173・アイに行きます
パラディムシュヴァルヴェは輪郭から推定するに9割が収集済みだ。背中の欠片から流出した記憶が9割戻ってきたということで、博士を探すために必要な情報がいくつか得られている。
「私は殆どの時間お腹を空かせてた。途中で大きな建物に寄って兵士に食べ物を貰ったけど、すぐになくなっちゃった」
「何日くらいかかった?」
「うーん…5日くらい」
「ってことはけっこう遠い?」
「方角は?」
「わかんない…」
質問攻めをするとアイが弱ってしまうのでこのあたりで終わらせておきたいが、経路を推定するには情報が要る。アイはジュースを飲んで少し気を楽にしてから質問に答えていった。
王都より西ということが絞り込めたので範囲内の街でもう少し絞り込む。西の要衝と言えばグランシャフトだが、グランシャフトは住民の管理に熱心ということを聞いたことがあるため、目立ちたくない人が住むには適さないと思われる。
「空き家調査とかも抜かりなくやってるのを売りにしてて、定期的に調査員が訪問するんだって」
「ほぇー、じゃあ怪しい研究もバレそうだね。生活に不自由しないなら他の地域でいいから、そっちのほうが可能性が高いかな」
「グランシャフト周辺で住みやすい場所ってどこ?」
フランが名前を挙げたいくつかの街のうち、アイの記憶にある家を建てるのに適している場所が絞り込まれた。
「南に海を望む丘があるんだけど、その上に立ってた家で事件があったから縁起の悪いものとされてるらしいのよ。人が来ないってことだから、隠れて何かをするには適している…悪いことしてるわけじゃないんだろうけど」
そのような場所は得てして悪人の巣になりやすい。酒の密造とか禁止薬物栽培とか闇取引とか…考えるといろいろ浮かぶしルシャを誘拐した教団の拠点としても利用できそうだ。そんなところに居を構えてアイを養いながら魔法の研究をしていたのだろうか。
「まあアイに魔法を使わせるとしても周りに誰もいないから大規模な魔法を使ってもいいね」
「ちょっとその丘行ってみる?お母さん、その丘に人が住んでるって話は聞いてないの?」
「聞いていないわね…私は中央の人間で、その街の隅々まで知ってるわけじゃないから…」 しかし行政を理由に調査を行うことはできる。事件については遠い過去の話なので詳細を得なくてよいが、現況については知っていてもよい。
「こうやって絞り込んだ情報を検証して回ってるうちにお父さんと住んでた家が見つかるかもしれないわね」
「それなら実地調査は俺が請け負う。移動力に定評のある俺だ。こうして役に立つほうがいい」
ルートは師匠のためだけでなくダテのためにも動く。ここにきてアイへの感情を強めた彼は、強い意欲を見せて依頼者の賛成を得た。
「ルートは計画への協力者として来てくれているから継続的に参加している必要がない。言い換えれば自由に動けるということだ。この上なくありがたい存在ですよね」
「ええ。ルシャが能力を認めてるんだから疑わないわ。グランシャフトの南東にあるギルビーという街よ。ジュタとは鉄道で繋がっていないわね」
「靴のできる日までには戻って来いよ」
「そんなかかんねぇよ」
鳥瞰すればあらゆるものが見えて位置情報が分かりやすい。鉄道が敷かれているかどうかというのは場所を知るのに重要な情報だ。ルートはその名前を忘れないようにメモをしてから鞄を背負って出発した。速度が意欲を感じさせる。
「結局呼ばれたけど最初から呼ばれなかったことが悔しかったんかね」
「結構な密度で特訓してるんでしょう。王都に移ってからはジュタで何をしてるか見られないもんね」
「とっくに超されてたらどうしよ」
「あんたらもここで特訓すれば?」
「そうするかぁ」
飛行より多量の魔力を消費する特訓のうち危険でないものと言えば巨大像に乗っかって散歩をすることだ。しかし大きすぎるとあらゆるものを破壊してしまうので巨大像ではなく中型、3mくらいの巨人型生物を出してみた。
「ラークは大人になったらこのくらいになっちゃうの?」
「あいつそろそろ成長止まると思うよ。17だし」
「男性は女性より成長に要する時間が長いって聞いたよ」
「お父さんから?」
「うん。もう声はハッキリ思い出した。意外と若いんだ」
見た目は40歳くらい、細身でパーマのかかった長髪を左右に分けているという。これは数日前に戻った記憶にあったため、ルートには伝えてある。
「お父さんは20を過ぎても背が伸びたって。だからラークも3年伸びるよ」
「マジかよ……」
大きくなれば体重も増えるため、何かの拍子にミーナが潰されてしまわないか不安だ。同じベッドで寝ないほうがいいかもしれない。
散歩を終えたルシャとアイは気分的に全く疲れなかったので夕飯まで寝ずに本を読んで過ごした。本にアイの記憶はないが、これからのアイを作るのに大事なことが書いてあったはずだ。
「ルートくんはどっかで泊まるんですかね」
子供1人で行動することにあまり肯定的でないバラガンが懸念を示した。特殊な子供をよく知るルシャが単独行動の上手さを説くと少しだけ顔色を良くしたが、彼はルートが安全な街で無事に宿を取れたかどうかに心配している。
「やり残したことがあればあいつは死にませんよ。人生においてメチャメチャ大事なことをやり残してるのに、ちょっとの労力を惜しんで野宿で妥協するなんてことはしません」
「メチャメチャ大事なこと?」
「あいつ私と付き合いたいんですって」
「あー、じゃあまだ付き合えてないんですね。そりゃ死ねないわ」
「でしょ?私はあいつがすべての試練を超えたとき、あるいは私が我慢ならなくなったときにやっと果たされるってことにしてます」
ルシャとルートの恋愛事情を聞いたバラガンは初々しさと甘酸っぱさに思わず微笑みながら聞いていた。目の前の嬉しそうな少女の幸福に関わることをやっているという自覚は、思っていたより満足させてくれるものだと知った。
「…じゃあルートくんは今頃美味しい料理を食べていると思います」
「ええ。あいつ私に贈り物するために金貯めてるらしくて、財布でけぇんですよ。けど今は美味いものを食べてほしいですね」
ルートがくしゃみをしないことを祈りながらそう言った。
☆
記憶とルートは同時にやってくる。欠片が博士がアイを外に出したときのことを思い出させたなら、ルートは丘の上ではなく下にアイの絵とほぼ一致する家があったという報告をした。
「人が住んでそうじゃないし手入れはされてないみたいだけど、不在だからって勝手に入っちゃ罪になる。外を具に見て記憶して、博士の痕跡を探った。どうやら博士が去ってから長い時間が経ってるようだ」
「そうか…博士が籠もりっきりってことはないの?」
「他に外に出る道があるなら知らんけど、たいていの人はわざわざそんなことはしない。外に出れば玄関に必ず痕跡が残るから、それがないってことはいないってことだ」
「補給なしに生きられる人なんていないものね…訪問者もないってことよね」
「そうだと思います。博士がどこに行ったのかは全く分かりません」
「そこでアイの記憶だよ」
「わかったのか!?」
ルートが柄にもなく強めにアイに詰め寄った。驚いたアイは壁に頭をぶつけたが、記憶はしっかりと保持されていた。
「お父さんは引っ越しを予定してたみたい。どこがいいかって話をしてて、いろんな街に行ったことを話してくれた」
「決まったのか?」
「ザテールってところ」
「ザテールって…ハーバーズ・エンドの北にあるところよ」
「なんだって?」
ザテールは王国西部にある西の隣国との国境を含むフェルピニャン区の中心都市だ。ここからはかなり遠く離れている。
「えーっと、じゃあギルビーからもめっちゃ離れてるじゃん。そんなところに行くってことは、全く新しい生活を望んでたのかな」
「研究ってのは私の幸せのためでしかなくて、それが叶ったならもう研究者である必要はない。お父さんとしての生活に戻ったって証が欲しかったんじゃないかな」
「なるほどね…ザテールに何か特徴的なことってある?博士が欲しがるような」
「うーん…隣国の影響を少なからず受けていて、異国感を程よく感じられる。気分を新たにするなら最適の場所ってことかしらね」
「アイと一緒に過ごすのに有益な要素かどうかは怪しいな…ほら、いい感じの環境があればやりやすいとかあるじゃん」
「子育て特区みたいな?」
「そうそう」
子供の幸せを願うなら子育てをしやすい場所を選ぶに違いない。ザテールがそうなのだとしたら博士がそれを理由にして移住することが考えられるが、大臣によるとそうではないらしい。博士が異国情緒を感じたかったということにしておく。
「博士は違う形で区切りをつけることになって、これまでのことを忘れるためにザテールに行ったってことになるのかな…」
「アイのことを諦めちゃったってこと?絶望に打ちひしがれても完全に忘れるなんてことができる?」
「そうしないとダメになるくらい強い悲しみだったのかもしれない。そういうときには衝動的に動くし歯止めが利かなくなるもんだ」
その説を支持してザテールへ向かうことには、この計画が完了するまで同行するバラガンも同意した。彼は計画を完了させるのか継続したままザテールに行くのか尋ねて答えを得た。
「…では私がここでの欠片集めを担いましょう。私には所属している部署に助力を求めることができますので、1人でなくてもいいのです」
人数の必要な活動に参加する人が減ったのなら補充しなければならないため、バラガンはフランとミロシュの穴埋めとして2人の担当者を呼ぶと言った。
「では私たちは今日のうちにサウゾンに行ってしまおうと思います。何日かかるかは分かりませんが、博士のことを確かめたら報告に戻ります」
荷物をまとめたルシャたちはその日のうちにヘルムソンを離れて南にあるサウゾンへと移動した。フランに限っては計画にかかる費用としてまとまった金を貰っているが、ルシャたちは宿泊代以外は自腹なので鉄道ではなく飛行を選んだ。
☆
サウゾンにて。
「帰ってきた時にバラガンさんが残りの欠片を全部集めてたらどうしよう」
「悪いことじゃないと思うよ…パラディムシュヴァルヴェが1欠片だけ除いて完成するってことだし、アイの記憶が全部戻る。そしたら本来のアイでしょ」
「うん。やっと昔の私のことも認めて生きていけるよね」
アイは前に過去を知らなくても今が幸せだから無理に過去を知ろうとする必要はないとルシャに相談していたが、これほどに本気になって自分の過去を探してもらえた今はそうは思っていない。
記憶が戻るにつれて博士の真意にも近づいて、詳しいことまではまだ分からないにしても、どこかで博士の気を楽にしてやりたいと思っている。そのためには博士に近づくことが必要で、アイはいまそのために行動している。博士から彼の気持ちを聞いたとき、アイはアイとしても本当の自分としても生きてゆけるようになる。
「私ね、お父さんのしたことは悪いことじゃないって思うんだ。結果のうち1つが悪くて、しかもそれが致命的だっただけで、お父さんは良い人なんだと思う」
「まあ、アイの幸せを願って難しい魔法の研究をしたわけだし、幸せになると確信して欠片を埋め込んだわけだからね…落ち度があるとしたら、その時の娘の本心に気付けなかったことだけかな」
「私はその時の気持ちまで思い出せてないから咎めようがない。私と離れてしまったことを悔いていて、ずっと会いたかったって言ってくれたらそれでいい」
「そっか。博士の本心を知れるといいね」
博士の場所に近づくにつれて彼に会いたい気持ちを強めたアイは記憶ではなく感覚的なもので彼を求めているのだろうか。博士が自分と離れた後で何をして過ごしていたか想像したのでなかなか眠れないアイであった。
☆
数日後、ザテールに到着した一行は博士に関する情報の希薄さに辟易しながらも、アイの感覚と人々からの情報を頼りに博士の場所を探した。ザテールに移住していることすら怪しい状況での調査を望み通りの結果を得て終わるには、有益な情報を与えてくれる人に出会うしかない。新しい生活を始めた博士と接触した、あるいは交流のある人物を探る。そのためにはここで顔の広い人に会うべきだということで、この地に住んで70年の老夫婦を訪ねた。
「博士ねぇ…そのような人が外から来るのは珍しいよ。ザテールは王都から遠く離れているから、王都から運ばれたものに頼ることができない。だから王都のようにあらゆるものを地域で生産できるように進化した。その過程で外部から人々を集めて知識をまとめたのではなく、広くても近い地域の人々が集まって長いこと研究を続けている」
「たいていの人は王都を目指す。金払いのいい会社がたくさんあるし、国のお墨付きを貰うことが職業を安定させることになるからねぇ」
「旧中央の集権主義ですね…」
「わしらはそれでもいいと思っていた。王都が発展して国力の象徴になるならば、他国に足許を見られた交渉を許すことはないからの。こちらは王都に頼らずして素晴らしい街になってやろうという意気でやっていたから、むしろ外部の介入は嫌いなのだ。というわけで、ギルビーという街は地図に書いてあるのを見たくらいで、どのような街か知らん。そこから来たと聞けば人々は珍しく思うだろうね…」
「ってことはそのような人は来ていないということでしょうか」
「すべての情報がわしらのところに入るわけではないからなんとも言えんな。派手なことをしているわけでないのなら、わしらが知らんでもおかしくない」
「魔法に関する研究をしている場所ってありますか?」
「魔法か…ここは辺境の地だから勇者とか魔王とかのことにあまり関心がない。ただ、王都を目指す若者の中には王都で認められるために魔法の特訓をしている人がいた。勇者学校のないここでは、個人的にやるしかない。そのような人が集まって作られた組織がある。山のほうへ行くといい」
「なんつったっけね?まあ、広いところじゃないと魔法の特訓ができないから、広いところなんだと思うよ」
組織の名前は忘れてしまったらしいが、その拠点について重要な手がかりを得られた。それならば行政の手を借りて場所を特定し、そこで情報を探ることができる。
「役所に行こう。こっちには大臣がいるんだぞ!」
フランはこの辺境の地でも知られているに違いない。彼女が政治の中心的人物として認められている限り、情報は簡単に引き出せる。
役所の担当者によると、隣国スプリタとフェルピニャン区とを隔てる山脈に拠点を構えて魔法を研究する非公認の組織があるという。老夫婦の言う通り、若者が中心となって運営しているそうだ。
「ここが西の要衝とまでなってもまだ王都を目指す若者は多いです。新しさを求める性格がそうさせるのでしょう。ただ、王都で求められているのは即戦力で、ここで魔法に関する知識や技術を深めてから行くというのが通例です。そのために設立された組織なのですが、届け出は出ていません、まあ…自然保護区ではないので勝手にしてもらっていいんですけどね」
大きな秘密基地という認識でいるということなので、立ち入りに行政の許可は不要だ。ルシャはさっそくそこへ行ってみようと言ったが、はやる気持ちを抑えたフランは今日のところはひとまず泊まろうと言った。
ザテールはスプリタからの移民の持ち込んだ文化の影響を受けているため、すこし変わった料理をいただくことができる。スプリタのレシピを参考にしたシーフードが人気で、ルシャたちは大皿に盛られたパエリアのような料理を試した。
「うん、美味しいね」
「いろいろ入っているからいいわね」
「なかなかお腹がいっぱいになるねぇ」
酒があれば食が進むというのでスプリタ産ワインで酔ってから残りを食べ尽くした。いい気分のフランとミロシュは酔っていないときより笑顔が多くなって、ルシャたちも楽しい雰囲気の中で食事を楽しむことができた。アイにとってもリラックスになったようで、翌朝の目覚めは昨日より遥かによかったという。
フェルピニャン区はエストゥピニャンさんから部分を借りました。ビジャレアルの試合見た後だったのかな




