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1章5話/新時代のテスタメント


 どこもかしこも誰も彼もお金がない(ノーマネー)。そんな国で何が起きるだろうか。単簡(かんたん)に言ってしまえば教育が破綻した。


 それはヘイセイニ〇年過ぎに始まった。


 まず変化のあったのは大学、とりわけ名門以外の私大だった。少子高齢化の煽りを受け、学生集めに窮していた彼等の経営は国庫からの援助に依存していた。その国庫にお金が入らなくなったのである。寄付を募っても集まらない。集まったとしても課税されるケースが殆どだった。


 私大の八割以上が閉鎖されるか公立化するか統合された。統合によって目前の危機を乗り切った大学も、今度は内部の問題、経営陣や教授陣の激しい派閥争いや対立に苛まれることとなった。畢竟、とりあえず生き延びただけの大学の悉くが五年以内に淘汰された。やがて、その様子を笑いながら眺めていた国公立でも同じようなことが始まった。


 ほぼ同時期、大学入試の抜本的制度改革なるものが実施された。例の、“知識量ではなくてその知識を活かせるか否かを問う”である。標榜するところは素晴らしいけれども、是非、考えてみて頂きたい。


 いわゆる中間所得層の消滅した一億総下流の中で子供にまともな教育を受けさせられるのは? 


 〇・〇ニミリ(ごくうす)の富裕層だけだ。


 大抵の学生は知識を活かせるか否かどころではなく、まず、その知識そのものを持っていない。知識を持っている者ですらそれを使いこなせるかどうかは別問題となる。況や大学という大学が超難関という状態においてをや。


 二度目の抜本的制度改革が――主に下方修正しまくったはずの定員がそれでも割れ続ける国立大学の為に――行われた。AO並びに推薦入試の徹底的な再整備である。『実績さえあれば大学へ行けますよ』というわけだ。


 さて、ココで第二問です。

 

 甲子園へ行ったとかボランティアを頑張りましたとか、なんでもいいんですが、実績を作るのには何が必要でしょうか。簡単ですね。時間と金である。(ちなみに、第一次制度改革から第ニ次までの間には文部科学省だの有識者だのの面子を保つべく三年半の年月が隔たっており、その間にもヒノモト経済は加速度的に悪化している)


 大学進学率はとんでもないことになってしまった。ヘイセイ三〇年の時点でなんと往年の半分以下――ニ割半である。大学に進学してさえすれば自動的にエリートという時代がやってきた。


 大学で起きたことがそのまま小中高でも起きている。ひとつの自治体にひとつの公立小学校、中学校、複数の自治体に跨って、極めて広い範囲から学生を募る高校がひとつと、まあ、そんな具合ですね。


 必然、一クラス辺りの人数はマンモス化し、教育の質は年を経るごとに劣化している。それは特に、我が校の如く、学生を手荒く集めるために総合学科を設置した高校において顕著であるとされる。単純な話だ。総合学科を設置したまではいいけれど、優れた教員を大量雇用するのは学校財政的に厳しく、能力も気力も中途半端な教師ばかりが揃えられる。学生の方でも楽に取得できる単位をばかり追いかけるので、結果として、やる気がない教師ばかりが人気になり、まともな教師はまともであるが故に淘汰されてしまう。


 幼稚舎から中学校までの受験界隈は過激化している。学生を囲い込むべく今や大部分の私学が設置している付属校へ潜り込めれば、さあ後は楽ちん、遊んでいても大学までエスカレーターなのだから当然ではある。ま、それに、『ウチの子はオーケーの幼稚舎に通っているんザマス』とか、『あの程度のウチの癖に生意気な!』みたいな、そういう保護者同士のプライドの問題もありますしね。


 高校ともなると受験戦争はもう激しくない。エリートが行く高校とそうでない高校が明確に区別されているからだ。いっそ高校へ通わなくても良いのではないかとすら思われる。


 ところが、中卒で雇ってくれる企業など、このヒノモトの何処にも無い。どんな零細企業でも、ビバ伝統、昔ながらの高卒以上のみ採用を貫き通している。


 一方的な批判はフェアではない。からには擁護しておくが、この伝統なるものも悪いだけではない。良い面とは言い難くとも、予防的、或いは必要悪的な側面もある。このご時世、年齢を誤魔化しながら働いている中学生は移民系を中心に少なくないからだ。


 学業よりも労働を優先した、ハッキリ言って知的、文化的、モラル的に水準の低い彼らを『義務教育は終えてる訳だし』とかいって正社員に召し抱えてしまえばどうなるか。


 過去一五年間、我が国において、こんな時代でもいるところにはいるもんで、何人もの善人が『可哀想な彼らのために』を合言葉に自滅してきた。彼らは確かに偉大だ。彼らが救った命も多かろう。だが、それでも、救った数の五倍にもなる悲劇を彼らは量産している。してしまっている。それをどう評価すべきか。私はまだ定見を持たない。


 無論、現状がこんな風だからといって、もはやガチガチに固まってしまった我が国の新卒一括採用とか年功序列とか雇用法とかを改造することは不可能である。それをやるだけの体力が官民問わずないからだ。時代遅れのルールだとわかっていてもルールがないよりかはマシだと妥協せざるを得ない。


 アルバイトの類は、先程の授業で提示された如く、外国人労働者を用いるのが一般的である。ヒノモト人の側でもこの期に及んで『外国人と働いたり辛いのは嫌だ』という意識がある。もしアルバイトを始めたとしても、賃金の下方硬直性なるものが破綻した現代では、よほど無理をしないとロクに稼げない。『月に五億時間も働いてようやく手取りニ〇万!』


 なんという板挟みだろうか。高校へ行かなければ職にありつけないから高校へ行く。行くけれども、例えば我が校のように極端に安い学費でも払えない生徒もいて、彼らには職がない。


 そこで学生の多くはゲームに走る。現実逃避ではない。労働としてのゲームである。E・SPORTSだ。


 そう、雇用がないなら作り出してしまえ。それも諸々の制約がある現実にではない。バーチャルの世界にである。


 レイワ元年に発足されたヒノモトE・SPORTS連盟はゲーム・プロ・ライセンスを高校生にばらまいた。ピンポイントに高校生を狙ったのは彼等が暇であるからだ。寝ずに勉強することはもうない。朝から晩まで働き尽くの社会人とも違う。大学生は()()()()()()()()()()で忙しい。


『プロが増えてもそれを抱える企業の数が足りないのではないか』――素晴らしい疑問だ。問題はない。ゲーム・プロは個人事業主である。従って、最低賃金以下で休み無く働かせても大した人件費が掛からない。並のアルバイトより、僅かにでもいい、時給が高ければそれでいいのだ。


 それに、高校生どもなんてのは、プロという響きにホイホイ誘われて『なんだか格好いいことをしている!』てな気になる。SNSで持て囃された日には『むしろ親会社にお金を払いたいよ』などと言い出す始末だ。世間が『高校生を奴隷扱いしている!』などと騒ぎ出したら、連盟は次の二つのうちからその時々で都合の良い回答をすればいい。


「いやいや、これはスポーツですよ? 高校生がスポーツをしてるんだもん。健全に。大金を払っちゃ駄目でしょ」


「私らは彼等に援助をしてるんです。え、別にプロライセンスは必要ないって? そこは法律との兼ね合いですよ。プロってことにしないとお金を出すのに問題があるんだから。我々は良いことをしているのです。働くところがないとか才能はあるんだけど……っていう子達に未来(ふゅ~ちゃ~)をあげてるんだから」


 一般社団法人とまで成り上がったE・SPORTS連盟の構造は簡明である。


 複数のゲームタイトルに渡って複数のリーグを設置している。その、E・SPORTS連盟がレギュレーションを定めているリーグ内でまた複数のチームが競い合う。全てのチームは特定の親会社によって経営される。この親会社は試合の放送権を売ったり、スポンサーを獲得したり、それかイベントや関連グッズの販売で利益を出すのだが、その四割はE・SPORTS連合にロイヤリティとして支払わねばならない。メリケンのメイジャー・リーグ・ベースボールのビジネスモデルに似ている。


 私たち七導館々々高校が部としてプレイしているゲーム――“ブランク・スペース・オンライン”もそのようなE・SPORTSのひとつだ。一応、E・SPORTS界で最も流行しているタイトルということになる。


 略してブラスペはどんなゲームか。『NPCと動物とが暮らすヴァーチャル・リアリティ空間でチームごとに国を興して内政、外交、戦争を切り盛りしよう! ひとつのチームは複数の高校の競技ゲーム部が合体して構成されるよ』と、まあ、そういうVR・MMORPGであった。過去形である。


 ゲーム・プロの多くは低学歴であった。これも過去形である。で、低学歴はなぜ低学歴と呼ばれるか。勉強が出来んからである。彼等に、ある程度は簡略化されているからといって、国家が運営出来るだろうか。出来る筈もなかった。ゲーム内世界は開幕(サービスかいし)から血みどろの殺し合いで満たされた。『てきいた。おれおまえころす。ここおれのとち。そこのいしがこっきょー。うほー』


 コレがまた大いにウケた。特殊清掃業者が異常に儲かるような砌、流行するのは過激なものであるから、そう不思議でもあるまい。


 ブラスペ世界で殺されたプレイヤーは新規アカウントを取得するのに半年のブレイク・タイムを要する。これはわざとこうしてあるのだ。殺されたプレイヤーは別のゲームに転向するしかないが、もし、それに失敗すれば学費や生活費を払えなくなって露頭に迷うかもしれない。その残酷さこそが日常に疲れた、生きる意味を見いだせない、そんな視聴者たちを昂ぶらせる。


 ゲーム内はまさに世紀末、殺しが復讐を呼び、リアルの恨み辛みが新たなる殺戮を生み出すような無秩序状況が現出していた。おお、神はいないのか。まあ居ないですよね。――居た。それはヒノモト人であり、高校生であり、そして高学歴であった。


 サトー女史はレイワのニ年初頭にゲーム・プレイを開始した。低学歴のやるものと揶揄されていたゲームに真剣に取り組んだ、彼女は最初の高学歴であったとも言われる。言われているだけだ。事実は常に異なる。高学歴の中にも苦学していた者はおり、彼らの中には僅かな自由時間をゲームに費やしていた少年少女がいる。


 サトーは何をしたか。


 当時一六歳の彼女は手始めにある高校――実は我が七導館々々高校――と連帯して幾つかの他チームを手早く吸収、プレイヤーとして初めてゲーム内にまともな国家を成立させた。


 国家と言い条、それは最初は都市国家に過ぎなかった。壁と塀とに囲繞された村程度のものだった。だが半年、たった半年で、サトーはゲーム内に二つある大陸の片方を三分の一も侵略してのけた。ライダーテーレと名付けられた首都は我々が教科書の上に見る近世エウロペ都市の様相を呈するようになった。


 サトーはその首都に戦争を計画指導する参謀本部や国政を取り仕切る中央官庁街を完成させた。現実の戦争と政治のノウハウをゲーム内へと持ち込んだ訳である。なるほど、その発想は低学歴にはない。あったとしてもノウハウを駆使することができない。


 サトーに対抗するべく他勢力も団結を始めた。それまで個人戦でしかなかった戦争が集団戦へと変わった。流れる血の量と迫力とが段違いになった。その当時の視聴者の熱狂っぷりったらなかったそうだ。連戦連勝を続けるサトーは、比喩でなく、国民のアイドルとなった。


 サトーが一七歳になってから四ヶ月の過ぎたときだった。かの早治大学がサトーにある提案をした。『貴女を我が校へ迎え入れたい』である。


 まあ、タカダノババにあるあの大学は昔からアイドルだの芸能人だのを入れたがるので、わからなくもない判断だ。問題はこれでヒノモト人の大好きな前例の出来てしまったことである。


 ブラスペで活躍すれば名門大学への推薦が勝ち取れる――という前例である。実績作りに苦心していた高学歴者たちはシンクロニシティを起こしてこう考えた。『ただゲームをするだけで……』


 プレイヤー総数は瞬時に跳ね上がった。高学歴の流入に伴って、それまでゲームは観るものと解釈していた近代的勤労低学歴らも次々とプロ・ライセンスを取得したからだ。『高学歴のボンボンどもをぶち殺せるなんて最高のゲームじゃないか!』


 ブラスペ世界は様変わりした。仮想世界のあちこちにサトーの作った国家“午後の死”の模造品が量産された。高学歴が政治と経済と戦争を指導する。低学歴がその駒となって働く。


 上は下を無能と罵り、下は上を鬼畜だと思い込むものだから、高学歴からの低学歴差別と、反対に、低学歴からの高学歴嫌悪は今日に至るまで社会問題化している。かつてのプレイヤーが実社会に出てからも依然、現役時代の遺恨を懐き続けているからだった。(尚、レイワ一八年現在、高校生の総数はギリギリニ〇〇万人とされる。このうちブラスペ・プレイヤーは一五万人程度だと見積もられていた。コレは我が国がまだ元気だった時代の高校野球児数にほぼ等しい)


 その後、サトーはキャリアの最後で嘘のように敗れた。彼女は忽然と表舞台から姿を消した。『死んだのではないか』が専らの噂だ。笑い事ではない。なにしろ生活や未来の栄達が掛かっているのだ。このゲームで致命的な失態をやらかしたプレイヤーは刺されたり撃たれたり外国へ売り飛ばされたりすることがある。


 そんなゲームを野放しにしていいのか、と、議論されることもままある。国会で議題となったことまであるが、コレは最終的には未成年者の視聴禁止など無難な線で落ち着いた。確かにブラスペは有害かもしれない。しかし、かもしれないものを禁止するのは難しい。殺人に使われるからといって包丁を無くすことはできないでしょう?


 未成年者は平然とプレイ中継を見続けている。だってそうだろう。ネット上、『アナタは成人していますか?』に誰がバカ正直に応え得るのか。結局、国会で話題になったことは、ただブラスペの注目度が上がるのに貢献しただけだった。


 いまでもゲームの規制を訴える議員は少なくないが、彼等が『学生が擬似的にとはいえ戦争をする様子を娯楽にするのは倫理的にどうなのか。まして彼らはそれで金銭を稼いでもいる』――などと発議すると、次の瞬間、金銭を稼いでもいるという言葉だけを切り取った人々から袋叩きにされる。『高校生がお金を稼いではいけないのか。ならお前はどうなんだ。辞任しろ。どうせ汚職しまくりだろ。辞任しろ。おくたばり遊ばせ。此の世から辞任しろ。死ね』


 そしてその、袋叩きにしている人々をまた袋叩きにしようとする人々もいる。更にその袋叩きにしている人々を袋叩きにしている人々を袋叩きに――。


 一八年! ブラスペはこういった歴史を息吹いてきた。もう、E・SPORTSもこのゲームもすっかり世間に定着してしまった。市場規模はとうに無視できないものになっている。ゲームが終われば高校生のみならず失業する大人も多い。スター・プレイヤーが在籍している高校は入学希望者が殺到もする。過激なものを放送しなければ視聴率が取れないネット・メディアはどうだ。


 私の祖母はよく言っていた。『人間、当事者でない限りは災難とか不幸ほど面白いものはないからね』


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