215・唸れ!俺のハイパーライトニング
濃密な雨雲がジュタの空を満たした週末。みんなで王都のほうのルヴァンジュ邸でラーメンを作る予定が入っているのだが、”大雷雨”とでも言うべき極悪な天気に意欲を挫かれたルシャは、朝の7時に起きたときに皆を迎えに行く気が引けているのを感じた。
「ぅうわぁ…」
頻りに雷鳴が轟いては強く光って激しく揺れる王都では、どんな人でも家に籠もっているのがよさそうだ。しかしこの中でもフランは出勤したようだ。ママの強さを知るとともに、自分の弱さも知る。
ルシャにはアイと協力してジュタ組を迎えに行くという使命があるのだが、一刻も早くアイが来なければ怖さや寂しさに潰されそうになるため、布団を纏ってソファでじっとしていた。
ルシャが雷を苦手としているのはダテには知れていることで、アイは自分も雷に辟易しながらもルシャを迎えに行くために便利な魔法を尽くしてこの豪邸に辿り着いた。
「待ってたよぉ!」
アイがチャイムを鳴らすとすぐに彼女を出迎えて抱きついたルシャは助けがなければ怖すぎてトイレにすら行けないんだと言って手を繋ぎながら用を足した。
「そこまで…?」
アイは用便してからここに来たので、ルシャの怖がりに拍車がかかっていることを嘆いた。しかし悪いのはこの天気なので、いっそ雲を散らしてやろうかとも思った。
「ふー…助かったよ。あと5分来るのが遅かったら、私はここでびちょびちょになっていただろう」
「膀胱炎にならないようにね…さて、こんな天気だけどみんなを迎えに行かなきゃ。ルートあたりは来そうだけど…」
「まだ7時半だから来ないよ。集合10時だもん」
2人は8時に出て9時にジュタに着き、10時にここに戻ってくる予定だ。だから9時になって迎えが来なかったときしか、あちらから来ることはない。
「ここからジュタに連絡できればいいのになぁ…」
通信技術のないヴァンフィールドでは100キロほど離れたジュタへ情報を送信することができない。流石のルシャでも視界を持つメッセンジャーキャピシュをずっと遠隔操作することはできないため、自分が行くしかない。
「こうしてアイは来てくれたんだ、意を決してみんなを迎えに行こう。奴らは1人じゃないから、怖がってはないと思うけど…」
「今頃雷を怖がるクロエをルートが元気づけてるんだろうなぁ」
「あいつはそれができる奴だもんね。クロエもその魅力に気付くだろう」
「ってか元々ルートに頼んで全員をここまで連れてきてもらえばよかったね」
「う…私が主催するから私がやらなきゃって思ったんだよぉ。いま思うとルートとリリアがいるんだから、不可能じゃないよね…」
ルシャに徹底的に鍛えられたルートと、ルートに徹底的に鍛えられたリリアがいるのだ。ミーナたちを王都へ護送するには問題ない魔力があるはずだ。
「いや、今は自分の使命を意識しよう。8時になって雷が止まなくても、私たちは行くんだ。アイがいるから行けるはず」
「頑張ろうね」
7時50分になってルシャがトイレに行ったとき。なかなか出ないのでトイレ特有の臭いにやられたアイも催してきて2階のトイレに行こうとしたとき、ルシャは心細さで涙しそうになったと同時に新たな仲間の登場に歓喜した。
「いるかー?」
弟子はバカなので9時に迎えに来るというのを忘れていたらしい。ジュタはさほど豪雨ではなく、グランシャフトの西門を越えたあたりで激しくなってきたという。そんなことはどうでもよくて、ルシャはただドアのすぐ向こうに立っていてほしいのだった。
「お前が心細さのあまり布団に籠もりきりで、トイレすら行けてないんじゃないかと気が気でなかった。よかった、また漏らすようなことになってなくて。お前が雷苦手ってのは当然知ってる。アイがいれば来られるかもしれないってのもわかる。だが、すべて俺がやればいいだけの話だ」
「ん?ってことは…」
「やあ!」
演出のために玄関で待っていたミーナたちが続々と入ってきたので、ルシャは歓喜したとともにスルッと出した。
「ふう、みんなのおかげでお腹の調子も整ったよ」
「それは何より。ひでぇ雨の中を往復するのはさぞ骨折りだろうと思ったこの男が、私たちを召集するために朝早くから飛び回ったり光ったりしたんだ」
すべてルートの計らいということで、ルシャはこの男の貢献に何かを与えようと思った。しかし与えられるものと言えば、美味しいジュースくらいなのだった。
(ん?”また”?)
弟子のおかげで全員が8時前に揃ったので、開始を2時間も早めることができた。しかしまずは何をしようにもこの雷雨が収まってからということになり、リビングでボードゲームなどをやってノンビリ過ごすことから始めた。
「しかしまあ、ひでぇ音だな」
王都のどこかに落雷しているのか、外が光ったと思えば直後に轟音が響く。カーテンを閉めていても外の光が分かるので、ピカッとする度にルシャがミーナに身体を寄せる。それをルートが羨ましそうに見る。
「いつ止むのやら…家の中にいても落ち着かないね」
今のところ停電はしていないが、送電網がやられるのは時間の問題だ。そろそろ麺を作り始めようかと思って器具を用意したが、きょう最も大きな雷が間近に落ちた。
「にゃぁぁ!」
ルシャは思わずミーナに飛びついてしまい、ミーナがバランスを崩して倒れた。ラッキースケベみたいになったが、ルシャは怖くて頭がおかしくなっていたので笑いなどなかった。
「どんだけ苦手なんだよ!」
近くにいたルートが駆け寄ってルシャをミーナから剥がし、ミーナが後頭部を打っていないか確かめた。
「はぁ、あぁもうなんて日だ…」
ルシャはルートにも縋りたいくらいで、彼に支えられてソファに戻った。いつもより近い距離で座る2人は、欲しいドキドキを満足に感じられなかったので雷を憎んだ。
「ってかお前らは平気なの?」
「私はその気になりゃ魔法でどうとでもできますもん…先輩がいちばんそうじゃね?」
リリアはルシャこそ強気でいるべきだと言った。雷を消し飛ばせる魔法使いがどうしてこうも弱っているのか理解しがたい。しかしロディはこう考えた。
「ルシャは昔に苦手意識がついたんじゃない?魔法を使えるって知る前に雷が苦手になったら、使えるようになってもダメなんじゃないかな」
「苦手意識ね…」
「なかなか簡単に克服できるもんじゃないと思う。音がすごいのもあるかな」
「俺が自分より小さい相手に大声で怒鳴られたら少し怯むみたいなもんか?」
「似てるかもね。ルシャはそういう奴も苦手でしょ?」
「うん…」
雷と声のデカいチンピラは同じらしい。それならば解決法は簡単だ。
「チンピラをブチのめしていれば、そのうち雷が怖くなくなるんじゃない?」
「チンピラ逃げて!」
この解決法が採用されることはない。
☆
さて、ルートのおかげで準備が整ったので麺作りに取りかかるのだが、製麺上手のルシャが怯んでいるため、彼女と一緒に特訓したミーナが厨房の長を務める。
「任せなさいよ。ってかここまで被害受けてるなら、雷雲散らしてきたら?」
「それは要らぬ騒ぎを起こすからやらない…」
ルシャは徐々に回復してきたが、トイレには相変わらずアイがいないと行けない。
アイしか近くにいないので、ルシャは雷が苦手になったときのことを語った。
「今と理由は変わらないんだけど、いまよりずっと怖かったんだ」
「そりゃ幼い子供だからね」
「それでさ、昔のことだけど、盛大に漏らしちゃってさ…今でも漏らすのを恐れてるんだよ」
「そういうことか…でも、そういう子はけっこういそう。急に怖い人に怒られたみたいな怖さがあるもんね」
「そういう感じ。何か悪いことしたかな、殴られちゃうのかな…っていう不安でいっぱいだった」
ある程度の理解を得られたルシャは安堵したが、それで克服ができるわけではない。リビングに戻るときもアイと手を繋いでいないといけない。
「ルートには言わないでね。あいつ喜ぶから」
おもらし(見るの)大好きルートくんが興奮のあまり雷雲を連れてきそうなのでやめておく。
9時頃になってやっと雷が収まってきた。相変わらず雨は降っているが、これならルシャも大丈夫だということで、集合から1時間ちょっと経ったところで製麺が始まった。
「分量を間違えるとボソボソちぎれる麺ができるから気をつけてね。ちゃんと水平になってるか確かめろよ」
料理長はあらゆるところにこだわって麺を作る。器具も家から持って来たかったが、フランが良いものを揃えていたので後悔せずに済んだ。
「よーし。これで大盛況のあのラーメン屋を再現できる。すげぇ売れたもんなぁ」
「ね。ルシャ目当てじゃない人がいるのが驚きだよ」
もちろん会えるなら会いたいが、メインは美味しいと話題のラーメンだ。全国の名店を巡っている人も来たくらいで、かなり好評を博した。それがここで蘇る。
「こねまくったおかげで腕がちょっとマッチョになっちゃったよ」
「力要りそうだね…やってみようか」
ここで上手に捏ねられればリオンに力強い男と思ってもらえると確信したロディが渾身の力で塊を圧す。しかし簡単ではない。
「水足りないんじゃね?」
「これでいいんだよ。だから言ったろ、マッチョになるって」
「じゃあこれで鍛えよう。男らしい腕になるんだ」
それを利用したルシャと料理長はサボりを始めた。こだわりのある2人だが、力を要する作業は苦手だ。
「こんなもんかな」
「切るか」
これは繊細さを要するため、ミーナが担当する。手芸は得意なくせに手先があまり器用でないルシャは茹での準備をした。
「俺らずーっとここにいるけどいいの?」
「何かやりましょうか?」
外野が協力を申し出たので、第2弾の捏ねに挑戦してもらった。将来的にダテ製麺として食っていくためには、全員が計量から完成までを完璧にやれるようになるべきだ。
「お前ら研究してもいいぞ。うちのより美味い麺ができるものならやってくれ」
ミーナのより美味しいのができたとき、彼女は料理長を退任することにしている。彼女の後任を目指して奮起したラークを筆頭に、各々の分量で完璧な麺を作ろうとした。
料理上手で知られるクロエでも製麺はやったことがないため、水と粉の量を調節して試行錯誤した。
その結果、1kg以上の麺ができた。
「結局ミーナの調節を受けたね」
「お前がいちばん上手ってことだ」
「そうだろう。ルシャたそとの特訓は天地の差を生む」
凄まじいモチベーションがあったのも成長を大きく助けた。アホみたいに麺を作っていた経験はダテではなく、茹で上がったのを試食してみるとアホみたいに美味しいのだった。「店開こう。みんなで」
ダテは結束力を活かそうとしている。これほどに素晴らしいものがあるのだから、高卒で解散してしまうのは勿体ない。将来の夢の決まっていない者は、製麺所の開店を目指してもいい。
「キルシュが出資して、ルシャが宣伝して、私たちがひたすら打って茹でる。完璧だ」
「飲食店か…やりたい気もするけど、いろいろあるからねぇ」
「実態を確かめたいよな。短期で働くか」
ここで学んだこともバイト先で学んだことも役に立つだろうし、何より金が手に入る。ルシャの家に住むのなら毎月お金を入れたい。
「エアレースは週末だけだし、平日も毎日集まるわけじゃない。いける曜日があるはずだ」
「そうだね。是非ともお金を稼いでくれ」
「そっちメインかよ」
食って宣伝してりゃいいだなんて、そんな美味しい話があるわけない。




