表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
88/239

8章7話(夏川)


「な」吃った。「夏川旅団長」


「なに」と、私は新しく任命されたばかりの参謀長に尋ね返した。正規の参謀長はロホーヒルヒで狙撃を食らって全治二ヶ月を言い渡されていた。否、参謀長のみならず、我が旅団の基幹要員はかなりの数がロホーヒルヒにおける敵のゲリラ活動で負傷していた。為に、現在、第ニ旅団の幹部はつい半月に比べてよほど様変わりしていた。


「兵站の手当がなんとか間に合ったと、いま報告がありました」


 厳つい図体と相好にばかり目が行くものの、この参謀長、もしかしなくとも有能なのではないかと私は踏んでいた。それだけ話し方と考え方とが明晰だった。我が旅団が戦場にこれだけ早く到着できたのは、また、これだけ早く展開を終了することができたのは、この参謀長、それに冬景色と、ムカつくことに、あの左右来宮の兄貴に拠るところが大きい。


 元の旅団であればどうだったろうと考えなくもない。前の参謀長はコネ出世、主席作戦幕僚は偏屈で狭量、兵站幕僚は有能だが、それでいて兵站の重要性を真に理解できていたとはいえなかった。旅団司令部が前からの陣容そのままであったならば、我が旅団はこの原野にそもそも到着できなかったかもしれない。


 無論、だからといって――左右来宮はもちろんとして――私はこの宗近とかいう参謀長も冬景色も嫌いだった。能力は認める。けれども生理的な嫌悪感を覚える。要するにどいつもこいつも私の好みから言えば卑屈で感情的に過ぎた。下らないことを何時まで引き摺っているつもり? なんて、それを言い出せば私もまた私もなのだけれど。同族嫌悪か。賤しいな。戦後、彼らの考課表を書くときが来たならば、畜生め、絶賛してやらねば。


 まあいい。まあそれはいい。


 旅団長などというものは好き嫌いと人事を一致させなければいいのだ。好きな人間でも使えないなら隅へ追いやる。嫌いな人間でも使えるならば重用する。大事なのは“自分の好きな相手だからといって優れているとは限らない“ことを念頭に置くことだ。(人間は所詮、主観とバイアスの靄の向こうに居る他人をしか観察できない。だから嫌いな相手の能力評価こそ怠ってはならない。でなければ、いざ、嫌いな奴を使い潰すだけ使い潰してやったから始末してやろうというとき、間違いが起きるかもしれない。嫌いな奴を消すときは失敗したくないでしょ?)


「会長は」


 私は司令部テントの奥で悠然としている青年をチラリと見た。「時間稼ぎが上手いわね」


「全くです」参謀長はコクコクと頷いた。こういう玩具、昔、どこかで見たわね。どこだったかしら。――失敗した。思い出さなければ良かった。どっかの玩具屋の前を通ったときに見つけたクマの人形だった。私はそれを買って欲しいと母にねだった。母は私の頬を張り飛ばした。彼女は公衆の面前で私を馬鹿な娘ねと詰ったのだった。


「実際」と参謀長は嘆息している。「展開の速度が早すぎて、隷下部隊に弾薬と砲弾の供給、それに作戦計画の伝達が間に合ってませんでしたからね。会長がああやって右京――あ、あ、す、すみません――失礼しました、あー、左右来宮を足止めしてくれていなければ、我が軍はハリボテも同然の状態で敵と戦わねばならなかった」


「別に呼びたいように呼べばいいわ。そんなことで貴方の評価は変えないわよ」


 私は舌打ちした。「その程度のことを、私の部下なら弁えておきなさい。はっきり言って腹が立つわ。そこまで私が馬鹿な女だと思う?」


「いや」参謀長は狼狽した。「ほ、本当にすみませんでした」


 私は重ねて舌打ちした。この大事なときに自分のプライドを優先した自分をぶち殺してやりたくなったからだった。もういいわと参謀長に手で示した。私はどうしてこういう場合に謝罪もできない女になってしまったんだろうと思わなくもない。


「剣橋は我々を過大評価した」私は気分を変えるためにまず話題を変えた。


「これだけ素早い行動の可能な我が第ニ旅団がまさか初歩的な戦闘準備を終えていないはずがない、と。まあ、慎重とも言えるし、私だってそう判断したでしょうけれど」


「剣橋君は優秀な男ですから」参謀長は間接的な方法で私を褒めた。そういう性格らしかった。


 とにかくこれで戦闘を遂行可能なのだから手堅く揉み潰しましょうと私は参謀長に言った。正面戦闘ですねと参謀長が首を縦に振った。


 戦場における戦闘行動、それには幾つかの様式(テンプレート)がある。


 正面戦闘、迂回、突破、包囲、それに余り行われないが浸透の、合計で五つである。


 正面戦闘はこのゲーム内で最もよく採用される戦闘様式であった。事実、シュラーバッハでもラデンプールでも原則としてこの方式が採用されている。


 両軍ともに戦列歩兵を(基本的には連隊横列で)並べられるだけ並べる。それをまさしく正面からぶつけあわせる。どちらが兵を前進させてどちらがそれを迎え撃つのかは状況による。右翼が前進する中で左翼は敵を迎え撃つ――というような場合もある。


 数の差、装備の差、士気の差、指揮官の質、兵站の質、戦場の地形、天候の状況、正面戦闘における勝敗はこのような戦略的条件によってほぼほぼ決定されると言ってよい。その決定を覆すためには、政治的詐術、奇策、工夫、そういったものを弄することが求められる。(シュラーバッハにおけるモヒート軍の裏切るとか裏切らないとかいう演技からの砲兵運用、ラデンプールにおける、これは未遂で終わったものの、別働隊の利用などがそれである。なお、戦闘様式は正面戦闘と迂回を組み合わせたり、正面戦闘から包囲へ移行することもある)


 さて、例えばこのンジョール=ヌ会戦の場合、我が軍と敵軍は双方ともに三つの戦列歩兵連隊を並べてぶつけあわせようとしている。


 両軍ともに右翼に二個連隊、左翼に一個連隊を展開している。中央に戦力を配置していないのは右翼と左翼の間にほぼ隙間がない上、その辺りに障害線(林などの連なり)があるためだった。


 我が軍はこの他に独立第八大隊を隷下に持つが、これは予備戦力として、砲兵と騎兵と共にこの丘の背後に配置してある。敵についてはどうか。砲兵の位置はわかっている。我が方と同じで指揮場を置いた丘の背後だ。騎兵についてはまだ掴み切れていない。これも展開を急いだ弊害である。尤も、隠れていそうな候補地は絞れているので、間もなくその配置が特定できるだろう。


 敵味方ともに右翼に戦力を集中しているのは何故か。戦場幅の関係上、三つの連隊を横に並べられないから――ではない。そのような戦力配置を行った場合、いわゆる戦力分散の愚を犯すことになるからだった。


 ……今回、このンジョール=ヌ会戦が正面戦闘で行われることになったのは、両軍ともにまずもって時間が足りていないからであった。悠長に迂回や何やらしていたらロホーヒルヒやライダーテーレに協力で統一された敵が出現する。してしまえば我々を欲しがる勢力はどこにもなくなる。帰る場所を欲しているのは、それを得るために手っ取り早い戦果を欲しているのは、何も左右来宮だけではない。


 そう、左翼の陣容が薄くて右翼が厚いのはお互いに意図的なもの、とっととケリをつけるためだった。


 両軍ともに敵左翼に主攻(主力)を叩きつける。その前進を砲兵で助ける。或いは妨げる。一個連隊だけでは突破力が足りない。今回、最も大事なのは敵を葬る速度と手際だ。


 左翼は初期位置から移動せず粘れるだけ粘る。その粘りもまた砲兵によって援護される。相手戦列が崩れかけたところで騎兵を投入する。トドメを刺す。騎兵はそのまま戦列を蹂躙する。それとも敵戦列を片翼包囲するか。司令部を狙ってもいいかもしれない。状況次第だ。カウンター・チャージもあるかもしれないし。


 統括すると、――兵のコンディションという意味での不安は拭えないものの、砲、人、それらの数で優越している我が方が()()()()()()ということになるだろうか。


 ちなみに、正面戦闘以外の戦闘様式が採用されないのにはその時々で様々な理由がある。


 再びシュラーバッハの例を引くが、あのとき、敵軍団が第ニ旅団陣地へ正面攻撃を掛けてきたのは今回とほぼ同じ理由、迂回する時間に乏しかったからであった。(また、敵は当時の第ニ旅団があれだけの火砲を有していることを事前に調査できていなかった) 


 この他、幾つもの戦例で多く見受けられるのは指揮官と兵の質によって正面攻撃をせざるを得なかった場合である。


 迂回や浸透、それに突破を行う部隊は優れた指揮官に統率されていなければならない。優れた指揮官とは? 決断力があり、経験に富んでいて、主力と離れた場合でも冷静な判断力を保ち続けられる人間のことをいう。


 ココでいう冷静な判断力とは“命令には反するけれども目的が達成できそうなとき、独断専行ができるか“ということでもある。勿論、そんな人材はまたといない。私ですらどうか。私ですら? アンタは自分をそんなに高く評価しているのね。アンタなんてそう下さったものでもないのに。


 兵については語るまでもない。優秀でないからこそ戦列歩兵をやっているのではないか。常に軍隊生活をしている兵は全軍の四割、残りは有事のときに呼び戻されて短い再訓練を経て駆り出される。そんな軍隊が複雑な機動を行えるはずがない。(迂回にせよ浸透にせよ、敵に見つからないように行動するのは訓練を受けた兵でも難しい。まして敵陣を切り開いて突破するのはよほどの精鋭でなければ)


 そういう見方をするのであれば。私は腕を組んだ。シュラーバッハにおける左右来宮は確かに傑物だった。


 咄嗟に状況を把握、幕僚の意見を仰いで判断、部隊を応急編成、それを自ら指揮して敵の司令部を叩いたのである。自分にそんなマネができるか。できるはずがない。悔しい。私は軍服の上から自分の腕にツメを食い込ませた。痛かった。肌が切れた。血が滲んだ。だからどうした。


「旅団長!」


 丘のアチラ側から伝令がやってきた。あどけない顔立ちの彼は息を切らせながらも懸命に報告した。独立第八大隊より参りました。敵の騎兵集団を敵軍右翼側(この右翼とは我々から見た側である。つまり主力側を意味する)に発見したのです。あの辺りです。はい、あの林の中であります。巧妙に隠れておりました。意図については疑うまでもありません。我が戦列への横撃、それが不可能であればココへの奇襲です。


 私はニアリとした。敵の手の内を読んだからではない。独立第八大隊長の橘とかいう女の性格が読めたからだった。あの部隊は我々が左右来宮たちを追いかけ始めたところで我が軍に合流した三番目の部隊だった。三番目という時点ではてとは疑っていた。


 得点を稼ぐのが巧い女なのだ。勝つであろう方に飛びつくほど薄情には見えないように。それでいてキチンと仕事はしている風に。後方待機でも。ある意味での政治力を備えた女であると評してもいい。この戦いが終わった後、私が生きていれば、あれも活用してやらねばなるまい。


 それにしても左右来宮にしては陳腐な罠である。からにはその情報と意見をそのまま信じず、そうね、冬景色辺りに分析させるべきだろう。私はその手配を参謀長に依頼した。参謀長はその業務を即座に終了させるなり、


「旅団長」震えてさえいなければ立派なバリトンで報告した。


「我が右翼の前進準備が整いました」


「そう。では旅団右翼は攻撃前進を開始。計画に則って左翼は待機。よしなに」


 敵戦列後方であの音楽が鳴り響き始めたのはこの五分後だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ