30・大人の事情
ルシャのもとへ封筒が届いた。宛名を見る前に封筒に押されたスタンプを見て青ざめた。 送り主は『国務局』…国内に関する事務仕事を総合的に扱う政府の部署だ。糊付けを手で剥がして開けるのが憚られるくらいで、ルシャはレターオープナーを使って丁寧に開封した。
中には紙が2枚入っていた。片方は挨拶文、もう片方は地図だ。
「絶対特強絡みだよぉ…うぅ…」
憂鬱になったルシャの代わりに母が要約して読み上げる。
『特定強化対象者の能力の定期確認を実施いたします。新学期の始業式終了後に校長室にお越しください』
「定期確認ってなに?」
「さぁ…特強が弱くなってたら困るから国の人がどれくらい強いか見にくるんじゃない?」
具体性がなくてもルシャを怯えさせるには足りることだった。彼女は好きで特強になったわけではないのでこれは特強を解除する数少ないチャンスでもあるが、特強を解除された場合学校を退学になるのでミーナたちに学校で会えなくなる。
「どうしたい?」
「…学校生活が楽しいから特強は続けるよ。けど勇者にはならない。他の特強を超えない程度に魔法を使って、過度な期待を解消する」
フランは頷いた。その通りにすればルリーが最強の特強として勇者になるため、ルシャはその役を免れる。その通りになればだが…
「ルリーさんのところにも来てるか訊いてくる!」
ルリーのシフトを把握しているルシャは今日が休みだと知っているので急いで彼女の家へ向かった。
ルリーは昼前まで寝るつもりで少し不機嫌そうにしながらもルシャに茶を出して白い封筒を見せた。
「…私も勇者になるつもりはないので程々に手を抜くつもりですが、担当者によって評価が歪められて無駄に終わるかもしれません」
「…本当の強さじゃなくて偉い人の都合で勇者が決まる可能性があるってことですか?」
ルリーはルシャの鋭さを認めて王都で耳にした話を伝えた。
「特強という特別な立場をつくって人を選ぶのは政府や王族ですから、選ばれた特強が弱いとなれば選んだ人は目が節穴だという誹りを受けかねません。面目を潰さないために担当者に指示を送って、たとえ弱くても強いという評価を作らせます。そうすれば彼らの目に狂いはなかったという声ばかりになるでしょう」
「国や王族は魔族との戦いより自分たちの面目のほうを優先しているんですか?」
「立場をより強固なものにするためです。優れた人を見る目を持つ優れた人でありたいんでしょう」
「なるほど…じゃあ手を抜こうが本気を出そうが既に勇者は決まっている?」
「はい。私やルシャさんじゃないことを願います…まあ、余計なことは気にしないことです」
ルリーが中央を信用していないことを知ったルシャは彼女の言葉を心に留めつつ家に帰った。今日のルリーはいつもと違っていた。怒っているようでも悲しんでいるようでもなく、淡々としていた。ルシャにはそれがひどく奇妙に思えた。
母が仕事へ行く準備をしているとき、ルシャは思っていたことを尋ねた。
「私が勇者になっちゃったらどうする?」
「…本当はついて行きたいけど、それほどに規模が大きくなったら私の出る幕はないわ。だからどこか静かなところに引っ込んで、娘の栄誉だとか風評だとかから隠れる」
「そうだよね。勇者の母ってなればいろんな人が来るだろうね」
離れて過ごす時間が多くなるのが寂しいというのは互いに思っていることだ。フランもルシャが勇者にならない未来を祈っている。
ルシャは図書館に行って中央のことを調べた。立場に拘泥する理由を求めて…
(誰もが同じ立場で仲良く過ごせればそれでいいのに、どうして偉い人は偉くあり続けようとして他の人の気持ちを無視するんだろ…)
被害者とも言えるルシャだからこそそのようなことを思う。大人の都合によって生活が激変して、悪いことばかりではなかったにしてもやりたいことから少し遠ざかった。他にも自分のように意思に反する決定を下された人がいると思うと、少し体温が上がる。
(ルリーさん以外の特強はどう思ってるんだろう)
中には勇者になりたくて必死に特訓を積んでいるうちに特強に認定された人がいるかもしれないが、ルシャ以上に生活を変えねばならなくなった人がいることも考えられる。それこそ、親との別れがあったかもしれない。
統治のはじまりや階層構造の変遷など頭の痛くなることばかりが記されている本は退屈で、ルシャは柔らかいソファの上で眠ってしまっていた。起きたときには膝にブランケットがかかっていて、本はしおりを挟んでテーブルの上に置かれていた。
「誰が…」
その声を聞く者がいた。本とは反対側の、左に座っていた男性だ。
「まだ子供なのに政治のことを勉強するなんて感心したよ。でもすぐ飽きるものだね」
「あ、はい…」
「俺も昔はよく図書館で寝て施設の人に怒られたよ。人の多いところは席を取ることすら厳しくてね…」
よく見ると男性の服には高そうな装飾がついている。それに、やけに美しい。
「あの、これ…ありがとうございます」
「ああ、俺はいつも長いのを穿くから、君の短いのは寒そうに見えるんだ。これ穿いてても冷えるから持ち歩いてる」
ルシャは夏の終わりに似合うデニムのハーフパンツを穿いている。靴下はスニーカーに合う短めのだったので、膝下が晒されている。
「どっかで聞いたんだ。勇者学校に通う女の子が特強だって。君だろ?」
やはりか、とルシャは警戒した。特強に関する話があった直後にまた特強のことを言われたのだから、何か大きな変化が始まるのではないかと思ってしまった。
「そうですけど、あなたも特強…?」
「ああ、ドニエル・ティモア。ニュソス区から来た」
「ルシャ・ルヴァンジュです…えっと、ニュソス区ってどこですか」
ドニエルは若い男性で、小柄なのもあってノーランより年下に見える。しかし彼の放つ尋常ならざる雰囲気がルシャに奇妙な印象を与えている。
「王都からずっと北に行ったところ。もう雪が降ってるんだ。寒いのが嫌だからジュタ区にいる親戚の家に匿ってもらおうと思ったのがここに来た理由さ」
「なるほど…」
ドニエルは聡くルシャの懸念に気付いた。彼は左にあった本をとると、その表紙をポンと叩いてこう言った。
「ジュタの特強調査は来週から始まる…それが心配なんだろ?」
「はい…初めてですし…」
特強はどうしてこうも聡いのかとルシャは虚空に問うた。ドニエルは既にニュソスでの調査を受けていて、そのことをルシャに教えた。
「身体調査じゃなくて能力調査だ。身体を探られたり、服を脱がされるということはない…そうじゃなくて、ただ魔法をたくさん使わされる。ウルシュもあればキャピシュ・ダウンもあり、もっと強いバルグシュとも戦う。おそらく、ジュタっていう辺境の地では殊に際立つ存在である特強の君には大きな期待が寄せられているはずだ。厳しいものになるかも…って、やる前に不安にさせちゃダメだよね。ごめん」
「いえ…ドニエルさんは、勇者になりたいんですか?」
それが核心だ。答えてもらえないことも予想しながら尋ねると、ドニエルはあっさりと答えを示した。
「いいや、なりたくないね。誰だって魔王と戦うのは嫌なんじゃないかな。世界を救うだなんて壮大な任務を押しつけられて、傷ついても世の運命を担ってるからって何度も立ち上がらなきゃならない。負けたら俺のせい。バカげてる」
「でもこれまでの勇者は命をかけて魔王を退けたんでしょう?」
「ああ。かなりの実力があったと聞いてる。ここで質問だ。昔の勇者と次の勇者との違いって何だと思う?」
その答えはルリーから貰っていた。
「実力で選ばれたか、偉い人の都合で選ばれたか…」
「すごい、大正解。昔は本当に目のいい人が勇者を選んだから、相打ちになったとしても魔王をこの世界から退けられた。けど今の中央は権力構造が完成されてて、世襲で選ばれた奴が椅子に座ってる。選定は無能でもできるってことだ」
栄誉ある者の子供が必ず重職に就くという流れができてしまってからは本当の有能が権力を握れなくなっていた。
「無能を自覚している新入りは金をタンマリ貰える立場を離れたくないからって周りに圧力をかけて有利になろうとする。他の人の推薦を受ければすぐにその人を特強にして、特強にしたならいかなる手段を用いても評価を落とさせない。ジュタの担当者も君の能力に関係なく『大変良好』っていう結果を持ち帰るさ」
「もはや賭けですね…世界にとっては私が選ばれたほうがいいのかもしれないとすら思えてきました」
「ハハハ、言うねぇ。忘れちゃならないけど、勇者じゃなくても魔王を倒していいんだからね?君が勇者を信用できないっていうなら、誰かを誘って戦いに出ればいい。それはさておき、俺は勇者になりたいんじゃなくて、こんなクソみたいな権力構造をぶち壊しにできる奴らを探してる。俺1人じゃ無理だ。奴らは特強の他にも滓宝ってやつにメチャメチャに執着してて、既にいくつか持ってるって話だ。その力を借りれば無能でもたちどころに活躍できる。俺を凌駕する力だって出るはずさ」
「じゃあ…私がドニエルさんと協力して中央の権力者に挑んだら勝てますかね?」
大人の都合を嫌うことで共通している2人だからルシャは結託することができると考えた。しかし中央をより詳しく知るドニエルは難色を示した。
「奴らの味方をする特強もいる。俺と君は意思に反していても、中央に飼われてる奴がいるんだ。そいつらは権力に護られてる。夢を叶えるにはそいつらに死んでもらわねばならない。つまり…無理ってことだ」
「そうですか…」
「おっと、こんな場所で長々と話すのはよくないかもしれないね。しばらくはジュタにいるから、どこかで会うかもしれない。そのときはよろしく」
「こちらこそ」
閉館時間が近づいていたので2人は別れを告げてそれぞれの帰路についた。
その夜、ルシャは思い通りに捗らない手芸を中断して布団の上で考え込んだ。王都は思っていたよりずっと固い権力構造があって多くの人がそれに迎合されて生きている。偉い人の決定は何よりも尊重され、逆らうことは難しい。特強ですら、王国の駒というわけだ。
(けどドニエルさんみたいに異を唱える人もいる…)
王国を敵と捉えるのは尚早というものだが、この先自分の深くへと介入しては意思を踏みにじった決定をするかもしれない。目をつけられたが故に、王国のお気に入りとなったばかりに、苦労する…子供にもそれを受け入れることはできなさそうだ。
「ルシャ、お風呂沸いたよ」
「入るー」
この会話のない日が来なければいい。
3人目の特強が登場です。ルシャ(ルーシア)、ディアス、ティモアと来れば特強に共通することが分かってきたかと…




