31・涙もろい人たち
始業式が終わると、ルシャは1人で校長室へと向かった。ミーナとリオンが少し寂しい帰宅をすることを思うと申し訳なくなるが、中央を嫌って出席しないのは意図とは異なる。
「新しい学期に期待を寄せて良い気分だったところを申し訳ない。しかし中央は必要なことが正しく行われることを最も重視している。どうか理解いただきたい」
ルシャは正しい姿勢を保ったまま神妙な面持ちで彫りの深い担当者の言葉を受けていた。彼女の隣のソファには校長が座っている。
「早速だがルシャさん、体調はいかがかな」
「いつも通りです」
「うむ。では予定通り調査を行う。着替えを済ませたら運動場に来てくれ」
ルシャは先に退室した担当者に続いて校長室を出ると、更衣室で体操服に着替えて運動場に出た。
一方…
「担当者ごっつぃなぁ~」
「ルシャたそが意見を言いにくいようにそういう人を選んだのかな…」
リオンとミーナが物陰からルシャたちの様子を見ていた。先に帰ると言いながらも友を放っておけずに校内に留まっていたのだ。
「魔法を見せるだけなんだよね?」
「たそがそう言ってたから間違いないと思うけど…」
2人の視界の中でルシャと担当者とが向かい合うと、担当者がウルシュを出した。ウルシュに慣れているルシャはすぐに魔法で分裂体まで消し去り、落ち着かない様子で腕を触ったりハーフパンツの腰の位置を気にしたりした。
「うーん、緊張しているくせに戦闘ってなると強いなぁ」
「あの程度ならなんともないんだろうね。腕持ってないのに」
シャペシュの腕は滓宝であるため担当者と会う前にノーランに預けてある。それでも魔力に大きな揺らぎはない。
ルシャは早くこの状況を終わらせたかった。過剰気味に魔法を放ったのはそのためだ。ウルシュを容易く倒した彼女の魔力に予想通りといった反応を見せた担当者はバインダーに挟んだ紙に何かを記すと、灰色のウルシュに4本の腕の生えた生物を出した。
「次はこのバルグシュと戦ってもらう。ウルシュの分裂体すら簡単に捉える魔法の扱いは見させてもらった。次はそれぞれの魔法の強さがどれほどかを見る」
「はい」
ルシャは同じように魔法を出してバルグシュを攻撃した。しかしこのバルグシュ、ウルシュではあまりにも生温いという強者の言葉を受けて改良されたウルシュの上位種であり、耐久力が上がっている。
(密度の高い魔法生命体…)
ルシャは衝撃を与える魔法ではなく反応を起こす魔法に切り替えた。地下でドラゴンと戦ったときに用いた熱のようなものだ。これでバルグシュの表面にある密度の高い魔法の結合を崩してから攻撃を加えると簡単に貫ける。
「ほう…」
ルリーの言葉通り、可能な限り楽をする方法で倒しきった。しかしこの時点でルシャはかなりの魔力を消費していたため、息が乱れていた。
「兵士でもより鋭く鍛えられた者のみが果たすとされるバルグシュ討伐をこの年齢でやって見せるか…なるほど、区長が迷わず推薦しただけのことはある」
「あの…」
「ああ、独り言だ。魔力が少ないだろうからこれで終わりにする。貴重な時間を頂戴したこと、感謝申し上げる」
「お世話様でした」
ルシャが丁寧に頭を下げると、担当者はもう1度書類に目を通してこう言った。
「特強と認めた中央の判断は正しかったようだ。私も有望という結果を持ち帰ることができる…大会が楽しみだ」
言わせておいてもよかったのだが、ここで言えば中央に明確な意志を示せると思ったルシャは思い切って担当者に打ち明けた。
「あの、私、大会に出る気はありません」
「なんだって?」
やはりその反応が返ってきた。ルシャは残念に思ったのを顔に出さずに続けた。物陰のミーナとリオンが唾を飲む。
「この学校には意欲のある有望な生徒がたくさんいます。将来を決めかねている先輩が進路を選ぶきっかけとなることを期して、今回は枠を譲るつもりです」
「しかしこれまで中央に殊に注目すべき生徒がいるとの情報は来ていない。我々が注目しているのは君だけだ。中央の大臣や王族までお越しなる大会を辞退するとなれば彼らの落胆を免れまい」
「ですが…」
ルシャは巨漢の圧に屈して涙目になりながら俯いてしまった。中央に逆らうことの罪がまるで重りのように全身にのしかかっている。
「王の目に触れるということの重みを理解していないようだな。比類なき栄誉だ。末代まで語り継がれるほどのな。かつて王に刀剣を献上した鍛冶がいた。名工の称号はその一族を示すものとして今でも使われている。聞いたことがあるだろう、スミス家だ」
「……」
「それと同じようにだ、ルヴァンジュの名がいつまでも語り継がれるものになるばかりか、広く知れ渡って誰もが称えるだろう」
「生憎ですが私はそのようなものに興味はありません。私はただ静かに穏やかに暮らしたいだけです」
「君は王や国の期待を裏切るというのか?」
「それは…」
そのような言葉をルリーも受けたのだろう。逃げ出したくなる気持ちが解った。ルシャが涙を堪えながらはっきりと伝えようとすると、その前に介入があった。
「仕事は終わりましたかね」
「ミーナ、リオン…」
「もう我慢なりません。うちの友達にこれ以上圧をかけるのはお止めください」
「友人か…そうだな。余計なことを言った。だが君たちも心するべきだ。君たちの友達は大変な栄誉を手にする機会を得たのだ。これを無駄にするのはあまりにも勿体なく、あまりにも失礼だ」
「余計なことを言ったといま反省したばかりでしょう?ご忠告しかと拝聴しました。さようなら」
リオンがルシャの腕を掴んだ。担当者の男はそれ以上言葉をかけず、この後の校長との面談へと移った。
研究室に逃げ込んだ3人をノーランとルーシーが麦茶で迎えた。
「大変だったな…」
「この人、気が気でないってまたタバコ吸おうとしたのよ」
「奴はお偉いの手下だ。うちの可愛い教え子がどんな仕打ちを受けるのか、いつ動き出してもいいように構えていたさ。借り物の腕を使ってでも止めるためにな」
ノーランは衝動的に買ってしまったタバコの箱を指で弾いてゴミ箱へ飛ばした。大きく溜息をついて3人の向かいに座ると、明るい言葉を並べた。
「これで国から圧力をかけられたとしても、お前らのやることを変えさせやしないさ。教師というのは生徒を護るのも仕事にしているからな」
「そうだ。私たちはいつもあなたたちの味方だぞ」
「へへ…2人ともありがとうございます。ミーナとリオンも。みんなのおかげでちょっと気が楽になりました…けどここまで出かかってるので泣いていい?」
リオンがルシャの顔を腹に埋めて涙を受け止めた。泣きながら呼吸を整えたルシャが元に戻ると、ノーランは今後起こりうることを話した。
「権力者の気まぐれ次第と言えば非常に曖昧でお前らの助けにならない。しかし曖昧なものを具体的にする作業は非常に疲れる。今のうちに言えるのは、奴らがルシャに大会に出てほしくてしょうがなくなるかどうかで学校にかかる圧が変わるってことだな」
「選抜に介入するってことですか?」
「そうだ。学校対抗だからそれぞれの学校がメンバーを決めるのは当然だろ?だが権力者というのは自分の目に疑いがないことを人々に知らしめたいんだ。そのために何だってする連中だから、当然とされることを変えてくる」
「あの様子だとルシャはかなり中央に注目されている…ということは、中央により良い評価がつくようにするためにはルシャを出したこの学校を優勝させねばならない」
「なるほど…!」
俗に言う”出来レース”だ。この大会の本来の意義は学校外の実力者を見ることでより高みへと至らん意志を強くさせることにあり、実際に数多くの戦士がこの大会で多くの学びを得たと語っている。しかし今回の大会の目的はそうではない。
「どこまで辿れば奴らの絡まないところに至れるのやら…それほどに盤石だ。厄介事を避けるなら奴らの言うことにハイハイと従っておけばいいんだが、それを受け入れては個を失うというものだ」
「何度も言いますが私は大会には出ないし勇者にもなりませんからね」
「わかってる。俺が教師人生を懸けて護ると決めたことだ」
「ノーラン先生…」
ルシャはまた潤んだのでリオンに埋もれた。
「なんでそこまでしてくれるんですか?」
「俺もお前に注目してるからだ。しかし俺はただ才能のある子がどのような将来へ進むかということに興味があって、ああしろこうしろと命令をするつもりはない。端的に言えば…やっぱり興味だ。気になるだけだ」
ノーランは照れ隠しにタバコを吸おうとして先程捨てたことに気付いた。手が泳ぐ。
「大会のことは非常に大きな問題になるだろうが、この学校がお前の味方として立ち向かう。奴らがてこでも揺るがないというのなら、俺がお前のフリをして出場してやる」
「ハハハ…そこまでしてくれるんだもん。優しいなぁ」
「いっそ言うけど俺はお前に好かれたいんだよ。なんというか、無機質でぶっきらぼうだった俺をこんなに明るい奴にしてくれたお礼だ。俺はいま楽しくてしょうがない」
「そっか。よかった」
ノーランのほうも泣きそうになっているのでルーシーがハンカチを貸した。
「…ふぅ、とにかくだ。大会が迫っても気にせずいつも通りにしていろ。フリーマーケットもあるんだろう?」
「はい。先生が護ってくれる生活を大事にします。もっと頑張って作品を作らないと」
「そういうことだ。ミーナ、リオン」
「はい!」
「俺は天じゃないからすべてを見ることができない。俺のいないところではお前らに任せる」
「言われるまでもないっすよ。友達だぞ?1番近くで見るに決まってます」
「…何回泣かせるんだよぉ」
「俺も泣けてきた」
感動しやすい2人がまた泣き出したので世話焼きたちが苦労した。
ルシャが帰って母に報告すると、フランはにっこり笑ってこう返した。
「あんたは幸せ者ね。そんな人に出会えたことだけは特強になってよかったと思えることかもね」
「うん。学校は楽しいし、ルリーさんとも仲良くできてる。あと図書館で会ったドニエルさんとも今後いろいろしそう」
するとこれまで和やかだった母の顔が凍り付いたように青ざめた。
「え…?」
「え、どうしたの?」
「ドニエルさんって…ドニエル・ティモア…?」
母がその名を知っているのは意外だ。ここまで彼女を凍り付かせる人なのだろうか。
「うん、そうだけど…」
「名前を憶えておいてよかった。ルシャ、会えたらいい程度じゃなくて、何としてでも会いたいと思いなさい。そして会ったら私のところに連れてきて」
「うん…なんで?」
ここでルシャは衝撃の事実を聞くことになる。
感動したとか悲しいとか以外にも興奮すると涙が出てしまう(嗚咽ってわけではない)のですが、皆さんはどうでしょうか。ノーランはそういうタイプらしいです。




