとか正しい持ち方を覚えた。

「ドキドキしてんじゃねぇよ」

「ごめん…で、これをどう切ればいいの?」

「テキトーでいいんだよ。火が通りやすく、かつ歯ごたえを保つために広い面をつくるように斜めに切ればいいだろ?」

「あ、そうか!」

「大丈夫か…?」

 ルシャはこの男子に頼らずに完成させようと思い、ミーナと協力してヘタや種を取ったり皮を剥いたりした。ミーナは3人の弟のために毎日夕飯を作っているからルシャより上手だ。

「こうやって親指に軽く力を入れてスッと引き寄せる。力が適切なら綺麗に剥けてくれるよ」

「ほぉ~」

 可食部をできるだけ削らずに皮剥きをしたので先生に褒められた。おそらくこの炒め物のメインとなる鶏肉の下ごしらえに取りかかったルシャはミーナにこんなことを言った。

「そういやさ、魔族って食えるのかな」

「え?」

「魔族を食べられるなら食べたいと思う?」

「いや、なんかお腹壊しそう…」

「確かに。でも世界が食糧問題を抱える時代には魔族を食う人が現れるかもね」

「感染症が大流行しそうだよ…」

 昨日の解剖で取り除いて捨てた肉はもしかしたら自分の血肉となったのではないかと思うと、これからは無駄なくやっていこうという気になった。今日にでもノーランに試してもらうつもりだ。


 優秀な料理人が3人もいるこの班は注目を集めたが、3人とは対照的なロディには冷ややかな目が向けられていた。

「まあ気にすんなよ。一流シェフの中にはここで基礎を学んだ人もいるはずだよ」

「うん…具材が揃ったから焼くんだよね?」

 そう言ってロディは具材をフライパンに投入して火にかけた。

「おい、油を先に敷くんだよ!戻せ戻せ」

 ギャルが慌てて火を止めて食材をボウルに戻した。彼女は世話を焼くことを楽しんでいるようなので、ルシャとミーナは放置して皿を取りに行った。


 焼け具合はミーナが確かめて皿に綺麗に盛り付け、他の班より早く完成させた。調味料のいい匂いが鼻腔をくすぐるし、空腹を鳴らそうとしてくる。我慢できずにコッソリ一口食べると、あることに気付いた。

「ミーナの料理だよね?」

「みんなの料理じゃない?」

「でもミーナが完成させた。私は初めてミーナの料理を口にした。なんか嬉しい。今私は満たされている…」

「そんな大袈裟な」

「みんなできたわね?私が一口ずつ食べて回るわ」

 ルシャ班の炒め物への評価は上々で、乱切りのナスがとくに高評価だった。これを切ったのはロディだ。

「お前が褒められたんだぞ」

「僕が…?」

「食べ応えは大事だ。みんな米粒みたいに細かく切られてたらどうなる?食べた気がしないだろ?ちゃんと火が通ってるのなら雑に切ったほうがいいってことだ」

 リオンがロディの背中をバシバシ叩いて彼を褒めた。ロディは恥ずかしそうだが嬉しそうでもあり、ルシャはニヤニヤした。

「成功が人を成長させるんだなぁ…」

「なに達観してんのよ」

 ルシャはあっという間に自分の皿を空にして片付けを始めた。調理実習は腹を満たすために料理をするのではなく方法を学ぶために料理をするので、食べられる量が少ない。食べ足りない状態で3、4時間目を過ごさねばならなくなった。


 3時間目は王国地理、4時間目は生物なのでずっと椅子に座って先生の話を聞くだけで眠くなると思われたが、4時間目になると生物室で実験をするから移動しろと言われて目が覚めた。

「酵素は生き物の中で起きるあらゆる化学反応に関与している。お前らはまだ飲めないが、酒を飲んだときに平気な人とベロンベロンになっちゃう人がいるのは知ってるかもしれないな。それは酵素に左右されるんだ。酵素は温度によって働きが強くなったり弱くなったりする。今日はどれくらいの温度でもっとも活性化するかだとか、酸性、アルカリ性の液体の中では機能するのかだとかを見る」

 ジャガイモと布とビーカー、複数の液体と黒い粒が用意された。これを使って酵素の働きを見る。ルシャは積極的に作業を行って眠くならないようにした。

「毎回実験だったらいいのになぁ」

「でもさ、生物をちゃんと勉強しとけば魔族のことも知りやすくなるんじゃない?」

 授業では人間のことについて知るため他の素材を使うが、人間と魔族とが共通の性質を多く持つ場合は人間を知れば知るほど魔族についても知れる。ルシャは逆でもいいと思ってノーランの実験にもっと熱を持つことにした。




 生物のテストで上位になることはさほど重要なことではないが、ルシャはこの実験を嫌っているわけではなく、この実験を楽しむことで副産物的に生物に詳しくなれればよいと思っている。ノーランは試験管を揺らして調合を行っていた。

「先生、スペシャルゲストは?」

「そろそろモハンが連れてくるはずだ。俺は準備をしているから、お前らはゆっくりしてていいぞ。メシは食ったか?」

「はい。じゃあ紅茶でも淹れて待ってよう」

 ルシャが紅茶を淹れてミーナとリオンにカップを渡した。優雅に飲んでいると、ふとノーランが振り向いた。

「近いうちにお花畑を建てるから安心して飲めるぞ。俺も酒を飲みながら実験をしようと思うんだが、どうだろうか」

「先生はお酒飲むんですか?」

「いいかリオン、独身の男ってのは寂しいんだ。しかも自分を生かすために仕事をしなきゃならん。家に帰って誰もおかえりって言ってくれないのを想像してみろ?」

「うーん、私もお母さんが仕事でいないときあるからなぁ」

「ルシャは母さんが帰ってくるからいいだろ?俺は言われなければ言うこともないんだ」

 ノーランは今すぐ酒を飲みたくなったのか、いつの間にか薬の瓶の列に紛れ込ませていたウイスキーをあおった。

「はぁ、こうでもしないとやっていられん…」

「先生のご両親って…」

「とっくに死んだよ。病気だ。戦死じゃないだけマシかもな。戦死はグロいからな。剣で刺し貫かれる。爪で喉をかっ切られる。致命傷を負って失血で死ぬ…どれも体験したくないな」

「すみません…」

 ノーランはもう一度ウイスキーを傾けると、空になった瓶を置いて椅子に座った。

「いいさ。ここにいる間は寂しくないから…見ての通り、俺は酒飲みだ。ウイスキーは普段薄めて飲むがな…」

 なんだかノーランが可哀想になったし、自分の心まで締め付けられる気がしたのでルシャは彼の気が休まることを言おうとした。

「ここを家みたいにしてもいいと私は思います。寂しい思いは誰だってしたくないはずですから、私たちがいることで先生が寂しくないなら、それでいいです」

「ルシャ…」

「ルシャたそは優しいなぁ。聞いてて涙出てきちゃう」

「私もノーラン先生がそんなに冷めた人じゃないって分かってから怖くなくなったんで、好きなときに遊びに来ますよ」

「ミーナ、リオン…じゃあ俺、酒買ってくる…」

「今日は偉い先生が来るんじゃないの!?」

 学校の敷地内で酒を飲むことを嫌う先生もいるだろうから今日に限っては避けるべきだと言ったが、ノーランは既に外に出ていた。

「あーあ…」


 それからしばらくしてモハンが偉い先生を連れてきた。偉い先生というのは教頭のことで、彼は入るとすぐに部屋のファンシーさに驚いた。

「ここが研究室なのか?」

 バンギ・ムベンバ教頭はトルソーを見つめて腕を組んだ。どうやらこのトルソーは先生を誘引する性質があるようだ。

「こんにちは教頭先生。あっちです」

「こんにちは。熱心な研究者の影が見えないが?」

「あ、ノーラン先生は…えっと、道具を取りに行きました」

 酒とは言えないので道具を言った。ノーランが整合性のとれた説明をしてくれることを願う。

「私も座っていいかな。似合わないソファだが」

「どうぞー」

 ルシャとミーナは同じソファに、リオンは2人の向かいに座っている。1人分空いているからそこにバンギが座った。彼は52歳だが、加齢臭がしない代わりに香水のフルーティーな香りがして違和感がある。

「並ぶと教頭先生の大きさが際立ちますね…」

「教頭先生は昔から大きかったんですか?」

 バンギは190cmくらいある。155cmのリオンと比較すると余計に大きく見える。

「遺伝だな。父は2m以上あった。バスケットボールの選手だったんだ」

「そこまで大きいと生活に不自由しそうですね」

「もちろん。家は大きかったが、この学校は天井が低いな。教室に入るために屈む必要がある」

「この研究室をもう少し大きくすればよかったですな」

 ここでノーランが帰ってきてバンギに言った。

「すみません、お金がなくて天井を高くできませんでした」

 彼は手に大きなジンの瓶を持っているが、ラベルが剥がされている。バンギが来ることを予想しての行為だろう。

「どこに行ってたんだね」

「化学室にアルコールを取りに」

 うまくやったな、とルシャは頷いた。


 全員が揃ったことで本題に入り、魔族を生け捕りにする方法が議論された。簡単に思いつくのは罠で、設置した場所に誘導するやり方がよいとされた。

「しかし生きてるってことは魔法を使うってことだよな…それに対処できない限り、解剖することができないな」

「それに生きているうちに解剖しないと活性化している部分を見られません」

「失血死するまでの勝負か…難しいな」

「下手すりゃ頭が飛びますよ。俺はそんなの見たくないね」

 ルシャはソファに座ってずっと考え事をしていて、そのうちに閃いた。

「酵素が関係してませんか?」

「酵素ぉ?」

 ルシャは今日授業でやった内容を思い出したのだ。ミーナとリオンは酵素の機能について考えて発言した。

「合成を促進する酵素が魔族にだけあるなら、上位魔法を簡単に使えてもおかしくありません。もし特定の条件でのみ闇魔法を使えるのなら、酵素が関係していると判断してよさそうです」

「おお、学んだ内容をしっかり応用した意見、素晴らしいぞ。先生として非常に嬉しく思う…」

 バンギがニッコリ笑って3人を褒めた。検証をするためにも生体が必要なため、先生たちは罠を持って旧校舎へと向かった。生徒は危険を避けるためにここに残ったので、ノーランの新たな道具を探ることにした。

「エロ本とか隠してないかな」

「ノーラン先生って性欲あるの?なさそうな顔してるけど」

「いやいや、ああいう怠そうなのが一番スゴいんだって」

「どこ情報だよ」

 ギャルは男子との交流が多いのでそのような情報を知っていそうだという偏見がある。リオンはそれを利用しただけで、実際に男子との交流が他の生徒より多いわけではない。

「この鍵のついてる引き出しは?」

「鍵は先生が持ってるのかな?」

「じゃあ私のヘアピンでピッキングするか…」

「思考が犯罪者!」

 ミーナが前髪のヘアピンを外してロックピックを始めた。波形が偶然に鍵に似ていたようでロックが外れかかったが、ドアが開いたので手が引っ込んだ。

「忘れ物…お?」

「あ、いや…」

「なんだお前ら…俺の引き出しがそんなに気になるのか?じゃあ鍵をくれてやろう」

 あっさりと鍵を渡されたので望み薄だと思いながらも解錠して引き出しを開けると、中には金が入っていた。

「へそくり?」

「いや、単身なんだから誰からも隠す必要ないでしょ…」

「研究費用枠なのかな?」

「なるほど…」

 底にはノートがあって金額が記されている。すぐに盗難が判明する仕組みだ。面白くない展開にがっかりしていると、ミーナが畳まれている服を見つけた。

「着替え?」

「実験で汚れたとき用かな。こっちには白衣もある」

「まあ、必要だろうね」

「先生の私物なんだよね?こんな服着るんだ…」

 紺色のシャツとデニムパンツの間に何かが挟まっているのでそれを取り出すと、なんとなく察していた通りのものが広がった。

「パンツじゃん!」

「これはいかん。すぐ戻さないと」

 恥ずかしくなった3人は見なかったことにして棚の扉を閉じた。

「これまでパンツって意識しなかったけど、私たちスカートなわけだから気を抜けば見えちゃうことがあるわけだよね?」

「そうだねぇ。私はスパッツ穿いてるけど…」

 ミーナはスカートを捲って黒いスパッツを見せた。彼女は誰よりもスカートを長め穿いていて、万全の状態にしてある。対してリオンは短めだ。

「男子って女子のパンツを見たいものなのかな?」

「訊いてみれば?」

「誰に?」

「うーん、敢えてロディとか?」

 ロディは気弱なので怒られるようなことを避けるだろう。おそらく、見たいとは言わないはずだ。しかしこの質問を受けてから気にせずにはいられなくなるだろう。彼は悪戯心の犠牲となるのだ。

「やめとけやめとけ。ヘンに刺激するもんじゃないよ」

「ただまあ見たいって言われたら見られないように警戒するべきだよね。隙を窺ってるわけだから」

「2人もスパッツを穿けばいいのでは?」

「そうするかぁ」

 ということで後でスパッツを買いに行くことになった。


 場所を変えて実験をするということなので特設会場に移動して罠を置いた。

「まず寒くしたらどうなるのか。氷魔法を周囲に配置して反応を見る」

 先生たちが魔法を放って極寒の空間を作ったあとに魔族を放った。魔族は闇魔法を使って氷壁を破壊しようとしたが、威力が足りずに苦しんでいる。

「使うことはできるみたいだけど威力が落ちてるな。僅かな魔法しか合成できなかったってことか?」

「でも酵素のためなのかわかりませんね。我々だって寒ければ弱くなりますもの」

「確かに…使えなくなる条件があればなぁ」

 実験は1時間ほど続いた。今日のうちに顕著なものを見ることはできなかったため、明日に持ち越されることになった。魔族を罠の中に入れておけば健康ではなくなってしまうため、この個体は魔法によって消された。被検体は使い捨てだ。




 ルシャたちにとってはお待ちかねの買い物タイムだ。衣料品店にはスパッツだけを買いに来たのだが、他の商品に目が行くのは避けられない。

「昨日小遣いもらったから買える~」

「何買うの?」

「休みの日用の靴下と、帽子も買おうかな。あとは衝動買い」

「可愛いのがあったら買っちゃうよね~」

 まずはメインのスパッツを選ぶ。運動用にいろいろな色が用意されていて、黒以外でもいいという気分になる。

「でもやっぱり黒かなー。スカートに合わせるなら赤でもいいけど」

「そうだねー。安いのでいいかな」

 ただのスパッツという感じのスパッツをかごに入れて他の品を見て回る。サマードレスやワンピースが気になるのでいくつかを試着してみることにした。

「うーん、脚が太いからロング丈のほうがいいかな」

「ルシャたそスカートのほうが好きなの?」

「いや、普段はハーパン穿いてるけど…可愛いから着たくなっちゃった」

 すると2人がルシャのために可愛い服を見つけてきてくれた。オフショルのシャツとキュロットスカートの組み合わせは夏っぽくて良い。

「あぁルシャたそカワイイ~!」

 ミーナの様子がおかしい。彼女はノリノリで次々に服を持って来てルシャに試着させた。その中から気に入ったものを選んで買うと、小遣いがあっという間に尽きた。楽しい買い物の時間はあっという間に過ぎ、辺りは暗くなっていた。途中まで3人で帰ったのだが、別れてからは1人だ。暗いのは苦手な彼女は怯えながら家まで歩いた。これから日が延びるのが幸いだ。

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