155・えっ、私がバロンドーラーなんですか?
バロンドールってフランス語らしいです。金の球…
ルシャたちの通うジュタ勇者学校の教育方針は改定があってから維持されている。より難しくなった試験は今回も健在…というより、さらに難しさを増していた。復帰したノーランに理由を尋ねたところ、高い目標を掲げていれば達成できなかったとしても確実に大幅な成長を遂げているからと言われた。この学校の生徒は高すぎる目標に萎えるのではなく、少しでも上手になろうと頑張れることが最大の特徴だとの校長の発言によるものだ。
「魔法実技に限ってはお前という雲上の存在がいても腐らずに全員が成績向上のために頑張っている…って聞いた。ミロシュ先生から」
「そうですね。パトリックが納得できるところには到達できてるって言ってました。みんなそうだと思います」
「今回の試験は満点を獲るのでなく0点をとらないことを目指すんだ。各競技について、これまでの上位者でやっと1点だろうなって難しさに設定した」
リオンやラークでも1点になる難度ということは上位者でも今のままでは0点もあり得るということだ。0点という致命傷を避けるために限界を引き出すのが狙いだ。
☆
今回のテストでも平均台とマットが登場する。それは前回の鬼畜じみた内容のままだが、この先は鬼畜すら生温い、エリートのためのテストだ。
「苦手な奴を虐めるつもりはないんだが、さすがにかわいそうになる内容になってしまったと予め言っておく」
「先生は得意だから嬉々として頷いたんでしょ?」
「俺はね」
ノーランと言えば教員試験を余裕で通過し、生徒の模範となるべく常に高い能力を示し続けている”強者”だ。自分のように能力を誇れる生徒に育てるべく、愛すべき教え子のために心を鬼にしたのだ。
「バスケは実戦を意識してバンギ教頭が奪おうとするようになってる。奪われることはないけど躱すなり当たる前に放つなりして対処してくれ。入って2点、枠で1点、それ以外0点だ」
「厳しいなぁ」
多くの人がバンギに迫られた時点でボールを手放してしまうくらいの恐怖を感じる。彼を冷静に躱せたとしても、ターゲットを外せば点を得られないのでシュートまで集中を保たねばならない。
1つの種目で2つの試練を与えられていることに多くの生徒がゲンナリしている一方で、ルシャとミーナはやる気に満ちていた。指を鳴らしたりニヤニヤしてみたりと、明らかに他とは違う。それはダテに染まりすぎてリオンやラークと同格だと錯覚しているのか、諦観の先にある謎の快感なのか、純粋に得意になったのか…最後のはなさそうだ。
「最後はお馴染みフットボールなわけだが、こちらは採点が厳しくなった代わりにやることの難度は下がった。落とさずにゴールすれば何回触ってもいい」
「ほぉう?」
先生から送られてくる浮き球のパスをトラップして1度も床に落とさずにゴールすれば2点、シュートが枠に当たったら1点、それ以外は0点だ。確実にゴールしたいならゴールまでリフティングで進めばよいため玄人のリオンとラークは自信ありげだが、ルシャは俄然青ざめた。
「前回みたいなことできるかな…」
あの前方に飛び込みながら踵で打つスコーピオンボレーはマグレだった。意識通りに上手に合わせてゴールするのはプロでも難しいと言われているから、素人の左足に神が宿っただけのルシャには難しい…神の主張が激しければ、簡単かもしれないが。
「0点でも死ぬわけじゃないから挫けるな。ちなみに俺は満点だったぞ」
「はー、自慢ですかい」
「なんで見せてくれなかったんですか」
大好きな先生の勇姿を見たいと訴えたところ、手本を見せてくれるということになってラークとリオンが配球役を任された。
ノーランはルーシーとヴィヴィアンの手伝いをしている間にも家でできることをやっていた。筋肉は衰えていないし体調も万全に保っている。彼の躍動は多くの生徒を刺激したばかりでなく、ルシャたち女子の目をハートにするほどのものだった。
「やっぱカッコいい……!」
「昔は運動できる子を好きになりがちだって言われてたけど、今もそうかもしれんね」
「…人間?」
ノーランにも人外説が出ている。彼は爽やかな笑顔とともに戻ってきてクリップボードに鉛筆を当てた。
「さあお前らの番だ。思い切ってやれよ」
難度が高いのに辟易している運動音痴たちはやりたがらずに先を譲った。そこでリオンとラークが意欲を見せて今回も手本となったため、いくつかの特徴的な動作を学んでいけそうな気を起こした生徒が続いた。
しかし真似をすることの難しい動作は1度見ただけで再現できず、それが失敗を生んだため、多くの生徒が鬼畜種目で0点となってしまった。
その様子を見ていたノーランとバンギは自分たちの期待が大きすぎたのかと悔いるような険しい表情を浮かべながら、順番の回ってきたルシャに目を向けた。
「ルシャー!がんばれー!」
ミラクルが起きなければ体育ではただの運動の苦手なぽっちゃり女子に過ぎないルシャには、ファンからの歓声が浴びせられた。期待を一身に受ける彼女は最初の試練に対して真剣に取り組んだ結果、なんとか脱落せずに渡りきることができた。
「身体を支える筋肉や体幹が鍛えられたことで揺れにくくなったんだな」
レスティア家監修の食事や日々の特訓が効果を及ぼしているとルートが分析した。リオンはそれを認めながらも、ルシャの頑張りこそが結果を生んだと評価した。
「運動でも集中できるようになってきたと思う。周りの声に惑わされないし、苦手意識が動きに表れることも少なくなった。精神的に強くなった」
運動の楽しさを身をもって知ったことで苦手意識が薄れ、経験が動きを洗練した。飛び移ることも苦でなくなったから、この試練は大した脅威ではなかった。あの自信が虚勢でなかったことを確かめたファンからは拍手や歓声が飛ぶが、もはや彼女を応援する立場ではなく、自分が応援される側になったのだと危惧する者もいた。
「苦手ではあるかもしれないけど、下手ではないってことだな」
師匠が運動を得意になって意欲的になれば外で遊ぶ機会が増えるだろうので、ルートはこの結果に歓喜した。
「しかし次からはそう簡単にいくか…」
ルシャが最も悪い結果を出してきたマット運動だ。彼女はそもそも全体重を手で支えることができずに倒れてしまうため、側転を諦めて前後方向へのローリングで少しの点を稼いでいた。今回の狭い幅を側転で渡る試練は、いくつかを改善した彼女でも難しいとされている。
挑戦することを評価したいのは山々でも、学校の基準を満たしていないのならば点を与えることができない。浅い期待と成功祈願を同居させたノーランは、不器用な側転もどきでごまかしたルシャから目を逸らさずに最後まで見た。
「うーん…脚が上がってないなぁ」
情けをかけても点にはなりそうにない技能を見せられたノーランは、苦しそうな顔をしながら0と書いた。仲間たちはこの種目は最初から諦めていたのだと思って次に期待した。次に期待を持てるのは、球技祭で見せた素晴らしいものを憶えているからだ。
ルシャは小刻みに動く反復動作は苦手だが、それっきりの動作なら問題なくできる。どういうことかというと、左右に揺さぶるようなドリブルやフェイントは苦手でも、右に大きく動いて躱すのは得意ということだ。
「ちゃんと受け取って一気に出られるかどうかかな。ルシャは1歩が短いから身体の大きな教頭を躱しにくいけど、思い切らない限りはずっと塞がれたままだね」
どの競技だろうと1度の動作で相手を躱せれば有利になる。跳ぶつもりで大股で左右どちらかに振ればバンギを剥がせるかもしれないとロディは考えている。
早いパスを身体の正面で受け取ったルシャは迫ってくるバンギに怯え、逃げるように大きくドリブルした。焦りのせいで思い通りの動作ができず、ボールが強く押し出されたのに対して身体が大きく動かなかった。そのためボールがラインを越えてしまいそうになり、ルシャは慌てて考えなしに飛び込んだ。
「んぬっ!」
かわいい声を伴って披露された飛び込みはルシャの身体をボールへ近づけ、なんとか指先が触れた。しかし掬い上げることはできず、ルシャはボールごとコートの外に出た。
「あぁ惜しい…!」
「最初ので焦っちゃったね。教頭デカいからなぁ」
「あれでビビらない奴がおかしいわ」
相手が悪かったというのは誰もが思うことで、もっと小さな相手だったら怯えずに冷静なプレーができたのではないかという抗議をこのあとするつもりだ。
「けどあれ諦めないで飛び込んだことには点を与えたいね」
「ホントね。以前のルシャだったら追わなかっただろう」
ボールを目で追いかけて身体を向けることが染みついていることは成長とするべきだ。しかしこの試験のルールに則って0点となった。
最後はルシャの大好きなサッカーだ。床に落とさずゴールするというのはバウンドを利用したフェイントを多用するルシャにとって致命的なルールだが、軸足をしっかり置いて左脚を振れば最高のパフォーマンスを発揮できると言われている。その姿勢に合うようボールが移動すればいいだけだ。
「そうする方法ってなんだよ…」
「すごく残念なことにボールは右から飛んでくる。左脚は遠いほうにあるから、打つ瞬間を掴みにくい」
身体の前を通っても焦らずに左足の可動域に重なるまで待たないといけない。ルシャは緩い浮き球が自分の許可なく飛んで来たので焦ってしまい、その場で何度か足踏みをして調節しようとした。しかしどうにかなるものではなく、ボールが落下を始めてしまった。
このまま放置すれば0点…仲間が表情を変えた直後、ルシャは一か八かに賭けた。
「ふ!」
身体を反らせて胸を突き出し、ボールを見事に吸収してみせた。ぷるるんお手玉よりテクニカルなぷるるんフットボールだ。会場が一瞬にして水を打ったように静まった。
たいていは直後に割れんばかりの歓声が起こるが、仲間はまだ歓喜できなかった。立ち上がる途中の姿勢のまま結末を見守っていると、ルシャは胸から滑り落ちたボールを左足で打った。
「な…!」
バーに当たって快音を響かせ、上へと弾んだ。ここで終われば1点しか貰えないが、ルシャは外に出ていないボールを追いかけてもう1度ぷるるんして見せた。膝を軽く折って衝撃を吸収しているため、ボールが弾むことなく吸い付いた。
また滑り落ちたのを軽く蹴ってネットを揺らしたところで爆発的な歓声が体育館を揺らした。人々は狂喜乱舞して館内を駆け巡り、感極まった者は2階の手摺りから飛び降りて喜びを表現した。そのせいで数人が足首を捻る怪我をしたが、ルシャは枠に当ててゴールしたことで3点というリオンとラークすら得られなかったクラス最高点を得たのだった。
「これ、無限に枠に当て続ければ無限に点を貰えるよね」
「あ、やればよかった」
「たぶん1回分しか加算されないよ…」
ノーランに問い合わせたところ、サッカーの得意な人が極端に多く稼がないために何度当てても1点しか加算しないという回答があったため、ルシャはこの種目での最高点を得たということになった。
そしてクラスメートは素晴らしい副産物を得た。
「いいものを2度も見せてもらって俺は幸せだ」
「ああ。やけに上手だと驚いたけど、あれなら柔らかく止められるだろうな」
男子が揃って顔を赤らめているのだけが気がかりだが、ルシャは0点で終わらなかったどころか4点も稼げたのでそれぞれの1種目あたり1点獲得したことになり、大満足だ。
そこへノーランがやってきてこう言う。
「お前実は経験者?小学生の頃やってなかった?」
「ないない。右脚なんてただの棒ですもん」
「左脚を使えて胸も使えてたまに頭も使えるなら、右脚を使えないくらいなんともなくないか?」
タックルもヘディングもできないけど、それがどうした?彼は天才だ―日本サッカーのレジェンド、中村俊輔は所属していたクラブの監督にそう言わしめた。ルシャも右脚が棒だが、それがどうした?とノーランに言わしめた。
「けっこう大事だと思うけど?」
「少なくとも俺にはあんなことできる胸がない」
「先生、えっち~」
このあとルシャは胸トラップだけで世界最高にまで上り詰めるのだが、それはまた別のお話…




