32・モテ(たい)男たちの奮闘
《》の注意をよく読んでください。
《テイクオーバーゾーンについての記述がありますが、これは2018年度から始まった新ルールでも以前のものでもなく、王国で一般的に知られている独自ルールに則ったものです。本来の開始地点の前後10m以内であればどこでもバトンパスができます》
どの学校にもある催しと言えば、体育祭だ。この勇者学校でも生徒の体力増進を図るものとして9月の頭に行われる。夏休みで弛んだ身体には少し厳しいかもしれないが、これはこの後に控える大会の出場者がそれに備える期間を設けるためである。
ルシャはやはり憂鬱だった。今回は魔法の使用が禁止されている。運動の得意な人が活躍するだけのイベントにわざわざ出る必要があるのか疑問を抱いていて、同族ミーナも同調してクラスの足を引っ張ることを懸念している。一方でリオンは活躍を誓ってこの時間から準備運動をしている。
この体育祭ではクラス番号に従って4つのチームに分かれて点数を競う。1組のルシャは2年1組と3年1組を仲間にしている。先輩の足を引っ張るわけにはいかないのが何よりも彼女にプレッシャーを与えている。
「全員が全部の競技に出るわけじゃないから、出るやつだけ頑張ればいいよ」
「まず徒競走からきついんだが」
競技は100m走から始まる。それぞれのチームから2人ずつ、8人が同時に走る。ルシャがビリでももう1人が1位なら点数は十分に入る。
「位置について、よーい」
スタートピストルが鳴るとルシャも駆けだした。必死に走っても周りが先へ行ってしまう。体育の授業では個人に順位をつけることがなかったから、こうして明確な順位がつくと悔しい。もっと速く走れると信じて腕を振った。
「…まあそうだよね。みんな速かったなぁ」
「ルシャたそ思ったより遅くないじゃん」
「でもビリだよ?みんなおかしいねぇ」
相手が悪かったと言うこともできるので、ルシャは悪いとされなかった。次はミーナだ。彼女はルシャと同じで運動神経の悪い人だが、彼女と違ってミラクルを味方にしていない。ルシャの味方が自分に移ってくれることを祈りながら列の先頭に立つ。
ミーナは奮闘した。最大出力で走った。少しの間、ビリではなくなった。このまま走り抜ければビリ回避―なのだが、ゴール直前で転んでしまった。
「あああ」
ルシャが思わず立ち上がって頭を抱えた。これでミーナはビリになり、仲間の同情を買うことになる…かに思われた。
「指が線越えてね?」
リオンはよく見ていた。ミーナが這いずって伸ばした手の先が確かに線を越えていた。再審を求めると審判員の先生が隣の先生と協議してミーナに7位を与えた。
「おおお~」
「意地のビリ回避。あいつやるなぁ」
これにはロディやラークも拍手を贈った。帰ってきたミーナの体操服の前面は砂まみれになっているが、顔はとても晴れやかだ。
「どうよ、少しはやるもんでしょ」
「素晴らしいよ。これで点が入った」
「ほめて」
「えらいえらい」
ビリのルシャが7位のミーナの頭を撫でたので勝利への渇望でピリピリしていた戦士たちが少しムッとした。その中からリオンが戦場へと向かい、スタートを迎えた。
「うぉ速っ」
疾風を伴って駆けるリオンの相手は不運だと言うほかない。有力候補に2馬身分の差をつけて1位になった彼女は余裕の表情で戻ってきた。
「人間?」
「人間だよ!ほら見てろ、ラークのが速いから」
次は男子だ。よりハイレベルな戦いを見ることができるとあって、生徒たちの期待は大きい。女子たちは目当ての男子に注目して手を合わせている。
ラークはリオンの言う通り彼女より速かった。怪物か大玉、はたまた土砂や雪崩にでも追われているのかというくらい速かったのでルシャとミーナが首を傾げた。
「人間?」
「人間だぞ」
ラークはすぐに息を整えてロディに注目した。彼は今回も本領を発揮するのだろうか。彼の隣には背の高い男がいる。ロディは少し遅れてスタートした。ルシャは彼の強みは小回りの良さ、クイックネスにあると見ていた。だからサッカーでは有利だった。しかし彼はそれだけではなかった。兄であるということは、思っている以上に重責らしい。
「加速した!?」
ロディが加速したと思ったら直後には全員を抜かしていた。彼は50m地点でトップスピードに至り、そのまま衰えることなくテープを切った。
「あんなに速く脚が動くか…小柄な人は歩幅で不利な分、脚の回転を速くできる。隣の奴の1歩より速く、それより長い距離を稼げれば何歩かかってもいい」
ロディはそれを達成していたというわけだ。奇跡的に思える1位に驚いていたミーナに、彼はこう言った。
「僕は脚を速く回転させることでしか勝てないんだ」
「にしても速すぎでしょ…なんなのお前」
「小柄だから弱く見られがちだけど、運動はできるほうだと思ってる。昔から外で遊んでたし、親が付き合ってくれたからね」
ロディの運動能力は幼少期より鍛え続けた結果だという。幼い頃に運動することがいかに重要かというのは、もっと考えられるべきことだ。
「ごめんロディ、これまであんたのことナメてたわ」
「うん、運動できるだけだからね?」
これまでより距離が縮まった気がしたのでロディは嬉しくなった。この調子で仲間に力を示し続けたい彼は次の障害物走にも参加する。
「もうロディ劇場じゃん」
「あいつが残り全部出ればいいんじゃね?ショーになるよ」
「聞こえてるよ?」
ロディは並ぶ前に飲み物を飲みたかったので戻ってきていた。もちろん彼が残りの競技すべてに出るということはない。
ここでもルシャのミラクルは発揮されるのか、仲間たちも先生も楽しみにしていた。彼女の2つ目の競技は玉入れだ。ルールは日本のそれと同じ、高いところにある器に小豆を詰めた布の玉を投げ入れてその数を競うというものだ。背の低いルシャには不利に思われたが、個人種目ではないので気が楽だ。
4つの器を4色のビブスを着た生徒が囲う。スタートの笛が吹かれると、円の中に散らばる玉を拾って上方へ投げ始めた。この競技の面白いところは必死になると器へと飛ぶ玉が増えるので玉同士が弾き合ってしまって器に入らなくなることだ。かと言って順序よく入れるのも時間がかかる。すべての玉が被らない軌跡で入るというのはそれこそ奇跡だ。
「ルシャたそ頑張ってるねぇ」
「すっげ、上下運動でぷるんぷるんじゃねぇか」
「おい変態」
リオンが双眼鏡を構えるミーナの頭をメガホンで軽く叩いた。しかしリオンのほうも見ずにはいられなくなって2人してルシャの胸ばかり見た。すると奇跡が起きた。
「あっ」
反対側の人が投げた玉が器の上を通過してルシャのほうへ落ちてきたのだが、それがルシャの胸に乗っかったのだ。見事な胸トラップで柔らかく受け止められたそれはルシャの胸からゆっくりと滑り落ちた。
「ゴ―――ル!ゴルゴルゴルゴルゴール!」
「うるせぇ!」
ミーナが勝ってもいないのに歓喜したのでリオンがまたメガホンで叩いた。
「しかしあんなことがあるんだねぇ…あ、いけね涎が」
「確かに…あいつの胸いろいろ乗っけられそうだよな」
胸の上にドリンクのカップを乗せて写真を撮る”タピオカチャレンジ”なるものが日本では流行ったが、この国ではこれがその黎明かもしれない。
「……」
「…落ちるね」
水筒を乗せようとしたのにすぐに滑り落ちるので2人は溜息をついた。競技が終了して集計に入ると、50くらいで続々と玉が高く放り投げられた。しかしルシャのチームの器にはまだ多くの玉が残っていて、計数が続いた。
「77~」
ここで玉が高く上がった。1位になったルシャチームには10ポイントが与えられた。
「すごいな。そんなに入ってたようには見えなかった」
「お前途中からどっか行ってたろ?途中からすごかったんだぜ」
ラークはロディと連れションに行っていたのでルシャの胸に玉が乗ったところを見逃していた。なんとも惜しい。
「そういえば他と比べて男子多めだね」
「うちのクラス女子のほうが運動得意な人多いからね」
この選考とルシャの特性とが上手く噛み合って大きな効果を出したというわけだ。
「ルシャたそのぷるるんお手玉を見た男子たちが盛り上がって頑張った結果ああなったのよ」
「ぷるるんお手玉?」
「…それはさておき、キミは次のリレー出るんでしょ?」
「ああ。行こうか、リオン」
「うぃっす」
ラークが最も力を入れていたのが色別対抗リレーだ。1~3年混合の6人が同じバトンを繋ぐ。男女1名ずつ選ばれるのでこのクラスは迷わずラークとリオンを選んだ。
「3年より速いんじゃねぇの?」
そんな声が聞こえる。確かに先程の徒競走では2人は群を抜いていた。3年にも遜色なく戦える走力と言える。
「リレーだけ配点がバカ高いからプレッシャーだろうなぁ」
「それゆえ活躍できたらモテる!」
というのがこの学校の伝統らしい。モテたいがために出場を申し出る人がいるくらいだ。
『この体育祭最後の種目です!逆転するのか、それとも2位を引き離して優勝するのか!選手入場です!』
情熱的な音楽が鳴り響くと、先生に導かれた選手たちが門から出てきた。盛大な拍手に迎えられた第1走者がスタート位置につくと、声援が止んで静寂に包まれた。その中で鳴るピストル。
「ちなみに男子は200m走るし、テイクオーバーゾーンをフルで使えば220mだよ。死んだな」
男子の多くは女子の距離を80mにするために20mのテイクオーバーゾーンを使い切る―開始地点の10m手前で受け取り、次の走者の開始地点の10m先で渡す―。第1走者のラークが200m地点に近づくと、リオンがステップを踏んで10m進んだ。ゾーン内ギリギリのところで受け取った彼女は80m走って2年の男子に渡した。この先輩は勢いのない状態で受け取るため、加速力が要求されている。
「もちろんそんな配役にしたさ。ブルーノは加速の鬼と呼ばれている」
その称号の通り、ブルーノ先輩はテイクオーバーゾーン内で既にトップスピードに達していた。
「…?」
「…でもトップスピードは大したことないんだ。残念ながらうちのクラスには速い奴がいなくてね」
「あーら」
ブルーノが2人に抜かれて3位になったのでこの後の3人で巻き返さねばならない。
「まあでも大丈夫っしょ!なにせアンカーはあの人なんだから」
先輩の指が示したのは、見たことのある人だった。
「アイラ先輩じゃん」
「やっぱり有名なんだな。ルベン先輩とアイラ先輩のコンビは去年も大爆発だった」
「へぇぇ」
まずルベンが150m地点で1人を抜いた。アンカーのアイラはテイクオーバーゾーンの端ではなく中央でバトンを受けた。
「あれ、ルベン先輩に走らせないんですね…」
「だって…」
見れば分かった。ルベンよりアイラのほうが速いのだ。まるでハンターのようにぐんぐんと距離を詰めると、ゴールまで30m残したところでついに1位に躍り出た。
「すげぇ…」
そのままゴールテープを切った彼女は勢いを緩めながらウイニングランをして戻ってきた。
「バケモンですわ。人間?」
「人間だと思う…」
こうして100点を獲得したルシャチームがぶっちぎりの優勝を飾り、ルベンが優勝杯を掲げた。
その日の放課後。
「アイラ先輩メッチャ速いっすね」
クラニチャールのケーキを挟んで5人がソファに座る。ルベン、アイラ、ダテトリオだ。
「親譲りかな。持久走はダメダメなんだけど短い距離なら無敵よ」
「ビックリしただろ?おそらくこの学校で1番だ」
ルベンはアイラのことを誇っている。彼も活躍したのにアイラにすべて持って行かれたので少し落ち込んでいるようにも見えるが。
「でもまあリオンも速かったよ。1位で来るとは思ってなかった」
「こんくらいしか取り柄ないっすからね」
「いやいや、君らを低く見ていたことを反省したよ…ルベンだって君らの活躍を聞く度に汗が出るって言うし」
ルベンはルシャとの対決で不正をしたことを今でも反省しており、こうして顔を合わせたことで緊張している。
「…ルベン先輩?」
「あ、ああ…あの時のことを思い出してな…あれは先輩として失格だったな。君以外の信用も失うところだった。こうして話す機会を得たから言うけど、もう1度、今度は不正なしで勝負してくれないか?」
ルベンはルシャに頭を下げて再戦を乞うた。それを快諾した彼女は、代わりにもう1個ケーキを奢るように強請った。
「よく食べるね…まあここのは特別美味しいからわからなくはない」
ルベンがチョコレートケーキを注文すると、話は体育祭から大会のことへ移った。
「俺は選ばれれば出る。君は出ないという話をノーラン先生から聞いたが本当かい?」
「はい。偉い人の目に触れるってのが嫌なので」
「出場するだけでもすごいと言われるのに断るなんて勿体ない気もするけど、俺とは違う事情があるってことだな。俺に強制する権利はないから、学校の判断を待つ」
ルシャがノーランと話した出来レースのことについて伝えると、ルベンは否定しなかった。
「中央の人たちは老いてきたら後任を探さなきゃならないから、さっさと決めるために大会を利用して優秀な人材を中央へ引き込むことがある。大会への出場ってのは殆どの生徒が断らないから、そこで権力の中に包めてしまうのさ」
「やっぱり…」
「じゃあルシャたそは中央の人になるんですか?」
「まずは勇者だ。最も優れた人は勇者になり、勇者にならなかった候補者は中央に行く。そういう立場につく人は少なくて、大半は王都の戦士になるんだけどね」
「やっぱり出ない方がいいですね。私はここでゆっくり暮らしたいんです」
「それもいいだろう…まあ、金が欲しけりゃ受ければいいってことだ」
「ちなみに先輩、これまでの大会の優勝者がどうなったかってのは知ってます?」
その情報は貴重だ。3年のルベンなら2回大会を見ている。
「優勝者も大半は戦士になる。今のところ中央に行ったっていう話は聞いてないね。中央に目をつけられながら行方知れずってのもいるし…」
これまで何度も大会が開かれたので、優勝者は大勢いる。すべてを把握することは不可能だろう。
「俺はすべてを知ってるわけじゃない。優勝者本人に会えれば…」
「優勝することで知るっていうのは?」
「そういう方法もある。だが今年は他校に特強がいるから、そこが優勝するだろう」
「え、そんなことまで知ってるんですか!?」
ルベンは優等生なので先生との関わりが深く、普通の生徒では聞けないことも聞くという。
「ミロシュ先生が言ってたんだ。王都に中央や王族が最も注目している特強の生徒がいるってね」
「なんだ、じゃあ私は大したことないですね」
「わかんないよ?もし勝っちゃったらとんでもないことだからね」
アイラはそれほどに大会というものが大きなものだと説いた。出来レースをするつもりだったところに予想外に強い戦士が現れた場合はそちらに鞍替えすることも考えられる。
「中央の贔屓っていうのはそのとき1番興味深い人に向かう。いつも同じ人ってわけじゃないよ」
「さっさと決めたいなら同じ人にしときゃいいのに」
「でも利用したときに価値のある人のほうがいいでしょ?駒として使ったのにあっさりやられちゃったらダメだもん」
「そっか…その方が出来レースってバレにくいか」
「順当に勝ったと思わせることもできるね。とにかく、大会に出る奴がそこらへんの情報を集める。君らは観客として他校の生徒と中央の振る舞いを見ていればいい」
これで先輩との情報網も確立された。安心がより強くなったので、ルシャはケーキを満腹になるまで食べてから家に帰って疲れを取った。
その頃…
「いらっしゃいませ~」
「こちらにルリー・ディアスさんというかたがいると伺ったのですが」
運動が苦手でも体育祭が嫌いじゃない人だっているということです。ルシャは競技ではなく別のことで貢献したので顰蹙を買うことはありませんでした。




