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8章9話(夏川)

「意見は?」ダンプに跳ねられたオルゴールのような演奏について私は尋ねた。


「断定はしかねます、旅団長」冬景色は予防線を張った。こういう面で彼はまさに参謀だった。こうかもしれない。こうしたほうが良いだろう。そこまでは言う。しかし、こうであるとは決して言わない。あのときお前が言った通りにしたから負けたのだ、と、責任を取らされるようなことを参謀は口にしない。


「いいから」私は刺々しく言った。「いまは判断材料がひとつでも多く欲しいの」


「では申し上げます。まず、コチラで確認した限り、あの楽団は全ての構成員がプレイヤーです。チェリストもトランペッターもヴァイオリニストもコンサート・マスターに至るまで。五五名。壱式らが前から集めていた人々なのは間違いありません」


「その用途について、主席は何か聞いていたの?」


「全く。我が師団には」


 驚いた。このような状況にあって、彼のような参謀が『我が師団』という言葉を使うとは思っていなかった。


「何か?」冬景色は訝しんだ。


「いいわ。なんでもない。貴方の師団では?」


「……。……。……。はい、我が師団では日常的に様々な新戦術についての検討が行われておりました。主に砲兵について。また、工兵について。中には騎兵運用についてのものもありました。つまり、絶対数が多過ぎたのです。従って私も全ての新戦術、新規編成部隊、そういったもののアイデアを管轄していたわけではありません」


 私は改めて敵の戦列を見た。横目で見るのは嫌だった。だから正面からまともに視界に収めた。


 モヒート軍の編制では各大隊ごとに専用の軍楽隊をもたせることになっていた。その役割は過去の会戦でもそうであったように歩幅の調整、士気の鼓舞、それに簡易的な伝令であった。(突撃の際に吹かれる喇叭、連隊から受け取った命令を確かに受領したと応じるための喇叭、そういったものの吹き手もモヒート軍ではこの軍楽隊に含まれた)


 左右来宮軍は違った。喇叭手だけは戦列に組み込んである。しかし、いわゆる軍楽隊(楽団)はどの大隊にも付属していない。


 軍楽隊らしい軍楽隊と言えば戦列の後方、戦列と丘の中間点辺りに展開された件の五五名だけで、連中は先程からこまめに演奏曲を変えては、一分に一度は必ず音を外している。そこはレでしょ。次はラね。ムカつく。イラつく。まさかこのための楽団ではないでしょうね。


「参謀学校に居た頃のことです、旅団長」


 冬景色は思い出したように言った。


「私の教官を務めていた二年生が軍楽隊についての考察論文を発表していたのです」


「それによると?」


「軍楽隊は行進に必要不可欠だとされているが、実はそうではないのだ、と。ある程度以上の練度がある部隊において、それは単なる士気高揚のための飾りにしか過ぎないのであると彼は主張していました。歩幅はもう習慣的に合っておりますので、むしろ音楽が邪魔になることすらあると」


「でも左右来宮の軍は寄せ集めでしょう。昨日と今日で知り合った連中が歩幅をあわせるには、どうしても音楽が必要になるんじゃ?」


「失礼なことを申し上げてもよろしくありますか、旅団長」


 私は貧乏揺すりを我慢した。「どうぞ。いい? 主席作戦参謀。私は形式が嫌いよ。二度は言わないわ」


「承知しました。では旅団長、敵戦列には下級士官と下士官が多うございます」


 ああと私は納得した。してしまった。いつかの会議でそんなようなことを聞いていたはずなのに。自分でもよく覚えておこうと決めたはずなのに。どうしてそのぐらいのことがわからなかったのかしら。我ながらこのポンコツな頭脳が嫌になる。自分でなければ頭をバラして思考回路の配置のどこにショートが生じているのか確かめたいぐらいだ。――


 言われてみれば敵は低学歴の団体様なのだ。通常、一対三対一ニとされる士官、下士官、兵の比率が、今回、敵においてはニ対四対一〇ほどにまで濃縮されていた。兵への指導、叱咤激励、戦列の整頓、行進速度の調整、士気の維持、そういったものが一般の軍隊よりも遥かにスムーズであっても驚くには値しない。


 翻って我が方はどうか。我が軍は、体育会系だからどうも義理堅い連中が多いのか、実は下士官不足には悩まされていない。下級士官となるとかなりの部分で不足が見られたが、そこはプロの技、代行した下士官らの努力でどうにか補いとやりくりがついている。とりあえずこの一戦程度であれば。


 そうだ。そうなのだった。だからこその火力なのではないか。


 戦列の戦闘力とは下士官の質と量、それで負けているからこそ、こちらが優越している火砲の質と量で敵を圧倒しようと事前計画を定めたのではないか。


「で」私はふつふつと湧き上がる自殺願望に耐えながら更に質問を重ねた。「推定でいいわ。何かある?」


「アレは戦況を伝えているのでは。更に長距離伝令の代わりとしても用いている」


 冬景色はコミマの待機列にも似た敵戦列を遠く眺めながら眉間に縦皺を刻んだ。それがこの男の深く考えるときの癖らしかった。ハナから整っているわけではない人相が加速度的に崩れる。インテリ・ヤクザっていうのはこういう輩に違いないと私は無駄なことを考えた。


「この音楽、ゴールド・マジック・オーケストラですね。ライジーンです。いいですか。さきほどまでの演奏ペースはトゥットゥットゥーでした」


「そうね」私は喉まで出かかったシュールな笑いを飲み込んだ。


「いまはトゥトゥトゥーです。かなり速くなっている。音楽と演奏速度の組み合わせで、各連隊からは見えないような、例えば右翼連隊からは見えない左翼連隊の状況などについて伝えているのかもしれません。それと、私であれば、音楽と速度の組み合わせに対応した乱数表のようなものを――そういえば我が師団長は野球のファンです――用意しておきます。乱数表は事前に各連隊単位で配った作戦計画書に対応している。大隊かも。つまり、いままでにないほど高度、且つ、臨機応変にその場その場で採用する戦術を変えられるということなのかもしれません。司令部が前線まで伝令を出してやり取りをする時間も大幅に短縮されます。左右来宮軍は伝令士官も足りていないはずですから、コレは割と合理的なことかもしれません」


 私は舌打ちした。「そのためのプレイヤーによる軍楽隊」


「私の推測が正しければですが。大量のNPCに一人か二人のPC。これまでの軍楽隊では複雑な音楽を複雑に演奏しわけることができませんでしたから。ああ、もしかすると、各大隊に軍楽隊が付属していないのは、音が混濁するのを避けるためかもしれませんね」


「よくもまあ五五人も集めたわね」私は眉が痙攣するのを抑えられなかった。


 金が掛かる割に儲からない。卒業しても将来に繋がらない。そういう事情で音楽系の学校は、近日、死ぬほど少なくなってきている。総合高校でも設置するところがほとんどないぐらいに。そして、残された極々少数の音楽学校に通う生徒たちはどこか浮世離れしている。でなくとも音楽学校に通っていない他の高校生を意識的に見下している節がある。彼らのほぼ全員が社会的地位の高い親を持つこともその感性に影響を及ぼしていた。(更に言えば、音楽学校、音楽科を設置している総合高校、それらの中でも強烈なヒエラルキーが存在しているらしい)


 こういった事情から、体育会系、美術系、工業系、手当たり次第で集めているブラスペですら、これまで音楽系を掻き集めるようなことはしなかった。してこなかった。しようとしたところで向こうから一方的に拒絶されてきたのであった。


「七導館々々は他校との差別化、他校ではなかなか学べないことを学べるというのが学校経営方針だったそうですので。それに、彼らは元音楽科生徒ですから。現役だったら参加していないでしょう」


「貴方は」私は敗北感とコイツが味方でよかったという満足感の入り混じった溜息を吐いた。吐かざるを得なかった。「何でも知っているのね」


「そうでもありません」


 冬景色は自分にそう信じ込ませようとしているようだった。


「騎兵については」私は別の問題に取り掛かった。


「見せ札にもなる決戦戦力かと推察します。アチラに我々の注意を惹かせておいてコチラの騎兵の行動の自由を奪い、その間に分割した騎兵で我が司令部を襲う。それぐらいのことは我が師団長ならばやってのけるでしょう。かといって、それを過剰に気にしてコチラが少ない騎兵戦力を分散すれば、あの集団の正面突撃を防げなくなる」


「どちらにせよ我が軍はそう多くはない砲を()()()()()()()()()()()()()()()()()()()取っておかねばならなくなる」


「そういうことになります。良い位置を取られました。また、あの軍楽隊を砲撃されるのであれば、それにも砲を取られる。すると戦列歩兵同士の戦いに使える砲が、両軍で、信じられないほど拮抗します。となれば相手の戦列の方が有利になりますので――」


 私は手で冬景色を制した。つまりは時間と決断の問題なのだった。敵戦列と我が戦列との距離はもう三キロを割っている。両軍の対戦列砲撃が始まるまでにはニ〇分もない。限られた砲でどこを狙うべきなのか? 誰も決めてはくれない。私が決めねばならない。決めたものが間違っていれば負ける。それだけだ。シンプルなことだ。素晴らしい。私の肩に何百という高学歴の明日が賭けられている。気持ちがいい。気持ちが悪い。素直な気持ちを吐露するとみんな死ねばいいと思う。


 しかし、そんなことはできない。そうしてしまうと左右来宮を殺せない。


 そうだ。左右来宮だ。左右来宮を殺してやりたくて私はここまできた。泥濘と沼と雨と事故を超えてここまでなんとか辿り着いたのだ。


 低学歴なんかに。私は下唇を噛んだ。友情を感じた私が馬鹿だった。たとえ一瞬でも。ああ、でも、友情なんて誤解と過大評価を下敷きにしないと成立しないものか。『アイツなら私のことわかってくれる』ってね。馬鹿だった。アイツも所詮は高学歴を殺して喜ぶ殺人マニアックだったのだ。あのまま行ったところで私のことをわかってくれたはずがない。どこかで仲違いして殺し合ったに違いない。


「参謀長」私は決断した。


「は」吃った。「はい、旅団長」


「いまから砲撃計画を変更して間に合う?」


 砲の扱いはネットで知り合った相手とデートするときのプランと同じかそれ以上に計画的でなければならない。実際に撃ってみなければどこへ飛ぶのかわからないという側面もあるとはいえ、大体でいい、どの辺りに落ちるであろうというのを事前に予想せずに撃たれる砲には何の意味もないからだ。


 予想――砲撃計画の立案にはそれなりの時間と労力を投じねばならない。立案にはよほどの秀才が寄ってたかってもなかなか答えの導き出せない微分方程式が用いられるからであった。


「間に合います、旅団長」参謀長は私よりも自分を安心させるためにそう言ったようだった。


「こういう事態までは想定していませんでしたが、え、ええと、ほ、砲撃計画は砲撃対象を戦術要点、要線ごとに、複数、用意しておいて貰ったので。砲兵課に。とりあえずあの騎兵については砲撃するのであれば対応可能です。彼らの隠れている林はまさに戦術要点ですから。楽団の方も無防備で移動していませんからそれほど難しくはないでしょう。問題は砲そのものを移動、指針させる時間ですが、今ならギリギリで間に合うかと思います」


「なら旅団砲兵に伝令を送るわ。旅団長、砲撃計画案の書類を見せて。それから砲兵課から一人、適当なのを連れてきて、敵楽団への砲撃計画を応急でいいから立案させること。とにかく砲に着けさせる仰角だけは急いで計算させるように。射程距離ギリギリでしょうけどそれで構わないから。――主席副官!」


 この主席副官は――アンタは本当に高学歴なの?――すっとろかった。殴り飛ばしてやりたかった。お待たせしました旅団長ではない。待たせ過ぎだ。


「旅団砲兵宛に伝令文を作成」


「はい、旅団砲兵宛ですね?」


「そう」私は気が急いていた。「内容。貴部隊は当初の予定を変更。敵戦列左翼(敵主力)に対しては投入予定であった第一中隊に第ニ中隊を加えること。敵戦列右翼に対する射撃は第三中隊のみで実施するべし。なお、敵左翼に対する砲撃については使用を控えるべしと通達してあった榴散弾を使用するものとする。また、彼我の戦列の距離が五〇〇メートルを割った時点で適当と認める砲二門を使用、敵戦列後方の楽団への砲撃を行うべし。この砲撃は殲滅ではなく擾乱を目的とする。従って確実に命中させる必要はなし。使用砲弾は円弾。砲撃は五斉射。司令部が必要と認めた場合、斉射数はより増える可能性があり、更に必要と認めた場合、榴弾を用いる可能性もあるので、容易はしておくように。それと最後にこう書き添えておいて。“兵站の問題から気球が使えない分、貴官らの経験を頼らざるを得ない。期待する”。以上。続けて独立第八大隊にも伝令文」


「ちょ」主席副官は慌てた。「ちょっと待ってくださいね。――はい、どうぞ」


 私は参謀長から渡された電話帳ほどもある砲撃計画案の中からひとつを選んだ。


「内容。貴大隊は現在位置より東へ一・ニキロを移動。砲撃計画ヒの八号に則って隷下砲兵中隊に砲撃を準備させること。また、敵騎兵の一挙手一投足を見落とさず監視すること。敵騎兵が林より出撃する気配を認めた場合、その目的の如何を問わず全力砲撃、その前進を食い止めるべし。砲撃によって敵の前進を阻止できない場合は貴大隊の全力を挙げて敵騎兵を阻止すること。なお、旅団騎兵は敵に未確認の騎兵が存在する場合、または敵味方の戦列が崩れた場合に備えて後方に待機させるのでそのつもりで。以上」


 突如の変更にも関わらず計画は遺漏なく執行された。敵戦列への砲撃が始まる。


 一六門が同時に、しかもふんだんに榴散弾を叩きつけるのだから、常識的に考えて、敵左翼戦列は崩れるはずであった。


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