4・旧校舎とズボラ少女
ルシャが先生に混じって旧校舎の探索をすると聞いたミーナとリオンは安全面に心配をしたが、ルシャは大丈夫だろうと楽観的だった。中間テストを終えたことで気が楽になった彼女は座学でも体育でも上がり調子で、夏休み前の期末試験に向けて自信をつけた。
調子の良い彼女は週末に登校して武装した先生たちに加わった。
「魔族は闇の魔法に特化している。知っての通り我々勇者の子孫には闇魔法を使える人が極めて少ない。苦手ってことだ。それに加えて鋭い爪や牙を持っている。棘もある。だから丈夫な防護服を着てもらう」
ルシャは制服の上に防護服を着てから旧校舎へと移動した。錬成生物に座席のついた車輌を曳かせること10分、森の深くにある旧校舎に辿り着いた。黒ずんだ木造の校舎が苔や蔦に覆われているし、蜘蛛や蜂の巣が好き放題に作られていて、魔族がいなくても危険だ。昇降口だけは整備されていて、ルシャたちは連絡役の主任をそこに残して中へ入っていった。錆びた下駄箱はいくつかが半開きになっていて、スノコの下にはトカゲが潜んでいる。原初へと還ろうとするこの環境は地理的な資料にもなりそうだが、今は魔族のことに気を向けたい。廊下へ入ると、奥の方で物音がした。ガラスを爪の先で叩くような音だが、いやに大きかった。
「先生…ちょっと手繋いでもらってていいですか…?」
「いいですよ~」
ゆるふわ系として人気の高いプリムラ・スチュアート先生がルシャと手を繋いでノーランたちに続いた。奥へ行くにつれて暗くなってゆくのは、旧校舎の1階の一部が倒木に覆われているからだ。崩壊していないのは頑丈な構造の校舎の内部へ根を伸ばして傾きを保った木のおかげだ。最奥の教室に入ると、ぼっかりと穴が空いていてそこから下へ続いている。
「この先は迷宮っていうか謎解きをして進むようになっている。幻想的と言えばその通りだが、奇妙だと言ってもその通りだ」
「あっ、先生、入る前におトイレに行ってもいいですか…?」
「俺も行きてぇ」
ルシャは1階のトイレに入った。お世辞にも綺麗とは言えないが、用を足せるだけありがたい。男は小便を立ってできるが、女は座ってしなければならないので便座に尻をつける。幸いなことに一番手前の個室の便座は女性教師が掃除をしていてくれたので、快適に利用できた。水道が機能していないのか正しく流れた音ではない音がしたが、用を足せたのだから今は問題ない。パンツを穿いて立ち上がろうとしたとき、男子便所からノーランの悲鳴が聞こえた。慌てて男子便所のドアを開くと、ノーランが魔法を使って魔族を倒していた。大きなコウモリが個室に潜んでいたらしい。
「こいつは斥候みたいなもんか?用を足してるときに背後から迫るとか卑怯な奴め」
「先生…チャック開いてますよ」
「すまん」
「下層にはトイレないんですよね?やだなぁ」
ルシャは緊張と恐怖とで膀胱の調子が乱れているらしく、頻繁にトイレに行ける環境を望んだ。しかしノーランは下層にトイレを見ていないという。
「俺なんかは物陰に隠れて済ませるけど、襲われるかもしれないから近くに誰かがいないといけない。まあアレだ…大をしたければ見張りに鼻をつまんででもらえってことだな」
「ふえぇ」
ルシャは鬱屈とした気分を抱えて下層へ移動した。
なるほど、幻想的だ。正方形の足場があり、赤と緑の複数の水晶が台座に置かれている。いくつかの足場は橋で繋がれていて、下は水路になっている。
「謎解きはあの水晶だ。この層は既に分かってる。緑がオン、赤がオフだ。水晶に触れると全部の色が入れ替わる」
適切な位置の水晶に触れることで奥の部屋へと渡ることができる。解答を知っている教頭が水晶を操作して奥へ導くと、大広間に入った。
「各層に強敵が用意されている。我々は入る度にこいつらを倒している。強敵だが奴らにとっては量産できるものらしい。おそらく下層に行けば行くほど強くなるのだろう」
ルシャはこの前の魔法実技で戦ったウルシュ・オリジナルと同じくらいの大きさの魔族と向き合った。敵意を剥き出しにした悪魔型の魔族は黄色く鋭い眼光で敵を捉えると、両手に紫色の魔法を出して威嚇した。
「来るぞ…」
教頭が光の魔法で対抗する。ノーランとプリムラが支援魔法で教頭を強化すると、放たれた魔法が悪魔を捉えた。しかし悪魔は両手の闇魔法を盾にして攻撃を防いだ。光魔法は上位魔法でも合成の難しい魔法だから教頭でも時間がかかってしまう。畳み掛けるために連発する魔法は下位魔法で、悪魔に与える損傷は僅かだ。
「第1層から厄介なのよねぇ」
プリムラが弱化の魔法をかけて悪魔の動きを鈍らせようとした。しかし悪魔の闇魔法はあらゆる弱化を解くことができるようで、鈍った時間は短かった。するとこれまで最後列で見ていただけのルシャが両手を掲げて魔法を放った。彼女の魔法は接触した魔法効果を無効化する魔法で、悪魔は闇魔法を使えなくなった。これで盾を出せなくなったため、教頭がもう1発光魔法を撃って倒した。
「ルシャ、お前光魔法を…」
ルシャの使った魔法は浄化効果を持つため光魔法に分類される。それを敵に気付かれないうちに放ったのだから、合成が非常に速かったということである。敵が消し炭になったので次の階層へ進むことができた。
次の層は隠し扉や隠し階段の間で、壁やスイッチを押すことで進路が開かれるというギミックのあるフロアだ。これも教頭が素早く操作して大広間へ移動した。
「ここの主がとても強い。我々は何度も倒してきたが、この先へ進む余力を失って引き返す」
「教頭、そろそろ30分です」
「よし、キャピシュに連絡させよう」
ノーランがキャピシュを昇降口に送って無事を報告した。これで奥へ進める。第3層へ初めて立ち入った探索部は等間隔に置かれた25個の壺を目にした。
「なにこれ?」
「奥の扉が閉じてますね。この中に仕掛けを作動させるスイッチがあるのでしょうか」
「手当たり次第に調べましょ~」
そう言ってプリムラが手前の壺に手を突っ込むと、壺の中から靄が出てきた。しかしその靄は喋った。
「キッヒッヒッヒ…!」
「ひぃっ!」
まるでお化けのようなので、ルシャは怯えてその場に蹲った。それを見て使命感に燃えたノーランが夢中で壺を探り、大量のお化けを出しながら荒々しく鍵を見つけた。
「ふえぇぇん」
蹲り、耳を塞いで泣き出したルシャを庇ったプリムラ先生は壺へ戻ってゆくお化けの正体を知ろうとして壺を魔法で割ってみた。すると大きな悲鳴が響き渡り、奥の扉が壁ごと破壊された。
「わぁ、なんだぁ!?」
巨大な木槌を持ったミノタウロスのような魔族が現れた。彼は怒り狂っているらしく、乱暴にフロアを踏み荒らして迫ってきた。教頭とノーランが上位魔法をぶつけるが、片手で払われてしまった。
「も、もしかして私が壺を破壊したから…!」
「それだ!こいつは正攻法でいかないとこの時点で出てくるんだ!」
焦る教師陣。ようやく恐怖を振り払ったルシャが特大魔法でミノタウロスの腹を狙うと、彼は木槌を犠牲に威力を減らした。
「今だ!」
畳み掛けるように魔法を連発する教師陣の奮闘のおかげでミノタウロスを倒すことに成功した。この巨体を持ち帰って研究したいところだが、この迷宮から出すことはできなさそうだ。
「しかしルシャが毎回決定打になってるな…ここまで来られたのはお前のおかげだ」
ノーランに褒められたルシャはニコニコして照れた。しかし時計の針が正午へ近づいていたので今日はここまでということになった。
「しかし…途中から再開できるようにはならないものかな。下層へ行くためには長い時間をかけねばならん。最下層となると1日以上かかりそうだ」
これが探索における最大の不都合だ。下層攻略は持久戦となる。持久力のないルシャの苦手なことだから、彼女が参加するためには下層まで彼女抜きで戦う必要がある。
旧校舎1階まで戻ってくると、教師陣はほっと一息ついた。明確な成果を出したのだから、満足感は高いはずだ。感想を尋ねられたルシャはこう言った。
「お化けが怖かった」
教師陣は魔族のほうが怖かったのだが、ルシャは魔族については怖くなかったという。
「第4層はどうなってるんだろうな。ミノタウロスが第3層の番人ってことは、あれよりもっと強いのが番人をしてるってことだよな」
ノーランは危機感を強めた。ミノタウロスに苦戦するようであれば第4層の攻略は難しい。ルシャを毎回参加させるつもりはないらしく、彼女抜きの戦法を考えるべきだと檄を飛ばした。
「そうですよねぇ。ルシャさんには万全な状態で参加してもらうとして、万全なときに効率よく進める方法を確立しないとねぇ」
「ああ。教師にも得手不得手がある。編成をもっと工夫することも手だろう。あとは下層を攻略するために中継地点を作ることも考えたい。そうすれば魔族が番人を送るまでに補給を済ませて下へ進める」
ここでルシャの腹が鳴った。周りに聞こえる音量だったので、話より先に食事をすべきだったと反省した教師陣に連れられて学校傍の飲食店に入った。
ルシャの分をノーランが払うということなので、ルシャは遠慮せずに大盛りカツカレーを注文した。成長期の少女の食欲にニッコリしたノーランはチキンソテー定食を注文した。
「俺はいろんな意味でお前のことを気に入ったぞ」
「いろんな意味?」
「魔法の素質だけじゃない。お前の性格も面白いと思ったんだ。難しいことを考えずに強い魔法で敵を倒す。戦術的じゃない戦いもいいと思わせてくれた」
「だって理論のことはわかんないですし、全部直感でやってきたので。それが悪いとは思いませんもん」
「そうか。直感ですることで解決できるのは羨ましいと言うほかないな。俺はいろいろ勉強して漸くここまでになったから…」
「私には先生の気持ちがわかんないかもしれません。けどいい先生だと思ってます」
生徒より先に先生のことが気になるとは思わなかった。ノーランはやるときはやる人だと知ったし、人間性が自分に似ている気がしている。親しくしたいと思うから、気に入られたことを好ましく捉えたい。
「教師という立場上不正はできないが、生徒を助けることは禁じられていない。困りごとがあれば俺が解決してやろう」
「うん、ありがとうございます。じゃあ…学食ができるまでの間、こうしてご飯奢ってもらおうかな!」
「フハッ…」
勇者学校の教師の給料は他の職業と比べて高いため、独身のノーランは金持ちだ。生徒1人に奢るくらい大したことではないらしい。そのお礼としてルシャはノーランの研究を手伝うことになった。
「旧校舎を攻略するためには魔族の研究が不可欠だ。弱点を見つけられればぐっと楽になるし、俺らが傷つくこともなくなる。みんなの役に立つことだから、協力者は多いほうがいい。具体的な内容を話すのは後にしよう。今日はもう楽しむことだけ考えろ」
カツカレーを食べ終えたルシャは先生3人にお礼を言って別れ、家に帰って手芸を始めた。
仕事に出ている母の代わりに家事をしなければならないが、それを後回しにして午前できなかった分を埋め合わせようとした。カレーを食べて腹が満たされたためか、思い通りに作品ができあがった。これを次のフリーマーケットに出品する。次は7月だから、それまでに大量生産しておく。週末を探索に使っても、この調子なら十分数を作れるはずだ。
「いやぁ、やっぱりこっちのが楽しいなぁ」
順位もなければ課題もない。こんな楽なことをずっとしていたかった。楽しくて夢中になっているうちに母が帰ってきていた。
「ちょっとルシャ、洗濯物が干しっぱなしじゃないのよ」
「あ、ごめーん!手芸に夢中で忘れてたよ」
「もぉ…冷めちゃってるじゃないの。それよりあんた、勉強しなくていいの?テストが終わったからって気を抜いたら次で大コケするわよ?」
「わかってるよー。でも今の私は手芸が大事なの」
母はルシャの趣味を応援しているが、多くのことをする彼女に両立を期待している。だから傾倒を嫌って是正を頼んだ。
しかし両立は一点突破型のルシャの苦手とすることだから、この先母と衝突することが心配になる。ノーランの研究にも手を出したから、さらにバランスをとりにくくなった。
日曜日は学校に行かないので、昨日の反省を活かして家事に精を出すことにした。母の代わりに洗い場で服を洗い、物干し竿に吊して陽に当てた。制服を見るとしんみりしてきて、学校に行く前のことを思い出した。
「あの頃は洗濯が楽だったなぁ…」
学校に通い始めてからいろいろな洗濯物が増えた。それまでのルシャは自分の洗濯物を最小限にするべくシャツとハーフパンツと下着しか着なかった。家から出ないなら透け対策にキャミソールを着る必要はないし、靴下も履かなくてよいし、運動着も要らない。ラフな少女は同年代の友人を作ったのでオフの時に見られることを考えてオシャレな服を買おうと思い立った。丸首のシャツとデニムのハーフパンツにスニーカーの組み合わせで自作の髪飾りを着けて繰り出すと、近くの衣料品店に入って可愛い服を探した。自分がどの服と合うのかはわからないが、気に入ったものを買えば後悔しないだろうということで夏向けのものを端から見た。
「オッシャレぇ~」
まるで別世界の衣装のようだ。袖や裾のフリルが可愛いとか、チェック柄がイケてるとか、ノースリーブが爽やかだとか、そういう直感ばかりで気に入った服を試着してみると、鏡の自分は見違えるほど可愛かった。
「こんな、こんな世界があったのかぁ…!」
ルシャは財布が許す限りの服を買って着替えてみた。今日は涼しいので薄手の長袖ブラウスに紺のロングスカートを合わせて肌の露出を抑えめにした。気分が良くなったのでその格好のまま手芸を進めている途中で彼女はふと思いついた。
手先が器用なら服を作れるのではないか、ということだ。手縫いはもはや主流ではなくなったが、だからこそハンドメイドに価値を置く人がいる。自分で作るのなら自分好みのデザインにできるから、もっと可愛い服を着られる。新たな分野への挑戦にやる気を起こしたルシャはまた家事を忘れて母に怒られるのだった。