112・ルシャとめちゃめちゃ暑い日
今日の気温は6月末にしては異常だ。庭の木に止まった蝉の鳴き声に起こされた朝5時半のルシャはそこそこの厚さの布団を被って熟睡できたことに驚くくらいの熱気に包まれた。蒸し暑さを感じてから別の布団で寝ているアイは布団を端へ追いやってお腹を丸出しにして寝ている。ルシャが妹の服を正してタオルケットをかけてやると、アイは寝返りを打ってそれを剥がしてしまった。思いが通じずに少し寂しい思いをしたルシャだった。
朝ご飯を作っているとアイが起きてきたが、彼女は汗をかいていた。
「びしょびしょだよ」
「嫌な夢でも見た?」
「暑かった」
「今日暑いねぇ。朝なのにもう汗が出る」
ルシャは薄手の半袖シャツに運動用のショートパンツの組み合わせで見た目こそ涼しそうだが気温のせいで暑さを感じている。
「マジ蒸れる」
ぴったりしたシャツは胸を覆うように肌に貼り付くので空気を逃がす道がない。もう少し緩いシャツにしようと思っても学校に行くときに脱ぐので短い時間しか着られない。ルシャは定期的に胸を持ち上げて空気を逃がしたり汗を拭いたりしている。
「夏だね」
「うん…でも今日は夏にしても暑いよ。温度計…30度あるよ」
今日は快晴で昼になればさらに気温が上がると予想される。猛暑あるいは酷暑と呼ばれる温度になりそうなので今のうちに対策を打つ。
「水筒に氷入れとこ」
2人分の水筒を用意しておかないと誰かに助けを求めることになりそうだ。あるいは休み時間に学校を抜け出して冷たい飲み物を買いに行くことになる。ルシャはむしろ他の生徒や先生を助けるために大きめの水筒を取り出した。
朝ご飯はフレンチトーストにしようとしていたが急遽冷たいそうめんに変えた。
「はー、ちょっと涼しくなった」
2人して大汗をかいたので麦茶で水分補給をする。身体の放熱が上手くいったので汗を拭いてから着替えるのだが、スパッツを穿くと蒸れるのでショートパンツを穿いたままにしてその上にスカートを穿いた。
「アイもこれ穿きな」
アイもショートパンツを中に仕込んでから出発した。窓を閉め切ると屋内がとんでもないことになりそうなので2階の窓だけ開けておいた。
集合場所に先に到着していた2人と合流すると2人も同じようにしてパンチラを防いでいた。
「見られても恥ずかしくないように弟のパンツでも穿いていこうかと思ったくらいだよ」
「恥ずかしくないの?私は走るときに穿くのをいっぱい持ってるからそれ穿いたよ」
「スパッツだと密着して蒸れるからねぇ」
「弟のパンツは学校にいるとき困りそう」
ミーナは自分のを鞄に入れておいて学校に着いたら着替えるのだと説明した。しかしその場合何かの拍子に鞄から飛び出ないようにしなければならない。
「夏だけ男子の制服にするか?」
「それもアリだなぁ。けど折角ならハーフパンツみたいなのがいいなぁ。体育の格好で登校できるようにならないかね」
登校スタイルには改善の余地がありそうなのでノーランに相談しておく。4人揃ってショートパンツを仕込んで飛行通学すると涼しそうな男たちが談笑していた。話題はラークの新しい髪型だ。彼は両サイドをバッサリ刈り上げて地肌が見えるくらい短くしている。
「涼しげぇ」
「マジでいいぞこれ。耳の周りが涼しくて快適だ」
「俺もそうしようかな」
「夏は短いのがいいよねぇ」
「私らもそうすっか?」
冗談を言うとラークがショートカットを勧めてきたので4人は考えた。ルシャが弟子にどのような髪型がよいか尋ねると、彼はこう答えた。
「首を涼しくしたいならポニーテールにして髪を上でまとめれば?」
「ほう?」
ルシャのトレードマークと言えば2つおさげだが、首の両脇で結んでいるので髪が首に触れている。ポニーテールと言えばリオンの好きな髪型で、リオンは涼しいと言いながらもさらに短くすることを考えていた。
「ショートカットで肩につかないくらいまで切っちゃおうかな」
「いいんじゃない?運動向きな感じで」
「だろ?ショートカット以外の髪型にできないから積極的にはやらないんだけど、こうも暑いと思い切りよくやったほうがいいわ」
女子の新たな髪型を見られるなら後押しに躊躇はないということで男子が一致していたので4人は短めに切ることにした。
「ミーナはそれ暑そうだね」
「くせっ毛だからゴワゴワして蒸れるんよねぇ…」
ミーナの髪は空気を含みやすいので身体から発せられた熱気が逃げにくいという。できることと言えばストレートパーマをかけるくらいだ。
「お前らのサラサラな髪質が羨ましいわ。こちとらお金かけないといけないんだぞ」
「専属のスタイリストさんとかいないの?」
「雇うか…夏場だけ」
その検討ができるだけ幸せだというのがくせっ毛のクラスメートの言い分だ。多くの生徒ができる限り短く切ってどうにかしている。
「私はどうしようかな」
アイは最初はロングヘアーをループさせる神秘的な髪型をしていたが、ミーナとともに美容室に行ったときにセミロングくらいまで切っていた。それがまた伸びてきたので今度はもっと短く切ってもらうのがよい。
「アイの髪綺麗だけどね。暑いなら切ったほうがいいよね」
「うん。洗うのもたいへん」
髪を切ることの最大のメリットはシャンプーを節約できることにある。アイは毎回ルシャと一緒に入ってルシャに洗ってもらっているのでルシャの負担も減る。
揃って髪を切るというので男子は期待した。
「ってかお前ら水筒持ってきた?」
「もちろん。なかったら死ぬぞ」
「朝の時点で暑かったからね。本能的に準備したよ」
「そりゃよかった。いちおうでかいのを2人分持ってきたんだわ」
ルヴァンジュ家の麦茶を味わってみたいがために忘れたふりをする人はいなかった。全員が水出しの茶を持ってきていて、机に水筒が並んだ。
「今日体育あるし」
「マジで持ってこなかったら死んでるな」
今日のホームルームと1時間目担当はプリムラで、彼女は水筒を忘れた生徒がいないか確認した。やはり誰もが危機を感じる暑さだったので誰も忘れなかった。
「足りなかったら私に言ってくれればちょっと分けますよ~」
「先生のお茶…」
この学校にはプリムラのファンがいるらしく、この機会を活かすべく早めに切らすことを考えている。がぶ飲みして腹を下さないことをルシャは祈っておいた。
最も暑い午後の時間に体育をすることは避けられたが、4時間目を迎えたときの気温は35度を超えていた。産休中のルーシーに代わって入った先生は熱中症の疑いのある生徒の看病に大忙しで、空き教室を緊急の保健室にして地震の起きたときに用意されたベッドを使って受け入れを行った。教頭が店に飲み物を買いに行ってなんとか処置できるほどだったとノーランが言うので体育で頑張りすぎないようにルシャたちは気をつけた。
「…けどお前ら試合だと盛り上がっちゃうでしょ?だから今日は基礎練だけにする」
「それがいい。でもチームでの活動ってことでもう分けちゃっていいと思います!」
このクラスのダテは7人いる。ダテセットだ(セットはフランス語で7)。得意なリオンと苦手なミーナがいるためバランスはよいという評価で、そのまま組まれる予想が立っていた。
「4チーム作るから1チームあたり8人だ。ダテに1人加えるとそいつがダテるから、ダテは分解する!」
「えー!?」
ダテセットだけ7人というわけにはいかないので8人にしてかつ助っ人の1人をダテらせないために分解するが、ダテの事情に詳しいノーランはルシャとルートを同じ組にする名采配を発揮した。
「イカした先生だなぁ…」
ルートがそう呟きながらルシャの後ろに並んだ。微かに浮かぶブラの輪郭が興奮を誘うが、ハートマークを出しすぎると後ろの人につつかれそうだ。
「それぞれのチームに得意な人を入れておいたから存分に教わってくれ。もちろん見て学ぶこともできるし、プレーの中で成長することもできる。しかし基礎がしっかりしていることが最も重要なんだ。俺はこの前プロの試合を見に行ったが、基礎ができているからこそ効果的なプレーができるのだと知った。スーパープレーより基礎を徹底的に磨いて上手い選手になるんだ」
ノーランは教育に熱を加えて生徒の成長を促そうとしている。熱意を受けた生徒はたとえ退屈だとしてもしっかりとここで鍛えておいて試合の日に存分に活躍してやると誓った。
「とりあえずミーナはどこで蹴るかを覚えようね」
「はーい」
ミーナが急に素直なロリっ子になってリオン先生に教わったのでルシャは彼女らが敵になることを憂いながらルートとパス交換をした。
「お前マジでキックだけは上手いな」
「あ?キック以外も上手いだろうが。これまでの試験を見てないのか?」
「あれマグレだろ?」
「いや…意図したし。教わってできるようになったんだし」
いくつかスキルを持っていることは確かだが、いつでも使えるようでなければ習得したとは言えない。ルートが試しに使ってみるように言うとルシャはいつの間にか教わっていたシャペウでボールを頭上へと跳ね上げた。やはり左足だと巧みだ。
「それ軸足が云々じゃないと思うんだけど」
「コケたフリをすると意外といけるって判明した。けどこれ役に立つか?浮き球の処理って難しいし、上手い人が何で浮いてるのをピタって止められるのかわからない」
「これ?」
ルートはクッショントラップを習得していて、浮き球を足の甲で柔らかく受け入れることができる。しかしそれは集中しているからであり、相手のプレッシャーを感じる試合でできるとは限らない。
軽い運動なら熱中症になりにくいだろうということで、給水タイムを挟んで1対1の練習が始まった。ルシャはボールを止めてしまうと打開する手段を失うので転がるボールを流さなければならない。そこでシャペウを使うのだが、これは時折…というよりたいてい失敗するので今回は上げきれずに顔に当たってしまった。
「うっ」
「なんか…足の裏とか使えればいいね」
ジョエルにそう言われたルシャだが足裏系のスキルはたいてい両足を使うので左を軸足としたときにどうなるか不安だ。しかしジョエルは数少ない片足の足裏スキルを伝授した。
「相手がどっしり構えているのを利用して、足裏で後ろに転がす。それで股を抜ければ突破できる。あとは身のこなしだけど…」
「そこはまあ、誰かの支援に期待するってことで…」
股抜きパスにすれば誰かが貰ってくれるだろうということにしておく。しかし1対1ではシュートで終えないと相手ボールになるので抜いた後の行動も考えねばならない。
「いや暑いわ。お茶飲も」
給水はノーランの定めた給水タイム以外にとってもよい。ルシャは体育館の端に置いた水筒の麦茶を飲んで元気を少し取り戻した。
「外だったら地獄だったな。部活はあるけど…」
サッカー部はこの酷暑でも運動できるタフネスを持っているというのでルシャは恐れ入った。自分がそうなるにはシステムを総取っ替えしなければならなさそうだ。
「めっちゃ汗かいて絞ったらビチャビチャいうくらいになるんだよな」
「それ去年走ったときになったわ」
「……マジで?」
少しの間があったはルシャの汗だくになった姿を想像したからだ。折角暑いのだから汗だくになってスケスケになっているルシャのキャミソールを見たい。男子もルシャの汗を逐次確認するため近づいてきている。
「冷房設備を入れましょう先生」
「ん、そうだな…」
ノーランは明らかに葛藤している。ルシャの黄色のキャミソールを見たいが先生として生徒の要望を守るとか生徒の風紀を守るとかいうことをしなければならない。歯を強く噛みしめている彼へ水色の髪の少女が魔の囁きをする。
「…個人的に特訓すりゃいいっすよ」
「そうか…!」
ルシャとノーランはオフの日に付き合えるくらいの仲なのでルリーやリオンのように一緒に走る日を設ければよい。そのことを忘れていたのは先生としての使命を優先していたからだと思ったミーナはノーランの先生の部分を高く評価しながら男としての態度を見下した。
無事に患者を出さずに体育を終えたのでルシャたちは汗まみれの体操服から制服に着替える途中に芳香シートで身体を拭きまくった。
「接触がなくてよかったね」
「ムワッてしたらドキドキしちゃうでしょうね」
「汗で濡れてるところに触れちゃって、なんかこう…汗!みたいな」
ミーナは妄想を言葉にできずに手の動きで伝えようとした。しかしルシャはそれより男子が透けのことばかり気にしていたことを思い出して苦言を呈した。
「何色にすれば透けても興奮させずに済むんだ?」
「柄モノとか?思い切りダサいのにすればいいさ」
「それは私が着たくないじゃんか」
「しょーがない。体育の時だけだ」
似たようなことを考えた人がいたのだろう、スポーツ用品店や女性向けの衣料品店にはダサい柄や配色の下着が売っている。透けたときや捲れたときに男子を萎えさせる目的で着るということなので男子がムラムラしているのを見たくないルシャには必需品かもしれない。
「なんか小豆の柄のやつとかトイレットペーパー柄とか売ってたよ」
「うわぁ」
「それ着てたら好きな子にも幻滅されそうだからクラスに好きな子が1人もいないときに限るね」
「確かになぁ」
効果があるのか気になるので髪を切った後に見に行くことになった。
関東は寒いです。




