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えっ、私が勇者になるんですか!?  作者: 立川好哉
第2部・2年生編
133/254

131・これが試練だ!

 旅行2日目、アーモンドの宿を出ていよいよヴァンフィールド最北のノルジュに入ったルートとリリアはメリア山の麓にある自然豊かなキャビンを借りた。宿より簡素なつくりで宿屋が同じ建物に常駐してくれているわけではないので何かが起きても自分たちで対処しなければならないし判断も自分たちでしなければならないが、2人は夜に確かめた絆でもって何事も乗り越える気でいる。


 キャビンの構造は入ってすぐに吹き抜けになっているリビングダイニングがあって1階の奥にトイレと風呂と掃除用具入れ、そして1階の約1/4を閉めるキッチン。2階はLDの奥に雑に架けられている梯子を登った上階の1部屋だ。4人までは快適に泊まれるという話なので2人ならさらに広々使えるだろうということで選んだのだった。


 着替えや歯ブラシなどを入れた荷物を降ろして登山用の鞄だけを持った2人は麓のフルールという小さな町の商店で携帯食料や水のボトルなどを買ってから看板に従って登山道に入った。

 高尾山よろしくたくさんの登山道があって詳細な案内図が示すことには最も難しいコースは水場や岩場を経るというのでルートは迷わずそこを選んだ。登山を観光の1つではなく修行の1つと捉えているリリアは波乱の度に師匠に救われることを期待しながら彼に続いて登り始めた。中盤以降の厳しさを感じればこのために履いてきた運動靴に感謝することになるだろう。

「冬のほうが空気が澄んでるから遠くまでよく見えるんだろうけど、夏でも見えたらいいですね」

「登山家に人気なんだろ?それって登山のことじゃなくて高いとこから見える景色でも人気だってならいいよな。カメラは持ってきてないけど」

 カメラは非常に高価なので中流国民ですら買えない。ミーナに借りれば美しい景色をいつでも見られるようになったのだが、フィルムを使っているのですべての現像した写真を1度提出する必要がある。惚気て弟子でも撮ろうものなら無駄遣いだと怒られること間違いなしなのだ。金でも解決しがたい難しさがあるので借りなかった。




 元気な高校生はそう簡単に弱ることなく途中の休憩所まで登っていた。昼前の明るい町を見下ろすと感動させられて、なんとなくの思いつきからここまで具体的な行動をしてよかったと思った。

「けっこう汗かきましたね。シミができてる」

 リリアがタオルを服の中に入れて汗を拭くと、ルートは丸首の襟の内側が気になった。昨日のせいで今日の朝は遅めに起きることになった彼がリリアを見たとき、彼女は既に着替えを終えていた。登山向けの服装だから内側もそれに合わせたのだろうか、それとも以前の特訓のようにあまり相応しくないものを着けているのか。あの時の大胆な行動が師匠の精神を乱していた。

「水分補給をこまめにしよう。この先さらに厳しくなるみたいだし」

 背の高い木々の中に入ってゆくこともある。綺麗な景色をしばらく見られなくなっても落ち込まずに先へ進む元気を維持するためには適切な補給が必須だ。ここまで登れたからと盛り上がりがちな初心者が殊に注意したいのが補給と休憩で、ルートはそのことを雑誌から教わっていた。

「いくら修行って言ってもいざって時に誰かの助けが必要になるくらいの状況に陥りたくない。ここは敢えてしんどい環境に身を置くことなく安全に正しい方法で登ろう」

「はい。登るだけでも鍛えられますからね!」

 リリアはまだ元気で師匠に先導を任せている。カッコいい先輩の岩肌を登る大きな動作に雄々しさを見たい。ルートはそんな気も知らずにさっさと先へ行ってしまうが、あるところで突然大きな声を出した。

「うぉ!あっぶねぇ!」

「師匠ー?」

「あぁ、コケ生えてんだ…」

 水気を帯びた岩肌に薄らに生えた苔が靴を滑らせたのだ。ルートは大きく開脚することになったが、ルシャに言われて習慣化した風呂上がりのストレッチに救われた。股関節を痛めることなく復帰した彼は弟子が不測の事態に見舞われたときに即座に対応できる距離を維持することにした。


 なだらかな山とは言え登山道が長かったため頂上に至るのには時間がかかった。午後3時頃に到着した2人を迎えたのは先駆者たちで、自分たちとは大きく異なる容姿をしている若者を歓迎する言葉をかけた。

「光栄です。初めてなので慎重に、先人の教えに忠実に来ました」

「それがいい。都会の若者もよく来るが、多くは自信過剰になって帰りで苦労するもんだ。どんどん抜かしていっても構わないが、管理はしていてほしいものだね」

 この男性はこの地域の山を攻略し尽くした玄人で、登山の流行に伴って発生する問題の解決に尽力する登山家集団の長だという。山の衛生管理や初心者への指南などに日々忙しい。今日は休日なので気の向くままに登ってきたらしい。

「自分たちだけ楽しければいいとして礼節を欠く奴もいる。あらゆる場所に登山の知識を記した雑誌があって経験者も身近にいるような今の時代に、基礎すら知らずに登ってくることは蹂躙と言うべきだ。山に対する愚弄だ」

「登山道をはじめいろんなものを先駆者が整備してきたわけでしょう?敬意は要りますよね」

「そういうことだ。道は1日にして完成したわけではない。人が登るためには途中の補給が要る。そのときに出た廃棄物を人知れず片付けている人の存在を意識してもらいたいね」

 2人はマナーについても登山道入り口の看板に書かれていたのを思い出した。明確に示されているのに守れないのは”クソ”以外に言いようがない。

「山のない地域に住んでいると山からの恵みがどれほど我々の生活を潤しているか気付きにくい。是非ともそれを知ってもらって、山を愛する気持ちを持って登ってほしいね」

「仰るとおりです。今回俺たちは足腰を鍛えるために登らせてもらいました。山からの恵みっていうのは、景色もそうですよね。良い経験でした」

 誠実な若者の態度に感心した老人たちは下山する2人を笑顔で見送った。非常に良い気分になったルートは弟子から褒められたこともあって大きな満足と達成感を得た。もちろん、言われたことを忘れずに下山も慎重に果たした。リリアの望む波乱は起きなかったが、勇ましく先導して時に自分を気遣う師匠の振る舞いには敬意を抱いた。

「師匠、カッコよかったっすよ」

「そう?思ったより厳しいせいでお前に失望されたらどうしようって思ってたけど、大丈夫だったかな」

「鍛えてるだけのことはありますね…まあ、それはルシャ先輩によるものでしょうけど」

 リリアが声色を変えたのでルートは落ち着いた声でこう言った。

「ルシャは今のところ俺の師匠でしかないよ」




 無事にキャビンに戻ってきた2人は山肌を縫う川で釣りをしなければ本日の夕食を得ることができないため、併設の倉庫にある用具を持って川へ繰り出した。

「師匠って釣りしたことあるの?」

 リリアは港町ポルト・リーア出身なので釣りの経験がある。知り合いの漁師に教わって乗船したこともあるため、この程度のことは大した苦ではない。一方でルートは川のあるジュタの育ちとはいえインドアな人だったので釣りの経験がないのだった。

「こればっかりはお前に頼ることになるかな…」

「じゃあ手取り足取り教えますね!やったぁ、願ってもない機会だ!」

 リリアは俄然元気になってルートに釣りを教えた。餌のつけ方から注意点まで丁寧に教えながら、ぎこちなく奮闘する師匠の傍で次々と川魚を釣り上げた。どれが食べられてどれが食べられないかも知っている彼女の釣果だけでも十分に腹いっぱいになれそうだ。

「お前…すごいな」

「でしょ?見せる機会があって良かったっすよ。師匠は…まあ、大丈夫です」

 ルートは最初のほうに釣ったのが唯一の成果だった。しかしそれは美味しい魚だというので落ち込む必要はなかった。

「今日はけっこう頑張りましたね。修行って感じじゃなかったけど、楽しかったです」

「そうだな。俺ら純粋に楽しんでたよな」

 これが夏休みでないなら何が夏休みか分からないくらいだ。大満足の2人は焼き魚と飯盒で炊いた米、少しの調味料で腹を満たして暫しくつろいだ。

「こういう暮らしもいいってのが分かりました。別荘買って休みの日だけこういう暮らしをする生活もいいですな」

「わかる。別荘なぁ…憧れるなぁ。金持ちになったら是非ともこういうところで悠々と暮らしたいな」

「いいなぁ…ふあぁ、なんだか眠くなってきちゃいました。汗かいたからお風呂入らないといけないのに…」

 リリアが微睡んできたのでルートは近代文明に頼らない湯の沸かし方で浴槽を満たしてから弟子を誘った。そうでもしなければこの子はソファで眠ってしまう。

「えへへ…もうすっかりその気じゃないっすか…」

「風呂入らないのも不衛生だし、かと言ってお前1人だと寝たまま沈まないか不安でしょうがないんだよ。ほら、立って」

「やっぱり師匠は頼もしいなぁ…」

 リリアはなんとか服を脱いで湯に浸かることができたが、向かい合うよりルートに凭れて浸かることを選んだ。昨日とは触れる箇所が違うからルートは眠そうなリリアとは対照的にはっきり目の覚めたまま彼女の背中を流してやった。

 今日の夜は流石に寝ようということで昨日のより清潔なベッドに入ったのだが、確かにある気持ちを途切れさせまいとするのが『どのベッドに入るか』ということに表れていた。

 

 

 

 修行という修行をしないまま最終日を迎えてしまった2人は今日中に帰らないといけないことを嘆きながら昼前ギリギリまで修行をしようということで、このだだっ広い自然の中で魔法合戦を始めた。

「それならもうラークには勝てるだろう。むしろなんであの時負けたのか謎だわ」

「うーん、油断ですかね…私より強い人がいるってのは、ルシャ先輩だけだと思ってたから」

「え、お前勇者学校で余裕で2位になれると思って入ってきたの…?」

 世間知らずもいいとこだと思ったルートも去年はそう思っていたので咎めない。彼はルシャという巨大な存在に触れて自分の小ささを知ったのだ。それと同じようにリリアも尊大さを潜めている。

「向上心こそが私を強くしてくれると気付いたんです。師匠を目指すこともそうだし、その上のルシャ先輩に及びたいと思うことで私は強くなります。これまでの自尊心よりも、上にいる人に挑ませてもらうって気でいます」

 登山では先駆者への敬意を持って登り切った。魔法の道もきっとそれと同じようにして高いところへ行けるはずだ。ルートは弟子の態度を快く思って自分の修行の成果を見せてやった。

「あはは…ラーク先輩に勝てても副将の師匠に勝てる気がしませんね」

「そりゃそうだ。俺は簡単にやられてやらないぞ?」

「挑みがいがあるってもんですよ。私が師匠を超えてルシャ先輩に挑む前に、師匠がルシャ先輩を倒してくださいね?」

「あは…そりゃ難題だ。お前はすぐに俺に追いつくだろうけど、俺はルシャに追いつける気がしない。あいつに言うことはないけど、正直なところどう頑張っても埋められない差があると思うんだ」

 生まれながらに持っているものに大きな差があるとすら思えてしまうくらい2人の実力には開きがある。自分が成長する度にルシャも成長していて、差はさらに広がってゆく。

「でも諦めて何もしないってのはつまんないから、たとえ追いつけないとしてもできるところまでやるつもりだ」

「それがいいです。あらゆることに言えると思います」

 ジャンプして雲の上に行くのは不可能でも、今までより高いところまで跳べるようにはなる。それに人生を捧げるのも悪くない。

「さて、体力は俺のほうがあるみたいだから、このまま戦えばお前が負けるだろう。だから続けるかお前に決めてもらいたい」

「そうっすね…これ以上やるとこの後の暮らしに支障が出そうなので、このへんにしときます。この旅だけが修行ってわけじゃないし、また付き合ってくれるでしょ?」

「もちろん。お前との特訓では俺も成長できるから頻繁にやりたいもんだ」

 修行を終えた2人はキャビンの片付けを終えて管理者に鍵を返してから列車でアーモンドまで移動し、昨日のレストランで昼食をとってからファリーヨを経由してジュタへと戻った。

「いやぁ、良い旅でしたねぇ」

「すごく良い店を見つけたし、お前の実力も分かったし、釣りも学んだ。文句なしだな」

 予想外に楽しかったのはリリアが自分のことを常に思いながら行動してくれたからだと思ったルートは彼女の頭を優しく撫でて感謝とするとジュタ駅で別れた。

「じゃあ週末にまた!」

「おう!ちゃんと来いよ!」

 この夏の2つめの大切な思い出ができたので、家に帰ってからも相手のことばかり考えてしまった。

コロナ禍のせいで高尾山に行く習慣がなくなってしまいました。皆様におかれましては、山に登るときはそこのルールやマナーを守り、先人の教えを聞くようにしてください。ウェイパリピな軽いノリで行くところではありませんよ。

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