143・もはや愛の告白
中央というのが行政を担う機関の名前で、日本で言うところの内閣である。旧中央は王族をご意見番として議会に置いていたが、その構造を撤廃した新中央は行政監督会という組織を設置して暴政を抑止する能力を期待している。そこに王族がいるので旧中央の監督機能に議員を追加した形として捉えられている。
その行政監督会から、中央の定めた子供の教育方針について意見があった。魔法を用いることで生活の利便を向上させるというのが魔王の死後における魔法教育の主な目的であったが、ルシャがそれを次々と叶えてゆくのを見た人々は魔法がその限りに用いられない可能性に言及した。
『ルシャから魔法を教わることで強力になった魔法使いは、国家転覆すら為し得てしまうのではないか』
根拠はもちろんルシャが魔王を殺すほどの魔法を使えることにあり、彼女に弟子入りしたルートをはじめ多くの人が国家転覆に足りる魔法を持つようになるという可能性だ。ドニエルはルシャに匹敵する能力を持つ元特強としてこの意見に対して耳をほじりながら応じた。
「じゃあ既に手遅れだな。で、どっかの国が滅んだのか?我々の懸念する平和の崩壊は起きたか?もし仮に崩壊してたとしたら俺の言うことは1つだ。『言うのが遅い』」
馬鹿げた意見と一蹴したドニエルだが、行政監督会に加わることになったヴァイドが過去に言っていたことを思い出した。
「著しい力の不平等が国家の安定を崩す要因になるという恐れは充分に理解できる。これまでは魔王のみがそれを起こすと思われていて、魔王の死んだ今はルシャがそれを起こすかもしれないと思われている…思われているか?お前に聞いてるんだ」
ドニエルは仲間が世界を滅ぼすかもしれない危険分子と扱われていることに非常な憤りを感じていた。それは態度に表れていて、彼の部下が少し退いた場所から見守っているくらいに得も言われぬ恐怖を醸している。
「まあ、確かにルシャを知らない人からしたら彼女の人柄のことは一切無視で強力な魔法だけしか気しないからそういう恐れを抱くのかもしれない。しかし世界にはルシャのことを知っている奴がいる。ルシャに友達がいるって知りながら、何故その中の誰か1人にすら訊かなかった?俺に訊いてくれたってよかったんだ。けど誰も来なかったし、フランやルリーのところにも誰も来てないらしいじゃないか」
ルシャの持つ正義の心を強調して記者に伝えたドニエルは会見を終えて長い息を吐いた。
「お疲れ様でした、大臣」
「あぁ、大切な仲間のことをああ言われると、冷静な大人を自負してる俺でもちょっとキレるね」
「ルシャさんとは大変親しい仲と伺っています」
「親しいよ。休みをとって遊びに行けなかったのが残念でならないくらいだ…記者は自分たちの意見だけ通そうとしている。たぶん俺の話を聞いた後でも納得できずにルシャに制約を課そうとしてくる。それを通してはならない」
「ええ。通るはずがないかと思われます。何故なら多くの人がルシャに助けられたからです」
「そのことを忘れちまった奴の多いこと。そもそもあいつが国を滅ぼすほどの力を持ってなかったら俺らとっくにこの世にいないっての」
「そうですよね。あのときルシャは魔王と結託して人間界を支配することすらできたはずです。それをしなかったのは彼女の正義の心のためと言えます。それなら我々はそれを信じているべきです」
「その通りだ。人々はルシャを愛するべきなんだ。それなのにひどい仕打ちだと思わないか?このことをあの子が知らないままだといいんだが、報道されてしまうだろうな」
「人々や世界を救った力のことを忌避するべきものと言われたら悲しむでしょうね」
ルシャのファンを自負する部下が彼女の悲しむ顔を想像して悲痛を感じた。自分が強いばかりに人々がくだらない議論をしていて、誰かが自分を庇って傷つく。ルシャの嫌うことが起きるということだ。
「この話がルシャに伝わらないことを祈る。俺らだけであのバカ共の頭を正しい方向へ戻してやるんだ」
ドニエルは正しいものを見ていない国民の存在を嘆いた。ヴァンフィールドをまとめる人として国民を正しい方へと導かねばならない。
「まあ、バカがいなけりゃ政府なんていらないんだけどな」
「間違いない」
ドニエルは強大な力でも危険視すべきなのはルシャではなく未確認の滓宝を持つ者のほうだとした。ヴァイドの警戒する著しい不平等はルシャのみならず、強力な魔法を使う元特強や滓宝によって魔力を強化された一般人によっても起こされうる。信用に足る者か確認していないことこそ、国民の恐れるべきことだとして檄を飛ばした。
ドニエルの懸念が当たったのが残念なことだ。ルシャは頻繁に新聞を読む人なので、エアレースを終えた翌日にカフェでアイと一緒にのんびり過ごしていた。これと言ってやることがないから気分に従っていたのだが、その記事を読んでしまったから穏やかではいられなくなった。
「私が国家転覆ねぇ…」
「ん?読ませて」
アイは記事を読んでドニエルと同じように憤った。ルシャという素晴らしい姉のことをよく知っているから、悪く言われることに耐えられない。よく知らない人が好き放題に言ったことなど記事にする価値がないと断言した。
「私は私の思うままにやってきただけなんだけど、それがダメって言われたら止めるしかないよね…」
「でもドニエル大臣が可能性を否定したって書いてある」
「ドニエルさんは仲間だから私のことを擁護するよ。ただ、私は前に昏睡させられてジュタをめちゃくちゃにしちゃったし、利用される可能性がないとは言えない」
「でもそれはルシャがやりたくてやることじゃない。悪いのはルシャじゃなくて、ルシャを使って悪いことをする人でしょ」
「まあ、そうだけど…魔王もそうだけど、強い魔力を持ってる人のいることがすべての根本なんじゃないかって思うんだ。だったら魔法なんてなかったってくらいに魔法を消してしまいたい。そうすればみんな魔法が原因のことで苦しまなくなる」
やけに自虐的なルシャを案じたアイは自分の考える力が説得するのには足りないと思って救援を求めた。休日だから多くの仲間が飛んで来てくれるはずだ。”あの男”はどの角度で信号が上がれば誰からの救援要請なのか分かる。
ルートも親から記事について聞いたらしく、ルシャを擁護するために意見をまとめているところだった。彼も憤っていて、こんなことを言った。
「そんなこと言う奴らを俺が魔法でボコボコにしてやりてぇよ。勝手なこと言いやがって。お前らがルシャに及ぶ魔力を持てばいいだけの話だっての」
過激思想には過激思想で対処するのがルート流らしい。彼もルシャに詳しくて滓宝のことも知っているため、ドニエルと同じ意見を持っている。傷つくルシャを見るのが辛い彼は怒りのあまり身に余ることをしようと思い立った。
「ああ腹立った。俺がそいつらに直接言いに行く」
「なんて?」
「それは今は言えない。教育に悪いからな」
ルシャもアイもルートがどのようなことを言うのか予想できなかった。
ルートは早速ドニエルのところへ行って会見を開くよう請願した。弟子なら師匠への悪評やあらぬ噂を流布する者を放っておかないと思っていた大臣は、ルートがルシャと違って元特強ではないただの一般高校生でしかないとしながらも、同情のために彼の願いを叶えたいと言った。
「折角全国に広げる機会を設けるのだから、説得力があって人々に強く訴える言葉を用意してくれ。中途半端なことを言うのはやめてくれよ」
「もちろんです。俺は言いたいこと全部言うつもりです」
「いいだろう」
「新聞にあったような、大臣の失言を恐れながら周囲に忖度するような文言はないと思ってください。影響力のない一般人だからこそ言えることを言います」
「では俺は大臣の力を使って熱狂的なルシャ降ろしをしている奴らを呼び出す。日時が決まったら手紙で教えるから、それまで言いたいことを威力を損なわずにまとめてくれ。俺の言いたいことはだいたい分かってんだろ?」
「ええ。ドニエルさん、これは俺の強い頼みです。どうか手助けしてください」
ドニエルはルートがルシャのことを好いていると知っているため、恋心を後押しすることを厭わない。彼の気持ちのこもった言葉が分からず屋を黙らせると信じた。
「キミがわざわざここまで来て頼むことだ。望む結果を得られるといいね」
ルートはその日のうちにルシャの家に戻ってこれからすることを報告した。それはルシャに恩を感じさせたいからではなく、自分が味方でいることを強調するためだった。
「俺は最初お前のことを危険視することもあった。俺を上回る存在となれば、世を滅ぼすことすらできる。しかしお前には仲間がいて、仲間を想う正義の心があると知った。それは嫌いながらもお前のことを見ていたからだ。今回の反魔法派は嫌いながらお前のことを見ようとしない。それが俺との最大の違いだ。そのことをまず指摘して、いかに的外れなことを言っていたか気付かせてやるんだ」
「なぁ弟子」
「なんだ?」
「お前いい奴だな」
「……!」
ルシャはルートに背を向けてそう言った。アイは励ますようにルシャの背中をさすっている。ルシャが顔に手を当てて必死に何かを堪えているため、代わりにアイが口を開いた。
「ルートの気持ちはルシャにも私にも伝わった。ルートが仲間でいることは心強いね。あとはみんなを納得させるだけ」
「ああ。俺は魔王からルシャを守りたいと思ったのと同じくらい強い気持ちでいる。仲間を不当に傷つける奴を許さないために…アイ、新聞に朗報が書かれるまで俺は戦ってるから、その間はルシャのことを任せる」
「うん。任せて」
席を立ったルートが去り際にひとこと。
「ルシャ、俺がこれをやるのは弟子だからじゃないぞ」
ルシャはもう顔を上げられなくなっていた。ルートがドアを閉じてから顔を上げた彼女は、アイからティッシュを受け取って鼻をかんでから漸く喋った。
「あいつ、私のためにあんなに必死になって…」
「ルートはたぶんそうしたいんだよ」
「うん。なにかにつけてここに来るのも、そうしたいからなんだろう。まったく、そんなことに汗をかいてバカなんだから…」
もはやかつての気分ではない。彼に明確な気持ちを伝えなかったのは恥ずかしさや過去から引きずってしまっていた禍根のせいだ。彼が恥ずかしげもなく欺瞞を取り払った言葉を続けたので、自分の作った障害を正当化していたことが馬鹿馬鹿しくなった。
「帰ってきたら言うか、もっと気分の盛り上がるところで言うか…」
「ルシャ、ルートのこと好きって言うの?」
「面と向かって好きって言うのは恥ずかしいね…なにせ、これまでぞんざいな扱いをしてきたからね…」
ルートに対する人格を変えねばならないのがルシャの告白の難しさだ。しかし世界を変える力を持つルシャならば思い切ったことができるだろうとアイは思っている。
「とりあえず、言う前に相応しい場所と時間を考えることにするよ。んで、帰ってきたら報酬として一緒にどっか行くんだ」
そうしたらこれまでの関係がどう変わるのかは分からない。それまで覚悟しなければならないのだろうが、複雑になるほど心が歪んでゆくので今は2人のことしか考えない。
数日後、新聞を買うより先にルートが来て報告をした。明確な論拠を示して危険性を真っ向から否定し、ルシャに対する否定的な意見を変えさせた。そもそも魔法に対する認識が誤っていて、学ぶことすら怖いと思うほど魔法を恐れていたということなので、勇者学校の生徒と同じように1から魔法を学ぶことを勧めた。
「やっぱりバカなだけだった。何も知らない奴がとてつもない能力だって騒いでるだけだった。声がデカけりゃ人の耳に入るもんだな。スヤスヤ寝てる奴の隣でギャーギャー騒げば対処せざるを得ないだろ?」
「うん…そういうことだったんだ…えっと、私のためにありがとう」
「ああ、面白いくらいキレてやったぜ。おかげで心が晴れた」
「じゃあ身体もスッキリするために修行に行こうか?」
思わぬ提案に呆けたルートはすぐに現実に戻ってきた。
「お、お礼に稽古をつけてくれるってことか。それなら俺がどれだけ強くなったか見せてやろう」
ここでルシャは名案を思いついた。
「私に勝てば私はお前に隠してることを1つ言おう」
「ほう?」
「師匠が弟子に言えないことの1つや2つはあるもんだ。それを1つ、お前に教える」
「よし、絶対に勝つ…勝つ」
やはり師匠には及ばないというのがルートの今の認識だ。しかし滅多に言わないようなことをルシャに言わせるためなら、死力を尽くして勝ちたいと思う。
常に最強を目指してきたルートの最大の挑戦が、はじまる。
次回ルシャちゃんが大事なことを言うと思います。




