104・アイがんばる
パラディムシュヴァルヴェの破片が1つ見つかったことでアイの言語能力が向上した。たった1つでもかなり喋れるようになったので、アイはもともと非常に高い言語能力を有していたと考えられる―言語学者並に。
意思疎通ができるようになったことで授業への支障も減って先生としてもやりやすくなったし、支援する生徒もこれまで理解してもらえなかったことがすぐに理解して貰えるようになったことでかなり楽になったという。保護者という立場をとるルシャもアイの進化を喜んでいて、これまで以上に積極的に話をしようとしている。
今日はルシャの苦手な体育と得意な魔法実技とがある。1日に喜怒哀楽を経験する面白い日だ。体育のある日の生徒は家を出る前に体操服を制服の下に仕込むことが多く、そうするとホームルーム終了から1時間目開始までの10分に急いで着替える必要がなくなる。夏は1枚多くなって暑くなるのであまりやらないが、今日は6月のわりに気温が20度と低かったのでむしろ着たほうが快適だった。
「今日はなんだって言った?」
「6月は陸上だってさ。体育館じゃないぞ」
「マジかー」
ジュタ勇者学校は敷地こそ広いが設備が豪華なわけではない。金のかかった私立の校舎のようなそれはないし、名門校の芝グラウンドのようなそれもない。体育館も観客席のついた市の体育館とは大違いだ。
「転ぶと大怪我するんだよなぁ」
砂利のグラウンドは靴によっては足を滑らせやすく、転ぶと凄まじい擦り傷を負う。それに慣れている外の運動部なら平気かもしれないが、全く慣れていないルシャは辟易する。
「体幹鍛えて身体柔らかくしよ?」
「こういうときのために必要なんだねぇ…」
制服を脱いでジャージのジッパーを上げたルシャたちがグラウンドに出て行くと、準備体操をしているノーランが集合をかけた。
「俺の聞くところではお前らはただ走るだけなのは面白くないらしいな。ってわけで体育祭に向けたやつをやろうと思う」
体育祭でやる陸上競技は徒競走、リレー、そして障害物走だ…と思いきや、今年から新たな種目が追加されるとか。
「お前らの発想力を試すとともに勢いに任せたラッキーな青春要素を期待するとのことだ。ほら、いつもはこれといって話すことがないから喋らないけど実は気になってる子と一緒に何かをするこの上ない機会じゃないか。そういうのを借り物に指定するつもりだ」
「お前めっちゃ借りられそう」
「貸さねぇぞ。走りたくないもん」
「体育祭の日だけ髪型変えた方がいいかもね」
それだけで借り物を回避できるかどうかは不明だ。先生はルシャを動かすためにあらゆるワードを用意するに違いない。
「ってわけで俺が今朝の暇な時間に作ったカードがある。これを1枚拾ってそこに書いてある条件に該当する人と一緒に最後の直線で何かをする」
「何か?」
借り物競走には借り物とただ走る以外にも『背中でボールを挟んだままゴールする』とか『2人3脚をする』とか『おんぶする』とか色々ある。それこそ生徒同士の触れ合いだというので積極的に取り入れるだろう。
「ちょっと試してもらおうか。アイ、手伝って」
「はい!」
アイは生徒のみならず先生も積極的に話そうとしてくれていることを喜んでいる。このような指名は大歓迎だ。立ち上がった彼女はノーランの隣で次の指示を待つ。
「アイ、あそこまで走ってカードを取るんだ。そしたら書いてある条件に合う人を連れてくる。カードをみんなに見せて探すんだ」
「…やってみる!」
アイはカードを取ってそれを掲げながらこちらへ来た。
「そうしたら『背の高い男性!』ってみんなが分かるように条件を伝えて、出てきてくれた人と一緒にあのコーンのところまで行く」
ノーランがアイと手を繋いでコーンの傍にあるボールを拾った。遠くで見ている生徒のために大声でその後の行動を教える。
「カードに何をするか書いてあるから、用具を使ってゴールするだけだ!アイのカードは『ボールでドリブルしながらゴール』だから、このゴムボールを蹴って進む!」
「なるほどぉ。あれは1人でドリブルしてもいいわけだな」
アイが生徒の列に戻るとノーランはこの種目での最重要項目を伝えた。
「用具を準備するとき以外は必ず手を繋ぐこと。コーンに行くときもゴールへと向かうときもそうだ。審判が2箇所にいて、繋いでないとやり直しになる。そうなったら合流地点かコーンからやり直しだ。動いてないときに手が離れるのはオッケー」
以上がルールだ。早速やってみようということになったので半分が出走者、もう半分が観客になった。
「ルシャが私を呼びに来てくれたらいいなぁ」
ダテ属性を持つ2人の連携は他と比べて優れている。どんな条件であろうと1位は確実…だと思いたい。
「あいつはアレだ、無理矢理に条件に合うようにお前の特徴を改造するぞ」
「なるほど…『ストレートヘアーの人』ってあったら私の髪にヘアアイロンを当てるわけだ」
「んなバカな…ってかあいつにもダテ以外で気になってる子っているのかね?」
「さあ…これで男子を呼んだらザワつくぞ」
本番ではないのに注目のレースだ。ルシャは走りが遅いのでビリでカードを拾った。ダテが固唾を呑んで見守る中、彼女はこう叫んだ。
「天然パーマぁ!」
めちゃめちゃ嬉しそうだ。複数の天パがルシャと走りたがって、あるいは手を繋ぎたくて挙手したが、ミーナが真っ先に弾丸のように集団から飛び出したのでお馴染みのコンビが爆走した。
「アレは!?なんだ、なんかするやつ!」
「おんぶだ!しゃがめ!」
「逆だろ!お前がしゃがめ!」
「よし!」
ミーナはルシャより10キロ以上も軽いのでルシャがミーナに乗るよりずっと楽だ。
「楽しいー!」
「本番もこうだったらいいのにな」
ビリだけど楽しかったので少しだけ体育祭を好きになれた。体験をもって借り物競走のやり方を覚えた生徒はこの種目で2人3脚を引いたときのために練習を始めた。
「人の条件によっては凄まじい身長差でやることになる。できるだけ背の離れた人とやってみろ」
最も背が低いアイは最も背の高いラークと組んでみた。
「よろしくな」
「ラークは運動が得意だよね」
「そうだな。お前は苦手か?」
「得意ではないと思うけど、やり方が分からないだけかも」
「…にしても脚のデカさが全然違うな」
「ラークはなんで大きいの?」
妹にも同じことを訊かれた。だから答えを知っている。ラークはアイのことを少し愛しく思ってこう言った。
「メシをいっぱい食べていっぱい運動したからだ」
「私もそうすれば大きくなる?」
「たぶんな。ルシャよりはでかくなるんじゃない?ってかお前って何歳なの?」
「分かんない。けどみんなと同じじゃないと思う。だってみんなより小さいから」
身体の大きさと年齢は完全に対応しているわけではないのがラークを見ていると分かるが、アイはルシャと比べても自分のほうが幼いと思っているようだ。
「もしかしたら小学生なのかな。俺の妹よりは上っぽいが」
「それなのにここにいていいのかな?」
「いいに決まってるだろ。ごめん、年齢の話をするべきじゃなかったな」
「いいよ。ルシャがラークはいい奴って言ってたからゆるす」
「そうなんだ。あいつ俺のこと話すんだ…よし、俺に合わせて歩こう。まずは歩く。せーの」
1歩の長さに大きな差があるのでラークが小刻みに動くことになる。彼が歩幅を大きくとりすぎるとアイが脚を痛めることになってしまうため、かなり気をつけている様子だ。それを傍から見ていたダテトリオは…
「親子だな」
「うん。メチャメチャ和む」
「ラークが小刻みに歩いてるの面白いなぁ」
走るのは難しそうだ。この時間だけで習得することができなかったので、体育祭の日までに修行することにした。
「ラークの脚がでかかった。あと毛がもじゃもじゃしてた」
報告を受けたルシャがしゃがんでラークの脛を見ると、確かに毛がもじゃもじゃしている。
「これ嫌がる子いるかもしれないから当日は剃るかソックス穿くかしなよ?」
「そうだな。アイ、気持ち悪かっただろ」
「私はそう思わなかった。私の脛はもじゃもじゃしてないから面白かった」
世の中には脛毛肯定派と否定派がいる。アイは肯定派だったのでラークは安堵した。
「ラークのだから問題なかったってのもあるんじゃねぇの?俺のとかどうよ」
ルートが脚を上げて毛を強調するとダテトリオが1歩退いた。
「引くなよ!そんなヤバくねぇだろ!」
「なんか…もじゃもじゃのイメージがねぇんだよなぁ」
「俺にはあるのか…」
「ラークはもう大人って感じだからいいの。こいつは子供だろ?お前なんで子供なのにそんなもじゃもじゃしてんだよ」
「知らねぇよ!そういう星の下に生まれてきたんだよ」
「2人は僕とは違う星の生まれなのかな?」
6人がロディの脚を見た。彼の脛には産毛すら生えていない。ダテトリオが綺麗な脚を羨んだ。
「きれ~」
「なんでお前はもじゃもじゃしてないの?」
ルートが恨めしそうに見つめる。ロディはエステに通ったわけではなく、元からこうだったというからさらに恨めしい。
「ムダ毛処理とかせんでいいわけ?」
「うん。なんか知らないけど生えないもん」
「はー、あたしらだってやってるのに」
そこでルートが変態の発想でこんな提案をしてみた。
「伸ばしてみたら?俺の気持ちが分かるだろうよ」
「キモいだろ…私と2人3脚になったときに顔が歪むじゃん」
「それはそれで貴重な体験ができそうなものだけどね」
「え、お前は伸ばしてほしい派なの?」
「なんか…想像してソワソワした」
「???」
アイが人の珍しい性的嗜好を理解するのにはまだ破片が足りないようだ。
翌日、アイはラークに2人3脚以外の運動も教わるべく放課後に呼び出した。
「あいつらは?」
「リオンはバスケするって言った。ミーナは家のこと、ルシャは宿題出してから来る」
「ここって分かるかな、あいつ」
「こうすればいいってルシャが教えてくれた」
アイが手を空へ伸ばして信号弾を発射した。
「あれ、魔法を使えるようになったのか!?」
アイにも魔力があると発覚したのはつい先日のことだ。彼女がダテ野郎が互いの位置を確かめるために空に何かを打ち上げているのをミーナに尋ねて信号弾のことを知った。それならルシャと離れていても場所を伝えて迎えに来てもらえると思った彼女が真似をしてやってみると、これが見事に発射されたのだった。
「やり方を知るというより感覚的なものが強いから、それさえ掴めれば使えるのか…イメージが具体的になったことで出せるようになったんだな」
「他の魔法も使えるかもしれない」
「よし、じゃあちょっと試そうか。お前がどれくらいの魔法使いかっていうのは知っておきたい。ルシャのおかげでだいぶ魔法への興味が強くなった」
練習はルシャが来てからにして魔法を使ってもらうことにしたラークが盾を構えて合図を送った。
最近になって信号弾を使えるようになったということは、魔法の扱いに慣れていないばかりか、そもそも発想がない。強力な魔法を使うことがないのでこの盾で受け止められるだろうと思っていた。しかし、ラークが見たのは超巨大な火球だった。
「嘘だろ?」
「はぁっ!」
「やめろぉ!」
間に合わず、火球がラークへと発射されてしまった。彼の背後には校舎があるため、彼が受け止めないと学校が破壊されてしまう。非常にまずい状況に対応すべくラークが力尽きる覚悟で魔力を盾に注ぎ込んだが、ルシャ並の威力を持っていそうな火球を受け止められる気がしない。
「やべぇ…!」
自分が撃てと言ったことがバレたら退学どころの騒ぎではなくなる。ラークが祈るように力を入れると、火球が轟音とともに突然消えた。学校やラークもろとも消し飛んだのではない。驚いて尻餅をついた人こそいても魔法による怪我人はいない。
何故なら、ルシャが巨大像で受け止めていたからだ。彼女は信号弾を見ていたのだ。3階の窓から舞い降りた彼女が汗を拭ってこう言う。
「外が光ったから何事かと思ったらとんでもねぇのが出てたから、これはヤベェと思って咄嗟に出したさ。間に合って良かった…マジで」
「あぁ、助かった…」
ラークがその場に倒れてしまったのでアイが急いで駆けつけた。ルシャはこうなった経緯をアイから聞いて呆れながらも真剣に考えた。
「アイがそんなに多くの魔力を持ってて、あんなデカいのを出せるとは思ってなかった。滓宝を持っているからありえるって思うべきだったんだ。アイ、もっと小さいのじゃダメだったの?」
「うまくできなくて…魔法を使えって言われたから使った」
「調節ができなかったのか…そのイメージがしっかりしてないうちに魔法を使うのは危ないよ。私がいいって言わない限り使わないようにしてね」
「わかった…ごめんなさい、ルシャ」
「まあコイツが悪いよ。なにをへばってんだか…しょうがないなぁ。保健室に運んでやろう」
ルーシーも事情を聞いて苦笑した。
「ラークほどの奴でも受けきれない威力か。どうしてこの学校にはこんなにも恐ろしい奴がいっぱいいるんだかな」
「あなたの夫だってその1人でしょうがな」
「そうだけどさぁ…お前がいなかったら私は今頃消し炭だったわけだろ?」
「そうですね…でもアイを責めないでやってください。魔法のことを知る機会を設けなかった私が悪いんです。あと撃たせたコイツ」
「3人とも反省しろってことにしておく。アイ、ルシャの見ていないところでは絶対に魔法を使わないこと。いいな?」
「わかった」
「魔法をちゃんと使えるようになるまで私が教えるね」
「うん。おねがいします」
こうしてアイの魔法の特訓が始まった。ラークは目を覚まして残念に思うだろう。体育祭の特訓ができなかったばかりか、2人ともいなくなっているのだから。
この話を覚えておくと後でいいことがあるかもしれません。




