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銃剣突撃する怒れる低学歴と悩める高学歴のファンタジア  作者: K@e:Dё
6章『本当は赤く咲くはずだった黒い花』
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6章15話/骨も肉も神経も魂までも己の全ては軽過ぎる


「お気の毒ですが」と八回も言われた。だのに、店を見て回る妹はどういうわけか愉しげだった。店と店を移動するときなど己の手を引いて『早く行きましょう』と急かした。


 結局、どの店でも「その絵本は絶版でした」とのことだったが、妹の上機嫌は落ち込むことなく持続した。


 それにしても、――ああ、それにしても、一七歳になって絵本とは。


 妹が探しているのは“ポイントカードの王子様“と“りゅうのかみさま。“という、アレがガキの頃に好きだった絵本だ。『失くしたので買い戻したいんですよ。ずっと思ってて。でも中々、機会がなかったので、今日にでもと思ったんですがね』


「お前それ」己は最後の古本屋の軒先で尋ねた。暮れるようでなかなか粘る太陽の光が眩かった。


「間違いなく失くしたのか」


「どれだけ部屋をひっくり返しても。多分、母か父がアレでアレかと」


 己は深い溜息を吐いた。「最後に見たのは何時なんだ」


「さあ」妹は首を捻った。「それも覚えてないですね」


「お前にはガッカリだ」古本屋の店主がシャッターを降ろし始めた。アッチへ行けと己たちに目で訴える。己は彼に会釈しながら話を続けた。


「物持ちも記憶力も良いと思ってたんだがな。そんな大切なものを失くすな。って、おい、ションボリもするな。ただの軽口だろうに」


 いつもの威勢はどうした。今日はガチのマジで変だな、と、言い掛けて核心に気が付いてしまった。今日が変なのではないのだ。己は妹の肩を叩いて「行くぞ」と促した。意に染まない様子ながらも妹は歩き始めた。その俯き加減を、さきほどまでの上機嫌の反動が来たようだとか思いながら、己は懐手で見詰めているしかなかった。


 やってきたときは意外に狭いなと感じた古本街は尽きずに続くように思われた。川と並んで走る細長い道、橋、石で畳まれたそれらを行き交う趣味人らは陽気だった。またその一方、ある交差点では怪しげな集団が襷掛けで何やら唱和していた。『いまの政治を許すな! 政府は我が国の固有の領土である島々を大陸に不法占拠されても何もしなかった! もはや形骸化している安全保障条約、それに則ってメリケンの軍隊を血税で養うぐらいであれば憲法を――』


 花火大会の時間が差し迫っていた。己たちが乗った電車は大混雑だった。奇跡的に空いている席があった。妹は兄さんどうぞと勧めた。そういうわけにもいかなかった。お前が座れと己はアイツの背を押した。どういうわけか妹の機嫌がそれで上向いた。(席を譲ったことで機嫌が直ったようには思われない)


 会場の河原へ着いてみれば星空、旧暦の七夕からすら三〇日を経ているというのに、クッキリと空に映えるのは鮮やかなミルキー・ウェイであった。無論、星は川の表面にも写り込んでいるから、空と大地と、その間に蟄居する己たちは万華鏡の中に閉じ込められた小人の如く贅沢な景色を味わった。


 こんな素晴らしい景色の見られるところに集まった何百人か何千人かは謎の、ここにいる誰もが自分と同じものを見ている一体感に酔い痴れてゴキゲンになり、好意や愛情や善意じみたものをそれなりに振りかざしている。


 その対象は千差万別、忙しさに追われた毎日の中ではついぞ気にしたことのなかった迷子を助ける者がいる。見知らぬ誰かに助け出された我が子を『なんで離れるの!』と怒鳴るはずだった母親も微笑む。なにしろ今日は特別な日だから。


 要するに世の中など気分の問題に過ぎない。昨日、人を殺した誰かが明日には蜘蛛を殺さない。それを見ていたお釈迦様は、そのとき、たまたま虫の居所が悪いかもしれない。――――


 彼らが称賛されるべきことをしているのはわかる。だが人間の二面性を意識せずにはいられない。そんな夜にはビールが似合う。根拠はないがそう思った己は、まだほんのりと不貞腐れている妹に、出ていた屋台のボッタクリ価格なビールを奢ってやった。プラスチック・カップの中で弾ける泡は生まれた順に死んでいく。


「兄さん」妹の口の周りには白いヒゲが出来た。「これで私を買収したつもりですか」


「どうかな」敷かれているレジャーシートは温かった。それで急に思い出した。


「お前、この辺りで試合をしてたことなかったか」


「ありません」妹は即答した。


「そうだったかな」


「あるのは隣の区ですよ」


「そうだったか」


「ええ」妹はツンとしていた。「私は物持ちも記憶力も良いですから」


「何をお前はそんなに怒っておられるのか未だに」


「和食全般ですよ」


 体育座りの妹は膝の間に顔を伏せた。「特に好きなもの味噌汁、鱒とかの魚、甘塩焼なんかにするとよくて、ほうれん草のおひたしなんかも好きです。卵は素焼きの方が喜ぶ。利き手は右、身長は一八ニセンチ、なんなら好きなお風呂の温度とかまで言いましょうか。私は兄さんのことならなんでも覚えています」


「お前」己は開いた口が塞がらなかった。苦笑した。


「お前、気持ち悪いなあ」


 妹はううと唸った。その姿がいじらしかった。ずっと覚えていたわけだと己は尋ねた。ずっと覚えていたわけですと妹は啜り泣くように言った。


「妹よ」己は軽佻浮薄そのものの仕草で肩を竦めた。「お前には世話になってる。いつも助かってる。どうだ、これで満足か」


 己の性格はなんて悪いのだろう。妹はクスクス笑った。「兄さん、性格悪いですね」


「性格が悪いのはお前も一緒だ」己は負け惜しみを口にした。


「一緒ですか」


「ニタニタするな」


「見えてないでしょう」


「想像はつく」


「兄さんは」妹は言葉を区切った。息継ぎをする。「今日はなんで一緒に来てくれたんですか」


「お前は何故だ。先に答えろ。答えたら教えてやる」


「……。……。……。兄さんは、もしかして、今日より前に、ずっと前に、誘っていても、一緒に来てくれましたか?」


「さてな」己はトボけた。


「私はずっと勘違いをしていたのかもしれません」


 妹は生唾を飲んだ。「何をどうしたところで兄さんは私と遊びに行ってなどくれないと、そう思っていたんです。今日まで。兄さんは私を嫌いなのだと」


「今回限りの気紛れでないとも限らないさ」


「そうですかね」妹は寂しそうだった。


 己はどうしてこう悪手しか打たないのか。「それよりもお前、質問に質問で返すとテストが零点なの知らないのか」


「知っていますよ。でも、私はどうせ――とか言うのはやめときましょう。ええ、兄さん。わかりました。私がなんで今日、兄さんをお誘いしたかを話す前に、ちょっとひとつ昔話をしていいですか」


「昔話。『お爺さんとお婆さんが山奥で年金暮らしをしていました。年金は少なく、インフラ整備もされていない地域なので、老老介護の関係にある二人は心中を考えました』とかか」


「それはそれで続きが気になりますが、私たちの昔話ですよ。子供の頃の。いいですか」


「言え」


「“ポイントカードの王子様“の内容を覚えてますか」


 己はメガネの位置を気にした。「いや」


「兄さん、あれだけ夜、寝る前に読んでくれたのに」妹は別に責めている訳ではなさそうだった。


「もどかしいことを覚えていやがる」


「辛いことや嫌なことがあるとね、ポイントカードに一点、貯まるんです」


「何点で皿が貰えるんだ」


「一〇点でどんなことからでも守ってくれる王子様が来るんです」


 妹は吐息混じりに言った。うっとりとしているようでもあり、酔っているようでもあり、公の場で会うことが出来ない恋人の末路を知ったときのようでもあった。


「でも来なかった」妹はむしろ世界でいちばん幸せな人であるかのような喋り方をした。「来なかったなあ。ずっと貯めてたのに。本のね、最後のページに着いてたんですよ。おまけで。ポイントカード。来なかった。二枚目、三枚目、自分でポイントカードを作って貯めても来なかった。結局、ポイントカードごと本はどこかへ行ってしまいました」


 己は下唇を噛もうとした。やめた。代わりに、


「辛かったな」と感情を殺した声で言った。


「辛かったです」と妹は応えた。


「気持ちはわかるつもりだ」と己は続けた。


「わかるべきじゃないですよ」と妹は跳ね除けた。


「兄さんには私の気持ちを分かって欲しくないな。あんな辛い思いはしてほしくないですよ」


 ああ、あるのか。己は驚いた。人を感動させられる否定もこの世にはあるわけだ。この妹に引き換えて己のなんて残酷なことだろう。


「泣きそうです」妹は肩を震わせていた。まだ顔を膝の間に埋めていた。


「花火で良かったな。上を向ける。上を向けば涙が溢れない」


「でも兄さん、泣いてるのは同じですよ。涙が溢れなくても」


 妹は伏せ続けていた顔をパッとあげた。可愛いなと思う。妹が己を見た。そういえば、今日、初めて正面から見られた気がする。今日? コイツ、いつから己のことを正面から見ないようになったろう。己は覚えていない。コイツは覚えているのだろう。


「綺麗ですね、星空」妹の瞳は揺れていた。「ねえ兄さん、あの星が落ちてきたらどんな音がするんでしょうね」


「お前の望むような音がするはずだ」己は些細で大袈裟な嘘を吐いた。「なんでも、お前が望むような音がする」


「じゃあ、音まで綺麗であって欲しいな」


 落ちてこい。己はそう望んだ。落ちてきて、星め、綺麗な音で己を殺せ。


 花火が始まった。兄さんと妹は己に身を寄せた。その体温はとても高かった。身内の温度は他人のそれよりも熱く感じられるのかもしれなかった。妹の顔を照らす花火の色は赤、青、緑、それに紫で、確かにコレは殺風景ではないなと思った。


「兄さん」


 己にでもわかるほど、妹は己のことを愛おしげに呼んだ。


「とてもとても大事なお話があります。それが、今日、私がここに兄さんをお連れした理由です」



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