58・平和を願う男と平和を守る女
ルシャにはイタズラのように滓宝がつけられた。
シーランの冠、ルビウスの帯、ベリアスの筒、ソランの首、マリトラスの靴、イングの印、そしてクレイジャの剣。それをもってシャペシュの腕を取り戻す。7人から滓宝を託されたルシャはルリー、フラン、ドニエル、そしてプリムラとともに地下へ潜った。
「…ってプリムラ先生!?」
「あはは、私もなんか参加することになっちゃいました…」
確かにプリムラだが、いつもと違う格好をしている。身体に密着するボディスーツの上に長い丈の上下を着ている。運動に適した服装は、彼女が戦うことを予想させる。
「でもプリムラ先生は滓宝持ちじゃ…」
「持たされました」
決定的な理由を教えてほしいルシャが詰め寄ると、プリムラは恥ずかしそうにこう言った。
「私、前回の勇者の孫なんですよね…」
「は!?」
プリムラは勇者の血を引く者だった。勇者になるほどの人物の子孫なら、それなりの能力を持っていてもおかしくはない。プリムラは身体こそ小さいものの、その能力や得意な魔法は決して小さくない。
「まあ勇者学校の先生をやれるくらいだから…」
「好戦的だというのを知られたくなかったし、温厚で親しみやすい先生でいたかったんです。だから弱そうなフリをしていました。けど本当に戦わなきゃいけないとき、取り戻すべきものがあるときには戦います」
動きがまるで別人のようだ。あらゆる障害物を簡単に乗り越えてしまうのは上層を攻略していたときの彼女からは想像すらできない。
「ルシャさんを最初に見たとき、私と似ていると思いました…まあ今となっては差がありすぎて似てるなんて言えませんが…」
「でもプリムラ先生と似てるって言われたら嬉しいです」
「ほんと?」
プリムラは露骨に嬉しそうな顔をしてルシャに確認した。ルシャが強く頷いて理由を示すと、彼女はいつものゆるふわなプリムラ先生の態度で喜んだ。
「ルリーさんが私のお姉ちゃんになってくれましたが、プリムラ先生でもいいかもってたまに思います」
「じゃあ私もお姉ちゃんってことで…!」
「すっかり大家族ね」
続々とルシャに姉ができたのでルヴァンジュ家の将来は安泰だ。
滓宝に助けられた魔力をもってすれば最下層へ至ることなど容易で、殆ど体力を消費することなくリベンジマッチを始められそうだ。しかしその前にルシャには知りたいことがある。
「あなたは滓宝を誰もが使えないように、いつしか忘れられるように封印したいんですか?それとも何か大きな敵と戦うために滓宝を集めているんですか?」
「そこの男から何も聞いていないのか?私は滓宝のことを混濁の証と捉えている。この世の力関係を著しく乱してしまうもので、既存の仕組みを破壊する力すらある。分かりやすく言えば我々の平和な暮らしを壊す原因になり得るものを排除する」
「本当に?新しい政権になってから、私たちが滓宝を持っているときに何か力の均衡が破れたことってありましたか?今の中央は正しく滓宝を管理できると思います」
「権力者というのは最初こそ親和を重んじて平等に振る舞おうとしているが、それが固まって時間が経つと権力を濫用して自分たちだけの利益を得ようとする。そして徹底的に反乱分子を潰す。たいていは軍を私物化するが、滓宝があれば軍など不要、人の心を支配する必要がない」
ルシャには政治がわからぬ。しかしドニエルやルリーの愚痴に付き合っている限り、権力を濫用することが悪だというのを知っている。この男の言い分には納得できる点がいくつもある。しかし重要なことは疑うことだ。
「敵対する意志がないのなら協力して滓宝を管理する方法を考えるとか、こちらが納得するまで説明するとか、そういう方法をとったはずです。どうして攻撃したんですか」
「そちらが黙って滓宝を譲ってくれるはずがないだろう。正しく管理するからこのままにしておいてくれ、と言い張られたらこの話は解決しない。畢竟、信用によって解決するということだ。攻撃したのは私を力で倒しうる能力を持った者を牽制して話し合いへと持ち込むためだ。私の意思を知られずしてただ滓宝を持ち去られるのなら、それは私の願いに反することだ」
どちらが相手を信じるかによって未来が決まる。ルシャは政府として広く国民の信を得る必要のある中央こそ信用されるべきだと主張して個人の信用の弱さを強調した。
「悪いことをするとき1人ならすぐに始められる。けど複数人の時は全員の同意を得なきゃいけない。権利の濫用のときもそうでしょ?」
「抑えられる濫用かどうかということが重要だ。1人なら簡単に潰せるが、多人数、しかも権力を持った、人命すら握っている中央の暴走はどうしても止められない」
ルシャは悩んだ。この男を信用して滓宝を手放し、中央がもし仮に暴走するとしても軍を掌握しなければならない状況にするか、中央を信用してこの男から滓宝を奪い取って個人の暴走を防ぐか。
「滓宝を抜きにしたとき、どういう世界であってほしいと願いますか?」
「秩序のある、著しい不平等のない世界だ」
それは不純な理想には思えない。ルシャは理知的なことではこの男を信用できるか確かめられないとしてドニエルたちに暫しの沈黙を願った。
人々が平和を得たのは、それに対する願いの力が大きい。ルシャが魔王を倒したのは、仲間を護りたいと願ったからだ。ではこの男は本当に平和を願っているのだろうか。ルシャが知りたがったのは、男がそう思うようになった背景だ。
「著しい不平等を嫌うのはそういう境遇にあったからでしょう?何があったのか教えてくれませんか」
男は自分の生い立ちから語り出した。長くなりそうでもルシャは耳を傾け続けた。すると男はルシャの同情を誘った。
「…確かに滓宝の力が権力を助けていろんな人を傷つけてしまった。滓宝がないほうが人々の犠牲は少なく済んだと思える」
ルシャは自分の考えをまとめた。
「けど結局は使う人次第だと思います」
「…そうか。分かってもらえないか」
「いえ、あなたが滓宝のせいで厳しい戦いを強いられて苦しい思いをしたことは理解できました。その悲しみは繰り返してはならないことだと思います。けど」
ルシャは強大な敵を相手に間違ったことを言えば今すぐにでも戦いが始まってしまう状況で深呼吸をした。
「…中央はそんなこと絶対にしません。私が保証します。信じられないというのなら、信じないまま協力する道を歩みましょう」
「信じないまま協力する…?」
「誰だって他人の行いが良い方向へ向かうかどうか分からずに行動しています。けど理念を共有している限りは大きな失敗は起きません。私はあなたの理想が私の理想と合っていると思いました。それなら協力している限り悪いことは起きないはずです」
争いが起きるのは異なる理想がぶつかるからだ。世界を支配したい魔王と、平和な暮らしを送りたい人間とが争い続けたのはそれが理由だ。権力を集中させたい旧中央と、平等にしたい新中央との対立もそうだ。同じ理想ならばそのようなことは起きない。ルシャはそう信じている。
「私はここでこの滓宝の力を頼ってあなたを倒そうとは思いません。そしてあなたは私が話している途中で滓宝を奪おうとしませんでした。それなら、分かってくれると思います」
暫しの沈黙。そののち、男はこう言った。
「魔王を倒した少女がそこまでのことを考えているとは思わなかった。中央という巨大組織を信用することはできなくても、君だけは信頼できると確信した。私の理想は話したとおりで、それ以外のことを意図しているわけではない。君とは協力できるはずだ」
一同の表情が晴れた。この男は違う方法で平和を達成しようとしていただけだった。滓宝は悪を滅するために、より便利な生活を実現するために利用される。そのことを確約したルシャは男と個人間の協定を結んだ。
こうして安全な方法で問題が解決された。男はこの場所に秘めた滓宝をルシャのみ持ち出せるようにしてこの地下遺跡を明け渡した。
「しかしまあ、魔王がまだいるときにここまで到達しましたね」
「権力を打倒せんとするなら力を得るのは当然のことで、魔族は滓宝が1つでもあればとるに足りない存在となる。私は自分を護ることと中央の権力を打倒することと、中央が敗れて力の不平等が起きたらこの滓宝を封印するつもりだった」
「なるほど…あ、私はご存じルシャ・ルヴァンジュです」
「私はヴァイド・グラシア」
「一緒に平和な世界を維持しましょう」
「解決したか…いやぁ、ルシャの説得が効いたな」
「よくぞ戦わずに解決してくれました。ちゃんとお話できる相手でよかった…」
「平和な世界を標榜しているのに平和な暮らしを脅かすことになってしまったことを謝罪する。ジュタ区はすぐに警戒を解除していい。私は平和を脅かす者を排除する」
それは中央への反逆を企てる勢力だ。それを摘むことでヴァイドは罪滅ぼしをする。
「中央は信用していないんだよな?」
「権力者を信用することはない。しかし平和を維持する活動を続けている限り、敵対することもない」
「それならいいか。まあ、意見を聞くために召喚することがあるかもしれんが」
「そうするといい。民の意見を聞かない中央ほど愚かなものはない」
中央との関係は悪くないということでドニエルたちもひとまず安心した。かつて中央がヴァイドの故郷を圧政によって苦しめたことへの償いを今の中央が行うことを約束すると、彼はその場所を拠点として平和を目指すと言った。
ジュタの安全が確保されて学校は1週間後から再開することを決定し通知した。遅れはしたもののフリーマーケットには間に合うのでルシャは安堵した。
「ふぅ、結局ルシャさんが解決するんですね」
「もしかしたら負けるかもしれない戦いをしたくなかったんですよ。話し合いで解決するならそれに越したことはない。ヴァイドさんは平和を願って中央の権力に警戒していただけでした。信用を得ることができてよかった、本当に」
「あんたのおかげで滓宝の管理を引き続き行える。中央の仕事への協力に感謝するわ」
「勲章ものだな。中央に持ち帰って話し合おう」
「あ、そっか帰っちゃうのか…」
「任務が終わりましたからねー。でも学校が再開するので寂しくはないでしょう」
「また何かトラブルが起きて来るかもしれないしな!」
普通に遊びに来てほしいと言うとドニエルは笑って滓宝を入れた鞄を背負った。
「私たちはいつでも王都にいるから。寂しくなったら会いに来なさい。あんたならひとっ飛びでしょ」
「そうだね。そうするよ」
「離れていても私はお姉ちゃんですからねー。忘れないでね」
「うん、またね、お姉ちゃん」
3人が列車に乗ってドアが閉まる。出発すると窓から手を振る3人を見送った。また平和を護ったルシャはシャペシュの腕とともに家に帰った。
やはり1人は寂しい。ルシャはそれを紛らそうと布団に横になったが、寒い冬に誰かの温もりが欲しくなった。掛け布団を抱きしめてルリーと一緒に寝ている妄想をしているうちに眠れたので夕方に起きた頃には気持ちを新しくすることができた。
「フリマが終わったらすぐ卒業式…アイラ先輩がいなくなって、そしたら私は2年生…」
そちらも寂しい。冬は寂しい季節だということだ。しかし新しい出会いに期待を寄せて心を躍らせたほうがよい。ルシャは後輩あるいは妹ができたときのことを妄想した。
「フフフフ…」
自分がルリーのように妹を困らせる。
そんな日が続けばよいと思った。
プリムラ先生衝撃の事実発覚。そして前回と同様に理解のある敵役ヴァイドが暫定的に味方になりました。こいつの名字に注目…しかし何よりも作者が滓宝の名前を憶えていられるかどうかにも注目!




