165・子そダテ
ダテの民は日頃からお世話になっているノーランとルーシーへのお礼として2人の娘ヴィヴィアンの世話をする気がある。遊びに行っていいか尋ねたところ快諾されたのでダテフォーでお邪魔する。
清潔な部屋のベビーベッドで眠っているヴィヴィアンを覗き込んだルシャたちは表情を綻ばせた。
「かわいいなぁ…」
人間社会の中ですっかり汚れちまった人々がピュアな生き物を見て浄化されている。
「かわいいんだよ。仕事中も気になってしょうがない」
「在宅の仕事があればいいのにねぇ」
「その通りだよミーナ。俺はできるだけ家にいたい。ルーシーがうまくやってくれてるけど、俺も家にいれば何かあったときにすぐ対応できるから」
ルーシーは幼子の振る舞いに惑いながらも元気にやっている。いろいろなことに気を回さなければならないため、こうして手伝いが来てくれると大変助かるそうだ。
「なんなら家の建て替えをしている間だけでもここに住んでみたら?」
「それもアリ…いや、どうだろう」
ルシャは今でもノーランが好きなので、ルーシーとヴィヴィアンがいるところで不貞を働かないか不安だという理由から彼との同居を遠慮した。ではアイが泊まるのはどうかと尋ねると、背中のことでルシャや大臣と密に連携できるところのほうが好ましいという理由で遠慮した。しかし支援を分厚くしたいというのは本当で、ミーナがその意思を汲んだ。
「早く帰れないとか調子が悪くてダメそうってときには、うちのお手伝いさんを派遣しましょうか?本人がいいって言えばの話ですけど」
「お手伝いさんなら一切の不安がない。頼んでみてくれ」
「うちらみたいにダテを仕込むこともありませんし」
「お前ら仕込む気か…まあ、悪くならないならいいんだけどさ」
奔放で悪知恵の働く子供になると大人が困るので、遠慮してもらってよかったかもしれない。ダテに触れるとそうなりがちなわけだが、ノーランはダテの美点である仲間を心から愛し慈しむことのできる優しい子に育つとも思っているようだ。
「今は寝てるから静かにしておこう。外でできることはありませんか?買い物とか」
「その要望まで聞いてくれるのか。買い物の回数を減らすためにまとめて買ってるけど、生鮮品は毎日買いに行きたいから助かる」
鮮度を保つパッケージや保存方法についてさほど発達していないヴァンフィールドでは大家族向けの1リットルパックも売っているが、少人数あるいは1人向けの500mlパックもある。2日くらいなら開封済みでも美味しい状態で保存できるので2日以内に飲みきるためにそれを買うらしい。それ以外にも劣化の早い野菜などは毎日買いに行く。
雑貨なども必要だということで、4人は手分けして買ってくることにした。
「おやルシャちゃん、子供ができたのかい?」
ベビー用品を買うルシャに惑う店員に対して惑うルシャ。
「え!?違いますよ学校の先生のお子さんです」
「あらそうなの。そうだよね、在学中ってのは珍しいものね」
ここでルシャは自分がもう結婚して子供を産める年齢だということに気付いた。
「そうか、その気になれば私にも…いや、相手がいないっす」
「ルシャちゃんくらい可愛ければ男たちが殺到しそうなものだけどねぇ…ごめんなさい、お節介かしら」
「まあいいっすよ…意外とそうでもないぞ、ってのは知っといてください」
よく喋るおばちゃんはこのくらい喋ってくれても問題ない。子供を授かることについてまだまだ現実的なこととして考えていないルシャは粉ミルク缶とおしりふきを買い、あらぬ誤解を受けないように鞄の中に入れて持ち帰った。ミーナが生鮮食料品を、リオンとアイが雑貨を買ってくると、ノーランたちの欲しいものがすべて揃った。
「お前ら本当にありがとう。余ったお金は自由に使ってくれ」
「できるだけ余らない購買をしてきました。残りはおむつ代に充ててください」
「そうか。お前らのおかげで今日は何も問題なく過ごせる…」
赤ん坊はよく寝るのでルシャたちのいる時間に起きることはなかった。あやせないのが残念だが、3人の役に立てたという喜びを持ち帰る。
☆
可愛い赤ちゃんについて母に言うと、フランはルシャが赤ん坊だった頃のことを思い出した。
「あんたはあまり要求する子じゃなかったわね…比較的静かで、泣くことも少なかったから逆に不安だったわ。いろいろ要求してこそ子供って思ってたから、静かすぎるって医者に相談することもあった」
「そういう子もいるって言われた?」
「うん。静かな子って珍しくないんだって。頻繁におむつ取り替えてたし、つきっきりで見てたから要求がなかったのかな」
「おかーさんのおっぱいが美味しかったんじゃない?」
「そうかも」
「美味しくない母乳ってあるの?」
「母の栄養状態が悪いと美味しくないんじゃない?あの頃お父さん家族がいろいろやってくれて私は楽できたのよ。だから頗る健康だった」
それがこのルシャの健やかな成長を助けたというわけだ。そこでルシャはヴィヴィアンが栄養のある母乳を飲んで成長できるよう、ルーシーの状態に気をつけることにした。
「ノーラン先生がバリバリ働いてるからお金は問題ないと思うけど、今日あったみたいに買い物が十分じゃないかもしれない。それと別にルーシー先生の精神状態があるから、不満があるなら何でも解消しなきゃ」
ルーシーがストレスを溜め込んだ状態だと母乳に悪影響があるかもしれないということで、ルシャはそのことについて学ぶべく王都図書館で本を探してきた。
無関係ではないことを知ったルシャは強い使命感を抱いた。できる限りルーシーの負担を減らすために積極的に手伝いをするのだ。たとえ自分にしか時間がなくても。
「お金もかかるだろうし…」
「あぁ、お金の心配はしなくていいわよ。育児のために仕事を休んでるなら、1年は給料が発生するわ」
「そうなんだ。じゃあルーシー先生の収入もあるわけだ」
「うん。それに加えて祝い金の制度がある。2人で20万貰ってるはずよ」
「すげー」
この制度は新中央が始めたものなので、ルシャの産まれたときにはやっていなかった。今より経済的に厳しかったとフランは振り返る。
「今ほど充実してなかったわ。お父さんの収入と両親からの支援があったからよかったけど、なかったら厳しいわね」
「そりゃそうだ…精神的には大丈夫だった?」
お金のことよりもそちらが不安だとルシャが言う。
「夜起きることくらいね。そのくらいなら大丈夫だった」
「ほぉーん…」
苦労したのはルシャが3歳になってからだという。一体何がフランを困らせたのか。
「なかなかねぇ…おむつが外れなかったのよねぇ」
「え…?私って遅いほうだったの?」
「たいていは2歳から3歳で外れるのよ。けどルシャは5歳くらいまでしないとダメだったわねぇ…」
「普通の子ってそんな早く外れるんだ…」
尿意を感じるのが遅いのか、早めに行かずに限界まで我慢して間に合わないのか、膀胱の力が弱いのか…様々な理由を考えられるが、とにかくルシャはおむつを外すのが遅かった。幼稚園では特別な配慮が必要ということを先生に伝えて交換を手伝ってもらっていた。ルシャにはその記憶がある。
「そういえばみんなもうパンツ穿いてた…」
「まあでも異常って思うことはなくて、そのうち外れればいいと思ってた」
結局小学校に入るまでに外れたが、不安なフランは吸水性の高いトレーニングパンツを穿かせていた。
「小学生低学年ならまあそう珍しくないのよ。学校でおもらししちゃうことはなかったわね」
「うん。幸いにも…」
ルシャは我慢しているときに分かりやすい動作をするため友達が連れションに誘ってくれたのがおもらし回避の理由だ。フランは担任からそう聞いた。
「まあそういうことで先生が悩むかもしれない。そのときはあんたの経験を話せばいいわ」
「そうだね。安心してもらえる」
今ではすっかり人を困らせない子なので、幼少期に問題を抱えていてもどうにかなるということだ。
子育てに正解はないのではないかというのは、個性があるのに”一般的には”という括られた行為だけをするのが不適切だからだ。それゆえ家族や先生はその子に最も適した接し方や教育を探し続ける。
ルシャは自分が最も適した方法で育てられたか知らない。ただ、こうして現状に満足できている限りは、正解だったかどうかはあまり重要でない。
「ヴィヴィはどういう子になるのかな…」
性格は親から遺伝して周りの影響で変わってゆく。ノーランとルーシーはどちらも頑張り屋で、目標に真正面から向き合える性格をしている。能力については全く心配していないが、悪い部分だけを継がないとは限らない。
「ノーラン先生の怠惰なところと、ルーシー先生のちょっと頑固なところ…まあ、それゆえ人間味があっていいとも言えるけど、あまりにその傾向が強いとね…」
余計なお世話だと言われても心配させてほしい。自分にもそのような性格がないとは言わないし、他人の性格をとやかく言える立場でないのかもしれない。だが、難しい性格ゆえにこの素晴らしい世界で生きづらさを感じてしまっては困る。だったらダテのように飄々としているほうがいい。
「私たちの影響を受けることについて賛否あるけど、やっぱり関わったほうがいいと思うんだ。私たちダテであることに不自由してないし、何も悪くないでしょ?」
「そうだね。ちょっと他人を巻き込んで好き放題やることはあるけど、だいたい良い感じじゃない?」
関わるのは確実として、何を仕込んでやろうかというのはヴィヴィアンの将来に大きく影響する。真面目に考えるのならダテのそれぞれの得意分野をすべて詰め込むのがよいだろう。
「優しくて勉強も運動もできて魔法も上手な子になるよ」
「ダテを凝縮したような存在じゃないか…こわ」
1人では完璧でなくても揃えば完璧になるのがダテだ。しかしそれを1人で果たしてしまったなら、こうして群れる必要がなくなってしまう。それはいかがなものか。
「だから適度に人間味も混ぜて…」
「いやたぶん全員に共通してることは色濃く浸透すると思うよ」
「全員に共通してること…?」
一同は考えてみた。その結果、あまり良くないことが判明した。
「スケベってこと……?」
それが浮かんでしまって全員が同意するのもいかがなものか。ヴィヴィアンもスケベになるのだろうか。
「じゃあさ、私たちの影響を受けるヴィヴィがなんかすげぇ良い感じになるように、私たちに新しい共通点を作っておこう」
やれることはやってみればよい。ダテの新たな人間味のある共通点として何が良いか考えたとき、多く挙がったのは感情表現が豊かであるということだ。人間とは喜怒哀楽それ以外の感情を豊かに表現するもので、それができれば完璧超人でも親近感を持ってもらえるだろう。
☆
というわけでダテは感情を隠さず表現しまくるようになったのだが……
「なんか今日のリオンすげぇ激しいね」
「うん。いつもよりはっきり言う」
「最近ラークよく笑うね」
「なんか企んでるのか?」
「ルシャは……いつも通りだね」
「そうかぁ?」
スッキリ思い通りにはいかないのだった。これが果たしてヴィヴィアンの性格形成に良い効果を及ぼすのか不安な中、ルシャはミーナたちに経験したことを尋ねた。
「そうだよお前ら普通に弟妹いるじゃん」
「ん?まあそうだけど、小さい私みたいなもんだぞ」
「ミーナが4人……」
それはとても幸せだと思う。年齢の離れている妹を持つラークはどう接していたのか。
「俺は背が高いからよく持ち上げたり肩車をしたりしていたな。兄としてどう振る舞うってことはあまり考えなくて、俺のやりたいようにやってた」
ラークが自然体のまま接していた一方で…
「私はお姉ちゃんらしくしようとしてたなぁ」
「どんな?」
「弟が何か悩んでるときは決断を促したり、導く力みたいなのを示すためにいろいろ決めて連れ出したり、頑張ってる姿を見せようとしてた。壊れる前の家では同じ部屋だったから見る機会が多かったね」
お姉ちゃんが頑張っているのだから俺も頑張ろうという気をジオゴに起こさせるのがリオンのお姉ちゃんらしさというわけだ。しかし何もかも決めてしまうので我が儘のように思われたかもしれないと振り返る。
「悩む時間が欲しかったんだとすれば、自分で決断する前に決めちゃってたのは悪かったかもしれない。けど幼いうちは姉ちゃんに決めてもらってりゃいいのさ」
反抗期になれば自然と自分で決めるようになるのだから、それまでは姉に導かれるままであるべきだという。1人を相手にするならそれで良いのかもしれないが、3人の弟を持つミーナはそうしなかったそうだ。
「うちは3人で話し合って決めたなぁ。それで最終的に分かんないからって私に決めろって言うんだ。話し合いの末に決まったことだからみんな反抗しなくて、終わった後に反省する。概ね上手くいってると思うよ」
ミーナは主張するばかりでなく意見を集めて折衷することで誰もが納得する決断を下せるということを知った。弟たちとの関係が良好なのは、意見ははっきり言いながらも自我を押し通そうとしないことが理由だという。
「それを踏まえてヴィヴィとはどう接するのさ」
「どうしたいかを聞きながら助言するのがいいんじゃない?」
マイルドにいけ、ということでまとまった。
☆
そのことをノーランに話しに行くと、ヴィヴィアンが起きていたのでみんなであやした。「おねえちゃんだよ~」
「刷り込みをするな」
「じゃあ何て言えばいい?世界のルシャちゃんだぞ~」
大きな顔が視界いっぱいなのが面白いのか、ヴィヴィアンは笑っている。小さな手足がグーパーしているのが可愛いので大きな手のラークが指を掴ませてやった。
「妹が産まれたときのことを思い出した。すっげぇちっちゃいんだよなぁ…」
「俺らにもこんな時期があったんだよなぁ…」
「まあそうね…ヴィヴィもすぐ大きくなるんだろうなぁ」
子供の成長は思ったより速い。小さな手に触れるのは今のうちだ。
「ってかお前ら俺らよりずっと子育て考えてるんだな」
「この子は我々の影響を少なからず受けてしまいますからね。あらゆることを考えますよ」
「受けてしまう…しまう?」
悪いことも受けるという予感にノーランは顔色を曇らせたが、ルーシーがすぐに意味を理解してノーランの解釈を訂正した。
「ダテになるってことか……」
ノーランはひと呼吸置いてこう言った。
「ヤバいな……」
友人が結婚したり子供を授かったりしているので、それ関係のエピソードをたくさん聴きたいです。




