101・ロストメモリー
ルシャが魔王を殺したことで力を失った魔族が人間界へと続くゲートを開くことはできなくなった。魔族の1大拠点となっていた旧校舎の地下遺跡はキルシュ・グループの協力を得てこの遺跡の上層の一部を整備して地下の集合住宅として売り出すことにした。それに先んじてダテトリオ所有の秘密の部屋が開場し、興味を抱く女性を連れ込んで可愛らしい服を着せて写真を撮る謎のイベントが不定期に開催されている。
しかしこの広大な空間の秘密は秘密の部屋だけではない。この遺跡には魔族に関する記録があるとされていて、中央は専門家と中央の人間からなる調査委員会を設立して本格的な調査を行う意向を示した。
「…というわけでこの場所に関わりの深いルシャに協力してほしいんだ。君には魔族や勇者のことについて知る権利があると思う」
「それは情報流出という懸念があるのでは?」
「一般人の中で君ほどこの場所に詳しい人はいない。他の人に話したところで誰も理解できないだろう。ああ、信用できるお友達には話していいぞ」
もし重要な情報が流出した場合はドニエルがすべての責任を負うというのでルシャは彼の面倒事を避けるべく口外しないことを誓った。
「しかしドニエルさんのほうが私より詳しいのでは?」
「確実にそうだと言えない限りは君にも参加してほしい」
「…分かりました。明日の放課後ですか?」
「地下にそう長い間居るのは不健康だろう。1回あたりにかける時間はほんの30分ほどだ。何でかって言うと、参考になりそうな物品を持ち帰りたいだけだからだ。中で調査を行うことは基本的にない。移動できないものがあれば別だが、その時は君だけ先に帰す」
ルシャは物品の回収付き合うとともに、魔王を倒した者としての感想や意見を述べるだけということだ。自分の得るものが多いかどうか分かりにくいので即答しかねたが、ドニエルの頼みとあれば聞いてやりたい。そこでルシャは条件を提示した。
「アイを連れていっていいですか?」
「アイ?ああ、フランが話していた欠片を埋め込まれた子か」
「はい。あの子はパラディムシュヴァルヴェから言語能力を得る特殊な存在なんです。ミーナのお父さんに協力してもらっていますが、こっちの方向からも欠片の場所に近づけると思うんです」
ドニエルは常にルシャの味方でありたいと思っているため、彼女の願いをできる限り叶えてやりたい。アイのことを信用できるかどうか判断したことはないが、ルシャの利益になることならば受け入れると答えた。
「いろんな人がこの問題に関わっていると承知した。ルシャ、君だけの話ではないというのなら、私は周りのことまで見ることにするよ」
旧中央とは大違いの態度だ。ルシャは感動した。こうしてルシャが委員会に加わったことで問題なく明日から調査活動を行える。
「じゃあ、放課後になったら昇降口のあたりで待ってるよ。ちなみにその時になって調子が悪いとか気分が乗らないとか、そういうのは俺のほうでどうにかしておくから遠慮なく言ってくれ」
「助かります。じゃあ明日…ドニエルさんは親戚の家に泊まるんですか?」
「いや、今回は委員会でホテルをとってあるからそっちに泊まる。アレだね、部屋でビール飲めないのが辛いね!」
「お酒飲むんすか」
「おー、俺はけっこう飲むよ?そのせいか運動不足のせいかお腹がブルブルになってきたよ」
ドニエルが服を捲るとすっかり中年のビール腹になっていたのでルシャは彼の健康を案じた。ストレスを晴らすべくビールを飲んでいるような不健康な生活習慣は適切な対処法に改めるべきだ。しかしドニエルは首を横に振った。
「俺はビールが好きなんだよ。特に仲間と豪快に飲むときがね。幸いにも中央はオッサン爺さんだらけだから飲める飲める」
「楽しそうっすね…ルリーさんとかは?」
「3人での食事会はけっこうお淑やかで、お酒はワインが多いかな。フランはワイン派らしいね」
「あんまりお酒飲むところ見たことないなぁ…3人とも、肝臓やられないように気をつけてくださいよ?」
「ハハハ!よく知ってるね。けど官僚には腕のいい医師がついててね、検診の度に個人向けの詳しいアドバイスをくれるんだよ。フィジカルトレーナーもいて、たまにだけど運動もしてる。思ったより忙しくないんだよ」
そのような状況にないノーランもルーシーが妊娠したことで酒を断つようにしたそうなのでガンマGTPの数値がバカになることはないだろう。
「久しぶりに君と会って気分がいいから今日も飲もうかな。明日になっても酔ってるような状態にはならないけど」
「仕事の時に酔ってたらクビですよ普通」
「間違いない。気をつけるよ。じゃあね」
ドニエルは前より陽気になってルシャによく喋るようになったとルシャは思った。
ドニエルが帰った直後にミーナがアイを送りに来てくれた。2人は揃って美容室に行っていた。ループさせていた長い銀髪をセミロングに切って髪飾りをつけたアイは以前より快活なイメージを与えている。
「スッキリしたねぇ。これから夏だからいいかも」
「似合うだろ?私の提案だ」
「ニャンはストレートにしたのね」
「あのフワッフワしてるやつ夏だと暑いんだよ。ショートに切ってもらったさ」
「爽やかじゃん。やっぱお前可愛いな」
「抱け」
ルシャがミーナを抱きしめたのでミーナは鼻血を噴きそうになって腕を解いた。
「ドニエルさん来てたけど」
「うん。なんか明日から地下遺跡にあるいろんな物品を漁るらしいよ。それに協力しろって言われたからアイを連れていく」
「私も行く?」
「うん。キミに関係することがあると思うんだ」
「明日ってことは放課後?一緒に帰れないねぇ」
ミーナが残念がったので彼女にリオンたちを任せた。同行できないと知ったミーナは2人の成功を祈りながら帰っていった。
「ミーナはいい人」
「そうだね。いつもよくしてくれるよ」
「私、もっと話したい。ミーナもリオンも、楽しいから」
アイの目標を聞いたルシャはその実現のためにアイの言語能力をさらに引き出すべく明日の活動に意欲的に取り組もうと思った。
ルシャは忘れていた―4時間目が体育だということを。
バレーボールは予想外に激しく動くもので、ルシャは2試合を終えてヘロヘロになっていた。座って回復する時間を与えられないまま放課後になってしまったのでドニエルが迎えに来た時には疲れていた。
「アイは元気そうだね」
「やり方が分からなかったのであまり動かなかった」
「そういうことか。まあ30分だから大丈夫だと思うよ。戦うことはないわけだし、万が一に敵が現れても俺だけでどうにかなるよ」
ルシャは忘れていた―ドニエルが最強を自認していたことを。頼れる年長者に導かれる安心を。暗い遺跡の中で光を放つドニエルの傍を歩くと、彼が1つの部屋に入って壁に手を向けた。
「途方もない数を調べることになる。片っ端から読む覚悟を決めたが、すべてを解読したとして整理するのは難しそうだ。俺はどっちかっていうとバカだからな」
「何を仰いますやら。王族に大臣として認められた人がバカを自称するなんて」
「バカの運営してる国だよ、ここは。案外そのほうが上手くいくんだよ。大事なのは学校の成績がいいことじゃないからね」
全知だとしても共感性の低い人ならば人々の思いに寄り添って悩みを解決することを怠る。すべての国民の思いを切り捨てられないという人間の欠陥にも思えることこそ、悩み話し合うという最も大切なことを可能にしているのだ。ドニエルは理論ではなく情熱で国を動かしているという。
「話が逸れるのもまた人らしさじゃないか。それでいいんだよ。理論を追求しすぎると利益主義になって、最終的に利己的になるんだ。旧中央が王国にいる大勢のバカ達に叩かれただろ?あれと同じになる気はない」
確固たる信念を見たルシャはその信念が共有されているからこそフランやルリーのような人でも上手にやれているのだと学んだ。
「漸く分かりました。どうして理詰めや法則に従って物事を考えるのが苦手なお母さんが数日で帰ってこなかったのか」
「俺らは旧中央のやり方だけじゃなくてその根本にある考え方まで真っ先に改革したのさ。なにせ俺らは王族のお気に入りの”特強”なのだから。王様から好きにしろと言われた瞬間に俺らは大勝利したわけだ」
「なんか、すごく好感を持てます。何よりもお母さんが充実した生活を送れているようで安心しました」
「ああ。フランのことは個人的に好きだからな。昔の気分のままでいられるのが何よりも楽だ。その状態を維持するために俺はいろんなことをした…さて、持てるだけ持ったな。撤収だ」
委員が本を箱に入れて運び始めたのでルシャも続こうとしたのだが、アイが壁を見つめて立ち止まっていたので声をかけた。
「何か分かった?」
「この場所、見たことある気がする…」
「なんだって…?」
この場所は魔族によって作られたという認識が当たり前だ。しかしアイがこの場所を知っているのだとしたら、この場所は人間によって作られたということになる。あるいは…
「この場所を知る人が別の場所に同じようなものを造って、アイはそこに行ったことがある…」
「いつだろう。壁にいっぱい本があって、そうだ、博士がいた。博士はいつも魔法のことを調べてた」
博士という人物がアイの口から挙がったのでルシャはドニエルに追加調査を依頼した。
「博士…魔法の研究者は今のヴァンフィールドにもたくさんいるけど、この場所を知ってるなんていうのは魔族と繋がっている奴だけだ。そんな奴は聞いたことがない」
「秘密の研究ってわけ…?」
「魔族と理解し合える奴なんて聞いたことがない。一体なんのためにこの場所を造って、なんのためにここにこれほど大量の本を残したのか知りたいな」
「アイ、博士とはどこで過ごしていたか憶えてない?」
「よく憶えてない。私は何も教わらなかった」
複雑そうなアイの過去が少し分かったのでルシャはそれだけでも嬉しいと言って地上に出た。
「アイ、過去を思い出すときに辛くなることがあるかもしれないけど、私はアイに全部思い出してほしい。そのほうがアイが自分が何者か分かるから…」
ルシャは特定の宗教の信者ではないが、王国民に広く浸透する教義として『自分が何者か分からないまま生きることは不幸だ。誰もが自分のすべてを知る権利を持ち、その権利のもとに探求することこそ幸福の追求である』という文言がある。自分のことが分からないということは、自分の居場所が分からないということでもある。アイの記憶が失われたままならば、彼女は自力で居場所を見つけられない。ルシャはアイが迷ったときに正しく自分のところへ帰って来られるようにしたいのだ。
「ルシャ、そのときも一緒にいて」
「もちろんだ」
委員会の持ち帰った本を解読するには時間がかかりそうだ。しかし魔族から見た世界について書かれているに違いない。そしてアイの記憶がより鮮明になる。
「あの場所を知っているとしても、アイは私たちの仲間だ。どんなことがあっても一緒にいる」
ルシャはアイを強く抱きしめた。魔族の脈動は感じない。
ルシャがアイの記憶についてピエールに相談すると、彼はルシャを安心させるためにこのような考えを述べた。
「言語能力が欠片によって与えられているのなら、記憶も欠片に与えられていると思っていいのではないだろうか。つまりアイの記憶ではなく欠片の記憶…いや、パラディムシュヴァルヴェに刻まれた記憶だ」
「パラディムシュヴァルヴェの記憶…それは魔王と勇者との戦いの記録?」
「そういうことだ。しかしこれまで滓宝を持った人間に魔王と勇者の記憶が流れ込んだことはないし、持ったから自分以外の記憶を知るということはなかった。この先新たな欠片を与えたときに新しい思い出しがあって、それが明らかにアイの行動ではないと判ったとき、パラディムシュヴァルヴェが記憶を所持者に与えるということになる。しかしルートは…そうではなかったみたいだね」
「はい。あいつは完成されたアレを持っていましたが、アレの持つ記憶を話したことはありませんでした」
「アイが特殊なのか、パラディムシュヴァルヴェが選択的にアイにだけ記憶を与えているのか…とにかく、パラディムシュヴァルヴェは極めて特殊な滓宝だ。まるで世界のすべてを知っているような…」
「アイは特殊だと思います。けど人間で、私たちの仲間です。もし悪い過去があったとしても、彼女を責めたくありません」
「それは私もだ。彼女は彼女より遥かに大きな存在の陰謀に巻き込まれた被害者だ。責めるのではなく、救い出すべきだ」
「はい。引き続き、よろしくお願いします」
ルシャはピエールが味方であり続けることを確認して安心した。彼さえいれば新たな単語が浮かび上がっても整理できる。
「とにかく、私たちはこれまでと同じ生活を送れる…」
ルシャはアイの抱く不安を解消すべく、彼女を商店街に連れて行った。こうやって一緒に楽しい時間を過ごせば過ごすほど、いざという時の不安や不信が弱くなると信じて。
次回は24日に公開する予定でしたが、内容が現実の時事に触れる懸念しているため(書いたのは随分前ですが、内容と似たことが最近起きました)、4月に公開することにします。4月になってもまだダメそうなら延期します(以降の話にも出てくるので飛ばすことはできません)。ご理解の上、これまでの話を読み返してくれると大変助かります。




