27・気になる師匠
ルシャは弟子になった男のことを忘れていなかった。敵対していた頃は『どうでもいい』と切り捨てられたのが、今となっては『たまには思い出す』となっていた。向上心を持って愚直に特訓に励む姿勢はルシャにとって快いものだそうだ。
「やってるねぇ少年」
「ルシャ・ルヴァンジュ!」
「いちいちフルネームで呼ばんでいいわ。師匠と呼べ」
しかしプライドの高い少年が同格であるはずの少女を敬称で呼ぶのはなかなか屈辱的なようで、ルートは歯ぎしりをした。
「悔しいのなら私を上回れば良いのだ。私はお前に負けたら師弟関係を解除して格上と見るようになるだけだ」
「そこで柔軟な対応をしていいのか?重要なことだろう」
「構わん。私にも格上がいてかなり仲良くしてもらってる」
「お前を上回るだと…?」
「綺麗なお姉さんだ…って、そんなことをお前に言いに来たんじゃない。偶然会ってしまったから新しい特訓を課そうとしただけだ」
ルシャは鞄に入っていたメモ帳に内容を記して1ページちぎって弟子に渡した。
「また鬼畜メニューか…?いや、魔法を使えばそうでもないか」
「その通り。魔法を使いこなすことこそ、この特訓の肝なのだよ」
「お前はどうなんだ、俺に特訓を課すだけでのんびり暮らしているんじゃないだろうな」
そんなことはない。ルシャは泳法を習得したし、旧校舎地下で戦ってもいる。ルートより過酷な特訓と言えるのではないだろうか。
「フフフ、計数係がいたらキャピシュ・ダウンでサボってたかどうか分からせてやったのに」
「む、なかなかな自信だな…よし、じゃあ俺と同じ内容をやれ。俺より良くできたら認めてやる」
負け嫌いの弟子が少し可愛く思えてしまったのでルシャは溜息をついて腹を括った。
題して、師弟3番対決。1つ目の場所はあのフッカーズ・ヒルだ。崖の下からスタートしてどちらが先に頂上へ到達できるかというシンプルなもの。もちろん魔法の使用は可だ。「私の投げた石が落ちたらスタートだ」
「よし…」
ルシャが小石を放り、それが地面にぶつかって音を鳴らした。それより前に目で見た2人はほぼ同時にスタートして壁を登り始めた。ノーランがしたように吸着の魔法で上半身を支えながら具合の良い足場を探して進む。ルシャもルートもよそ見をせずに必死に登った。差は大きくなかったが、ルシャの勝利だ。
「くそ…足場が悪かった」
「言い訳かぁ?見苦しいねぇ」
「違う!お前の登った壁のほうが傾斜が緩やかだったし、俺のほうが背が高いから支えるのが難しいんだ!」
「なんだっていい。次勝てばいいんだ。できるならな」
ルートは強い高揚感を覚えていた。1人で孤独に励んでいたときにこのような感じはしなかった。次負ければ終わる―それを嫌う心が彼を奮わせている。
2つ目の場所は広範囲。高い建物の屋上に立ったルシャは隣のルートに指を使って説明する。
「今から指定する場所を順番に手で触って戻ってくる。あの病院の屋上の貯水槽、レストランのテラス席の囲い、中学校の校門、そして塔のどこか。いいか、ちゃんと憶えろよ?」
「俺の記憶力をナメるな。すぐに始められる」
「よし、じゃあまたこの石を落とす」
ルシャがルートに見えるように石を投げて同じようにスタートした。2人の速度はまだまだで、地上から目視できる。ルシャは飛行に慣れているので余裕だと思っていた。しかしルートは彼女を置き去りにしている。
「速い…!」
「ハハハ!俺も移動は専ら飛行だ!インドアそうなお前よりずっと頻繁に飛んでいるんだよォ!」
悪役がやりがちな説明をしてても速度が落ちないのが経験の証だ。ルシャは必死に追いかけたが、レストランまで僅かしか詰められなかった。しかしここで戦況が変わる。
「クソ!行け!」
中学校を目指すルートの速度が急激に落ちた。魔力を気にしてのことか。ここでルシャが追い抜いた。彼女にはシャペシュの腕を持っていなくても余裕がある。
「負けるかよ…!」
歯を食いしばって力を込めたルートが再び全速力で迫る。しかし限界が近く、上下に揺らいでいる。意地を見せたい彼が死ぬ気で追いかけていると、力尽きたわけではないのに建物の壁に突撃してしまった。ほんの僅かに魔法の盾を出したため身体が歪むほどの激しい衝撃は免れたが、壁に吸着するほどの余裕はなかった。すかさずルシャが引き返してルートのシャツを掴んだ。
「ふー…」
「はぁ、はぁ…死ぬかと思った…」
「どうしたのさ。よそ見?」
「あ、いや…そうじゃないんだが…」
具体的な理由を語ると恥ずかしくなるので曖昧にしようとした。このままならルシャは真実を知らないままだ。きつく問い詰めたかったが彼がかなり疲労していたのでまずは地上に降ろすことを考えると、その瞬間に音がした。
ぶちっ
「え?」
「うぇ?うわぁぁ!!!」
ルシャの手から離れたルートが地面に衝突して小刻みに動いた。腹を強打した彼はおかしなことになっている。そしてルシャの手には白い布がある。
「あ、ヤッベ…」
2つの意味でヤバかった。憎き敵から可愛い弟子になりかけていたルートを見たルシャは頭を掻いた。
「…の、乗り越えるのです、我が弟子よ!」
翌日、包帯や湿布で身体を覆ったルートが全治1週間だということを伝えに家まで来た。
「頑丈だねぇ。さすが男の子」
「クソ、やっぱり師匠を名乗るだけのことはある…魔力が尋常じゃない」
「なんかかわいそうだからちょっと休んでいきなよ」
フランが不在だったので彼氏かと騒がれることなく家に入れることができた。女子の家にあがったルートは少し緊張しながら出された麦茶で口内を潤した。
「わりかし普通の家に住んでるんだな」
「こんくらいが丁度良いよ。私がミーナの家に住んだら落ち着かないと思う」
「ミーナ?あいつの家はでかいのか?」
「豪邸さ。詳しいこと言うと怒られるかもしれんから言わないけど…ミーナがお前のこと気に入ったかどうか分かんないし」
「確かに俺は嫌われることをしたと思う。親友を貶したわけだからそりゃ怒るだろう」
ルートは反省していることをハッキリと示した。この態度が続けばじきに馴染んでゆくだろうと思ったルシャは少しくらいなら弟子の長所を語ってやろうと腕を組んだ。
「私に鍛え抜かれたお前が実力を見せれば2人に利益があるのは分かってるな?」
「ああ。俺が本来の評価を取り戻せるのと、師匠であるお前の手腕に評価がつくこと」
「その通り。やっぱ頭はいいんだな…で、なんでよそ見したの?」
この質問はしなければならない。というのは、ルシャにとって完璧主義者であるルートがあのようなミスをしたことは信じがたいからだ。
「怒らない?」
「え、私が怒るような理由なの?凡ミスとか夕飯の献立考えてたとかなら赦すよ?」
「そうじゃない…その…あの時俺が遅れをとってただろ?」
「うん」
そしてルートはテーブルの下に手を入れて人差し指を立てた。それが示すのはルシャの下半身。ルシャに電流奔る。
「あー!!!」
ルシャは先日ラーメン屋で会ったルリーの服装を可愛いと思っていて、似たものを着てみたのだった。その服装で散歩をしていたら偶然ルートに出くわしたのでそのまま特訓ということになった。つまりルシャはスカートを穿いて飛行していたのだ。2人とも勝負のことばかり考えていたので全く気にしなかった。これは恥ずかしいと赤面した師匠に、弟子が申し訳なさそうに頭を下げた。
「忘却する魔法があれば使え」
「…魔力が足りないよ。いい、自然に忘れろ」
昨日はお気に入りの下着を乾かしている最中だったので地味なグレーのを着けていた。強い印象を抱かれなかったことを祈る。
「あるいは思い切り殴れ」
「いいって…ラッキーくらいに思っとけよ。私だって恥ずかしいけどさ」
「では俺は責任をとってお前の弟子として大成する。そうすればもっと大きなことばかりが思い出されてこのことを忘れるだろう」
「よし、それでこそ私の弟子だ。もっと厳しい特訓を与えてやろう…だが私も鬼ではない。これは来週からにして、今週は回復に徹しろ」
「ああ。じゃあ俺は帰る…ああ、シャツのことは気にしなくていい。安物だからちぎれたんだ」
「あ、それはよかった。親御さんブチ切れたかと気が気じゃなかったよ」
ルートは少し笑ってからドアを閉め、完全に閉まる直前にぼそっと呟いた。
「助けてくれてありがとな」
「フフッ…」
生意気な奴から礼を言われるとは思っていなかったのでルシャは失笑してしまった。ところで失笑の意味を『笑いを失う』と勘違いする人がいるが、『失禁』の意味を全員が理解しているのにどうして『失笑』の意味を勘違いするのか甚だ疑問である。
その日の昼。フランは夕方まで仕事なので昼食はどこで食べても良い。今日も市場に出たが、ラーメン屋ではなくカレー屋に入った。看板に『カツカレーのカツ増量中!』と書かれていたからだ。
「こんちは~」
「いらっしゃい。好きなとこ座って」
ここには昼休憩中の会社員も来るので1人席が充実している。その1つに腰掛けたルシャがカツカレーを注文してヒーヒー言いながら食べていると、食いしん坊仲間と化した特強仲間が来た。
「あーれ、すごいねぇ!」
「よぉここ当てましたね」
「ほんとほんと~!意識が共有されてるのかな?」
何を隠そうルリーもカツカレー増量に惹かれたのだ。2人を呼びたければおいしいものを増量すればよいということだ。
「チキンカレーくださーい」
「カツカレー食わねぇの!?」
「お腹に空きがあればと思って。もともとチキンカレー食べたかったんですよぉ」
恐ろしい師匠だとルシャは笑った。
「あ、そうそう師匠」
「なぁに?」
師匠はいつもゆるふわだ。強者故の余裕ともいう。
「弟子にパンツ見られちゃいましたよ」
悲しいことは誰かに話すと半分になるという教えがある。ルリーという気軽に話せる人でそれを叶えようというわけだ。
「えー?ラッキー君だねぇ」
「でもなんかすごく責任感じてるみたいで、どうにかこうにかしようとしてますよ」
ルートには姉妹がいないので女子のパンツを見ることはない。耐性がなかったのであれほどに惑ったのだと分かる。
「動力になってくれるんならいいんじゃない?」
「動力ねぇ…変に執着されなきゃいいけど」
パンツを見たからその子を好きになるということもある。エロ補正だ。
「大丈夫でしょ~。責任云々ってのも彼の思うままにさせておけばいいと思いますよぉ」
男ならではの処理法があるということなのだろう。ルリーは大人なのでその辺りに詳しい。
「そういやルリーさんって彼氏いるんですか?」
「お…いませんよぉ。いたら連れてくるもん」
「ってか特強の彼氏ってかなり荷が重そう…」
男らしさを示すために『護ってやる』と言えないのがどれほど辛いか。それを考慮してもルリーに恋人がいないのは不思議だ。
「私がお嫁さんにしたいくらいなのに」
「ハハハ、誰にも貰われなかったらそうしようかな~なんて」
「マジでやりますよ?」
「え、あ…うん」
同性婚はこの国では認められていないので法律上夫婦として扱われず、助成などを受けることができない。しかしそれを認めてでも同性と一緒にいたい人はいる。今のところルシャがそうだ。
「ってか奴に彼女ができればいいんです。私が鍛えれば奴の力が伸びてモテ男になるでしょ」
「そうなるといいですね~。私も介入しましょうか?」
「マジですか?師匠と師匠の師匠に教わってるっていうメッチャ師匠いるんじゃないかって錯覚するような状況になりますよ?」
「よく噛まずに言えたねぇ~」
この独特の人柄が彼女の魅力だ。たまらんと飛びつく男は多いのではないだろうか。
「…まあラッキー君の師匠は冗談だとしてもルシャさんの師匠は本当ですからこういう相談もどんどんしてくださいね~」
「する~」
やはり特強とは思えない…と見ていると、細身のお姉さんがカツカレーを注文したのでたまげるのだ。
今回はルートがルシャのことをぐっと好きになる回です。パンツの力は偉大。




