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銃剣突撃する怒れる低学歴と悩める高学歴のファンタジア  作者: K@e:Dё
6章『本当は赤く咲くはずだった黒い花』
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6章3話/アルコホリック・アノニマス


 風邪のときは得てして悪夢を見るそうだ。確かに己は悪夢を見た。怪物、殺人鬼、そういうものに追いかけ回されるチープな代物ではなかった。現実にあったことを何度も何度も追体験するタイプの、いちばんタチの悪い奴だった。


 実際に体験したことだから“オチ”がわかる。わかっている。その“オチ”を変えようと己は必死で藻掻いた。意味はなかった。まるで約束事、最初からそうなることを運命づけられているかのように、妹は結局、何をしたところでああいうことになった。『兄さん、兄さん、そこら辺に散らばってしまった私の骨をどうか拾い集めて来てくれませんか?』


 夢の場面は入れ代わり立ち代わり、壊れたラジオのチャンネルか何かのようにぶつ切りで変わって、気が付いたとき、己はロホーヒルヒのある建物にいた。朽ち果てつつあるそこを己たちはクーデター計画立案のための秘密基地にしているのだった。


 幕僚連中が円卓を囲んでいた。寒かった。深夜だった。会議は順調に進んでいた。あるとき、何かの拍子に、


『甘木』剣橋が呼んだ。


『こうなっちまったからには、もう、お前さん、妙な遠慮はナシにしよう。俺たちの方でもやめる。というよりも、まず詫びが先か? すまんかったな。なにしろお前は会長をはじめ、参謀本部の強い推薦で送り込まれてきた男だった。用心に越したことはないと思っていたが、それにしてもハブり過ぎたかもしれん。そのせいでお前は俺たちとの間に溝を作っちまったんだと思う。本当に悪かった』


 それは違う。だが、弁解を試みることなどできるはずもなかった。剣橋は男性的な笑みを浮かべた。


『今後は頼りにさせてもらう』


 己は言葉に詰まった。やめてくれと思った。黒歌がニッコリとしていた。己の隣に座を占めていた冬景色が僅かに口元を緩めながら己の横顔を見た。円卓の上に座り込んで酒瓶をジャグリングしていた妹がふとその手を止めた。目を細めた。頼りになんかしないでくれ。頼りになんかしないでくれ。己は本当にどうしてまたこんな向いていない仕事を引き受けてしまったのだろうか? 百万回は繰り返した問答を己はまた一人で繰り返した。


 そして、結論が出ないまま目覚めた。ビッシリと汗を掻いていた。息苦しかった。下らない疑問が湧き上がってきた。ループものの主人公だの、どっかの死んでも生き返る猫だのっていうのは、一体全体、どういう精神構造をしているんだ。思い出すのも辛いことを何度も何度もやり直すだなんて正気の沙汰とは思えない。人生をゲームかなにかと勘違いしているんじゃあないのか。リセット・ボタンはどこかって尋ねられても己は知らないぞ。


 着替えた。己の部屋は六畳のフローリングで、あちこちに観葉植物、ドライ・フラワー、鉢で育てている季節の花、それに自分でも意味のわからない品物が転がっている。妹の部屋の衛生を注意できる身分では実のところないのかもしれない。事実、着替えの服は二メートル近くあるゴムの木を、一度、クローゼットの前から退かさなければ取ることすらできなかった。


「お前」己は絞ればダバーッと汗の出てきそうなパジャマを脱ぎながらゴムの木に尋ねた。「何を食ったらそんなに大きくなるんだ? 人間の子供か? 男と女ならどっちの方が美味いんだ? なあ? いずれ己よりも栄養に気を遣って生活しているんだろうな。今度、手料理でも食べさせてくれないか」


 返事ぐらいしたらどうだと悪態を吐いたとき、部屋の扉がノックされた。


「誰だ」己はオクターブを下げた声で誰何した。


「私です」妹であった。


「何の用だ」


「時代劇かなんかなの?」吉永が小さな声で言ったのが聴こえた。


「お粥でも作ろうかと思いまして」


「お前に腹具合を心配されるほど落ちぶれたか」


「腹具合の心配は前からしていました。ということは、兄さんは昔から自分では気が付かずに落ちぶれていたことになりますが」


「流石、落ちぶれることに関しては己より詳しいな」


「そのうち兄さんの方が詳しくなりますよ。だから、そう僻まないでください」


 舌打ちした。そういえばいまは何時なのか。迂闊にも己は帰ってきた時刻を記憶していなかった。昼前なのは覚えている。なにしろ帯状疱疹の薬をもらうために九時からの皮膚科に飛び込んだのだ。(皮膚科の先生は己の様子を見兼ねて風邪薬までついでに処方してくれた。良い先生だ)


 時計よりも先に、大きな、明り取り用の窓から入ってくる日の色でおおよその目処がついた。七時前だった。腹を擦れば減っているような気がしなくもない。身体は幾らか楽になったようだった。この三日で食欲らしいものを覚えるのはコレが初めてだった。


「必要ない」


 けれども、己は拒絶した。「大体、お前は忙しいようじゃあないか。なら己になど構うな。あっちへ行け」


 ガキの頃から使い続けている勉強机に腰を下ろした。あちこちにペケモンのシールが貼ったままにしてあった。椅子のスプリングが軋んだ。乾いた喉にどうかとは思ったが、我慢できず、己は机の引き出しの中からレッド・アップルを取り出した。着火にはレモンに釘を差して自作したライターを用いた。妹と吉永の気配はそのうち消えた。煙草の煙は甘く、苦く、名は体を表すということだろうか、焼きリンゴにカラメルを掛けたような味だった。何度か酷く咳き込んだ。


 続けて二本目を吸い終えたところで腹の虫が切ない訴えを上げはじめた。我慢しても大したことはないかと思ったが、薬を飲まねばならないことを、ベッドに横になってから思い出した。往生した。台所へ出ていって妹と遭遇するのだけは勘弁したいと考えた。もし出会ってしまったら、構わん、先手必勝、頭をカチ割って逃げればいいと腹を括った。


「起きてきて平気なんですか?」


 出会ったのは客の方だった。吉永はオール電化の標準化した時代、未だに都市ガスを使い続けている我が家のキッチンを物珍しげに観察していた。お茶を淹れようとしているらしい。ティー・ポットと紅茶の葉、それにブランデーの瓶が天板に並んでいた。己は溜息を吐いた。


「目覚めるのには王女様のキスが必要かもしれないが、目覚めてさえしまえば何とでもなる。ところでお前――ではない、失礼した。君。君だな。よし。君、ブランデーは少なめにしろ。してくれ。妹の健康のためだ」


「いいですけど」吉永はフフフと笑った。「なんだかんだ、右京ちゃんのこと気にしてるんですね」


「違う。倒れられても面倒だからだ。アイツは過去に何度も急性アルコール中毒で病院送りになっている。三度か四度、わかるだろ? 椅子を丸く、こう、並べて座るようなアレだよ。ああいう禁酒セミナーに送られもした。それでもしつこく飲み続けたがな」


「こういうこと訊くのは何なんですけど」


「本人に訊け。妹が飲み始めた理由も、兄妹仲の悪い理由も、己は話すつもりはない」


 吉永は確かにと頷いた。キツイ言い方をし過ぎたな、という自覚はあったが、ココから釈明するのは極まりが悪かった。己は換気扇を強で回した。その下で煙草を咥えた。横から手が伸びてきて火を着けてくれるようなことはなかった。これが普通だと思った。安心した。


 湯が沸いた。吉永は慣れた手付きで紅茶を淹れた。花村の淹れるのの、それは百倍は美味そうだった。仕上げに足されたブランデーは少なめと言えば少なめだった。文句をつける気にはなれなかった。吉永が会釈をして去ろうとした。コレでようやく我が家らしく振る舞えると胸を撫で下ろした。ところが、


「おや。リヴィングストン博士でいらっしゃいますか?」


 嫌な奴が来た。近くに鈍器はないかと目を配ったが、キッチンは己の管轄外、どこに何があるかもわからないのだった。妹はニタニタしながら言った。「まあ、起きたばかりはお腹が空いてない気がしますよね。少し待っていてください。ちゃちゃっと作りますから」


 己は居間でムッツリとしていることになった。テレビは退屈だった。食後の薬は散薬だった。錠剤にしてくれと言ったのに。やはりアレは悪い先生だったかもしれない。


 妹は隠しているつもりだったようだが、アレの両手は絆創膏で埋め尽くされていた。吉永が己と妹を等分に眺めてなんとも言えない、困ったような笑みを浮かべていた。

 


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