表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
えっ、私が勇者になるんですか!?  作者: 立川好哉
第1部
10/254

10・お前あいつやん

 ルシャの運動能力は卑下するほど悪くはないようだ。感覚が身体に染み込んで無意識にその動きを実行できるようになるか否かというのが運動神経の善し悪しを決めると言う意見もあり、それに照らしての結論だ。彼女はルーシーの特訓に付き合ったときの数回で動きをなんとなく覚えていて、それをほぼ正確に再現できている。だから彼女は平均台とマット運動と跳び箱3段にはさほど苦労していない。

 しかし授業が求めてくるのはただの平均台渡りや前転や低い段の跳び箱ではない。勇者を目指す者や戦士となるものを育成しているのだから、それに相応しい水準を設定している。

「準備運動は済んだな。よし…」

 ノーランはハードルに平均台を潜らせて障害を作ったり、側転をさせたり、跳び箱を6段の縦に設置し直したりして生徒を震え上がらせた。しかし運動神経の良い人からすると『だから何?』といった感じで、その1人のラークは軽々突破しているし、側転をロンダートにした後にバク宙までしている。これにはルシャも拍手を贈った。

「すご…人間ってあんなことできるんだ」

「身体が柔らかいんだね。羨ましい」

 バスケットボールに限らずすべてのスポーツにおける選手のパフォーマンスを左右するのは柔軟性だ。ラークはおそらくスポーツ全部が得意なのだろう。

「…がんばろ!」

 ルシャの最大の難関は跳び箱だ。背の低い人は高く跳躍しなければ引っかかってしまうため、踏み切り板でしっかりと踏み切る必要がある。この授業で使われている踏み切り板はバネで弾むようになっていて、ただの板より高く飛べる。それを最大限に利用したい。

「ふっっ!」

 しかし開脚跳びをしようとするとお尻が白い天面の途中に触れてしまう。跳躍が足りないのだ。そもそも走りながら踏み切りを意識するのが難しい。ルシャよりひどい人は直前で歩幅を調節するために勢いを止めてしまう。

「うーん…」

「閉脚跳びすれば?野球ボールみたいに吹っ飛んでくけど」

 リオンがお手本を見せると、勢いよく踏み込んだ彼女が凄まじい勢いで跳び箱の上を通過した。

「ボールみたいだ…」

「奥のほうにしっかり手を置くことだね。それを意識しすぎるとヘンなところに手をついちゃって大怪我しかねないけどね。飛べなくてもいいから怪我だけはしないようにしてよ」

 ミーナは隣の4段で練習してから6段に挑戦するつもりだが、今日のうちにはできそうにない。ルシャもそちらに加わって順番に飛んでいる。閉脚跳びは失敗したときに爪先を痛めそうで勇気が出ない。

「うーん、3段の開脚ならできるんだけどなぁ」

「難しいねぇ…リオンとは身体の構造が違うのかもしれない」

「あいつらは関節が私たちの2倍あるんだろう」

 リオンはラークにバク宙のコツを教わっているが、首の骨を折る恐怖のせいで挑戦できないでいる。周りは徐々に動きを止めてラークに注目したので、ラークは10回以上バク宙をすることになって目を回している。


 跳ぶ感覚に慣れたから楽しむために跳びたくなったのだが、ここで授業が終わってしまった。次に体育館を使うクラスが来て準備を始める中、更衣室へ行こうとするルシャを誰かが呼び止めた。

「あなた、もしかしてこのまえフリーマーケットで雑貨売ってた!?」

 長身でモデルのような体型のメーガンだ。彼女は髪をルシャの手作りの飾り付きのゴムでポニーテールにしている。これは嬉しいことだ。

「ルシャってあなただったのね!このゴムの飾りが可愛くてお気に入りなのよ。とてもステキよ」

「ありがとう。あなたが店に来てくれたことは憶えてないけど、お気に入りにしてくれたのはすごく嬉しい。7月のにも出るから、もしよかったら来てね」

「もちろんよ!また新しいお気に入りが見つかるに違いないわ!」

 興奮気味のメーガンはルシャに手を振って準備に加わった。少し退いて見ていたミーナとリオンが戻ってきてルシャの手芸について尋ねた。

「私たちはルシャっていうと魔法なんだけど、手芸でもファンがいるほどなんだね」

「手先が器用だもんね~」

 ルシャは自慢気に胸を張ると、ドヤ顔が可愛いと言ってミーナが後ろから撫で撫でした。しかしその背中は汗ばんでいるのでミーナの手がじとっとした。


 更衣室にて、ミーナもリオンも気になっていることを打ち明けた。

「ルシャたそさぁ……それ何カップ?」

「何が…あぁ、これね」

 彼女はブラを外してサイズを見た。それを伝えると、クソガキのような反応が返ってきたので少しイラッとした。

「よく食べる子は育つって教えられたからその通りにしてるのに全然背が伸びないんだよなぁ。どうしてくれるんだ」

「文句を言うことか?」

「バランス悪いじゃん。重いし。私は背が欲しいんだけど」

「ほぉん…?」

「もうこの話は終わらない?気にしてるわけじゃないけど何を言えばいいのかわかんないんだよ」

 彼女は中学校でも胸について言われたことがあるという。その時はすぐに話題を変えたのだが、変えた先が悪かったのですぐに自分のことに戻ってきてしまった。今回はきっぱり終わりたいという意思表示をする。

「好きなデザインのがないとか、うつ伏せで寝られないとか…」

「それはそうだ。でも誰かに見せるわけじゃないから何でもいいかな…正直私っぽくはないけど、キツいよりマシだし」

「こだわらない人かぁ。リオンは?あんたもなかなかいいじゃないかぁ」

「エロオヤジみたいになってるよ?」

 ミーナがイチャイチャしてくるのでルシャはさっさと着替えを済ませてブラのことを忘れさせようとした。ブラがキャミソールに包まれるとミーナは残念そうな顔をしたが、自分だけ着替えが遅れていることに気付いて急いだ。


 ルシャはこの学校内にもファンがいることを知ったのでやる気が増して手芸をもっと頑張ろうと思った。体育のせいで眠くなった彼女は地理と化学の授業で眠ってしまって先生に叱られはしたものの、その後の気分には影響しなかった。いつものように弁当を持って研究室に行くと、近づかずして聞こえる声で誰かが怒られていた。声の主が分かるから、誰が怒られているかも分かる。

「ノーラン先生、何かやらかしたのかな?」

 恐る恐る近づくと、裏手でノーランがルーシーに怒られていた。予想通りだ。

「どうしたんです?」

 声がしたので少し冷めたルーシーが生徒の同意を得ようと自分有利な言い方でノーランの悪行を伝えた。

「ノーランが私のために禁煙するって言ったのに約束破ってタバコ吸ってたのよ!」

 クールビューティーはどこへやら、ルーシーはどちらかというとプリティにプリプリ怒っている。正対するノーランは腰を低めにして反省の意を示しているが、胸ポケットのタバコの残りの本数を見る限りでは彼はもっと責められるべきだ。

「新しく買ったんですね…」

「そう!禁煙するからって薬まで買ったのに全然ダメ!これじゃあ一緒に住んでも家の裏とかで吸うね!」

 リオンがミーナに耳打ちをしたのがルシャに聞こえていた。

「ルーシー先生かわいいねぇ」

「な」

「それはノーラン先生が悪いですよ。週末じゃなくて今から住んだら?それとも私がそれまで監視しましょうか?」

「いや、それまではしなくても…」

 ルシャはだらしないノーランの家を見たかったのでそう言ったが、ルーシーの望みではないようなので彼女にも断られた。

「どうせ飲み干したあとのペットボトルが転がってるんだろ?掃除してやるから少しいさせろ。どうせ帰ったらこのことで吸うんだ」

 ルーシーはノーランの胸ポケットに手を突っ込んでタバコを引っ張り出した。

「これは没収だ。いいか、私はお前に健康でいてほしいんだ。分かってくれ…」

 悲しそうな顔をされるのがノーランとしては最も心苦しいようで、彼は真摯に謝罪して赦しを得た。

「まったく…すまん、お前らには愚痴のようなことを言ってしまった」

「俺が原因だ。すまん」

「いいですいいです。こういうときに怒れない人だとノーラン先生はダメになっちゃいますから」

「お前らが俺の何を知ってる…」

 ダメになるつもりのないノーランは少しムッとした顔をした。すかさずルシャが言う。

「私たちけっこう喋ってるし一緒にいるじゃないですか。それだけでも分かりますよ」

「そうか…お前は俺のことをそんなに観察していたんだな」

「興味のある唯一の男性ですからね」

 ノーランは照れを隠すために研究室に入ってしまった。感情の変化が激しいから、ルシャたちはこの人も情熱的だと理解した。この様子ならこの先は大丈夫だろうと信じられるものを見たから安心できたのは大きな利益だ。

「で、物事に進展をもたらすのが俺らの研究だと言いたいんだが、ネタがない。魔族を生け捕りにして分解しても何かが分かったわけじゃないから、誰かが新しいテーマをくれるまでは楽しく過ごすだけだ。何かをしたいというのなら…ルシャ、その杖だな」

 ルシャの杖の宝珠は白く輝いている。これをミーナたちが触ったらどうなるのか。魔力を増大させる他にも得意な魔法の属性を教える道具にもなっている。彼女が最も信頼を置く人に手渡すと、それは緑色に輝いた。

「風属性かぁ」

 ミーナは風属性の魔法を得意としているようだ。風属性は攻撃と移動に便利な属性で、魔力が高ければ竜巻や強風を操れる。リオンは炎、ノーランは水、ルーシーは闇の判定が出た。

「便利だね、これ」

「自分の得意属性に関する魔法を閃けばできる可能性が高いってことだよね?」

 これまで発想しても実現しなかった魔法は属性が自分と合っていなかったのだ。こうして得意属性を知ったことで、その属性のレパートリーを増やせる。

「水か…庭に池とか作るか…」

「風流ですな」

「ボウフラ湧くからやめて」

 ヴァンフィールド王国には20種類以上の蚊が生息していて、湿度の高くなる夏は大量に発生する。それ以外にも夏は虫が活発になるため、国民は手を焼いている。対策用品は市場に多く出回っているが、最善の対策は環境の清潔を保つことである。

「風で学校まで移動できれば登校が楽になるねぇ」

「めっちゃスカート捲れそう」

 この前買ったスパッツが役に立つ。ミーナは自在に飛行するための特訓をして感覚を身につけると、1つの事実に気付いた。

「消費が激しすぎるわ。3人を運ぶのはおろか、学校まで飛ぶことすらできない」

「まあでも飛べるのは便利だねぇ…」

 リオンはミーナがスパッツを穿いていてパンツを見せてくれなかったのでガッカリして研究室に帰っていった。この後はやることがないので解散としてもよかったが、リオンが今日オープンするタピオカミルクティーの店に行きたいと言ったので金持ちことノーランの奢りで飲むことになった。


 いつもは学校と家、市場にしか行かないルシャは数年ぶりに駅前に踏み入った。だいぶ様変わりしていて驚くが、懐かしい店もある。昔は頻繁に買い物に来ていた文房具店の隣のドーナツ屋がお目当ての店に変わっていた。

「ここだぁ」

「並んでるね」

 移動手段が発達しているから、王国の遠いところからも人が来ている。首都からは電車で半日ほどだ。

「ただまあ、首都にもあるだろうけど…」

「だよねぇ。わざわざこんな田舎町に来るなんてことはないでしょう」

 首都という単語をこの3人から初めて聞いたノーランは、若者は都会を求めるものだと思って質問した。

「都会にはもっとオシャレなものが沢山あると聞いたが、お前らは行きたいと思うか?」

「うーん、オシャレなものには興味ありますけど、都会って独特なルールがありそうで怖いです」

 人の多さ故に管理手法が田舎と違うと思っているようだが、誰も首都に行ったことがないので確かめられない。全員ここで満足できているので、ルールに臆病になりながら観光をする必要はなさそうだ。

「私はここでのんびり手芸できてればいいかな~」

「それにさ、都会のものはいずれ田舎にまで浸透するもんだよ。影響力のあるものだけが入ってくるから、悪いものが取り除かれててむしろいいんじゃない?」

 都会で生まれたものは都会の人によって選別され、良いものだけが残って田舎へ流れる。ゆえに田舎にいれば良いものだけを手にするというわけだ。選択肢の多さに惑いがちなルシャは、それを聞いてここに留まる気を強めた。

「じゃあこのタピオカミルクティーも良いものってことだよね!」

 順番待ちにはそう長い時間を要さなかった。カップにミルクティーとタピオカを入れるだけなのだから、1人当たりに割く時間は短い。近くのベンチが空いていなかったので花壇の縁に座って飲む。

「おいしいじゃん」

「うん、良い感じの甘さ」

「これは定期的に来たくなるねぇ」

「他の味が出たらそっちも試してみたいな」

 女性陣がワイワイしている傍らでノーランはタピオカを喉に詰まらせていた。咳き込んだ彼は以後慎重に吸うようにしたので悲劇を繰り返さなかった。


 カップをゴミ箱に入れて帰ろうとすると、ルシャがまた呼び止められた。同じ学校の制服を着た女子がいる。

「ルシャだよね?あんたのハンカチ、お母さんの誕生日にプレゼントしたらすごく喜んでもらえたよ。あんたのを選んで良かった」

「お、良い報告を聞けて嬉しいね。次回もよかったら見てってよ」

「うん、そりゃもちろん…ってノーラン先生とルーシー先生がいるじゃん。アレ奢らせてたの?」

「あ、うん。ことあるごとに奢ってもらってるよ」

「なにそれー」

「…こいつらは俺の研究の協力者だ。今回はそのお礼…ってことだ」

「へぇ…奢ってもらえるっていいなぁ。まあでもあたしは部活あるから研究には協力できそうにないかな…じゃ、またねー」

 同じクラスではないし、もしかしたら同じ学年でもないかもしれない。しかしファンなら誰でも歓迎だ。ルシャは趣味でやっていることが高く評価されたことを嬉しく思っている。


 今日も家に帰ると手芸をする。老いても脚がなくなってもできるのが手芸の良いところで、ルシャは売る気がなくなったとしても生涯にわたって続けるつもりだ。生活リズムを乱すほどではないから、夜になれば寝る。魔族が活発になってこれを乱さないように願うのみだ。

 その思いとは裏腹に魔族が街にまで出てきたということは活動が盛んになってきたということで、人々の脳裏には魔王の完全復活が浮かぶ。暗黒の時代がまた訪れるのだ。これまで勇者は魔王を封印することに成功してきたが、敗北して死んでしまうということもありえる。そうなれば暗闇を払うまでには長い時間を要するし、その間に多くの人が死ぬだろう。

 そんな悲劇を終わらせるのは、勇者ではなくルシャかもしれない。

今回はルシャが趣味を他者に認められて嬉しくなる回でした。そして次回はなんとルシャに比肩するスゴい人が…乞うご期待!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ