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1章8話/雨の季節に誰かを不幸にした責任の所在


 己の所属する学閥は連合生徒会といった。ここ数年の中心校は我が鳳凰院大学付属高校、この他に参加している高校はニ〇〇を超える。親会社は天下のTANAKAだ。


 連合生徒会の運営している国家はモヒートである。その規模はゲーム内でも三番目に大きい。NPC国民はニ〇〇万人に垂んとする。政治や経済や軍事を司るPCの数も二万人を数えた。


 無論、ひとつの国家を営むには少な過ぎる人数ではある。モヒートの政府はいわゆる“小さな政府”ではあるものの、とはいえ、総人口に対してせめて五パーセントぐらいの公務員がいないと国が回らない。だからこそ己のようにプレイヤーの誰もが長時間労働と役職兼任を強いられる。


 ああ、申し遅れたが、己の役職はモヒート軍参謀本部兵站部長兼任軍務省経理局参事官である。早口言葉か? 笑ってくれていい。


「やあ」


 そして、この男――田中三重吉(たなかみえきち)がその連合生徒会長(モヒート皇帝)であった。「よく来てくれたね、君」


 ブラスペ内の国家間情勢や政情は変転、急なこと極まりない。戦闘と政治を見世物としているゲームだからだ。親会社からの要求もある。『何かしら理由を捏ち上げて隣国とドンパチしなさい。それか君、クーデターとかやらない? やっちゃいなよ。やっちゃいなよって』


 ならば議会制政治など夢のまた夢である。すわ、そのときに咄嗟の判断に時間が掛かる。一分一秒の遅れが亡国に繋がる。亡国となればその国に関わっていたというだけで『役立たず』扱いされる。そのように扱われれば進路に関わる。


 故にブラスペ内に存在する国家の九割までは、この、キザでロン毛の、しかもそれが映える男のような君主によって統治される。尤も、皇帝とか君主とか呼ばれるものの、その任命は学閥に参加する全ての高学歴校(原則的には偏差値六〇以上)の投票によって決まる。皇帝の他に貴族なるものは存在しない。絶対的な皇帝を複数の省庁で輔弼するのだ。


「エレベーターでひとつ上がるだけですしね」己は会長の握手に応じながら愛想笑いをした。成金趣味丸出しなソファを勧められる。こういう高そうな家具はどこで買えるのだろうか。ネット通販なら配送料も馬鹿になるまい。会長が腰を落ち着けた執務椅子などマジものの玉座と見分けがつかない。


「ご用件はなんですか」


 己は懐から煙草の箱を取り出したが、中身、一本もなかった。格好が悪い。それに気が付いた会長が卓上の葉巻箱(ヒュミドール)の蓋を開いた。「どうかね?」ということなので有り難く失敬する。箱は杉製だった。


「これは素晴らしい葉巻だ」己は葉巻の匂いを嗅ぎながら言った。「ジョンブルですね」


「いや、アバナだよ」


 恥ずかしい。平静を装って――「ああ、そっちでしたか」ってどっちだよ――マッチを擦る。こんな上等な葉巻にガス・ライターを使うのは馬鹿らしい。先端を炙るように、焦がすように、慎重に火を着けた。


 甘く、どことなく土っぽく、それでいて湿ったような煙が頬の内側に充満した。焼いた葡萄のような味がする。これがアレか。ブルジョアジーの葉巻か。ブルジョ味か。


 肺まで入れそうになるのを我慢する。会長の私設主席秘書官を勤めている吉永(よしなが)二年生が入ってきた。紅茶と菓子類を置いて出ていくその仕草が洗練されている。


「用件というのは」会長は葉巻を手に持ったまま切り出した。着火していない。


「第ニ旅団のことだよ、君。旅団長が倒れたのは知ってるだろう。若いのに働き過ぎだね。そういえば、君のところの高架下君も急性胃炎だそうだね? 悪くすると胃潰瘍になるとか聞いたよ、君」


「あの女は殺しても死にませんから。しかし、第ニ旅団長人事ですと自分は管轄が違います」


 己は白々しく言った。「人事局長を呼ばれた方がいい。彼は他校ですから電話の方がいいかも」


「私は君に相談しているのだ」会長は葉巻を宇宙ロケットに見立てて遊びながら笑った。「それともいまの立場が不満なのかね」


 己は「滅相もない」と否定した。現実には不満たらたらである。


 会長は明らかに己のことを気に入っていた。おかげで二年生にして参謀本部の部長職に就かされている。コレは本来、功績と偏差値のたっぷりした三年生のみに与えられる職なのだ。


 会長は改革派の先鋭である。保守的なモヒートで彼が皇帝になれたのはバックの力が大きい。親会社の名前と会長の名字が一致するのは偶然ではないのだ。


 だが、だとしても、だからこそ、彼は主流派閥から嫌われていた。憎まれているといっても過言ではない。彼の失脚を望み、そうなるように暗躍する者は少なくなかった。


 唯一、神々廻(ししば)派閥と通称される小勢は彼に好意的だが、連中、高学歴と低学歴の待遇格差を是正すべきだと主張する異端児だからアテにはならない。


 会長に対する悪感情は己にまで向けられている。己だって虐められたくなどない。陰湿な虐め――というのが社会問題になっていたのはもう遠い昔だが、では、いまの虐めがどのようなものかご存知だろうか? ハイパー陰湿な虐めなのである。いまでさえ『会長に気に入られているからといって調子に乗るなよ』ぐらいの圧力はかかっていた。これ以上の厄介事はご免だ。


「人事局はそのまま剣橋参謀長を昇進させるか、新たに三年生に辞令を出すかで揉めている。だが剣橋二年生は、うん、頭が冴えるし人柄もいい。面倒見もね。だからこそ敵が多い。ねえ君、君、君、君は誰か良い人材を知らないかね」


「自分は現場には詳しくありません」


「それでもいいから」


「三年生は特に存じ上げません」


「三年生でなくてもいいのだよ」


「と仰ると」


「二年生でもいい」


「まさか」まさか。「まさか」


「うん」会長は葉巻ロケットを執務机の表面から打ち上げて喜んでいる。バシューバババとか下手なボイス・パーカッションまでしていた。「どうかね、君の妹君などは」


 冗談ではない。「それはどうかと」


「何故かね」冗談ではなさそうだ。


「君の懸念は理解しているつもりだ。彼女の在籍校は、私はこの言葉が嫌いだがね、君、低学歴だ。だが、七導館々々は特別ではないかね。サトーの愛した高校だよ。だからこそ特別待遇を受けてきた。低学歴校にも関わらず一個連隊を与えられていたのだ。それも三兵編制のね。他の旅団長候補者たちは経験に乏しい。ある程度、あったとしてもそれは通常編制の連隊までだ」


 会長はくすりと笑った。なにがくすりだ。お前なんか薬じゃないぞ。毒だ、毒、毒リンゴだ。


「しかし会長のお立場はどうなります」と己は思慮深げに言った。


「私のことは心配しないでくれたまえ」と切り返された。


「妹が、左右来宮二年生が連隊長代理になったのは二週間前のことですよ。それまではあくまでも大隊長でした。彼女は旅団長としての正規教育も受けていません」


「同じことだ」ようやく葉巻を咥えた会長は言った。


「前のキラー・エリート連隊長――寿々㐂家君は彼女にイロハを叩き込んである、と、そう言っていた。彼は旅団長教育まで済ませている。いや、彼も律儀な男だよ、君。責任をとって辞めるなどしなくて良いのにね。私は彼の辞表を保留してあるのだ。いつ復帰してもいいように。ああ、それにね、甘木君だ。情報部からキラー・エリートに潜り込ませている甘木君だよ。アレについさっき連絡を取って確認したが、やはり、君の妹の能力は現役の二年生中ではずば抜けたものだと。やる気も旺盛だと言うしね」


「だったら」


 つい口が滑った。「なんだと仰るのです。己の、失礼、自分のプライドだけの問題ではありません。妹は低学歴です。アイツを旅団長に補職などすればモヒートは乱れますよ。せっかく、一五年の長きに渡って維持してきた国です」


 会長の微笑みが深みを増した。明るい森の中、散弾銃で鳥を撃ち殺すのはこういう人だろうと己は感想を抱いた。「君はもしかしてあのことを気にしているのかね」


「いいえ」己は即答した。「違います、会長」


「ならば何を反対する理由があるのかい、君。私は確信したよ。君がそこまでムキになるからには、やはり、第ニ旅団は君の妹にくれてやろうと思う」


 憮然、己は葉巻を吸おうとした。先端がすっかり灰になっていた。膝の上に白いのが降り注いだ。己は何をやっているのだろう。この灰は払っていいものか? 悪いものか? 悩んだけれども、結局、払った。これで己への評価が下がれば、それはそれ、むしろ嬉しいぐらいだ。


「君はやるべきことをやったのだ」会長は諭すように言った。「君、本当に気に病むことはないよ。あの責任は君ではなく私にある」


 リーグ・レギュレーションで、正当なる開戦事由なく戦争を始めることはできない。視聴者から――ヒノモトは戦争アレルギーから脱却しきれていない――苦情が来る。それに熱心なファンはどう理由をこじつけて戦争を始めるかも楽しみにしている。やれやれだ。


 今回の、隣国・ダイキリとの戦争の言い訳は『先日、モヒートで起きた大規模反乱はダイキリに使嗾されてのことだった。我が国はその反乱で多くの国民と彼らの財産とキラーエリートこと独立第一三連隊を失った。その報いを受けさせねばならない』であった。


 もちろんコレは出鱈目もいいところ、自分たちで起こした反乱を自分たちで演出したもの――自演自作である。


 従来、この手の開戦工作は外務省と軍務省とが協力して実施する。だが此度、会長を嫌う彼らは精力的に働かず、代わって己がその任に当たった。つまり、妹の唯一と言ってよかった居場所をそれと知りながら奪ったのは誰あろう己なのであった。キラー・エリートは、それとなく気が付いていたかもしれないが、自分たちが開戦工作に巻き込まれているなどとは知らなかった。少なくとも捨て駒にされるとまでは思っていなかったはずだ。だからこそあっけなく倒されたのである。友軍の手によって。哀れにも。騙し討ち的に。


「会長」己は葉巻の煙を肺まで吸い込んだ。噎せた。「もうよろしいですか」


「いいよ。ありがとう。帰ってよろしい。――あ、いや、そうだ。二点。君、今晩にでも君の執務室へ煙草を届けさせよう。銘柄はいつもの奴で。吸い過ぎないようにね。それと最近、朝と夜に変質者が出るそうだから気をつけたまえ。黒いゴミ袋を持って練り歩いているらしい。所轄にパトロールを頼んだがアテにはならないからね、君」


 己は礼を述べて立ち上がった。会長の背、ガラス張りになっている壁の向こうでは雨が降り始めていた。


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