2・上級者からの挑戦状
ルシャの噂は瞬く間に学校中に広まった。3日目にしてルシャは上級生から目をつけられるようになり、多くが彼女との交流を欲して話しかけてきた。たいていは好意的なものだったが、中にはルートのように負け嫌いを根源とした挑戦があった。
3年制のこの学校では最も学びと経験に豊かな3年生が強いとされている。実力に相応しいプライドを持っているから、それを揺さぶる要素を取り除きに来る。今回の挑戦者は脅威となり得るルシャを沈黙させることで自分の実力を再確認しようという意図を示している。彼女はこの学校で最強の魔法使いに勝てば誰も自分に面倒な勝負を仕掛けてこないだろうと考えて勝負を受けた。
放課後に食事を終えた彼女のもとへ学校最強との評価があるルベン・ブリージャスがやってきた。紳士のようにスマートな容姿をしている彼は上級生の余裕を見せつつルシャに勝負の内容を伝えた。
「魔法錬成生物キャピシュを使う。生物といっても動力は命ではなく魔法だから殺戮にはあたらない」
ルベンがキャピシュを1体だけ錬成して飛ばした。翼の生えた小さな球体が飛んでいる。
「これを中立な者が操って僕と君が順番に撃ち落とす。制限時間内にどれだけ落とせるか、その数を競う。シンプルで分かりやすいだろう?」
「いいでしょう」
ルベンもルシャの好みのタイプではなかった。彼は明らかな敵意を見せていないぶんルートよりずっとマシだが、お高くとまっているのがいけ好かなかった。このとき、ルシャの中に嗜虐心が芽生えた。彼に吠え面をかかせたい。そう思ってしまった。
先攻はルベンだ。3年生の女子がキャピシュの操作と計数を担当する。
「開始!」
一斉に大量のキャピシュが舞い上がった。ルベンはそれらを正確に撃ち抜いて次々と墜落させてゆく。さすがは首席、動体を捉える能力が高い。集中力を要求される魔法をここまで巧みに扱えるのは戦士でも少ないという声が聞こえた。ルシャは顔をしかめた。
「これは厳しいかな…」
ルートを負かして自信をつけていたルシャが弱気になった。制限時間が過ぎると、女子がスコアを発表した。
「ルベン、74体!」
「おおお~」
3年生は授業でこれをやっていて、74という数字は大きいらしい。次はルシャの番だ。彼女が緊張気味に息を吐くと、キャピシュが放たれた。彼女はルベンと同じように魔法を弾丸にして放つのだが、動体を捉える力が足りずに何度も外している。ルベンはほとんどミスなくやり遂げたから、このままでは負けてしまう。
「フフフ…やっぱりルベンが最強よね。小蠅ですら捉える視力の良さ、それは誰も及ばない領域にあるわ」
同級生が彼をそう評価した。飛び回るキャピシュは蠅のようで、ルシャは気分を害した。1匹ずつ潰すのは手間だということで、彼女は簡単なルールを突いた行為に出た。
「あぁ鬱陶しい!」
ルシャは巨大魔法で一網打尽にした。これにはルベンも驚いた様子で、敗北を予感した。しかしその瞬間を境に、ルシャの魔法が当たらなくなった。一瞬にして範囲外へ移動するキャピシュ。1体を捉えるためには他の数体を諦めなければならない。魔法を大きくしても1体しか倒せない状態になった。素早く放つ魔法は大きくできないから、素早く動くキャピシュを倒せない。
(ルベンの時に手を抜いてやがった…!)
ルシャは気付いた。中立と信じた自分が甘かった。キャピシュを操作しているこの女子はルベンと共謀していたのだ。残り数秒で30体を倒さなければならないルシャの勝敗はこの女子が握っている。バレたのであればキャピシュを出さないことも可能で、そうすればルシャは確実に負ける。そうして敗者となれば嗜虐心を満たせないどころか、仲間に失望されてしまう。既に大きな期待を背負ってしまっていたことに気付いたルシャは苦しみから自分を遠ざけるために夢中になった。
(こうするしかない!)
ルシャの最終手段、それは自分がキャピシュを出すことだった。もはや審判のない無効試合だ。それならばこれから先は単なるショーで、どれだけルベンを驚かせられるかが勝負の内容だ。
「は…?」
ルベンも女子も観衆も、誰もが立ち尽くした。
ルシャの手から放たれたキャピシュはもはや放たれたのではなく溢れたと言うべき数で、蠅のように飛び回った。
「あいつ1年なんだよな?なんでキャピシュを出せるんだ?」
「そうだよなぁ。教わるのは2年のはずなんだけど…」
その直後、ルシャは操作の魔法を切って攻撃魔法を使った。一瞬にしてキャピシュが全滅して地面へ落下した。
「勝負をつけたかったのは先輩の方じゃなかったんですか?これじゃ台無しです」
「お前がどうしてキャピシュを出せる!?」
ルベンはズルのことを棚に上げてルシャの能力を問い詰めた。ルシャが感覚的にやったらできたと言うと、ルベンは納得できずに校舎へと去って行ってしまった。すると女子がルシャに真実を伝えた。
「実はルベンにそうするように頼まれたの。彼を立てればクラニチャールのケーキを奢ってくれるって言うからつい…」
「やっぱりそうでしたか。明らかに私の時だけキャピシュの動きが違ったんですもの。しかしすごいですね先輩。あの速さで操作されたからビックリしました」
「でしょ?キャピシュの操作は誰にも負けないって思ってるからねー。しかしバレちゃったか。ルベンはなんか怒ってるみたいだし、ケーキを奢ってもらえそうにないや」
「じゃあ私と行きます?動いたらお腹空いちゃって…」
「ホントに!?行く行く!」
少女の名はアイラ・アルテスト。最新の試験ではルベンに続く第2位の成績だったらしく、学校を支配するルベンの右腕を自認している。彼女は先程の勝負をきっかけにルシャに興味を抱いたということで、彼女の事を訊く代わりに学校のことをいろいろ教えた。
洋菓子店クラニチャールにて。お気に入りの窓際の席に座ったアイラは向かいにルシャを迎えてケーキを注文した。
「もう5月ですけど、つい先日入ったばっかりなので学校のこと何も知らなくて…」
「そうでしょう。私は特定強化対象者のことを何も知らないから、互いに教え合うってことで…まあ学校のことなんて過ごしてるうちに否応なしに知るんだけどね。いちばん大きなことを言うなら、テストだね」
「テストですか。なんか順位とかを誇りにしてる人によく絡まれます」
「トップは勇者候補だって言われるからね。それを憧れにして入る人が多いから、順位を気にするんだよ。ルベンはその代表みたいなもんだね。常にトップを維持してる」
「ああ、尋常じゃないくらいトップに拘ってるのか…1年のテストと3年のテストは違うんだから、私を標的にしなくてもよかったのに…」
ケーキが運ばれてくると、アールグレイの紅茶もテーブルに置かれた。もれなくついてくるらしい。途端に瞳を輝かせたアイラはこれまで学校の話をしていたのに急にケーキの話を始めた。
「私はこの紅茶とレアチーズケーキが大好きでね。ルベンの特訓に付き合う代わりに奢ってもらってたんだ。今日もそういう予定だったけど、あなたが思ったより強くて意気が挫けたかな」
話が一瞬で本題に戻った。
「私はルベン先輩がトップでも全然構わないんですけど…」
「でも目に付くものを容易く退けてこそトップなんだってさ。あなたが注目されてるって聞いて、話題を攫われたと思ったんだよ、きっと」
「なるほど…私は挑まれたから応じただけです。べつにこの学校の覇権を握るとか、そういうつもりはないので」
「まあでもできそうだよね。唯一の特ちゃんなんだから」
特ちゃんとは特定強化対象者のことである。特強という略し方が一般的であるが、可愛さがほしいのでアイラはそう呼ぶらしい。学校唯一の特定強化対象者であることを知ったルシャはこの学校に根付く考え方を打破できる気がした。
「いっちょシメたるか…って思ったけど、魔法以外ダメダメなんですよね、私」
「体育と勉強は苦手?」
「はい…だから魔法実技だけでどうにかならんかなぁ」
「それは厳しいなぁ。まあでも動かずして勝てるくらい強いのなら、体育がダメでも理論がダメでもいいと思うよ。私はそういう特化型だし」
「キャピシュ?」
「うん。それ以外は平均的。キャピシュの操作が満点だから成績がいいの」
「素敵じゃないですか」
「あはは…」
先輩と話しているうちに緊張の解けたルシャはルベンの機嫌取りをアイラに任せて彼女と別れた。実力のある先輩が仲間になったことで大きな安心を得た彼女は家に帰ってそのことを母に報告した。
「私ね、先輩の友達ができたよ!」
「よかったわね。先輩を味方にするとぐっと過ごしやすくなるからねぇ」
「でしょー?なんか学校でトップの人に勝負ふっかけられて、うやむやのまま終わっちゃったけど、先輩にケーキ奢ってもらえた!」
「3日目にして先輩にケーキを奢ってもらったのか…」
母は娘の驚異的な浸透力に驚愕した。ルシャの嬉々とした報告を受けた母はにっこり笑ってこう言った。
「パパに見せたかったわね」
「そうだね…私がもっと早くに力に気付いてれば、パパは死なずに済んだかな?」
「ううん、パパは戦士だから、いつ死んでもいいって覚悟をしてた。勇んで戦って死んだことを振り返っちゃダメよ。あんたは戦士になってもそういう覚悟はしないと思うけどね」
「うん。戦いたくないもん。私はずっと雑貨を作って売って本を読んでたいの」
その実現を妨害されたことへの怒りはまだ残っているが、それを上書きできる楽しいことが起きる予感がしている。
翌日、ルシャはルベンが外で授業を受けているのを見た。彼は特化している動体視力をさらに高度なものとするためにキャピシュを追いかけている。意気が挫けずに済んだ事を確かめたルシャはホッと一息ついた。
「ルシャ、上級魔法を使うためにはどうすればいい?」
先生に名指しをされたルシャは気を散らしたことを悔いて教科書の該当箇所を読んだ。
「合成という作業を行います。複数の属性をそれぞれに適した方法で同じ場所に集めることで合成が行われ、上級魔法が発動します」
「教科書丸写しか。まあいいだろう」
周りからは勉強不足だと笑われたが、ルシャは彼らには使えない上級魔法を使うことができる。それなのになぜ方法を知らないのかというと、知るまでもなく感覚的に使えたからだ。彼女はロジックではなくセンスで生きている天才タイプだ。使いこなすために理論を学ぶのだから、既に使えるのなら理論を学ぶ必要はないというのが彼女の論だ。今は仕方なく勉強しているフリをしている。
「この合成という作業は極めて繊細な魔力の抽出を必要とするから習得に時間を要するとされている。3年生が当たり前のように使っているのを見ることがあるかもしれないが、あれは3年生だから使えるということだ。理論を学んですぐに使えるようにはならないのが常だ」
「そうなのかぁ」
「ルシャ、もしかして使えるの?」
「たぶん」
「マジかよ…」
「ほら、私語しない。理論すらわからずして上級魔法を使うことはできんぞ」
ルシャは口を噤んで教科書に向き直った。実は使えるとは言いがたい雰囲気だった。今日は上級魔法の理論を学んだが、ルシャは既に殆どを忘れていた。物憶えは良いほうだが、憶える気がない。
次の時間はルシャが大好きな魔法実技だ。彼女にとってこの授業はボーナスで、片手間に放つ魔法で満点をとれるから楽だ。
仲間たちと一緒に的当てをしていると昨日とは違う先生に呼び出された。彼女のために特別な内容を用意したということで、トラックの外にある特設会場に移動した。
「何をするんですか?」
「ぬぅ…ぅうん!」
先生が頑張って魔法を放つと、巨大なぬいぐるみが出現した。これはキャピシュと同じ魔法錬成生物に分類されるものだ。
「このウルシュは倒すと分裂する。最小サイズになったのを倒せば消える。襲ってくるから頑張って倒せ」
「ほーん…わかりました。終わったらどうします?」
「好きなことしてていい。けどたぶんその前に俺が介入することになる。こいつは教員試験で使われるくらいの厄介者だからな」
「へぇ」
上級魔法を使う必要がある。序盤は耐久力の高いウルシュを倒すために強力な魔法を強いられ、中盤は凶暴な複数のウルシュを相手に攻防を強いられ、終盤は大量のウルシュを倒すために範囲魔法を強いられる。判断力と持久力とを要求される厳しい特訓だ。これを課す先生の期待の大きさが窺える。
ルシャは早速上級魔法を使ってオリジナルを倒した。すると2体に分裂したので、それも倒した。同じ魔法を使って64体まで分裂させると、範囲攻撃に切り替えた。
「凶暴な中型をすっ飛ばした…」
先生はルシャを凝視して彼女の動きを記憶した。これまでに見てきた誰とも違うやり方でウルシュを倒している。スケールを大きくして見ても彼女は異常だ。あっという間にウルシュが258体の最小スケールになっていた。
「はぁ、はぁ…」
「バテてきたか…」
彼女の弱点は持久力のなさにある。最高の効率で魔法を使えているとは言え、魔力消費の大きな魔法を連発すれば体力が激しく失われる。ルシャは試練を乗り越えたが、魔法を使って好きなことをする余力はなく、ベンチに座って休憩を始めた。
「やりやがったな」
「なんとか…さすが教員試験に使われるだけのことはありますね」
「制限時間がないのだから、もっと弱い魔法でゆっくり倒してもよかったんだぞ?」
「回避に体力を使いたくなかったので、襲われる前に倒しきることを心掛けました。確かに全部のステージで上位魔法を使う必要はありませんでしたが、確実に多数を削っておかないといけなかったので…」
「なるほどな。教員を志すものは皆が体力馬鹿だから、回避をお前ほど嫌うことはない。むしろ発動の難しい上位魔法のほうを嫌うくらいだ。その点だけでもお前は他と違う」
「過去にそういう人はいなかったんですか」
先生は首を横に振った。彼は良くも悪くもカリキュラムに忠実だから、その通りにしか教えていないという。生徒は皆その通りに育ち、同じようなタイプになるらしい。
「だからお前やアイラのような魔法使いは珍しくて興味深い。すべての実技授業を俺が担当したいくらいだ」
先生は固定シフトに従って出勤するため毎日同じ先生というわけではないし、担任も決まっていない。彼がルシャを毎回見るためには週5回出勤しなければならないし、毎回このクラスに割り当てられなければならないため望み薄だ。
「俺はできるだけお前の担当者と情報共有をしてお前の成長を支援するつもりだ。今日は昨日のうちにお前だけ特別だと聞いていたから試したんだ。気に入ったか?それとも友達と一緒がいいか?」
「…私は楽しく特訓できれば何でもいいです。そうですね、今日みたいなのがあるのもいいと思います」
「そうか。まあ俺のネタも無限にあるわけじゃないから、気まぐれで変更させてもらう。残りは休憩にしていい。他の奴を見る時間も俺には必要なもんでね…」
この気怠そうな男性教師だが、ここの首席卒業生であり、他の教師から注目されている。放任気味なことを除けば完璧な人らしい。そんな人から一目置かれたルシャは今後の特訓に期待して残りの時間を寝て過ごした。
そのせいか、夜遅くまで眠くならなかった。