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8章13話(公星)


 前に寿々㐂家のばかちんがこう言っていた。『左右来宮は育つ。育たなくても育ててやると決めた』


『ふうん』よりにもよって長い付き合いの恋人を胸に抱きながら他の女の話ってのはどうなんかね。僕は唇を尖らせた。寿々㐂家はもちろんその僕のあざとさを看破していたと思う。けれども、好きな相手に対しては驚くほど深い情を示すことができる彼は、それに気が付かない風を装って僕の顔中を啄んだ。


『拗ねるな、ハム』寿々㐂家は人よりも優れて尖っている犬歯を剥き出しにした。


『拗ねるよ。――で? その左右来宮って誰だっけ』


『今度の一年だ』


『変な名前だね』僕は欠伸を噛み殺した。伸びをすると体のあちこちで停滞していた汗の雫が重力に従い始めた。天国荘の外はもう夜明けが近かった。いちばん暗い時間帯だった。照明を切った室内には僕らの肌色だけが浮かび上がっているはずだった。『優秀なわけだ』


『ンなことあるか。逆だ。むしろ逆だ。救いようもないほど使えねえよ。この前も試しにマスケットを持たせて見たがなァ』


『なに? 五分と持てなかったとか?』


『暴発させた。死人が出るかと思ったぜ。アレは不器用だ。要領も悪い』


『じゃ、見るべきところはどこにあるわけさ』


 僕は寿々㐂家の二の腕に体を絡ませた。逞しい。何分、行為を終えて直ぐなので彼の地肌は熱かった。汗ばんでいた。舐めると妙に甘い味がした。僕は満足して溜息を吐いた。その吐息は寿々㐂家の体温に負けず劣らず熱かった。室内の冷たさがそれで浮き彫りになった。身震いする僕を寿々㐂家は強く抱きしめた。この瞬間、世界はとても静かだった。動かなくなったけれど思い入れがあるから捨てられずにいる古い時計のようでもあった。


『死ぬほど悔しがるところだ。いや、悔しがるって表現は正しくないかもしれんが』


 寿々㐂家は僕の頭を手で抑えつけた。僕はそれに反抗するフリをしてジャレた。


『暴発事件の直後から、アイツ、朝から晩まで、それこそ学校そっちのけで銃の扱い方を覚えた。アレはな、多分、いちどコツを掴むと後が早いタイプなんだ。コツを掴むまでが人より遥かに長いだけで。そういうタイプの秀才なんだろうなァ』


『そんなタイプの秀才がいますかね』僕は肩を竦めた。


『いるさ』寿々㐂家は僕の頭を下へ下へと押しやった。『ウチの顧問もアイツだけは特に鍛えようって、そう言ってるぜ。ところでお前、巧くなったな。お前だってコツを掴むまでは下手だったろ?』


『ばか』わざと歯を立ててやった。


 ――結局、それから約一年余りも、僕は左右来宮の存在を忘れていた。それよりもずっと楽しいことが山程あったんだからね、仕方ないね。


 思い出したのも他動的なものだった。ダイキリ軍内で『敵の第二旅団長はどうも低学歴らしい』という噂がまことしやかに、もちろん、脚色と嘲笑と共に流布し始めたことがキッカケだった。


 低学歴というだけで僕はなんとなくピンときた。その時期、キラー・エリートがあんなことになって、寿々㐂家のグズがホンモノのグズになっていたことも僕の想像力が働くのを扶けた。


 当時、僕が預かっていたのは騎兵師団だった。


 モヒートに比べるとこぢんまりとした――というかアッチが大家族過ぎ――ダイキリ型師団司令部には情報参謀という役職がある。彼とは別に情報部長がいる。


 両者の職務は、前者が情報部の集めた情報を分析して僕の必要とするアイデアなどを生み出すことで、後者が情報部の活動や事務を統括することになる。(情報部のみならず、作戦、兵站など、全ての部署で参謀と部長は別々に用意されていた)


 モヒートはこの両職をひとつに纏めているらしいけれど、本来、これらに必要とされる技能や性格は違うのだから、アレって不効率じゃないの? 仕事量も倍どころか三倍四倍に膨れ上がるだろうし。まあいいや。お国柄なんでしょ。そういえばモヒートには参謀学校もあるしね。


 で、僕が頼ったのはその情報参謀だった。彼は卓越したナイス・ガイだった。シュラーバッハのとき、いや惜しい人を亡くした、敵弾に倒れてさえいなければ、いまもきっと役に立ってくれたろうな。


『左右来宮について調べられるだけ調べさせました。特に興味深いのがこの映像です』


 それは左右来宮が初めて中隊を指揮した戦闘の映像だった。


 ライブ配信が主流、一定期間を過ぎた映像は有料課金のライブラリーでしか視聴できないのがこのゲームの掟である。課金者はほぼほぼ居ないからそのライブラリーのUIは死ぬほど使い難い。大して注目されていない地方の小競り合いの映像を、あの膨大な記録の中から抜き出してくるのは大変だったに違いない。いまにして思えばもっと情報参謀を労ってあげてもよかった。いまからでも遅くないかな。別に過ぎたことだって後からでも取り返せるよね。彼、何が好きだったっけ。


 映像内容そのものは退屈だった。国境付近における小競り合い、大隊同士のそれらしい撃ち合い、やる気のない突撃、無駄な命のやり取り、戦略的にも戦術的にもビタ一文の価値を認められない、そういうアレだった。それならばどこが興味深かったのか。映像のラストニ〇秒間だった。


 左右来宮が殺された味方プレイヤーの遺体、その側に立ち尽くしているのが超アップで映されていた。彼女は茫然としていた。虚ろな表情とはあのことだろう。それでいて彼女は手にしたマスケットを落とさなかった。強く握り締めていた。『何があっても銃は離すな』という寿々㐂家の教えを彼女は朴訥で愚かなまでに守っていたのだった。


 左右来宮は、のべつまくなし、ずっと何かを呟いていた。スロー再生する。注意深く観察する。ごめんなさいと言っているのがわかる。次はと言っているのがわかる。


 そのとき、僕は寮の狭い部屋の、どこか遠い見知らぬ国で作られた量産品のベッドに寝転んでいた。つまらないなと思った。映像を見るのに使っていたタブレットを傍らに放り投げた。大の字になって寝た。本当につまらない気分だった。こんな女の子なんてどこにでもいるのに。


 いまでもその感想は変わらない。左右来宮はどこにでもいるつまらない女子高生だ。どこも特別ではない。少なくとも世間や他人が考えているほどには。その証拠に僕は寿々㐂家からもうひとつこんな下らない話を聞いている。


『左右来宮は部下を殺された日はきっと泥酔する。自分のせいだってな。それで急性アルコール中毒、ぶっ倒れて救急車を呼ばなけりゃあならなくなった日もあるぐらいだ。勘弁して欲しいぜ。――病院に運ばれたアイツを翌日、冷評してやろうと思って、俺は見舞った。するとアイツ、異を洗浄までされたのにまだ酔ってたのか、こう言いやがった。『私はずっと自分に何もできないと思っていました。何の才能もないと。でも違った。ようやくわかりました。私は誰かを殺す才能にだけは恵まれていたようです。ずっと探し続けてきてようやく見つけた才能がコレか』ってな』

 


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