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7章6話/その、細い首を折れば貴方は私のものになると思っていた思春期の日々


 家に戻ると門前に頂が来ていた。夕暮れを背負った彼女は何時もと毫も変わらない態度で述べた。


「右京、甘木は私です。正確には貴方のお兄さんにあのアカウントを譲るまではそうでした。あの開戦工作のとき、我が連隊の行動計画や布陣を、私は会長に売りました」 


 私は後頭部を掻いた。「家にあげてあげたいんですが凄いことになってまして。でも、それでもよければとりあえず上がりませんか。なんだか長い話な気がしますし」


「いや」頂は切れ長の目を伏せた。「それは。その。いいのですか?」


「いいも何も。貴方は親友ですし」私はわざと投槍な言葉遣いをした。


 座れるところといえば兄の部屋だった。私は頂と二人で兄のベッドに腰掛けた。植物が多いためか室内の空気は清浄であった。吸い込むとマイナス・イオン的なものを――これといって感じるわけでもないが、なんとなく呼吸がしやすい気はした。


「それで」私は性懲りもなくビール缶を手にしながら口火を切った。向かい酒であった。


「なんですと? もういちど説明して貰えますか」


「あのアカウントは元々、私が使っていたのです。それで会長に必要に応じて情報を提供していたのです。キラー・エリート全滅の件も私が関与していました」


「どうして」と私は質問を重ねた。


「貴女ですよ」と答えた。彼女は俯いた。


「私は貴女がこのゲームに没頭するのがたまらなく不安だったのです」


「ははあ。親心ですか?」


「違います」頂は俯いたままだった。


「なんです」


「私には貴女しかいないのです」


「貴方、大概、私のことが好きですよね」


「真面目に聴いてください」頂のそれは常日頃の小言ではなかった。依頼であった。


「はいはい」それでも私はヘラヘラするのをやめなかった。深刻ぶる気分ではなかった。第一、そうするには頭痛が酷すぎた。


「私の父が私をどのように育てたかったかについては知っていますね」


「あれほど熱心な人を私は他に知りません。尤も、お父様にお会いしたのは二回か三回でしたか」


「でも何時だって父は『お前が男ならなあ』と嘆いておりましてね」


「まさか本気じゃないでしょう」私は探りを入れた。


「本気なのです」頂は諦めたように笑った。


「ははあ」どこの家にも悩みはあるものだ。


「どれだけ鍛えようが技を覚えようが私は男性に勝てません。力で勝てません。スタミナで勝てません。技の切れで勝てません」


 頂は取扱説明書でも音読しているかのようだった。「私はずっと承認欲求に悶えて来ました」


「ですか」


 口癖とは便利なものだ。私は何故か甘い味のするビールを飲み下しながら思った。


「私が貴女について回ってあれこれ言うのは……」

 

 頂は声を震わせた。


「いいですよ」私は私にこんな声が出せるのかと思うほど柔和な声を出した。「無理に言わなくても」


 しかし、その優しさはむしろ彼女を傷付けたかもしれなかった。無論、誰かを傷付けた彼女には因果なるものが巡り巡っているのかもしれない。だとしても――洵に身勝手なことに――私は彼女に傷ついてなど欲しくなかった。


「私は浅ましい女です、右京」彼女はわざと朗らかに言い切った。「貴女が私だけのものでなくなるのが酷く嫌だった」


 彼女は正面から私の瞳を見た。だから、私も正面から彼女を見返した。頂はそっと私の頭に手を伸ばした。彼女は私の頭頂部辺りを飾る例のカチューシャの表面を撫でた。


「私はもうひとつ貴女に長いこと嘘を吐いていたのです」


 頂は部屋の中を見渡した。開けたまま床に置いてあった秘密箱に彼女の目が留まった。彼女はその中で眠っている二冊の本を認めると涙ぐんだ。


「あのカチューシャを取り返して来たのは私ではありません。あなたのお兄さんです。私はお兄さんからそれを譲られて、さも、自分が取り返してきたかのように事実を歪めていたに過ぎません」


 私は頬を掻いた。つい数時間前までの私ならそんなことのあるはずがないと喚いていたに違いなかった。身近な人々の心理ほど逆にわからないものらしい。


「なるほどね」私はビールを飲み干した。今度は苦味を鮮烈に感じた。「そうですか」


「そうですかとは」


 なんですか、と、頂は糾弾しなかった。彼女は項垂れた。


 私は肌身離さず持っている私と兄と二人だけが写っている写真を取り出して眺めた。幼い私と兄は肩を寄せ合って笑っている。思い出せる限り、この写真を撮った祖母も、確か笑っていたはずだ。そんな時期もあったのである。


 私は頂に「泣いてもいいですよ」と言った。


「泣きません」と彼女は頭を振った。


「そうすると泣き落としになります。自分から絶交したいと言い出すのも嫌なのです。それでは同情して欲しいと言っているようなものです。否定を求めているのと同じことです」


「じゃあ私の方からもう二度と目の前に現れないで欲しいと、そう言って欲しいわけですか」


 頂が何か言おうとした。私はその機先を制した。


「でもだって」なんだか何もかもが面倒になった私は図々しく指摘した。


「同情して欲しいんじゃないですか? 許して欲しいのでは? でなければココへは来ないでしょう。そんな話もしないでしょう。違いますか」


 頂は低く呻いた。私はニタニタした。「ロジハラをするつもりはなかったんですけどね。まあ、なんていうかな、とにかく、いいですよ。いい。別に、ぶっちゃけ、なんていうかな、のんこのしゃあと来やがってこのアマが殺してやろうか――と思わなくもありませんが、じゃあ、貴女とこのままお別れするのがいいのかといえば、それはまた違うと思います」


「しかし」頂はまだ食い下がった。


「しかしも何もありません」私は呆れた。「罪の意識を感じているならむしろ私の役に立つことをより考えてください。私の前から居なくなることを考えるよりも。特にいまはこういう状況ですしね。もちろんこれからもですよ。もし、貴女が私に許してほしくないと言うのであれば、ええ、許しません。許さないからずっとこき使います。許して欲しいのであれば今までと同様にしていてください。それが私の望みです。――――この件の決着をどうするかについては私に選択の権利があると思うんですよ。そのはずです。貴女ではない。そうじゃないですか? 貴女が勝手に始めたことだからこそ、それを終わらせる権利は私にあるはずだ。ま、なんですか、つまりですね」


 私は史上最高にニタニタした。恥ずかしかったが、ンマー、こういうことも偶には良いだろうと思った。


「悲壮ゴッコはやめてとっとと私のものになればいいんです。好きなだけ可愛がってあげますよ。そういうご趣味があるなら物として扱ってあげてもいい。お望みなら踏み躙ってあげますし、却って私を踏み躙りたいなら踏み躙ればいい。先輩たちに対する償いは別として、私は貴女との関係を、ええ、はっきり言ってね、たかがこれぐらいのことで失いたくはない。そう思っています。


 頂はメソメソし始めた。その頬を私は人差し指でぶにっと突いた。予想外に、私の人指し指は深く深く彼女の脂肪に包まれた。


「泣くだけ泣いたらまた地獄に付き合って貰いますよ。それにしても貴女はそういう風に泣くんですね。意外なぐらい女の子らしい体脂肪率でもある。世の中には知らないことが沢山あるなあ……」


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